Diaries 2001 November
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11月7日(水) 渋谷クアトロにてトータスのライブ。超満員。 トータス、前半はちょい緩すぎたが後半はアルバムTNTの曲で盛り上がった。それと最新作スタンダードの1曲目は素晴らしく、パンクを感じた。 ステージ後ろのスクリーンに2機の戦闘機。そして爆発音のような叫びのような音。現代音楽のようなどこかクールなというか静かな炎の印象だったトータスだったけど、これでは爆列。この曲はCDよりグッときた。 ビブラフォンが入ってバリのジェゴクやスティーブ・ライヒを思わえる2nd、3rdあたりの曲がいっちゃん好きだけど、これ聴いて新作もいいなあと思った。 とってもとても美しいバイブレーション。よかったよかった。 11月15日(木) 目黒公会堂の会議室で”報復戦争を許さない目黒の集い”という集まりがありそれに参加。 遅れて到着して名乗ると女性が「こちらで用意してくれてもいですし中で聞いてもです、、。」と、案内してくれた。(あとで聞いたらこの女性は坂本さんという議員さんであった) 作家の荒井潤さんの紹介で大久保青志さんという人と知り合った。が、前から名前は知っていた。もともと雑誌rockin'onの人で、そのあと著書『危険な話』で原発の危険性を世に広めた広瀬隆氏のマネージメントをしてたし、目黒から立候補もしたりしてた。 その大久保さんへボクは「反原発が盛り上がってた時期のあとこうゆう市民運動的なものに距離を置いてたが、今、戦争にはきちんと反対を表明する機会があれば参加したい」と伝えた。そうしてこの日の集まりで一曲歌うこととなった。 さて、会場は人で溢れていた。そして様々な人がリレー形式にトークしてた。いろいろな意見があり見方があってそれぞれの立場は違ってたようだが、皆基本的に戦争反対で平和を願う人であった。 いろいろな人が話したあと大久保さんがマイクでナラを紹介してくれた。けっこう堅く難しい話のあとの最後のあたりだ。 一応名乗ったが宣伝はしない。 歌い終わる。おじぎ。拍手、感謝。そしてそのノリでボクは一言加えた。 さて、歌を聴いてさっきの反応のよかった人だと思われる男性が「よかった。やっぱり平和って自分がまず平和になるって、そこからですよね。For
PeaceじゃあなくてFrom Peaceなんですよね」って言う。そうそうってオレ。 数人と話す。そしてファミレスへ移動してお茶しながらまた数人と話す。と、気がつくと夜おそい。家路。 11月20日(火) ホワイトハウスと日本のアメリカ大使館へアフガンへの報復爆撃に対する意見をFAXおよびEメールで送る。先日、あるテレビ番組を通じての小泉首相への意見ってのも送ったがやはりアメリカへと思って。 夜中ホワイトハウスより返信メール入る、、、。 11月21日(水)(toyoへの返信メールより) SNOOZERやMマガ見ると、ルー・リードもオノヨーコさんもトータスもアレックもスーパーファーリーもちゃんと意見があってそれぞれの見解が決して昔からのアメリカの情報操作に影響されてない視点で真摯な語り口、、やはり音に出てるいいバイブレーション、嘘つかない。
昨日ホワイトハウスよりメールが届いたけど、「あなたの意見はブッシュ大統領にとって重要なものです」とありながら「もしあなたが今回のテロ事件に関することで言ってるならホームページを見て、人々の反応や、人々がどんなに苦労して越えようとしてるかを学んでください。」とある。そしてアメリカがアフガンの子供(孤児・病気の)たちへの基金を設立してるのでと、そこへのアクセスを勧め、あとはもうアメリカの宣伝宣伝、、。 でも、多くの人が声を届け、あとは、市民が「平和がいいんだ、戦争はいつでもインチキで犯罪なんだ」とまとまって、まずはこの国(日本)のひとたちが、今の政府を支持するってことは人殺しに加担(金の援助・それへの賛成の意思表示すること自体)する
ことだと自覚しないとね。先日の戦争協力をやめようっていう集まりで歌ったときにちょっと言ったことでもあるんだけど、ひとりひとりが自分の中と周りに平和を生み出すところから、シンプルな愛を実践することからしか変わってゆかないと思う。青くさくてもそう思う。
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