Diaries '99 April

 
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4月3日(土)

関西での live のために大阪入り、知人宅へ泊まる。

この日、前にも挨拶へ行ったCD店に顔出したら「サインほしいので」と色紙が出てくる。「いやあ、俺、有名人じゃないし」とか言ってもごまかせないし、応援してくれてる有り難いお店であることだから、ここは思い切って初めての色紙へのサインといこう。以前、路上で歌ってた頃、CDのジャケットにしたことあるけど、色紙だなんて中学だったかの卒業の時の寄せ書き以来だろう。

いやあ、汗かいたね。なんかお店の人も汗かいてるし、ふたりして汗かきまくり。不慣れながらも、とりあえず、お店の名前「SOUND BOX」って書こうとしたのに「BEAT !!?」ぎゃおう、間違えてしまった。ここで気を取りなおして「BEATFUL で、BEAUTIFUL な SOUND BOX 様へ」と書いて事なきを得たのだった。勿論ちゃんと、ナラカズヲとサインなんてキンチョーしちゃったぜ !!

ところで翌日の磔磔での公演は、そのときの緊張感と関西ならではのユル〜イムードでマイペースでとばしていいかんじで歌えた。久し振りに会うマンガ家と脚本家夫婦らと会食。ノンアルコール、ベジタリアンの僕にみんな気を使ってくれたりしつつも、会話に花も咲き、たのしき時間だった。

ところで、この日のライブはといえば、なかなか気持ち良くやれたんだ。磔磔の時と少しメニューを変えて、途中、2度弦の切れるアクシデントもあったが、いい時間をすごせた。ホームページの伝言板コーナーで名前だけ知ってた人も来てくれて CDを買ってくれた。嬉しいね。
この日の加奈崎さんスゲー気合い入っててカッコよかった。いやホント、人間いつ死ぬかわかんないからね、僕も日々を一生懸命歌って充実させて人生を全うさせたいもんだって思った。どんどん生きようと思うよ。大阪に又来たいね。いつかバンドでも来れたらいいんだけどね。でも、問題はメンバーの交通費とギャラなんだよな〜。誰かいないかなあ、、お金出してくれる人とか会社とか。


4月11日(日)

飛行機で青森へ来た。地元なので実家泊まり。CD ショップ音楽堂の御好意で、今回プロモーションで歌わしてもらう、八戸と三沢の間にある下田という街のイオン下田ショッピングセンターのステージへ音楽堂下田店店長の運転で向かった。2時間弱かかって着いた。ここは、やたらとデカイまるで1つの街のような建てもんで、いろんな服屋やめし屋が入ってる。空は見えないが、ステージのところは調度吹抜けになっていていいかんじだ。

軽くリハーサルして、午後2時と4時の2ステージとCD売会だ。こういうストアイベントは初めてだった。1回目は全曲弾き語り、2回目はカラオケと弾き語りで。満杯じゃないけど反応よかった。老いも若きもミドルも子供も、いろんな人に聴いてもらったのはよかった。食品もたくさん売ってる所で「まずいゼリー」って歌う僕の声が会場に響きわたる。妙な感じもありつつも、終演後「久し振りにいい音楽と出会えた」「涙が出ソウニナッタ」「パワーもらった」って、これらのあったかい反応に僕がパワーもらったよ。いいよね、パワーのギブアンドテイク。そんでね又しても慣れないサインしました。古くからの知人も訪ねてくれて談笑。又してもいい時を過ごさせてもらった。

帰り道音楽堂下田店店長の計らいで、青森在住の音楽家でFMで番組も持つA氏宅におじゃまする。するとそこに、僕の10年前の CD「路上ライブ」があるんでびっくり!青森出身とは知らずに、どこかのリサイクルショップで購入したのだと少しばかり都合悪そうにいった。誰かが中古に出したのは残念だが、それがまたこうしてこの新しい出会いに色を添えてくれたのだからご縁だね。ここでもしばし談笑、歌も気に入ってくれたようで番組でオンエアーしたいと言ってくれた。帰宅。長い一日だった。


