Diaries

ナラ自らが綴る日々の日記。

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6月4日(火)

東京地裁713号法廷にて”アフガン難民に難民認定書を”という裁判。難民のHさんの意見陳述、そしてこれからの裁判の進め方を北澤裁判長が話してそれで終わった。はあ。なんだか。

そのあと裁判所に隣接する弁護士会館(前回ボクがうたったところ)の会議室にてこの日の裁判の説明会。そしてこれからどうしてゆくか、などの話し。そのあと大貫弁護士のハザラ人とは?の講座。アフガンには主に4つの民族があるが政治的思惑による差別によりそれとモンゴロイド系(日本人っぽい顔)ということでの差別により迫害を受けてきていて何年か前は大虐殺もあったほどの被害を、日本に来ているアフガン難民のほとんどであるハザラ人が受けてきている。タリバンがいなくなったと言われる祖国アフガンであるがそういったことからかなりいまだ危険ということ。
大貫さんがアフガン行ってみての話しなどをした。
そしてこの日初めて知った事実に衝撃。名古屋に滞在しているアフガン難民が自殺したという。今までは自殺しようとしたところを発見され一命をとりとめてきたのだが、、。報道は小さくだがあったらしいが知らなかった。

そのあとここに集まったアフガン難民の人たちが自己紹介して和む。新しい友人が増えた。自殺を試みたりしてた暗い表情だった彼も別の彼も、すこし安定してきていてよかった。が、まだ道は長く、。

デザイナーの大串くんからポータブルDATレコーダーを借りる。


6月5日(水)

仮放免後都内で難民支援グループの支援により6畳間4人で住んでいるアフガン難民のアパートへおじゃました。そしてそこで最近まで一緒に暮らしてたA君も加わり5人、ナビゲーター難キ連の金児さん、支援の女性そしてボク。

彼らは一緒に住んでるからといって元々は友だちだったわけではない。それでもいまこうして共有のスペースをシェアしてるがもしかしたらそのストレスもあるだろうが、何よりもストレスは、又いつ収容所(刑務所よりひどいと言われている)へ戻されるかわからないうえに仕事するにもビザがなく本国に強制送還されれば現時点では命の保証がない、そのことが重く重くひとりひとりの上にのしかかっているそのことだ。

ちょこちょこ会話して、今日ここにきたのは貴方たちの声を録音しにきたのだと伝えた。アフガン難民の歌を作ったのだがその曲の中にあなたたちの本当の声・言いたいことを挿入したいと伝える。日本語のわかる人もいたが通訳して英語そしてダリ語っていうような訳の訳みたいなかんじで時間もかかるがこういうもんだろう。
言いたいことは沢山ありすぎてまる1日あっても足りないと口々に訴える。
ドーシテ日本ワボクタチオイジメルノ?人権ワナイノ?ドウシテホウリツワルイノ?ミンナコノコトシッテルノ?・・・・・・・・・・

いろいろ話してようやく納得してもらって昨日借りたDATレコーダーで録音を開始。人によって声が大きかったり小さかったり低音だったりだ。それでも一生懸命にみんな話してくれた。日本人に向けての切実な訴え・声・強制収容されてるときに大学ノートに書き溜めた悲痛な詩・ことばたち、まるで自己を励ますかのような内容のアフガンで知られている詩、収容所から日本の支援者に向け書かれた手紙の朗読、、。
どれからも切実さが滲む。これらを今録音しているナンミンのうたに挿入する。それは出来たらいろんな人に聴てもらえるようにしたい。

みんな家族バラバラで消息不明。子ども3人と奥さんが生きてるかどうか心配だって言うひとも。
みなハザラ人でタリバンに苦しめられてきていて目の前で家族が殺された人もいる。何年か前のバーミヤンの逆殺で被害に合ったのは彼らハザラの民族だという。
民族間での差別はこれからも簡単になくなるってもんじゃないという。
ただある民族にとってはタリバンは英雄で安定をもたらしたっていうのも一報で事実ということでコトは複雑だ。

録音のあと彼らの引っ越し(隣りの部屋への)を手伝う。そのあと彼らはボクと金児さんを食事でもてなしてくれた。アフガン風スパゲッティー。誰かが送ってくれたらしい。ベジタリアンのボクへはちゃんとボクのだけそれでやってくれてホントありがたかったし美味しかった。
ひとり今日誕生日だというのでボクがアイスをコンビニで買ってみんなでハッピーバースデイを歌って祝った。なんだか楽しかったり、、、。
こんなナイスガイな彼らを苦しませてほっとけるわけがない。多くの人がこの知られてない現実を知るなら、多くの人はどうにかしたいと思うのでは、と思う。
そんなことを考えつつ電車で家路。楽しくてすっかり遅くなってしまった。


