* 縦書きのものをそのままhtmlファイルに変換しています 文責 駿馬
五、『世界の一人』の反響
(一)、『世界の一人』の批評
『世界の一人』というタイトルの示す意味については、この詩集の「自序」から読みとれる。
<世界の一人という名は自分の生命に驚き、静かに燃えるハムブルな今の心境に最もふさわしいものであったからである。何よりも先に自分の生命に驚くことだ。世界のたった一人の心持ちで懐かしい重みのある自然の中に溶け入るところに鮮やかな力が湧いてくる、眞の健康がある。自然の存在を抱きしめれば抱きしめるほど悲痛な喜びが滾々と溢れてくる、酔いどれのような恍惚がある。それは自然の中にしみじみと祈る心持ちである、やがて自然の無限の上に跳ねかえる闘いの心持ちである。
『祈り』と『闘い』と融一した心持ちから真実のシムプリシテーが生まれる。自由でそして静かな諧音が生まれる。私の詩の源は其処にある。>
この詩集の反響については乙骨明夫(白百合女子大学教授)の「白鳥省吾論」(『國語と國文学』昭和四十四年一月号・至文堂発行)に詳しいので、以下に抜粋して紹介する。
</省吾が「世界の一人」を出版するに当たって、かなりきびしく自作を取捨選択したことはあきらかである。/詩集全体を通読して気づくことは、数篇の詩を除いたその他は、すべて平明な口語で書かれた自由詩であるということである。/省吾が、この詩集の自著で述べた「自分の生命に驚く」とか「世界のたった一人の心持ち」とかいったことばにふさわしい詩句は、三十三篇の詩全体にちりばめられている。明るい太陽のめぐみによって種子ははぐくまれ、生命が誕生し、その生命からやがてまた種子がめばえる。こうしたことは、日常のありふれたことと言えばそれまでである。この詩集の作者は、それらのことに驚きの目をみはり、そのふしぎな自分の生命をかぎりなくいとおしむ。その心から明るい、人間肯定の自由詩が生まれたのである。
つぎに散文詩十八篇をみると、この方が詩よりもさらに明白にこの詩人の面目をつたえているように思われる。形式にはまったくとらわれないから、感動はいっそう自由にうたわれているし、省吾独自の詩想がうかがわれる。/散文詩は、詩にくらべてより平明であり得たためか、「詩」はかえってこの方により多く発見されるような気がする。そこには散文詩をこえたリズムが感じられる。/「世界の一人」の詩的存在意義を考えてみよう。中略・一九〇九年と一九一〇年とは、自由詩運動が極点に達していた二年間であった。自由詩社の同人以外にも、川路柳虹、服部嘉香、河井酔茗らは、この二年間に多くの自由詩または散文詩を書いているし、嘉香の詩論の中でもとくに注目されなければならぬものが、この二年間にあらわれている。そして、一九一一年になると、自由詩の創作はあきらかに停滞を示してくる。中略・あるものは創作量を減じ、あるものは文語にもどってしまった。このような、自由詩の停滞をきりぬけ、新しい詩の方向を歩んだ詩人が三人いた。福士幸次郎と高村光太郎と、そして白鳥省吾と。中略・省吾について一言で言うならば、省吾は自由詩を継承した詩人のひとりなのである。世界の一人は、まだ省吾の特色を出しきってはいないが、当時の詩壇にあっては、あきらかに注目されていい詩集であった。/>
乙骨明夫の「白鳥省吾論」はこのあと、当時の「世界の一人」の批評文を紹介し解説している。それらも見てみたい。富田砕花の「『世界の一人』を読む(『早稲田文学』・1914・8)」を抜粋してみる。
