Diaries 2001 September part2
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9月19日(水) 午後、発声のあとふれあいパークから更に山道を登ったところにあるふれあいパーク音楽室へ。お!卓球場もある。早速相手みつけて卓球大会。モンゴルさんは学生時代選手だったらしい。北澤さんもなかなかうまい。だがオレも負けてはいない。相手がマリンちゃん(14才)だろうと北澤さんだろうとソフトスマッシュ。 これは面白かった。 さてリハ。午前中ボク以外でレコーディング、そのあとオレ。早いのはちょっとね、、。その間部屋で符面に手を入れアバウトになってた箇所をハッキリさせる。はじめは憶える曲が多いメンバーにここまでやってもらうのは、、と遠慮してたが、だいぶこなれてきてイイカンジになったし随分お互いわかってきたしね。 夜カレー大会。オレは野菜炒めで参加。納豆カビてた、残念。ベジなオレ、別に付き合い悪くて同じものを食さないわけではない。住職は理解してくれてたようで、自分も祈とうのような大事なときはこうゆうのは絶対食さんって言ってた。真言を聴かせてくれてみんなで拍手。もののけを呼ぶそれもあるが、ホントに来るといけないので教えられないっていう。みんな興味津々。 夜フロ、きもちいい。あ、またしても、。モンゴルさんであった。 9月20日(木) 朝、部屋のベランダ。真ん前に瀬戸内海、周囲は深き緑、その真上の青い青い美しい空、、、。きもちよくメディってたら突然のごう音。美しい空を突き刺し割り込み景色を汚すのは夥しい数のアメリカ軍の戦闘機、、。 フロントで聞いたらこんなことはないって言う。いつもならすぐに苦情がくるからこんなに派手に飛ばないらしい。もう戦争が始まってるんだな。 複雑な想いを抱かせる光景だ。この空を飛んでゆく戦闘機たちとそれに乗っている人たちはこの先多くの人たちを殺したり、あるいは逆に殺されたりしてゆくのかも。一度まずくなった関係をどう修復、あるいは互いに理解しあって様々な人々が共存してゆくのか。人類のテーマ。そして今のボクにもかかってくる。世の中に起こることからは、いつも何かを教えられる。すべてはメッセージだ。 夕方再びスタジオへ。また山道。「まむしに注意」の看板。卓球大会、そして通し稽古。アレンジの確認。 夜焼きそば大会にオレまたしても炒めもんで加わる。 して豆腐、納豆。しかしあれね。なんで炭でおこした火で調理したやつってこうも美味いんだ。サイコーである。なんかみんなで和む。澄んだ夜空と美味いもんはすべてを清めるかのようだ。酒飲まんでも、幾分酔ったような心地。うまいうまい。 風呂でまたしてもモンゴルさんといつもと同じシチュエーション。笑う。今この人のキーボードで『ハリキルハルクル』を歌ってるが、なんか縁を感じる。 こっちきてずっとだよ、だって。 9月21日(金) 最近はすっかり朝型な。7:00前に起きている。同室の人たちが早起きだしね。5:00前に起きてる人もいる。10:00出発の予定だったが、宙さんとM氏とY社長(19才)がテレビで明日のきらら博での公演のプロモで出演したので皆で「キンチョーしてんじゃん」とかわいわい言いながら観た。 そして荒井家ときららの会場へ。明日の公演のプロモのミニライブ。山口と九州のインディーBandを中心にしたイベントに参加。 きららの会場を歩く。人はまあまあ多い。柴田さんと宙さんが前から歩いてきた。「いま着いたよん。」
さてそのステージはラグーンステージと名付けられていてきれいな浜辺にあって海を背に〜というなかなかのシチュエーションであった。 この日はM氏主催で地元のオルタナなバンド”香港男祭”が仕切りのイベント。すでに演奏は始まってる。 しかしなんか音よくねーなって思ってたら、始めのほうに出演したバンドが海に入ってビショビショの状態で演奏し始めたもんだから機材によくないってきらら側のスタッフが怒ったらしい。それでちょっとやる気のないエンジニアリングなんかもしれない。 さてさて、エレキギターループでシャウトするパンクな女性、MCで「・・・きらら博と・・山本寛斎(きららの呼び物になってる舞台の芸術担当有名デザイナー)と、、、ロックは、、テロリストとアメリカみたいに融合しません、、。」って言い放ち歌い叫んだから、すこし慌てる人、笑う人、しーんとなる人とでこの場は少しだけ空気に変調をもたらしたからオレは笑えた。 