6月10日(月)

この3日間、詩を訳してる。あるアフガン難民のひとり・詩人S君が牛久の入管(入国管理センターという名の刑務所のようなところ)に収容されてたときにその中で思いを綴った幾つもの詩、その中のひとつを先日朗読してもらい録音したのだが、ダリ語で書かれたそれをまず語学達者なアフガン難民K君が内容を伝え、それを金児さんが英語→日本語直訳にしてそれを本来彼が伝えたいこと(重要なこととその表現の持つ雰囲気と)詩の持つ世界 感・繊細な美感を出来るだけ重視しつつボクが詩的にアレンジ。
直訳だけだと意味が通じなかったり彼のキャラクターとかと離れそうなんで電話でKくんを介して相談・話し合いしたりしながらして伝えたいエッセンスを理解した、と思う。日本にない表現があったりでどうしようかと思ったけど日本の言い方に変えたりしつつ意味は壊さずに言葉・言い回しはちょっと大胆に変えた。でも彼の顔を思い浮かべながら彼の魂に入り込むような気もちで書いた。
夜中にようやく終えた。さらにそのあとは難民の歌のMixを。朝まで。

*この日、高裁第15民事部(裁判長:赤塚信雄、裁判官:宇田川基、加藤正男)、地裁決定の”収容の執行停止を取り消す。つまり、地裁の愛ある判決が覆され、7人の解放されてたアフガン難民が再び収容されるってこと。いきなり驚くべき世界的な流れへ逆行するあきれた判決。悲しきニッポン。


6月11日(火)

昨日の高裁での判決をメールで知ったのだが残念で、これからのことを思い巡らしてみたりした。ボクには難民問題を始め世界中にある混沌・争い・幾多の問題はこれからどんどん解決され平和へ向かうっていうビジョンがあってそれは叶うって信じている。ただそこへ至るまでの道の途中には随分いろんなことがある。
そのプロセスでひとりひとりがどう関わるか、。
が、この報せに瞬間揺らぎそうになっては、いやいやこれからだっていう想いがそれを突き破ったり、それは交互に押し寄せる強弱のアクセントが激しい波、天候が読みにくい季節の太陽と黒雲のせめぎあいであった。

衆議院第2会館のちょい広め一室でこの日、マスコミや政治家そして一般の学生や興味ある人たちが招かれたり自主的に集まったりしての院内集会。
難民の現状を訴える、そして23人のアフガン難民の(とりあえずの仮放免ではあるが)解放を祝ってその感謝とともにこの痛みを繰り返すことの無きよう制度を改善してゆきましょう、、、、っていう、集まりが本来の主旨であったのだが、前日の判決のためにこの会で伝えるべきことはシビアでせっぱつまったものへと変わった。
収容所の中で、正当な理由なき刑務所同然の暮らしとそこでの非人道的扱いに耐え切れず自殺未遂を繰り返した人たちを再度その状態へ追いやることに決まってしまったので緊急に助けたいから判ってくれ集会っていうような会になってしまった。

TV・雑誌・新聞、そして各党派を越えた議員さんたちやその代理の秘書さんたちも集まって会場は満員であった。 先日録音したときに収容所の中で綴った詩を朗読してくれたアフガン難民S君はその詩をダリ語で朗読して、ボクはそれを、伝えるべきであろうエッセンスを自分なりに重んじながらも直訳とは大部変わったボクなりの解釈ではあるものの日本語で分かりやすく繊細な彼の気持ちそのものにになるだけ成りきり訳といえるかどうかわからないけどそれにトライしてみたそれをボク流に初朗読してみた。

会が始まるちょっと前、部屋の後ろの方にいたZさんのちょい前を通り目が合った。彼は前日の判決により再び収容されることになった7人のうちの1人だ。何か声かけようかと考える間もなく彼はボクの目を見つめたまま歩み寄って右と左の手首を手錠かけられたようにくっつけてボクの顔の前に差し出し「マ・タ・入・ッ・チ・ャ・ウ・ヨ、、、」と、そのクリクリした目に涙を浮かべた。それはやり場のない悲しい訴えだった。これにはさすがにボクもきた。気の効いた言葉など出るわけもなかった。ただ、みんなガンバってくれるし応援しているから希望を、、、とかなんとか、しょうもないセリフ。

会はやがて始まって、難民の訴え・弁護士からの訴えやスピーチ・現場報告、、と、プログラムは進んだ。始めはちょっと隣りの人と話したりして落ちついてたが段々ボクとしては珍しく涙がこみ上げてきてそろそろ出番だからと金児さんから場所の移動を促され部屋の端っこのイスで話しを聞いてた頃は自分を落ちつけ集中させることに精一杯だった。 なんで国はわかってくれないのかとかつい先日の中国瀋陽での映像を思い出していた。冷たく排他的。