</吾曹がこの詩集の広告を初めて見た時、その名を記憶に印した最初の時、それは甚だしくエクサイトされた心持ちを味わったことであった、理由はその名の著しく民主的傾向を帯びた諧音を有していたが故であった。然しそれは単に期待として失望に終わらざるを得なかった。/この詩人は自己を大自然のなかの確然異れる一存在と見てお互にと称えている、中略・吾曹はこの詩人から今一層進んで世界と作者自身とかが一融合しうるutopiaを有しうる瞬間を想像せざるを得ない、作者は世界のたった一人のDancerとして地球の上に踊っていると曰ふ。吾曹はその踊ることからの疲労のために、より迅速に休息に就かんとする時のこの詩人の上に来たらんことを希望する。中略・吾曹はかく書き続けてさらに一巻の後半を占めているところの散文詩にまで辿り来たった時に、吾曹が希望は来るべき日を待つことなくして充たされてあることを知った。吾曹の速断を恥じねばならぬことを知った。/>
西宮藤朝の「『世界の一人』を読む(『詩歌』・1914・8)」を抜粋してみる。
</白鳥省吾氏の詩集「世界の一人」に於いて、私は近頃にない或る物を発見し得た。それは最後の方に於いてである。第一氏は驚くべき程、レアライゼーションの力を持っている。日本の新しい言語殊に詩の用語としての日本語は現在では非常にレアライズする可能性が少ない。その言葉をば、氏はマスタアしている。中略・吾々は現時の詩壇に於いて、レアライゼーションの力に富んだ詩人は、北原白秋氏と白鳥省吾氏だけであろうと思う。/>
小川未明の「他人に対する感想」(『新潮』・1914・8)の中より。
</最近出た白鳥省吾君の「世界の一人」を見た時には、矢張り同じようなロマンチストが、此の煤煙の立ち上がって居る、甍の日に輝いている、中略・彼の眼には総ての物が新しく、総てのものに興味がある。私はこのように自由に、大胆に、又印象的に自然を歌い乍ら、猶リリカルなリズムをこの詩が持っていることを快く思った。只、北原白秋君に比すればボーカルの乏しい点と、生硬な文字を使う点とに於いて、遜色がある。しかし、生気と清新の趣とに於いては、より鋭く胸に迫ってくるところがある。白鳥君は矢張り唯美派の一個の詩人である。私は、この詩集を最近の詩壇の産物として、確かに反響を引く物と思って居る。/>
最後に高辻秀宣の「『世界の一人』読む(『秀才文壇』・1914・10)」を紹介する。
</凡そ此の詩集が或る一面の人々から−よしその意味は異なっていたにしろ−非常の期待を受けて居たのは事実である。この美しい而も人間味の勝った「世界の一人」と言う絶叫的の標題は、黄昏のツワイライトの中に、再び耀々として太陽が舞い戻りはしないかと思われる刹那の心持ちで、私にも一種不可思議な、何かしら大きな歓喜を予期させたのであった。併し私の予期は余りにも大に過ぎていた。中略・其れはさて置き進んで(一九一四年の作)「地上」以後に来たって、私は作者の傾向の著しき進化を見逃さぬであろう。中略・人間の世界のいかに厳粛なものであり、悲愁なものであるかという自覚は、恰も毒針の如くにこの若い詩人の胸を貫いたのだ。以下略/>
乙骨明夫の「白鳥省吾論」は『世界の一人』詩集の反響を「これらの批評を通読して気づくことをいくつか揚げてみると」として以下のように分析している。
一、北原白秋の詩集「東京景物詩」や三木露風の詩集「白き手の猟人」に劣らぬほど「世界の一人」が反響を持ち得たこと。
二、北原白秋と比較される位置に省吾が立たされていること。
三、「世界の一人」が評者の期待をかなりうらぎったこと。特に、民主的傾向を期待した評者を失望させたこと。
四、「世界の一人」には象徴詩の傾向が濃厚にみとめられたこと。
五、「地上」以後の作風は、以前に比べて進歩して来ているとみなされたこと。
六、散文詩がかなり高く評価されていること。
これらの批評文を読むと、乙骨明夫が「白鳥省吾論」で指摘しているように、評者はおおいにこの詩集に注目していたことがうかがわれる。それはこれまで発表した省吾の評論を、詩にかかわる方々が読んでいたことの裏付けになると思われる。この中で富田砕花が民主的傾向を裏切られたと書いて、直ぐに訂正しているが、それは『世界の一人』が出版された翌七月に『詩歌』に発表された、省吾の「ホイットマンの『草の葉』−愛誦詩歌篇」を読んでの感想もふくんでのものであったと思われる。「ホイットマンの『草の葉』−愛誦詩歌篇」の一部を紹介する。