4月12日(月

青森は音楽堂に行く。久し振りに顔を合わせた。何年振りだろう、さすがに初顔合わせの人も多い。とにかく昨日のお礼と世間話し。ここには、ちゃんとナラカズヲのスペースがあって試聴機にもはいっていた。ありがたい。ここで有線放送の社長を紹介される。でも僕はこの人の顔を知っていた。この人は以前ある楽器屋にいて、僕はこの人から12弦ギターを買ったことがある。この人が今有線の仕事をしてたとは!しかも、ある人の紹介とそのツテで、sample_CDを届けていた。僕がほんの短い時間ここにいる間にちょうどここに来て会えたんだよね。そう、だから青森の有線では「東京ラブソング」がリクエストしてもらえれば放送されます。どうぞ皆さんリクエストしてください。有線って、基本的にはシングルのみの放送なんだって。だからこれは嬉しいことよ。

あとね、KING RecordのY氏ともここで知りあう。Y 氏、ナラの CDを購入してくれ、サインまでさせて頂く。それと、星光堂 / CD卸し業の人も紹介される。いやあ、それにしてもこの短い時間で随分の人と知りあったな。みんな応援してくれている。ありがたい。しばらく歩いたところにある「成田本店」という本屋の地下にあるCD屋でも試聴機に入れてもらっていた。うれしいね。礼を言って店をでる。なじみの店ベンガルへ行くも休業日。ヤマハショップへ知人を訪ねるが、知人、休み。有線の社長を紹介してくれた人に電話もしたが出張中。帰宅。


4月14日(水)

先日、アルバムの発売のことと青森でのライブのことを記事にしてくれた、東奥日報新聞社のYさんを訪ね挨拶。僕の近況や昔の話、音楽のことなんかを話した。18日のライブを楽しみにしてるとYさん。「それじゃあ又ライブ会場で。」と新聞社をあとにする。時間つぶしに入った中古CD屋で見つけたロス・ロボスのコロッサルヘッド、ルー・リードのパーフェクト・ナイト、ミッチェル・フルーム、キンクスをいずれもメチャメチャお得な価格で購入させてもらった。そして、FM青森へ。

待ち合わせの夕方5時、応接室でお茶をすすり待っていると現れた佐藤氏。電話で話した印象から勝手に素朴で地味な人を想像していたらこれがなかなかの男前で、しかも上から下まで黒ずくめロックミュージシャンかロックマニアっていでたちだった。あとはスタジオで打ち合わせしながら、ぶっつけ本番の収録。

まず、55分番組中ずっとしゃべりながらアルバム「東京ラブソング」の中から曲をかけるっていう思い切った企画。いきなり地元ならではのこの思い切りのよさ、地元はあったかいねえホントありがたいよ。(この時のしゃべった内容の抜粋は近くこのページで載せたいので読んでください。)やあずいぶんいろいろしゃべらせてもらったよ。そのあともいろいろな、とにかく全部でこの日、4種類録った。すっかり僕もDJ気分、副業でDJやれないかななんて、もう気を大きくしちゃったよ。でもあとで聞くと少し硬かったかなって思ったけどね。とにかく楽しくやれて、言いたいこと言えて気持ちよかった。又やりたいってホントおもったよ。

収録終了後、知人宅へ寄って帰宅。そういや、昨日も歩いてる途中で見つけた中古CD屋でジェシ・デイビスとステイプル・シンガーズ、フュージーズを破格で購入したが少しおさえないと後でつらくなるなと思うが、いやホントほしかったCDにこうも続けて会うとな〜、、。と、思いつつ就寝。


4月15日(木)