さて、先日の難民の声録音で喋ってくれた4人を含む6人が前に出て”日本における難民の現状”を当事者として話してくれた。この間の録音と内容は重なる。そしてやはりこの間手紙を読んだAくんが同じ内容(収容所の中で金児さんへあてて書いた手紙を読む。それは英語で、日本には人権がないのか・なぜ難民が刑務所のようなところへとじ込められるのか・気が狂いそうだ、、などの訴え。(それはナラの『ナンミンのうた』の中にも入ってます)
そしてS君のやはり収容所・オリの中で書いた詩の朗読。シャイで素朴な彼、あつい拍手に照れ臭そうにしてたが、コトバはその場で聞いてわからずとも繊細な悲しみのニュアンスは届いたんではないか。シンプルな短い詩であるが深い悲しみと絶望と、でも生きる意志みたいなものが込められている。

それに続きボクが紹介されてその詩の訳(彼の伝えたいことを尊重しつつ、原文直訳とは異なるかもしれないが伝えたい内容とS君の描写のムードなんかを重んじて編んだ)を初めての朗読。
クールに読む筈であったがちょっと具合いは違った。昨日の判決、そしてZさんの悲しみの表情がアタマん中でプレイバックしてきた。気持ちが入り過ぎないように抑制しながらもちょっと走ったかもしれない。

どうだったかわからないが読み終えた。それでもあつい拍手で、頭を下げた。司会を遮ってちょっと喋った。いや、お願いした。「彼らは、とってもいい人たちです。彼らが苦しむのはとっても辛いです。ここに、いろんな人が集まってます。どうか自分のやり方で、出来ることから何か、始めてほしいです。お願いします。」 、、こうゆうようなことを口走っていた。

このあとも現場からの報告などが続いた。このさほど広くはない部屋に130人もの人が集まっていた。

そしてこの日、超党派でここに集まってくれた議員がマイクを手に、これからの難民政策とどうすべきかなど自分の関わり方やビジョンと難民問題・受入れへの改善へ向けての抱負などを語ってくれた。
その議員は社民党の福島瑞穂さん・北川れん子さん・植田至紀さん、民主党の中村哲治さん・ツルネンマルティーさん・今野東さん、公明党の上田勇さん・遠山清彦さんで、これらの党や共産党の議員の代理で秘書の方たちも来てくれていた。彼らの話してくれたことがその場限りのものでなく行動になることを願うしこれからどう動いてくれるのか注目したい。でもなんかホントにやってくれるんじゃないかって、なんとなく思った。

会のあと難民である友人たちと話した。先日の録音に参加してくれた人たちはそれ以来ボクをナラジャンと呼んでみたりする。なんでも、ジャンがつく名前がアフガンに多いのと、”〜ちゃん”みたいな意味でもあるとか。ちなみに金児真依さんはマイジャンである。他のみんなも笑顔で握手をしてアリガトウを口にしてくれたが、複雑でもあった。収容が決定してる7人は、、どうもやはり、暗い。前に何度も自殺未遂をしたり神経がやられたりしてる人たちをまた苦しめるのか、、。

トルコからのクルド難民であるふたりとも知り合った。長いこと入れられてたがまた、出頭命令が出たと言う。 とにかくどういうわけか、宇宙はボクに彼らと接し学び何かをせよと言ってるような氣がする。機会・場面がボクの前に在る。で、実際何が出来るのか判らない、けど、みんなそうだろうしな。でもなんだか、なんかきっと、ひとりじゃ出来なくてもいろんな人たちと一緒になら、なんか出来るんじゃないかって、そんな氣もする。
まずは、歌いながらね。


6月13日(木)

6月22日に大阪である”世界難民の日シンポジウム”の賛同者が続々増えてる模様。チラシには鳥越俊太郎氏や湯川れいこ氏、おすぎ氏、崔洋一氏、よく裁判の時顔を合わすフリージャーナリスト西中さん志葉玲さん、田中康夫氏、その他著名であるらしいジャーナリストや評論家や弁護士だとか、それにボクの名前も載っていたがさらに増えて、河内家菊水丸さん、東ちづるさん、などなど。前に金児さんに筑紫哲也さんやピーター・バラカ ンさんが賛同してくれるといいなあって言ってたんだけどそんときは誰かからすでに資料が送られてるっていう話だった。でもどうやら、ふたりの名前はないようだ。このふたりボク好きなんで、入ったらいいなあと思った。で、バラカンさんへはメールしてみたPBSあてで。随分ピーターさんの番組は見て聴いてきたものだ。
そして、筑紫さんへは連絡試みたのだがちょっと無理であった。以前はアルバム『東京ラブソング』を聴いての筑紫さんからの感想の手紙が届いたことがあったのだけど。もう少し前から手紙を送っとくんだった。