前述の香港〜はあぶらだこや初期ボアダムスを思わせるが独自のオモロイバンド。そのあとちょっと前のボアとフィッシュが混じったようなジャムバンド。きもちよかった。そんでボク。『真っ赤なゼリー』『東京ラブソング』を歌った。そして潤さんも明日の公演を宣伝して2曲歌った。 今日来てる人が明日も来るかどうか、どんだけ宣伝になったかはわからんがまあ歌った。 今日はそうでもないけど明日は8万人の人出が予想されるっていう。ふ〜ん。8万人ってどれくらいだろう。 夜ふれあいパークの風呂ではまたしても 、、、、、、モンゴル松尾さん(キーボード奏者・広島出身・37才・吉田拓郎の甥っ子) といつもの会い方、、、。すげー確率。 9月22日(土) 夜明け前目覚める。最近恒例の瀬戸内海に向かってのメディ、キモチよい。しかも今日はまだ暗い。海も空もつながっている、が、微妙にその光り具合がその境界をイメージさせる。美しい夜明け。海に映る朝のサンシャインライツ。弾ける光の結晶。 この日と明日の9月最後にして、きらら博開催期間最後の連休は、きらら最高の人出が予想されている。やはり高速のインターも昨日と違い、人でいっぱい。トイレは行列。途中、回り道したら逆にちょっと遅くなったがそれもまたOK。きらら博会場到着。 リハ準備中、予告通りYOKOさん(from大阪)登場。YOKOさんは大阪でライブ見に来てくれたりホームページで応援してくれたり、そうそう東京でのライブにも来てくれたこともある、そして今日は大阪からこの公演のために駆けつけてくれた。大感謝なのである。笑顔。バタバタしながらも少し話してリハ。っていうか、サウンドチェック、曲でのリハ。公開。で、本番に備えた。14:00に始まった。この日はいつものバンドメンバーに山口在住の中野さん(ジャンベ)も加わっての演奏。劇は日を重ねるごとによくなってゆく。そしてバンドの音もね。今回のことで初めて顔を合わせる違う人たちが集まって、日に日に解けてゆき音やそれと何かが固まってゆく。 この前までは符面台にしのばせた台本を見つつであったがここに来てようやく、ところどころアドリブになりながらもセリフは覚えて消化したカタチで演じることができたかな。 ちなみに昨夜荒井'sチルドレンの新人マリンちゃん&ジュリアのふたり組とナラの共同作品の炎のイラストを芝居の中で使った。「高杉晋作の背中は燃えていた!!」という弁師のセリフのときにボクが高杉役のM氏の背中へその絵(炎のイラストとメラメラと書いてある)をペタンと張るのだ。 YOKOさんと会話。写真も撮る。ベリマッチサンキューです。この日のレポはおそらくYOKOさんのホームページにある、、かな? それにしてもここはロケーションいいなあ。しかも今日はやたらと晴れてて暖かだ。 さて荒井'sチルドレンはここで遊んでくってことなんでオレはM氏のクルマで帰った。 夜、またしても夜空の下の寄せ鍋。オレは野菜ナベ。まいたけ・なす・白菜・豆腐・大根・ピーマン使い切りたいのでそれも入れた。それがでも悪くない。味付けは醤油のみ。でも、炭でおこした強力な火と星空と海と山とのマジックでこんなに美味しくなる。 食後、部屋でこの日のビデオ観賞大会。して風呂。どうしてここまで!またしてもモンゴルさんと遭遇。 9月23日(日) とうとうこの日は”草莽掘起”最終公演日。TV山口の撮影もあるのだが、ずっといわゆる衣装ってものがなかったのを昨日公演にも来てたTV山口の紹介で衣装調達と相成った。
で、萩へ。美しい城下町というこの萩だが観光時間はなく、衣装受け取ってすぐ現場へ。 商店街の方が道行く人たちにアナウンスしてる。音楽劇のPRだ。そのちょい先で原発建設反対の署名してる人々がいた。即署名した。音楽劇、よかったら見てってって声をかけつつ。 さて時間通りに始まった。17:00、、だったと思う。演奏・芝居・テンション、、よかったと思う。回を重ねる毎にアイディア・仕掛けも増え加えられてゆく。どんどん盛り上がった。ボクがモンゴルさんのキーボードでギターストロークして歌った『ハリキルハルクル』も、盛り上がり過ぎて途中シールドが抜けてしまった『地球と僕らとタイミングと』もバンドのいいグルーブと良い具合いに解け合ってテンションもハイで心地よかった。 北澤さんのドラム、柴田さんのベース、佐藤さんのギター、モンゴルさんのキーボード、中野さんのジャンベどれもよかった。そして弁師村上ベンさんの軽快でくどいシャベリ、潤さんの歌もリンさんのアクションも、M氏のテンションも吉村社長(19才)のボヨヨンもみんなよかった。