<即ち彼の思想は朝の潮の鳴るごとく朗らかにて、人類に向かって幽かな筋肉の震えさへ尊重すべく教えた、青空に向かって生を賛美すべく教えた、あらゆる羞恥と虚栄とを除き真に自己の徹底したる立場より人生の内面を見たる人、彼は最も男らしく、人間の種子の精液さえ賛美した。彼は夢幻よりさめ、燃えあがる鼓動を感じつつ月光よりも日輪を愛した。中略・言うまでもなくホイットマンの詩には大きい驚異がある。人間本然の力を意識した強烈な響きがある。>
詩よりは散文詩の方が高く評価されているようであるが、これは大正二年の「散文詩の要求」(大正二年三月・『秀才文壇』掲載)の影響かとも思われる。「散文詩の要求」を抜粋して紹介する。
<近頃、散文詩を殆ど見なくなった、三四年前には散文詩の運動がぼちぼち萌芽しかけたのであったが、門出の勇ましかった割に中途で行悩みの状態になって、其の形式によって独自の燃焼と濃い色合いを見せたものは絶無であると言ってもよい、今のところ散文詩のフィルドは断片的に拓かれたのみで広い広い未来が残っている。中略・私、個人より言えば私の要求するものは詩より発足した散文詩である。内容は極めて自由なものであって其れが無意識に詩のリズムとトーンの微妙さに包まれているものを欲する。>
また、これらの批評文の中でも指摘されているリアリズム詩の傾向は、早くは『憧憬の丘』に収録した明治四十一年十二月作の「軍港の一部」にもみられると思う。この詩は早稲田大学入学準備のために上京し、横須賀軍港に叔父を訪ねて越年したときの作品である。
晴れた空のもとに
冷たく弱く反映する軍港の横顔 ・・・・・
その中に團欒し浮かぶ
軍艦、水雷艇、小蒸気船の
濡れた沈黙
西宮藤朝が指摘しているこのリアリズム詩という試みは、このあとに出版される高村光太郎の『道程』とも比較されたようである。『世界の一人』詩集が発表された月には、まだ『道程』は出版されていない。比較されたのは北原白秋の『東京景物詩』や三木露風の『白き手の猟人』であった。なかでも注目されたのは詩に於ける口語の使い方であった。当時はかえって省吾の詩のほうが新鮮味を感じさせたようである。
壷井繁治は『詩人の感想』(昭和二十三年一月三十日・新星社発行)に、1927年に発表した「白鳥省吾論−彼の現実主義とその展開−」を収録している。この中でも省吾の現実主義的詩をとりあげている。しかしリアリズムと言う語句は一度も使っていない。使用しているのは「現実」もしくは「現実主義」と言う語彙だけである。省吾の詩のリアリズムについては、伊藤信吉 が「白鳥省吾の世界・民衆派のプロレタリア詩的先駆性」(『文學』1985・1・VOL.53、1985・6・VOL.53・岩波書店発行)に、
<記憶の底に収めてあった昔の見聞が作品として形を成したのは、彼がリアリストとしての認識を確実にした時からである。前に私は、象徴派ふうの詩的閲歴だった省吾が民衆詩人に変貌した主因が、大正デモクラシーの新思潮を背景にすると言い、それを否定できぬことにおもうが、同時にそれは、彼が自然主義文学の現実性の意識を確実に身につけたことによる。彼は大正期詩壇における、民衆詩派における、もっとも着実なリアリズムの詩人であった。自然主義の詩的実践は彼によって全的に推しすすめられたと言ってよく、そこに詩的自然主義というべき視点と方法が生じた。>
と書いているのは見逃せない。伊藤信吉が指摘しているこのリアリスト省吾像は『大地の愛』以後のものであるが、その萌芽はもっと以前からあったと解しているものと思う。因みに近年の『世界の一人』の評価は以下のようである。部分紹介する。