ピーター・バラカンさんからすぐにいい返事。早い。 ”メール頂きました。ありがとうございます。もちろん難民の受け入れが大きな問題だと思います。日本の場合はまず基本的に「外人」に対して排他的な社会であるというハードルを乗り越えないと始まらないという気もします、、”というコメントも付けて快く賛同してくれた。バラカンさんかっこいいね。2通目はしかもメールのラストにPBってあった。PBSだからね。ViewsicのPBSやインターFMの日曜の夜の番組はいつもス テキな音楽を届けてくれる。レコメンです。
感謝。


6月15日(土)

ボクがよく知る、あるいはちょっと知る人たちにも声を掛けてみた。難民シンポそして難民受入れへの動きへの賛同である。

まず、今住んでるところを借りるきっかけになった不動産屋さんを紹介してくれた男、藤井誠二。彼はよく「朝まで生テレビ」にも出てる、子供の人権問題を主に追求している。

そして度々この日記でも登場するロック評論家の鳥井賀句さん。この人はパンクを日本へ紹介したりローリング・ストーンズがまだ日本で今ほどメジャーじゃなかった時からストーンズ本を書いてたりメンバーと親交を深めてたり、故ジョニー・サンダースやPOGOや町田町蔵のINUのアルバムプロデュースしたり自身も以前ペインというバンドをしていて知られていたが今でも鳥井賀句&ブラックリストというバンドでつい先日素晴らしいア ルバムをリリースした人である。(日記参照)

そして今まで数々の肩書きを経て現在はエロライターという肩書きで世にあってオルタナティブな分野をひたすら掘り下げる物書きの松沢呉一さん。
この人は、もう15年前に、チェルノブイリ原発の事故を受け広まったミュージシャンを巻き込んだりあるいは中心になったりの反原発の動きの中で知人に紹介されて知り合った。いろいろ肩書きを変えてきていて、ある時は日記家、業界マルチゴロ、FMのDJなどなど、現在はあまり人が手を染めない分野であるらしい”エロライター”っていう肩書き。いつもなんだか面白く生きてる人。最近テレビの深夜番組でも活躍している。

どの人もみな、快諾してくれた。藤井誠二(ノンフィクションライター)は、「ま、アンタがやってることならOKよ。賛同。」って言ってくれて、賀句さんは「なんか、そのメッセージ伝えるようなさあ、コンサートやりたいよねえ。」って、松沢さんは「話題になんないとねえ」って、そんで久し降りに長話しして楽しかった。
ミュージックマガジン編集長の高橋修さんとも話し、月曜ぐらいに返事ということになった。他にも電話したが連絡とれない人もいた。


6月16日(日)

シンガーソングライター豊田勇造さんと久し振りに話す。と言っても電話だけど。北海道から帰ってきたとこだそう。難民シンポとその動きの話しをする。勇造さんは日ごろから強い関心を持っていたし、少しでも何か力になれるなら是非と、賛同人に名前を連ねることに積極的に快諾してくれた。なんか勇造さんのホットボイスに久し振りに触れて嬉しくなった。感謝。


6月17日(月)

ミュージックマガジン編集長の高橋修さんも難民シンポ賛同人になってくれた。ミュージックマガジンは昔から音楽以外に社会問題をも常に取り上げてきていて、911やアメリカによる報復やそれ以前にアメリカがとってきた政策やグローバリゼションについても特集してたりで、やるなあっていう、勿論素晴らしい音楽を紹介しつつ。感謝です。


6月18日(火)

緊急に集まる。先日の高裁判決を受けて7人のアフガン難民についての出頭ということが、つまり再収容が近付いてるってゆうことだ。いろいろな話が出る。 意外な政治家がでも協力的らしい、とか。
しかし難民の人たち顔色冴えない。どころか、もう自殺しそうな勢い。実際未遂をしてきた人たちだ。いくら励ましてもなんてゆうか、そこに力があるのかわからない。それにしても、どうにかなんないものか、、。


6月19日(水)

んんん、、。詳しく書くのはなんなんだけど、トラブリン。まあ、これ前から度々あったりするようなことだったりするんだけど、ある人とある人とのトラブルに挟まれる、ってゆう、、。で、間でボクは時に疲労したりまたは関与しなかったり、。でも今回は間で疲労したかんじなわけだ。