そしてとにかく、この日主演の中原宙さんが絶好調であった。アンコールもあり盛り上がって道路使用許可時間ギリギリまで演奏した。 すべて幕、「オツカレサマー!!」って言いあうみんな。M氏がそばにいた。「おつか、、れ、、、、」って言うか言わないうちに「オオオオッッオツカレエエエッッ」って抱きつかれた。オレも抱きつき返す。数日前のことが瞬間ちらつくが目の前のこの情況がそれを隅に追いやった。不思議な人だ。あるいは単純な人だ。しかし憎めない人でもある。どこかギコチなく不器用で、それはでもよいことだって気がした。それはこの松田さんのロックンロールかもしれない。抱き合いながらそう思って笑い合った。今日はいつも以上に子どもみたいな笑顔で演奏してた北澤さんも印象的だった。起業シティLET'S(第三世界ショップ関係?)の人たちのピュアな笑顔も忘れられないし荒井一家のジプシーライフに相乗りした数日間、これは無責任に面白くて居心地よい時間であった。 、、旅はこれでほとんど、、おっと、いや、まだだ。 突然の訪問に店長は少し驚いて見せた。レジんとこにはシルディーババやシバやそしてもちろんガネーシャのポスター。9月23日の日曜、いい日だ。久し振りに東京へ電話。して喰らったよベジタブルターリセット。潤さん'Sマザーのおごりってことでセットにしたよ・美味い。美味な日々であった氣もしてきた。これでいいのだ。バカボンのパパもおっしゃってるではないか。 みんな出来上がってた。今日のビデオ観賞で酒やってた。いつもか。お茶でいっしょに盛り上がる。住所・電話番号交換して盛り上がりつつ、段々と”これでしばしお別れだねモード”へ。 夜、更けてゆく。片づけ。長かったが、終わってみれば早かった。ギャラ残りも戴く。これでつなげる、、・
多くはないけどね、でもよかったよかった。 9月24日(月) 朝、又この美しい海に向かいウオオ〜ンと吠える、、のではなく、メディる。いい天気キモチよし。しかしこれで、ここでメディるのも最後か。素晴らしいシチュエーション。 さて、大方のメンバーはもう朝イチで大型ワゴンの乗り込んで帰路へ。オレは27日に大阪でライブしてゆくのでユックリ寝てた。ってもまあ早起きなほうだ自分にしては。荒井家はもう一泊してくらしい。荒井潤さん、吉村社長と話す。社長に由宇町まで送ってもらう。彼の私生活の話しを聞く、、、マジメに生きよう。 さて、初めて広島の地へと降り立った。路面電車で原爆ドームのある平和記念公園へと赴く。写真などでは見慣れたその歴史の証人的建物に、過去に見た被ばく後の写真の記憶が頭の中で繋ぎ合わせられ、その当時の光景のイメージがそこへオーバーラップして重い気分になる。手を合わせ祈る。インドで覚えた経のようなものを心で誦えた。 2本のギターと重い機材のカバンを引きづり歩をすすめた。 そんなわけで長々とした会話になった。ボクにとって世界中にある様々な呼び名の神仏、、ひとつの宇宙愛の現れだからなんら矛盾しないしどれも素晴らしいしどれかだけが偉いとか善だとは言えない。ボクは宇宙そのものを受入れたい。どれかの宗教ひとつが正しいというような意見には賛成できない。 幾つかの記念塔や碑、そして燃え続けている平和の火に平和を祈り、ボクは平和記念館・資料館へ。受付・警備のひとたちが暖かい。穏やかな気もちになる。して中へ。そこには、人が人を殺し傷つけることの悲しさと愚かさを突きつけながら「人間よ、どこまで憎みあいと破壊を続けるのだ。」と見るものにメッセージを発っしているようだった。 原爆が投下されたその時から止まったままの時計や幾つもの写真、ぐにゃりと曲がった屋根、原爆の光りでコンクリートに焼き付けられた人の影、映像、、、。 どこかでは戦争をしたくってたまらない輩々、、。マスコミを利用して人々を煽りまくってる国、それにまた異なる情報で対抗、、、情報のミサイルの撃ち合い。その先は流血だろう。死ぬのは市民。儲かるのは軍需産業・石油産業、そしてそれらに密接に結び付いてると言われる政治家や影の権力者たち。ここ日本では、ほとんどどっかの国に都合のいい情報ばかりがニュースとして流布されている。 人間の闇、他を傷つけたいとか闘いたいとか自分らは他よりも優れているって思うようなエゴイズム・サディズム。そうゆう獣性で人々がひとつになるべきなのか?それは戦争に、いじめに、差別に、、、生活のあちらこちらへ身を潜め爆発する機会をうかがってはいないか?でも本当は誰でも魂の奥底ではそれを拒否してるはずだ。