<大正三年出版の「世界の一人」は口語自由詩の開拓として注目され、そのリアリスティクな眼は作品「殺戮の殿堂」「耕地を失う日」などにみられる。>(増補新版『日本文学史7・近代U』昭和五十年十一月・至文堂発行)。
<初め象徴詩風な作品を発表したが、大正三年『世界の一人』を刊行後、デモクラシーの時代思潮を背景にして積極的な作品活動をした。>(『現代名詩選・上巻』昭和五十一年十二月・新潮社発行)。
<詩の領域における思潮の的変化は、口語自由詩の運動に端的にあらわれ、中略・また生活的現実に主題をもとめた「民衆詩派」の文学も台頭し、中略・白鳥省吾『世界の一人』はその前ぶれをなすものだった。>(『現代詩の鑑賞・上巻』昭和五十一年十一月・新潮社発行)。
<雑誌『民衆』が創刊された大正七年一月に、かれら一群の詩人達の主張がはじめて文学主張として正面におし出されたのではなかった。すでにそれ以前に、たとえば白鳥省吾が三年六月に、中略・出版されており、それらの仕事と並行しながら、民衆派の運動を促すいくつかの評論が発表されていた。>(松永伍一著『日本農民詩史・上巻』昭和四十二年十月・法政大学出版局発行)
<一九一四年は口語自由詩の一つの到達点を示した三詩集、福士幸次郎の「太陽の子」(四月)、白鳥省吾の「世界の一人」(六月)、高村光太郎の「道程」(十月)が刊行された年である。>(乙骨明夫・「詩における民衆」・『國文學』昭和四十五年九月二十日・學燈社発行掲載)
『世界の一人』を口語自由詩の開拓と評価するのは正しいが、これが直ちに民衆派とつながるとするのは結果論であり、省吾像を歪曲する早計と思われるが、いかがなものであろうか。私的にはあくまでも省吾は口語自由詩を発展させる過程に於いて民衆派に参加していると思うのである。このことに関しては後述したい。この年の十一月、「二舎書房」創刊の『新少年』の編集主任となった省吾は、白鳥天葉の名で『天の葉詩集』を大正五年三月に、新少年文庫『槍の王様』を発行し、第一詩集『世界の一人』を再発行している。やっと定職にあり就けた省吾は、東京に居残る口実が出来たのであった。
* 引用図書・詩集『北斗の花環』(昭和四十年七月十五日・世界文庫発行)
* 引用図書・『詩に徹する道』(大正十年十二月十二日・新潮社発行)
* 引用図書・「白鳥省吾論・世界の一人を中心に」(乙骨明夫著・『國語と國文学』昭和四十五年一月号)
* 引用図書・「白鳥省吾論・民衆派の頃」(乙骨明夫著・『國語と國文学』昭和四十四年八月号)
* 引用図書・「憧憬の丘年表」・詩集『憧憬の丘』(大正十年九月十日・金星堂発行)より
* 参考図書・壷井繁治著『詩人の感想』(昭和二十三年一月三十日・新星社発行)
* 参考図書・『明治大正詩史巻ノ下』日夏耿之介著(1948年12月・東京創元社発行)
* 参考図書・松永伍一著『日本農民詩史・上巻』昭和四十二年十月・法政大学出版局発行)
* 引用図書・伊藤信吉著「白鳥省吾の世界・民衆派のプロレタリア詩的先駆性」(『文學』1985・6・VOL.53・岩波書店発行)
* 引用図書・白鳥天葉著 『天葉詩集』(大正五年三月一日「新少年社」出版)の復刻版
以上・駿馬
これをもって、第一部を終了させていただきます。引き続き第二部を掲載する予定です。
第1回編集会議がもたれたのが、平成11年1月16日(土)でした。編集委員の皆様のおかげを持ちまして、この度ようやく出版の運びとなりました。発行日は当初、「白鳥省吾生誕110周年記念日」にしたいと思っておりましたが、少し早くなりました。編集委員の皆様のご意見を尊重しまして、1月10日に致しました。詳しいことはここをクリックして下さい。
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最終更新日: 2002/06/10