でもね、昔からあるのはトラブルに挟まれること以上に、気付いたらある人と人とを結び付けてたってこともやたらある。こっちがその気で紹介したわけじゃないのに知らない間に付き合ってたとか結婚してたとか、仕事を一緒にしてたとか、まあいろいろ。

まあどちみちね、願うのはどんな信条や思想や職業・肩書き・人種・国籍・置かれた状況などなどいろんな人がいて時に反発したとしても、理解しあえるように自分から寛容になってゆこうっていう姿勢でゆけたらハッピーかな。そりゃ最初耐えエゴを横に置くのだからそこでハッピーじゃないかもしれないけどそうしないと始まんない。いまだボクこれ学んだり学べなかったりすんだけどね。言うは易し、なんだけどね。でも理想っちゅうか、 あるじゃない。
こんな疲れたとき、調度MDで聴いた星野ゆかさんの 歌は安らいだね。今度一緒に演りましょうってことで送ってもらったので聴いていた。アコースティックでメロウな歌久し振りだったし新鮮だった。

話し変わって、音楽ライター/プロデューサー下村誠さん自ら電話で賛同人になってくれた。この人は佐野元春の本書いたりブルーハーツやらいしだいっせいやブームやらいろんなミュージシャンとの交流があり一緒にレコーディングしたりしてる。どんとの最後の録音もこの人のCDらしい。

それとフジロックフェスティバルやサマーソニックやレイブなどの、ゴミ・リサイクルなどを積極的にやってるA SEED JAPANの羽仁カンタさん。喜んで賛同してくれるという。難民を受入れない国はピースじゃあないって言うてました。

下村誠さん、羽仁カンタさん、感謝です。


6月21日(金)

難民シンポのために大阪へ。キオスクにてフェイバリットな食べ物のひとつミックスナッツ購入。新幹線の中でその袋を眺めてたら詩が浮かぶ。
タイトルはそのまま、『Mix Nuts』。ホームページで見れます。


6月22日(土)

大阪の森ノ宮というところへは始めて行った。聖マリアカテドラル大聖堂。思ったよりでかい。有名らしく、ここで結婚式したいカップルが多いとか。迫力のステンドグス、パイプオルガン高い天井、いい場所。声を出す、ナチュラルリバーブが心地よい。ここでちゃんとライブもしてみたい。
さて、心地よさと忙しさのせめぎあう中の短いリハーサルも終わらないうちに人が入場し始める。ハハハ。
難民のみんなも集まってきた。やあやあ。ちょっと今日はみんなお洒落だ。大阪にいる難民のひとたちは初めて会う人ばかりだが、半分はもう何度も会ってる人たちで和んだりするが、また収容されそうなZさんらはやはり難しい顔をしてる。いつもの笑顔が戻るといいなあ。

世界難民の日・大阪シンポジウムは始まった。フリージャーナリスト西中さんのビデオ(テレビでやったやつらしい)を上映。これ、ボク楽しみだったのにCDRの準備で見れなかった。CDRとは、先日録音したアフガン難民4人の声も含む3曲ホームレコーディングしたオリジナル新曲『ナンミンのうた』『解放のうた』(レゲエタッチ)『心のビザ』をCDRにしたものだ。チャリティーCDRだ。この日までまにあうようおよそ2ヶ月新しい機材を覚えるとこから始め、録音ミックスなどをした。慣れない作業で時間くった。そのうちテツくんらともいっしょにちゃんと録音したいと思ってる。これはでも全部ひとりでやった。

さて、その上映のあとも、議員さんからのスピーチや弁護士さんからのスピーチ、難民の人たちからの訴えが続いた。難民の訴えは予定の人数より増えて時間も予定を上回ったためそのあとの予定をちょっとずつ時間をつめる必要が生じ、ボクも歌う曲を減らすことになった。
この間の録音に参加してくれた難民の彼らの訴え、S君の詩の朗読、そのあとその詩の訳(一応)をボクが読む。そしてボクの枠だ。

まず、昨日新幹線の中で出来た詩『Mix Nuts』を読んだ。最初出来た難民に関しての歌はやはりちょっと硬いし一本やりってカンジだと思う。そのよさもそりゃあるし、難民の現実はハードだかなり。それを歌うとどうしても重くなる。でも、段々こなれてきたっていうか難民の人たちと接する機会も増えて関わりも多くなったらそればかりじゃなくなってきて、心の力みほぐれて歌が出来るようになってる氣がするって言えばいいのか、 とにかくここにきて歌に変化が生まれてきているようだ。 mix nuts、なんのこっちゃいこの難民シンポで、、って、思った人もいたかもしれないが、特別に説明もしないで読んだ。とりあえず拍手あった、よかった。