又、FM青森へ。今日は生放送だ。DJの鈴木さんとしゃべる。この局ではかなりオンエアしてくれてるという、「真っ赤なゼリー」でスタート。この曲がラジオでたくさんかかってリクエストもきたりってのは少し意外だった。DJに「この曲はキャッチーで1度聴いたら覚えてしまうカッコイイ曲ですよねえっ」って言ってもらって嬉しいけど、不思議だった。何年か前ライブでやってアンケートとってもマニア受けでしかなかったのに、この青森の地でポップな曲として受け入れてくれる人がいたりする。

まあとにかく、トークだ。青森や八戸の路上ミュージシャンの話題から僕がやってた頃のはなしになって、その頃は東京、特に新宿や吉祥寺の警察がうるさくてやりにくい反面、やりがいもあったってことなんかを話し、ケーサツにイヤミを言われたことなどもぽつりぽつり、、。ライブの告知やCDのPRなんかをしゃべりつつ「東京ラブソング」のバンドバージョンをオンエアーしてもらう。スタッフの人達にありがとうの気持ちを伝えスタジオをあとにする。

帰る途中、CD屋をチェックして「東京ラブソング」を置いてないとこには置いてくれという旨を伝え御願いしては去る。ってことを僕は時々やってる。だってせっかく広くゆき渡る可能性のある流通の中でやれてるわけで必ずどっかにいると思われる(信じる)ナラの歌に何かを感じてくれる人達にとにかく届けと思うからだ。


4月16日(金)

夜、AM放送のRABラジオ「金曜ワラッター」に生出演させて頂く。以前電話出演させてもらった番組。その時、僕の話し方だけで僕の血液型をO型と当てたバンド「クリプトン」のボーカルの今野さんが欠席なのが残念。共通の友人バンド「太陽の塔」のメンバーからの「よろしく伝えてくれ」を伝えたかったのだが。

その日はDJ夏目さん、アナウンサー氏、お笑い2人組「底ぬけエアライン」というメンツに混じって話した。先週は僕と同じ「青森南高校」の出身でよく知るところのバンド「コブラツイスターズ」の相馬が来て僕の話題にもなったっていう。僕のアルバムの中の「夕方、少年、海の公園」のその公園である青森にある合浦公園(がっぽこうえん)の話しもしつつローカルな話しに花が咲く。(そういえばコブラツイスターズのシングルよかったなあ。)最後にライブの告知をして「東京ラブソング」をオンエアー。みんなにお礼してスタジオをあとにする。


4月17日(土)

この日は夕方4時から JUSCO/サンロード青森のステージで歌って CD即売会。このショッピングセンターのステージは大川栄策、中森明菜など有名な芸能人から新人までいろんな歌い手が出てて、、ナラが?って声が聞こえそうだがこうゆうシチュエーション路上といっしょでおもろいのよ。ところでステージはたくさんの人とは言えないまでも、ラジオを聞いて来た人や古くからの友人、それと親も来てくれた。マイペースでとばして歌い切ったよ。

ライブ後CDも幾枚か売れ、サインや写真も求められありがたく応えさせてもらう。ルーズソックスの女子高生と写真撮ったが、ルーズソックスの人と話したのも初めてなら写真もそうである。又1つ経験が僕の引き出しに。音楽堂の k 氏の車で青森駅。急行で弘前へ。
弘前のCD屋「joypops」のS店長と合流。ライブハウス「orange county」へ。かるくリハ、すぐ客入れ本番。数十人のお客さんは20代前半の女性が多かったようだったが40代の人も。この時は少し疲れてたが始めマイペース後半とばして、いやあ歌い切ったさ。反応地味だがあったかかったよ。遠くから来てくれた人もいたようでありがたい。CDも売れアンケート回収率もグー。内容もグー。ライブ後、弘前の街をS店長の車で流しつつ話しつつ11時過ぎの特急で帰る。

長い1日だった。疲れてるが心地いい。いろんな人達に応援してもらって僕のエネルギーは疲れて減るどころか満タンだ。


4月18日(日)

