白鳥省吾物語
* 掲載履歴 旧漢字は出来るだけ新漢字にしてあります。敬称は省略させていただきました。
一、 生い立ち (明治23年〜明治34年)
二、 中学時代の背景 (明治35年〜明治40年)
(一).旧築館中学校とその背景 ・・・2号(平成11年12月)
(三). 二高受験失敗 ・・・ 3号(平成12年新年 )
三、 早稲田大学入学前後 (明治41年〜明治43年)
四、 第一詩集『世界の一人』出版 (明治44年〜大正3年)
(二)、『詩歌』と『劇と詩』 ・・・ 7号(平成12年5月 )
(三)、 早稲田大学卒業 ・・・ 8号(平成12年6月)
(四).第一詩集「世界の一人」出版 ・・・ 9号(平成12年7月)
五、『世界の一人』の反響 (大正3年)
(一)、『世界の一人』の批評 ・・・ 10号(平成十二年八月 )
一、 対立する新進詩人達 (大正4年〜大正6年)
(三)、対立する新進詩人達・・・13号(平成十二年十一月 )
二、 民衆詩派誕生 (大正7年)
(一)、雑誌『民衆』 ・・・15号(平成十三年一月)
(二)、「殺戮の殿堂」・・・15号(平成十三年一月)
(三)、民衆詩派誕生の頃 ・・・ 16号(平成十三年二月)
三、 民衆詩派全盛の頃 (大正8年〜11年)
(一)、『日本詩集』発刊 ・・・ 17号(平成十三年三月)
(二)、省吾と『ホイットマン詩集』 ・・・ 18号(平成十三年四月 )
(三)、第二詩集『大地の愛』 ・・・ 19号(平成十三年五月 )
(四)、結婚 ・・・ 20号(平成十三年六月)
(五)、「詩話会」分裂 ・・・ 21号(平成十三年七月 )
(六)、新作詩集『楽園の途上』 ・・・ 22号(平成十三年八月 )
(七)、『日本詩人』 ・・・ 23号(平成十三年九月)
(八)、民衆詩運動第二期と『種蒔く人』 ・・・ 24号(平成十三年十月)
(九)、論争前夜 ・・・ 25号(平成十三年十一月)
(十)、白秋と省吾の論争 ・・・ 26号(平成十三年十二月 )
一、 民衆派の凋落 大正12年〜15五年
予告・・・ 詩話會解散
二、 「地上楽園」以後 大正15年〜
(一)、「地上楽園」 (二)、白鳥省吾論
第1回編集会議がもたれたのが、平成11年1月16日(土)でした。
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最終更新日: 2019/12/08