そこで「時間の関係で曲削ってほしい、ごめんなさい」っていう合図があった。OKOK、わかってる。
(それと1週間ぐらい前に聞いてた持ち時間と今日出てたタイムテーブルの時間が違ってたこともあった) とにかく何事もなかったように音響のひとへテープ使用を伝えた。家で作ってきた『ナンミンのうた』(難民の声入り)のバックトラック、、な〜んてカラオケだ。
それをバックにマイクスタンドの前で歌った。広い会場高い天井に心地よく響きスペーシーだ。リバーブナチュラル宇宙。。。気もちよく歌えた。大きな拍手に包まれた。感謝。

歌い終わってすぐに休憩時間となった。大阪でナラを応援してくれてるHotな女性DDYOKOさんが訪ねて来てくれた。元気そうで何よりだ。忙しい中駆けつけてくれて手製のチラシを作って持ってきてくれた。ナラのプロフィール・CDの紹介・写真・スケジュールが載ってるやつだ。いつもホントありがたい。しばし懇談。

NHK記者の蔵重さんという男性も訪ねてきてくれた。とっても綺麗な曲と熱唱で、入ってた難民の声にも歌にも感動したと言ってくれた。歌が出来た経緯や連絡先とスケジュールなんかを聞かれた。ナイスな人であった。

と、そこへ、女子高校生の一団が近づいてきて何やら話そうとしてるので聞く。彼女らは兵庫県宝塚市にある小林(オバヤシ)聖心女子学院の生徒会で、難民のことに興味を抱いて今日ここにきた、難民の実際の現状を難民の口から聞き胸を打たれた、そしてナラの歌と詩の朗読の力強さにも感動した、難民のことを生徒会の会報で取り上げてそこでナラの”Mix Nuts”を掲載したいのだが許可を、ということであった。ので当然即答、OKの返事。その夜メールをもらった。長尾ひとみさんによれば、「力強い歌を聴けてよかった。在日アフガン難民の生の声を聞き、何か私たちに出来ることは、、と、使命感のような感覚にとらわれました。〜Mix Nutsの詩を載せたいです。これは正に私たちみんなが伝えなきゃならないことの凝縮だ!と思って。新聞記事や文章より心にすうっと入ってくる詩〜、、。」
ほー。いやよかったよかった。昨日新幹線の中でポロッと出来た、まだ自分でもこれで出来てんのか解ってない状態のこの詩がこんなふうに伝わってくれてるのかと、なんだか安心のようなこれからの彼女らへの期待の気もちで嬉しくなった。

さて、入口のCDR売り場へ行ってみた。ほとんど売り切れ状態であった。アルバム『東京ラブソング』も1枚だけ家にあったのを持ってきたら売れた。会場のカテドラル大聖堂の外では、エチオピアやクルド、アフガンの難民申請をしてる人たちや、いろいろ事情あって幼いとき中国から日本へ来て生活してる高校生が今になって日本から出ろという決定が出て困ってたりすることへの理解と嘆願訴えの署名をしてたのでよく読んで署名する。
中ではさらに現場からの様々な訴え・報告が続いた。

そして終わりも近付いた頃、弁護士の人たちがパネルディスカッションの締めというか土井香苗弁護士が抱負と未来への展望・希望を語った時だった。ボクが向いてたその先に大きなステンドグラス、この手の絵にそれほど関心もないがめったに見れない大きなこの宗教画をただボーッと見ていた。すると西陽がそのガラスに描かれたキリストの顔と挙げた腕のところからキラキラと射し込んだ。光キラキラの直線は数本の束となって土井弁護士の足元を照らしちょっと薄暗くなってた大聖堂でスポットの役割りと、ちょっとロマンティックな言い方をすればそれは神の祝福のようでありまさにそのタイミングで現れたこの難民問題の未来を照らす光で、何か多いなるものからの答えであった。またそう思いたいし、いや、そうするようにしてゆけるか、だ。

会は450人参加、長いが無駄のない内容の濃い充実のシンポジウムであった。

打ち上げ。難民の人たちといっぱい握手したり笑い合ったり。何人かの難民の人たちがCDRやカセットを欲しいと言ってくれた。CDRは結局全部売り切れてたので、また今度まとめて難民支援のオフィスへ送ると伝えた。

弁護士のひとたちや中村哲治議員やカトリック新聞の女性やフリージャーナリストの西中誠一郎さんや志葉玲さんや作家で『100人の村』の池田香代子さんらと話した。楽しかった。池田さんの子どもはギタリストでFEEDというバンドをやってるっていう。ちなみに聴いたことあるが印象的な女性ボーカルのかっこいいバンドだ。