夕方4時、この日の会場「シューだびよん」に入る。ここは僕が10代の時によく出入りしてた。しかしマスターの死で一時閉店状態に。が、今は亡きその当時のマスター牧良介氏の次男が志を次ぎしかし、そのままじゃあなく内装内容も自分らしくアレンジして「だびよん劇場」は「ライブ処シューだびよん」として生まれ変わった。 シューとは現マスターの名前だ。しかしここみたいにマスターと店の雰囲気が共によく知られてて、主に70年代からやってるフォークシンガー達の信頼が厚いそんな場所が、全く変わってもなお人気と信頼を集めてるのは、やはり大事なとこが変わらず大事にされてるってことの証明だろう。ブルースやフォークがロック、ポップ、ヒップホップと形が変わっても胸を打たれる瞬間に抱く思いは不変で普遍だしね。そんなことを思った。

僕はここでR&B(60'sの)を演奏するバンドのライブをみたり、OTISやSAM & DAVEをBGMにしながら朝まで語ったり自分でも歌ったりしてた。それからもう14〜15年経つ。早いなあ。アンプの音決め、リハーサル。途中、FM青森の佐藤氏が先日収録し今夜 ON AIRの番組のカセットをも持ってきてくれた。リハ後マスターと世間話。以前僕がここに入り浸ってた頃はよくわかってなかったが実は彼とは遠い親戚。そんな話しもしつつ本番に備える。

階段には、前の週に下田で聴いて気に入ってくれ BBSにメッセージしたり現在はナラを応援するホームページを開設してくれているN氏が遠くから来てくれていて待ってくれている。ありがたいね。楽屋で集中してるうちに開場。どんどん人が増えてゆく。本番前、トイレに行く時知ってる顔も見えるが話し込んでぬるくならないように気をつけた。ステージは程よいキンチョー感がいいからね。5分押し19:05、/SE/サム・クックの「A Change is Gonna Come」が流れる。ステージへ。満員の愛すべき人達が拍手で温かかく迎えてくれる。この温かさをぬるくしてはいけない。

しかしその心配は無用だということがわかる。空間の全てが味方してくれていた。大体にしていつだって心配なんかいらないものだ。不安は現実をうすのろにする。ただ瞬間に集中信頼して無へと突入するのみだ。ギターを抱く。「今晩はナラカズヲです。アルバムから、日曜日」---7フレットCのハイコードのストロークで、ギター1本ナラカズヲのショーが始まった。

気を落ち着けるが顔が笑う。トキメキが先をゆく。2曲目「風が吹くのを感じて」、近況を語り「甘夏」。ひとりDUB効果弾き語りレゲエ「砂漠の中のくじら」。そして当時だびよんのマスター牧良介氏が亡くなったと聞いて突然沸き上がり出来た曲「だびよん」。この歌をここで歌うのは僕の、大きな意味のあることでそして、目的とか楽しみのようなものの混じったものだ。この曲、青森でそして「だびよん」では初演。この時、牧さんはそこで聴いてたかなあ。きっと聴いてただろう。うんだびよん(だびよん=津軽弁で「きっとそうだろう」の意)「夕方、少年、海の公園」「僕らの日々」「虫のうた」と続け、この青森でだいぶ ON AIR してくれてるという「真っ赤なゼリー」でぶっ飛ぶ。バラード「寒い朝」、そしてアルバムタイトルチューン「東京ラブソング」でじわあっていって、すううっズドオオオッじゃぎ〜んって ending。来てくれた皆んなに胸いっぱいの「ありがとう」を伝えてステージから楽屋へと降り立つ。全11曲とってもいいムードで歌わせてもらった。僕のハートますます満タン。

終演後すぐ休む間もなく、青森の地方紙「東奥日報」のY さんの要請で楽屋で取材タイムになる。俺ゼーゼー言いながらもハイ状態のままだったのでよくしゃべってたのを憶えているが、何言ったけかな。みんなに感謝しながら突き進むんだとか言ってた気がする。東奥日報にその後載ったかどうか、どうしたかなあ?