魂がいつも欲しがってるのは愛だ。それの裏返しがあちこちで炎を上げている。裏返しは正されたほうがいい(芸術の話ではないちなみに)。 魂・人間性・世界が歪む。人の中のサディズム・憎しみ・怒りそれらはあるだろう。でも人ってそうゆうものを、いや正義さえをも超えた無垢なる命で、思考やあらゆる条件付けされたものから自由な無限に生成・滅びをくり返し演ずるフラクタル、エネルギーの明滅運動でそれさえをも超えた宇宙創生から続く宇宙のパワーの一部でそれ自身だ。 大阪到着。これから数日お世話になる井上家へ。久し振りにゆっくりぐっすり。 とりとめもなく日記で語った。長くってくどくてすまん。 9月25日(火) 大阪。ようやくメール出来る。しかしこのボクのポケットボードだとキープできないためにもしかしたらせっかくのもらったメールも消去されてる可能性も。きっちりたまってたしね。 さてさてミナミはアメリカ村の三角公園にて路上ライブというか公園ライブ。大阪応援部長のYOKOさんとは連絡つかず。路上でやるときはメールしてっていうことだったけど。 歌った。この日は最初反応イマイチでヒップホップふうのいでたちのヤングメンがたこ焼き食らうその横でじゃましてるってあんばいだったが最後のほうで女子高校生が拍手と声援をくれた。サンキュー。 さて、ギターケースを肩にぶらついてた。するとうしろから「すいません。」と制服の女子校生。 「文化祭に出展するんですけど一枚撮らせてもらっていいですか?」と大阪のイントネーションで聞くので、「いいですよ。」とエセ大阪イントネーションで返してしまう。しまった、、ここは本場だ、。 ボクが東京から来てるのだと知るとその娘は 少し間を開けて 「東京と、大阪、どっちが好きですか?」と聞く。 ほんの少したじろぐが、心の中では(どっちもキライじゃないけど)と前置きしてから口を開き 「、、、大阪、好きだよ、、。」と、応えた。と、彼女はすぐに 「どうしてですか?」 これも勿論大阪のイントネーションである。 「う〜ん、、東京だとこんなふうに道で通りすがりで話し弾むってことないしね、。」って言うと、 「ほな、なんぼでも喋りますよ!!」ってテンポアップしてきた。う〜ん、大阪だねえ。こんなところが好きだよ。 さてさて、このあとボクは、CDショップで自分の在庫チェックしてからCD券で買い物して高級ホテル・イノウエへと帰った。 9月26日(水) 大阪の街をぶらつく。通りで耳にした会話。 A「あっ!」 っと、ここまで聞けた。厳しい世相、それでもなんか笑いもセットで必ずオマケになってるような会話に、希望あり。このときのふたりの表情身振り手振りもおかしかった。 9月27日(木) 16:00、難波はベアーズへ入った。もう10年以上も前に初めてここで演ってからずっとここにいるCCライアーとうバンドもやってたスタッフの女性と話す。前に東京でspool fingersをやってて現在はラブクライというバンドをしてる三沢くんとも久しぶりにい話す。ラブクライのCDはなかなか評判がいいようだ。 さてリハ。ここはやはりロックな音だ。 他の出演バンド、ソナムツェリンズ(即興でカナダ人のトランペットや女性サックスをも含むインスト)やペクセルズ(爽やかで一捻りあるポップ、女性2男1のトリオ)らとも関西のライブハウスのことなんかを話す。 外をぶらついてたらYOKOさんとばったり。YOKOさんの撮ったきらら博公演の写真を見せていただく。そして、先日は結局連絡つかず路上ライブ見れなかったけどホントはその時に配りたかったものだというYOKOさん制作のチラシを戴く。ナラについての紹介文と写真・想いが載ってるあたたかいチラシ。ありがたいホントに。 これはこの日、そしてそのあとの東京のライブでも活用させていただいた。 さて、本番前、久し振りに絵描きの常(つね)ちゃんがかけつけてくれた。最近どんなの描いてんの?なんて話し弾む。 さてそうこうするうちに本番。 この日は客席はちょっと少なかったが内容は濃くできたと思う。終演後友人がかけつけてくれた。初めて聴いて気に入ってくれた女性がCD「ライブな日々」を購入してくれサインさせていただいた。いつものYOKOさんやみんなと写真撮影大会に盛り上がった。 そして三沢くんとバンドの話や今や昔の話をした。ケーヤク書の話も。彼のラブクライは曲いいです。 さてオレにしては長かった演奏と劇の歌い旅もこれで終わった。総じてよかった。そしてこの旅はまた次へと続く。 |