笑いながらもアフガン難民で今度収容が決まってるZさんが、オレ ワ マタ イレラレチャウヨ、、とすぐに複雑な表情をするので気遣ったり。
まあでも、なんだかんだで難民のみんなは久し振りに開放的な気分を楽しんでいるようでよかった。
しかし道は続く。


6月24日(月)

27日にあるピースライブに、アフガン難民で声を録音させてくれたQくんらに出演してもらうように電話してる。曲の後半で喋ってもらうのだ。そのことは先日ピースライブのスタッフの女性へは打ち合わせしたときに話したのだが、実際難民の人にはしっかり伝えられれなかったんできちんと説明した。ひとりはOK。よかった。しかし実際にステージでどのくらい話せるかは未知数、だってステージに立って普段音楽してない外国から来てる人が音楽に自分の言葉を乗せるんだからねえ。でも試みる価値と実際生の声を多くの人に聞いてもらう価値ってあるって思う。

夜、先日の大阪のシンポでMix Nutsの詩を生徒会の会報に載せたいと言ってきてた小林誠心女子学院の生徒長尾さんから、詩が届いたとお礼のメールが来ていた。お礼として、友達から聞いたという誰か有名な人がもともと言ってたらしい言葉を添えていた。
「世の中には、絶対誰かがやらないといけないことがある。その誰かになりたい。」という言葉だった。

そうゆうふうにボクが思うかといえば、何も考えてないのでわからないけど、例えば難民に関わってしまってることもずっと音楽やってることや路上にどうしても縁が出来ちゃったりとか一緒にやるメンバーや友人、あるいはあるタイミングで離れる縁にしても、とにかく全ての縁は生きてる中で自然にあるいは唐突にでもやはり自然の流れの中生まれ結びついてゆくので、それに普通に関わるというか繋がっているっていうまあそうゆうことでしかないかな。
まああんまり考えてもしょうがない。
とにかく今を生き〜るのだぁ(バカボンのパパふう)。


6月25日(火)

Chance!の3人、内山ウッチー隆・星野ユカリンゆか・今村Takuたく、で構成されるアコースティックうたもんユニット”うたのゆ”。27のピースライブは彼らと一緒に演奏することになった。
ので、スタジオへ集う。takuは多忙につき不参加。それぞれの持ち曲をいっしょにやってみる。と言っても、もともとそれぞれ15分ずつってことだってイベント、出演者がやたら増えたとかでいっしょに15分となりちょっと考え直したりもしたが、一緒にやる機会だしなとやっぱし出演しようと思い直した。その短い時間で難民のひとにも語ってもらうんだから大変だ。
打ち合わせしながらつめてゆく、っていうかけっこうアバウトではあるが。まあきっとなんとかなるでしょう。ゆかさんの歌はいいね。ヒットしそうなのにな。

ウッチー内山ジャンベマンはフジロックフェスのA SEED JAPANのゴミ・リサイクルキャンペーンのスタッフでもあるのでその打ち合わせにも忙しく走り回ってる。フジでピースウオークやればって軽く提案してみる。


6月27日(木)

この日、Together Peace Power ”PEACE LIVE”というイベント。この日アフガン難民Q君に歌の中で語ってもらうということと、出来れば別枠のオープンマイクがあるとうことなのでそこでアフガン難民の日本での実情をQ君から話してもらうことをスタッフに提案していた。が、しかし、オープンマイクは人がいっぱいになってそこで喋る時間はもうないということだった。そして前夜そのことが留守電のメッセージに入ってたのだがそれとハッキリしないがアフガン難民の件は困るとかなんとか、、、夜中だったんで朝こちらから電話してみた。

すると今になって、アフガン難民が話すのはマズイっていうことだった。よくわからないので会場でスタッフと話す。ここでも難民は受入れられないのかと思う。このままではボクも辞退するしかない。それを言ってきた主催の上の人だという女性と直に話させてもらうことにした。すると、このPEACE LIVEは、何者とも敵対しないピースを表現するので国へ対してのそれもなくしたい、よって国のやり方と合致してない難民の問題に関して話すのは遠慮してもらいたいということだった。
それは理解出来る。ボクも対立したいのではない。しかし、日本へ逃げてきた難民に対し救いの手を差しのべるのではなく罪人といっしょに強制収容している国へ、それはおかしいですよ、もっと難民を理解しましょうっていう、ただそういうことだ。もちろん罪なくオリへ入れられた難民からすると複雑な思い・きっと怒りや悲しみもあるかもしれない。