取材も終わり、楽屋から出て来てくれた人達と語らう。いろんな人と話し目が回りそう〜だが、楽しいね。ラジオ聞いて来てくれた人、新聞で、噂で来てくれた人。昔の仲間、会場で CD 即売していただいた音楽堂の常務さん、親類、すっかり変わってしまって誰かと思ったら同級生だった奴、バツイチ達、問題おこして捕まった奴、現マスター原シュー(氏、一応、、)、みんなに thank you ありがとう、世話になったぜ、又よろしくです。これからも応援を、、、僕もいくよドンドンどんどんDing-A-Ding-A-Ding、それぞれの登り道を進んでいけば「やあやあっ」て又、会ったりすんのさね。そんな遠くないうちに又行きます。どうぞヨロシクなのであります 。

P.S.
音楽堂全店、FM 青森、JOYPOPS、RAB、東奥日報、シューだびよん、オレンジカウンテイー、青森ケーブルTV、北の街社、下田さん、イオン下田、サンロード青森、成田本店 Pal、根本さん、佐藤さん、ベンガル、東さん、出町さん、全友人、全新出逢いに大感謝 !!


4月24日(土)

ナラカズヲ+b.e.e、5月7日のライブのためのリハーサルを吉祥寺のスタジオで。久し振りに顔を合わせ音を合わせた。EG / 玉川裕高(コモンビル)Bass / 奈良明雄、D_jembe / 荷野、Drums / 山際秀人と、俺の歌とアコギとハーモニカ。このメンバーそれぞれ個々の活動もしてたりで、なかなか何度も顔を合わせられなかったらするが音を出し始めてすぐにイイカンジになってきた。key.b がないぶんエレキの音が際立ってROCK度・ハードさが増す。これはいいライブになりそうだ。


4月25日(日)

今日もリハ。この日は5月1日のライブのための。ベースはやはり明雄、Drums & Per はこれまた付き合いの長いバグース木村。二人共「天然ビート」の初代メンバーでその前の「奈良和雄&The Hot Bravo」のメンバーでもあった。で、音出せば、まあすぐ合うよ。軽く打ち合わせなどもしながらね。ビートの効いたアコーステイック・トリオってあんばいかな。

リハ終了後、僕は下北沢のラ・カーニャへ、加川良さんのライブ。加川さんはしばらく身体をこわして前に電話した時なんか、やっと立てるようになって今電話で話せるようにもなったなんてゆうんで死んじゃうんじゃあなんて思ったがいよいよ復活の夜。加奈崎さんによれば、加川さんは昔から毎日旅をして歌い歩き毎晩酒をくらってたっつうもっぱらの噂ってこと。加川さんも自分で「バチが当たった」って言ってたが、やあきっとそうよハハハ。って、この日のライブはライブ&ペインテイングってこと。天然ビートのとき僕もやってたが、歌い演奏するそばで絵描きが絵を描いていくそうゆうライブ。歌は加川良さん、絵は沢田としきさん。

2年前に企画に出てもらって以来久し振りだったが、やつれたのかと思いきや顔が益々黒さをましていた。リハで遲れて途中からのライブ拝見で、僕が着いたときは絵はかなりしあがってた。もっと始めのほうも見たかったね。で、加川さんは顔だけじゃあなく音のほうも黒かったよ。アコギ持ってればなんでもすぐフォークって括りんされてしまうことってよくあってそれは僕にもそうだけど、加川さん funky でゆる〜い hot groove よ。アコギの爪弾きのループ感がキモチよかった。絵もねえHOTだった。会場は狭いながらも超満員で入口の階段にも人があふれててマトモに観れずとも耳を傾けてるって有り様だったがみんなイイキモチで家路についたろうと思う。

終演後の宴。加川さんや絵描き沢田としきさん(青森出身)と津軽弁で話したり標準語でしゃべったりして、宴の中夜は更けてゆくのだが、適当僕は会場をあとにした。