白鳥省吾物語 

  

  写真は 文人今昔 より

 白鳥 省吾 

 (本名・しろとりせいご・筆名・しろとりせいご・しらとりしょうご) 

 (1890/2/27〜1973/8/27) 


* 掲載履歴 旧漢字は出来るだけ新漢字にしてあります。敬称は省略させていただきました。

  白鳥省吾物語 第一部 

    一、 生い立ち (明治23年〜明治34年)

 創刊号(平成11年10月)掲載

 二、 中学時代の背景 (明治35年〜明治40年)

 (一).旧築館中学校とその背景 ・・・2号(平成11年12月)

 (二). 詩へのめざめ ・・・2号(平成11年12月)

 (三). 二高受験失敗 ・・・ 3号(平成12年新年 )  

 三、 早稲田大学入学前後 (明治41年〜明治43年)

 (一).人生の岐路 ・・・ 4号(平成12年2月 )

 (二).早稲田入学と失恋 ・・・ 5号(平成12年3月)

 (三). 詩壇への一歩 ・・・ 6号(平成12年4月 )

 四、 第一詩集『世界の一人』出版  (明治44年〜大正3年)

 (一)、詩人としての出発 ・・・ 7号(平成12年5月 )

 (二)、『詩歌』と『劇と詩』 ・・・ 7号(平成12年5月 )

 (三)、 早稲田大学卒業  ・・・ 8号(平成12年6月)

 (四).第一詩集「世界の一人」出版 ・・・ 9号(平成12年7月)

 五、『世界の一人』の反響  (大正3年)

 (一)、『世界の一人』の批評 ・・・ 10号(平成十二年八月 )

 (二)、リアリストの萌芽・・・ 10号(平成十二年八月)


   白鳥省吾物語 第二部 

    一、 対立する新進詩人達  (大正4年〜大正6年)

  (一)、出会い ・・・11号(平成十二年九月)

  (二)、詩話会前夜・・・12号(平成十二年十月)

  (三)、対立する新進詩人達・・・13号(平成十二年十一月 ) 

  (四)、「詩話会」誕生・・・14号(平成十二年十二月 ) 

   二、 民衆詩派誕生  (大正7年)

  (一)、雑誌『民衆』 ・・・15号(平成十三年一月

  (二)、「殺戮の殿堂」・・・15号(平成十三年一月)  

  (三)、民衆詩派誕生の頃 ・・・ 16号(平成十三年二月)  

   三、 民衆詩派全盛の頃  (大正8年〜11年) 

  (一)、『日本詩集』発刊 ・・・ 17号(平成十三年三月)

  (二)、省吾と『ホイットマン詩集』 ・・・ 18号(平成十三年四月 )

  (三)、第二詩集『大地の愛』 ・・・ 19号(平成十三年五月 )

  (四)、結婚 ・・・ 20号(平成十三年六月)

  (五)、「詩話会」分裂 ・・・ 21号(平成十三年七月 )

  (六)、新作詩集『楽園の途上』 ・・・ 22号(平成十三年八月 )

  (七)、『日本詩人』 ・・・ 23号(平成十三年九月) 

  (八)、民衆詩運動第二期と『種蒔く人』 ・・・ 24号(平成十三年十月)

  (九)、論争前夜 ・・・ 25号(平成十三年十一月)

  (十)、白秋と省吾の論争 ・・・ 26号(平成十三年十二月 )

 


   白鳥省吾物語 第三部  

   一、 民衆派の凋落  大正12年〜15五年

  (一) ・・・ 関東大震災と詩話會の人

  ( 二) ・・・ チブス発病

  予告・・・ 詩話會解散

   二、 「地上楽園」以後  大正15年〜

  (一)、「地上楽園」  (二)、白鳥省吾論


 「白鳥省吾のふるさと逍遙」出版について

 第1回編集会議がもたれたのが、平成11年1月16日(土)でした。

 詳しいことはここをクリックして下さい。


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 最終更新日: 2019/12/08