そして、そのスタッフの女性は難民がどういう発言をするのかチェックして、内容によっては出演してもらってもいいが、やはりそれによってはやはり出演してもらうのは困るっていうことになるかもしれないと言う。
ボクは表現への規制は誰にも出来ることではない、と断わる。そして、このイベントへは誘われて出ることにしたけど、もし思う表現が出来ない=つまり難民がステージでボクの曲の中で話すことが出来ないのであれば帰らせてもらうけども、まずはこうして対話したいと思って話していますと、伝えた。そう言いながらボクは、外側に起こるこうした様々なことも、内側からの何かメッセージや何か意味があるのだろうと、ちょっと考えたりしていた。

対立、っていうよりただ、問題点はあるしそれを明らかにして正すべきことを正した上で宇宙はひとつOneLoveといきたい、とは言え、実際どんなときでも宇宙はひとつなんだが。説得しながら、ボクがまず心を許すというのかコトバだなく普段の思い・行動を改めるべきところがあったら素直にそうしようってことや、今その女性に対して精神的に歩み寄ろうって思い始めていた。と、女性はいきなり「わかりました。予定通りやりましょう。 」と、急に態度を変えたのだった。

驚いたが、展開、である。ようやくリハをして、渋谷駅へ難キ連(難民支援のグループ)の金児さんとアフガン難民のQ君を迎えに。一足早く来た金児さんへは朝の一件についてかるく説明して、それでもとりあえず出来ることになったと報告しといた。Q君へは特に言わないでおいた。
会場の東京ウイメンズプラザに戻って”うたのゆ”の面々とQくんの顔合わせ。彼らうたのゆはChance!のメンバーだと伝えると、Q君もChance!は知ってると言っていた。難民のことで何かしてくれてるグループだと認識してるようだった。

ほかの出演者たちとも話した。ことに寿というアコースティックな沖縄的ロックをオリジナルをやるふたり組は、もう13年前だったかに一度新宿にあったライブハウスで一緒になったことがあって時の流れる早さを思いながら共通の知り合いの話しをしたりさっきのアフガン難民の一件についてを話した。実際、何を歌ってもいいはずで検閲のようなことをするのはおかしい。しかし主催側の考えもわかる。そして、ボクが外で起きてることと自分の内側のこととの関わりについて思いを馳せたら事に変化が生じた、これも大きなポイントだと、考えた。

さてなんだかんだでイベントは始まりボクはうたのゆと共にそしてアフガン難民のQくんとも一緒にステージに立った。最後の『宇宙のハーモニー』超ショートバージョンやる予定が司会のひとが入ってきて「ありがとうございました〜」ってなったんで終わってしまったが、ほかの、まず1曲目はレコーディングした『ナンミンのうた』のボーカル削ったテイクつまりカラオケに、生演奏を加えボクラは予定通り演奏してそのあと星野ゆかさんの歌( うたのゆ)、それにボクのハープも加わり、そして最後の『宇宙のハーモニー』、はナシ。
ちょっとやり残し感のあるかたちで終わってしまった。難民Q君の語りは、やはり緊張したのか短すぎだったがそれでも力に入った語りは人を引きつけるに十分だった。

ボクラのほかの出演者も快演を繰り広げとくに寿は盛り上がった。しかし正直、ボクはいろいろあったこのイベント(スタッフの人たちは一生懸命にやってたとは思うが)を心から楽しむことは出来なかった。
平和っていろんな平和があるのかもしれないが、ボクは平和についてをここで再び考えたし、内側の反射である世界や内の宇宙と外の〜、しかしそれってひとつってことか考えたりした。

余談だがQくんは、彼が難民であることを知らない受付の人に販売してた写真集を買いませんかと薦められた。それはアフガンの難民の写真集。苦笑いしながら断った。それにQ君の知り合いも載ってるらしかった。

いろいろ、複雑な一日だった。


6月29日(土)

旧橋くん、仕事のスケジュールがいろいろ入ったとかで大阪京都のライブ参加難しいってことを言い出した。話の行き違いもあった、ひとつのことに関して理解の違いもあった。無理して参加できないこともないようだった。でも流れを感じてみる。とりあえずちょっと、今は旧橋くんと離れる時期だと感じた。 もう飛行機はキャンセルしても金がかかる。

と、そこへ、先日いっしょにやったばかりのtaku(うたのゆ、Chance!)から電話があった。で、今起きてること話し、なんか縁を強く感じたので関西ツアーに誘ってみた。快い返事だった。スタジオへまず入ることにした。決めるのはそれからでもいい。でも、彼のギターは何度か耳にしててその流麗かつダイナミックな側面と繊細な歌心も知っていた。とは言え、やってみないとわかんないってのもあるからね。

夜、金児さんから電話。高裁決定で再収容さっることになってたZさんをも含む7人に対し月曜、とうとう出頭命令が出たという。いよいよである。