Diaries 2002 March
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3月6日(水) ちょい遅れて新宿PIT-INNへ到着。始まってすぐだったようだ。オレンジジュース片手席へ着く。
ちょっと遅れて聴くライブってなんだかちょっと集中しにくかったりするのか前半はちょい冷めて聴いていた。それでもやはりかっこよくキメる。休憩前の第1部は割りかしオーソドックスなフリージャズに感じられた。 第2部はめちゃめちゃかっこよかった。前半よりボク好みってことでどっちがイイ・ワルイではない。
最近ドイツあたりのブラジリアン・フレーバー・クラブミュージックをよく聴いてるからかな。フューチャージャズって言われてるようなのだ。コンポスト・レーベルあたりのコンピはサイコー。 彼らFLASH STREAM HATTRICKの演奏も入った旧橋壮名義のアルバムが夏にスタジオ・ウイというレーベルよりリリース。ちょっと聴かせてもらったが大変大変カッコヨイ心地ヨイハッケヨイなフューチャージャズで音響的な曲もありでなんとオノセイゲンさんがマスタリングしてて最高の出来、と言ってしまおう。FLASH〜名義のアルバムリリースの噂もあり心待ち。 ライブ終わってから旧橋くん富樫さんニシヤンstickerと話したり、お客で来てたフューチャージャズのDJでデザイナーの人と知り合ったり数人と会話。JAZZANOVAやコンポストの話で盛り上がる。 3月9日(土) そしてお茶の水O.C.CアイリーンホールにてナラカズヲUnitSUNライブの日。今日はいつもより多めたっぷり時間ライブ。沢山とは言えなくても久し振りに来てくれた人がチラホラ。今日は天然ビート時代の『新世界』もやるしね。 はじめに中野英明というモーリスのコンテストで賞をとったというシンガーソングライターが歌ってボクラの出番。 と、ここでナラソロコーナー。『寒い朝』、冬のあとは春ってことで『ハリキルハルクル』。そして波の音とカモメの鳴き声をバックに『inoriuta』そして『東京ラブソング』きまる。そして久し振りのナンバー『新世界』三線とバンジョーとギターのあいのこハナローという全く同じものは世界に1台しかない楽器で四国阿波踊りとファンクとロックな気分のハナローの三味ばりリフで始まってそれに4つ打ちのフロアと切れ味鋭いスネア、そしてアラビックな旧橋君のサックスが盛り上げる。後半はアドリブ、おれは笛を吹く。これはよかった。 CD『路上ライブ』や『うたがすき』のデザインをしてくれてたポップアーティストARATA君も来てくれた。CANDYPOP、カメラのニャラなんかも来てくれてサンキューであった。 3月10日(日) 東京大空襲の日、ピースウォーク、快晴。 さてピースウォークの前の諸説明のとき、ついこの間知り合ったばかりの元お笑い芸人、地獄のスナフキンこと金谷ヒデユキが1曲歌う。テレビのTonight2に出演したときのことを面白く綴った曲〜テーマが自由ということで〜を歌ってくれる。しかしここで会うとは思わなかった。 さて、前回よりも参加人数はちょっと増えたかな。晴天だしね。説明のあとまず星野さんのメディテーション、そしてウォーク開始。まず沈黙のウォーク。自分がまず平和になって静かな気もちで歩く。パルコパート2のとこで曲がスピーカーから弾ける。いつもの通りジョン、そしてスライ、CSN&Y、誰か日本のRAPの曲。いずれもLOVE&PEACEな選曲だ。 それにしても歩いてると以前よりも冷ややかな反応のような気がする。気のせいか、、。それでもこのウォークを見て途中参加したおじいさんもいたからいろいろか。明治通りに流れる。和プロジェクトのフルカワさんが力強いスピーチ、そして表参道では星野さんが宇宙エネルギー同化パワーないきまくったしゃべりで盛り上がった。表現者である。面白くて感動的だ。拍手が熱い。 さて代々木公園に到着。今夜新宿のLOFT plus1にてあるCHANCEのイベントで1曲歌ってってことでありがたくお請けした。 さて、このアチコチでパフォーマンスしてるこの公園の中の通りでフリーにスピーチする時間となった。ハンドマイクで数人が喋る。すると途中、近くでポエトリーリーディングのパフォーマンスしてたという十代か二十代前半の男が飛び入り。どうやらさっきまですぐ近くできもちよくパフォーマンスしてたがピースウォークの一団が来て自分の平和が乱されたってことらしい。 ボクはCHANCEのメンバー数人とCAFEにてお茶、スピリチュアルな話題。ボクは、結局宇宙は本来すべて一つのものですべての人は同じ宇宙の根源エネルギーで出来ていて一体でしかありえないものだっていう観点でしかホントの平和と平等は語れないんではって話したりした。まあでも、現実味がないって感じる人も多いのだろうけども、、、。 さて、CHANCE!のスタッフの人たちは先にLOFT plus1へ。