Diaries 2000 December
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12月8日(金) ジョンの命日。そして、夏のイベントで会ったシンガーの豊田勇造さんのライブ。ひと月くらい前にも案内をもらってたが用事と重なって行けなかった。でも今回はこれを優先させた。 さあ、ステージ。 間の休憩の時にふと現れ顔を合わす。アア〜ッて勇造さん。「いやああ、来てくれて嬉しいです。」とお辞儀してくれる、なんともできた人。こっちも嬉しいです。 二部。始まる前に「今日は夏のイベントで友部や大塚まさじや高田渡らと出たときにやはり一緒だったミュージシャンで、面白い歌うたってるナラカズヲくんがあそこに来てくれています。まあ、みんな知ってるかもしれないけど、、。」ってステージから紹介してくれる。 ところでステージは、ソロとマンドリンの人とのDUOとを混ぜてのステージだった。 アンコール。ジョン・レノンへ捧げる曲など3曲、 とても心あたたまるホットかつグレートなライブだった。ステージ後ろのラスタカラーの幕もいい。ボクも天然ビートというバンドをしてた頃に大きな幕にラスタカラーな色彩で太陽と月の絵と天然ビートのロゴを描いてステージバックに飾ってたのを思い出し、近いものを感じて笑みがこぼれる。 ステージ終了後、豊田勇造さんと話してがっちり握手。再会を誓いボクは会場をあとにした。 *勇造さんの録音物もスグレモノでいいのでお奨めです。このサイトの管理人TOYOもはまってます。 【追記】このときのステージの中で勇造さんはどんとに捧げるブルースと、アメリカのシンガーのエリオット・マーフィーに捧げる曲をも歌った。 どんとは1月の日記でも書いたようにちょっとばかりのご縁があったし、エリオット・マーフィーも来日時にライブ後に紹介されて少し会話を交わしたことがあり、なんかいろいろ思い出したり妙なつながりをも感じた夜であった。 12月15日(土) 新宿へ。音楽雑誌Playerの取材。以前アコースティック・ギター・マガジンの路上シンガーを特集した記事の時も取材してくれたDADA青柳氏というライターよりインタビューの要請をお承けした次第。 場所は、西新宿のルノアールの会議室をPlayer編集部が借り切っていて、そこで。編集長さんも自らお越しになられて。途中からカメラマンの人も来てパシャリパシャリ。 まだ誰も、今のように路上でギター持って歌ってる人がいなかったときに歌い出したってことで。まあきっとどっかに少しいたんだろうけど最初の路上ブームきっかけになったと思われる、当時は音楽カルチャー誌でかなり影響力あった”宝島”の路上特集記事でボクの活動とCD『奈良和雄路上ライブ』が大きく取り上げられて、そのあとから「路上ライブ」という言い方が定着したって経緯から。 が、「路上」も「ライブ」もそれぞれもうある言葉だし、グワアッて広めたんは宝島とそのあとに取り上げた他の媒体だけどね。 ま、とにかく、わりと長時間にわたるインタビュー。青柳インタビュアーは路上にこだわり様々な記事を書いたり自身も路上で歌ったり路上シンガーを集めイベントを開催したり路上機関誌を発行したりしながら音楽全般のライターをしている。路上に関わりを持ってゆくきっかけがボクのCDだったと言ってくれている。 ところで編集長からの時々の質問もナイス。じつにツボを心得た発言をする。そして青柳インタビュアーもじつに深きところをついてくる。
それで今の活動に至るまでの経緯などだいぶ話した。 このPlayer、2月アタマあるいは後半に発売のようです。 読んでね。 12月28日(木) このホームページの管理人であるTOYOからメールで「1月7日のライブを(*青森県弘前から東京へ)見に行きたい〜」とのメッセージ。 そして大阪在住で大阪でのライブに来てくれたりCDも気に入ってくれていて自身のホームページでもナラを取り上げてくれているYOKOさんもメールをくれて「1月7日のライブへ行くのでチケットを予約したい〜」っていう。 いいねえ、ありがたいねえ感謝だね。21世紀初のライブ、しっかり演ろう。まあいつもだけれどね。 12月31日(日) なぜか上海じゃなくってなぜか大阪。で、中古CD屋でソフトマシーンとマッチングモールのアルバムを購入。ちなみに両方共ロバート・ワイアットが事故で下半身不随になる前にドラマーで在籍していたプログレバンド(やっぱりよかった〜)。 そして、大阪はアメリカ村の古着屋にて久し振りの買い物。安い!さすが大阪。中古楽器屋でちょい見たいものもあったんだけど、やっぱし大晦日、クローズド。 |