ボクは友人のやっている原宿のライブハウスRUIDOへ。久し振りに話したあと新宿へ。会場へ着くとすぐにトークライブは始まった。司会はスリルというかっこいいバンドのプロデュースなどで知らてる純シキタ氏、それとスピーカーゲストは〜朝まで生テレビにも出てたりする宮台慎治氏・作家でルポライターの吉岡忍氏(以前NHKのドキュメントで出たとき面識あり)・作家勝元氏が父で映画監督の早乙女愛氏・大塚モスクのクレイシーハールーン氏(男性)・アラブ文化のエキスパートであられるジャミーラ高橋氏(女性)・そして東京大空襲を体験して民間(軍人以外)の犠牲者に対する国の扱いへ憤り軍国少年から市民運動へと転じた東京遺族会の星野ひろし氏・そしてCHANCE!呼びかけ人のひとりのサイエンスライター小林一朗氏というメンバー。 トークはなかなかさく裂、というか、わりとアメリカへ対する思い切った発言。やはり今までのアメリカが他国へしてきたことを思うと、アメリカがあのテロの一方的な被害者とは言いにくい。証拠もなくあんまりラディカルな予想をここではしないけど、実際、割りと多くの人が世間からすれば大胆な予想をしていてそれはおそらくあんまり外れてないのではと思う。常に経済的理由で戦争を作ってきたのはドコなのか?答はまたしてもヤブ(Bush)の中か? にしても宮台氏はほとんどひとりで喋りまくった。司会のシキタ氏が「このチラシ見て、あんまりにひどいんで持ってきちゃいました。{アメリカがアフガンを平和にしたという}この内容を読売新聞が書いてるんですよ。子供見たら信じちゃいますよ。」と発言。それに対しすぐさま宮台氏は「あ、読売とフジグループは自民党系ですからね昔から。しょうがないですよ。」みたいにクールに早口で応酬。大体どんなことにも早口でクールに言い切る。
そんなカンジ。 全体はこれらの人たちの(ひとりかな)話が長びいてオシオシであった。第3部のオープンマイクの前、小林さんと橋本さんから紹介を受けボクはギター片手に前へ。トーク用のマイク(1本は内山氏持ってくれる)2本で『かんたんにいこう』を歌った。難しいというかカタメの話しのあとだからオレはかんたんにやるのであ〜る。ジャンプしてエンディング。拍手、感謝。 様々な人がオープンマイクで語る。そのときに自主映画の女性監督も話したのだが、その人ボクに話しかける。あ、そうか。昔会った、、。CD『路上ライブ』『うたがすき』の録音してくれた鈴木さんのスタッフだった女性。今は監督しててやはり鈴木さんと活動してるって言う。今度公開か、うん、見に行きます。映画のタイトルは『犬猫』かあ。中野武蔵野、ひさしぶりに行きます。 3月13日(水) テツ君とスタジオでリハ。イイカンジ。曲つなぎの。 さて家へ帰り、今日オンエアってことの先日のLOFT plus1のイベントが紹介されるNHK首都圏のニュース録画したのをCHECK。オレ映ってたが、発言はいっぱいカットされてて、なんだか言いたいことが伝わるのかな?ってカンジであったが、ま、いいか。 3月15日(金) 前橋clubFLEEZにてライブ。ナラカズヲUnitSUNでは初めての前橋ライブ。村田しげ写真マンもいっしょにレンタカーで。ちょっとした小旅行気分もあり。 さて、ボクラのライブ、よかった。民謡トランシーロック、かな?『新世界』も反応がよくてよかったし、ボッサロック『global violence』もいい反応。そしてループの『宇宙のハーモニー』もイイカンジで出来た。1.かんたんにいこう 2.global violence 3.真っ赤なゼリー 4.東京ラブソング 5.新世界 6.虫のうた 7.宇宙のハーモニー 終わってから下山ギタリストと話した。ヴァン・モリソンの話題、ジョン・フェイヒーのこと、など。 このふたりの内のアメリカで歯科医をして生活してる彼のほうによれば、アメリカ人の大多数は愛国モードで戦争(アフガン空爆)を支持していて、相変わらずラジオではジョンのイマジンはオンエアされないという。日本の一部報道ではそうでもないような、つまりアメリカには落ち着ききと自由が戻ったような報道のされかたがされたり、かと思うと女子学生が"No
more War"の自作のTシャツを来ていき学校から締め出され、裁判でも敗訴したっていうとんでもないニュースが飛び込んでくる。もはや報道は国家の作戦の一部、いや主要で重要なものかもしれない。この日本でもそれは決行されてるのだから、真実を読みとる力を養う必要がるだろうな。どちみちそれは、この人生で役に立つ、というよりその意味そのものにもつながる。ボクラはどこから来てどこへゆくのか。たった今ボクラはこの宇宙で何のために生きているのか。 さて、彼らと話したあとまたひとり楽屋へ訪ねてきてくれた人がいた。それは、ついこの間まで高校生だった、奇妙で個性的な天性のノリを持って「ナラっこぅ!ヨカッタヨ!!」てアンケートに宇宙人的なイラストを添えてくれるような不思議系で背の高い女の子。 この日のライブの反省もしつつクルマで家路。 3月16日(土) 夜中、音楽チャンネルをふとつけて眺めてた。 驚く。ただ驚く。そして時間が経つと、段々と淋しくなった。別に親しくしたこともないし、数回ライブのあとで言葉を交わしたぐらいであったが、そのぐらいである。付き合いも別になかった。でもちょっとなんか穴が空いたみたいな。どんと、そしてやはり2年近く前亡くなったよく世話になった山ちゃんを思い出す。 3月21日(木) 大阪、親戚の結婚式に呼んでいただき歌わせてもらった。スーツにネクタイである。これはなかなか氣に入ったりした。もう何度でも結婚式に呼ばれたい。スーツ着てネクタイをしたい。 食事は、ボクのを完全ベジタリアン仕様にして頂いたのだが、まあほぼ大丈夫ってカンジで食べられないものもった。だがクレームつけるのもなんなんでソっと残した。 3月23日(土)
3月24日(日)
3月25日(月) 昨日、電車の中で忘れた荷物が無事見つかった。よかった。安心。拾ってくれた人よありがとう。宇宙に感謝。 3月27日(水) CHANCE! cafe at 2's YOSHIHASHI。ピースウォークのCHANCE!が渋谷のオンエアの隣りにある2's YOSHIHASHIというCAFEを会場にCHANCE! cafeというイベントを開いた。これは話題の有事法制について勉強するイベント。有事ってのは日本が戦争に突入、あるいはその危険があると首相が判断したときのこと。その際の法律。これは戦争に協力しないと罰則があるという、平和を大いに蝕む恐れがあり、国民を大きく縛るうえにどんどん日本を軍国化させる、とても危険なものだ。それを「備えあれば憂いなし」などと言葉を濁し今国会で通過させようとしてるのが今の政府だ。 ちょい押し気味で始まったイベント。まずOPENINGでひとりで歌った。昨日メロが出来たばかりの新曲でまだタイトルのない、日本で強制収容されてるアフガン難民のことを歌った歌を1曲目に。ちょい地味ではあるが反応はよかった。そして2曲目は11月に出来た『こたつ』という曲。〜今は寒いからこたつで暖まろうよ。拳をほどいて笑い合おう。この光は誰をも差別しない区別しない。だからここで〜ってゆうような曲。 この日のライブは日程・詳細が直前に決定したので突然のお知らせだったのだが、よくライブへ足を運んでくれるタマさんが来てくれた。でも用事があるので1部のミニライブだけ参加でトークライブと後半のライブを見れないのを残念がっていてくれたが、それでも少しでもと来てくれたのには感謝であった。 11月んときの「報復戦争に反対する目黒集会」のとき歌う場を設けてくれた大久保青志さんが現れた。あのとき以来、久し振りであった。いろいろと話す。 大久保さんは、ボクにここの店のママさんを一度紹介したかったんだって言う。なんでも、エンケンさんの元奥さんってことだ。どおりでメニューにピラミッドカレーがあるわけだ。エンケンさんとは一度ライブでいっしょだったしそのあとも楽器屋で会ったな。でも別に話題にはならんかったがそのママさんと話した。パワーを秘めたようなカッコイイ女性であった。 さて小休憩のあとはトークライブが始まった。有事法制を研究してる評論家の男性がメインで解説して海の(輸送の?)仕事をしてる男性と日本赤十字の看護婦さんとの3人でのトーク。それぞれの立場から、有事のときどんな仕事を強制されて拒否したらどうなるのか(罰せられます)などをわかりやすく。でも評論家の人の話はとっても難しかった。資料を見ても、、。 さて、トークライブのあと今日途中から来たイチローそっくりのパフォーマーのチビローさん(アフガン難民の支援活動をしている)がパフォーマンス、そしてオレラ、ナラカズヲUnitSUNのライブ。はじめちょい遠慮気味な気もちだったがすぐにガア〜っていい演奏出来た。 1.砂漠の中のくじら、で賑やかに、そしてナラひとりで 2.寒い朝、をしっとりと、再び3人で 3.global、これはかなり迫熱のハードボッサロック。 いやあ楽しかった楽しかった。またこうゆうのやりたいなあ。CHANCE!cafe。この日の仕切り海南さんはじめみんなおつかれさま。また呼んでね。 さて、時間ももう遅い。方向が同じCHANCE!のメンバーそしてテツ君らと電車、家路。楽しかった。そして有事法制、こりゃあ大変な法律が用意されてしまったもんだ、、。 3月28日(木) 牛久の収容所へ見舞いたい。歌が出来てしまって歌い出した以上、実際会いたい。連絡して支援する人たちと一緒に今度の火曜行くことになった。 3月31日(日) 花見をしている世間を横目に献血。考えたら初めてだった。高校生んときに授業さぼれるってんで献血志願したら、血が薄いってことで断られた。それっきり献血は向かないって思い込んでたが、出かけた先でやってたんでこれも縁というか、ヤレということと思い決行。 |