Diaries 2000 April

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4月1日(土)

エイプリルフールだが嘘じゃあなく、この日どんと追悼ライブが藤沢の遊行寺であった。野外で寺でってのがまたどんとらしいか。
やたらと天気がよく陽射しがあついなか、寺に到着するともう演奏が始まっている。献花の列に並びながら、ああ、、ほんとに死んじゃったのかあと、ついこみあげるものがある。
どんととは、1度セッションってゆうかイベントで遊んだり、あとライブに招待してもらったり、あとは電話でしゃべったりっていうぐらいでそんなに深くつき合ったことってないけれど、どんとはオープンでステキで好きな人間のひとりだったしやはりこうして列に並んで花をささげ、焼香したりすると、、、。

ああ、チホさんはあかるく演奏しててイイカンジだ。みんな楽しそう。ニューオリンズではセカンドラインのご機嫌な演奏で死者を彼の岸へ送る。どんとは間違いなくこの様子を見て楽しんでいる。 みんな悲しい顔なんかすんなよっていう新曲でも歌ってんのかも。

ベテラン桑名晴子さんやex.ZELDAのサヨコさん、ex.SUPER BAD高田エージetc.,,。あとスゲーいいギター弾いてたのはあれ誰だったんだろう。海の幸の人かな。 ラストはえらく盛り上がる。これは、どんとも大喜びに違いない。ステージ横でex.GROOVERS,LOUD MACHINEの西村ニッシー茂樹自称インディーズやくざと立ち話。 それと以前、千葉ANGAで対バンしたDESPERADっていうご機嫌R&BバンドのVoのオーティスとも立ち話。 高田エージex.SUPER BADのご機嫌シンガーとは座り話。彼は相当酔っ払ってるようだった。

とにかく、天候にも恵まれ、内容も湿っぽくなりそうなとこだがちゃんとハッピーに盛り上がるものとなって。どんとを送るお祭りに相応しかったろう。
「どんと院まつり」って銘打った追悼イベント。
どんとの戒名が「どんと院」だそうです。
どんとの過去にリリースしたCD群も再発決定したそう。よかったよかった。 春を感じたいい日だった。


4月4日(火)

前から付き合いのあるディレクターIより電話。プレゼン用デモを録音しようって言ってくれる。しかし、彼が録音したいっていうのには最近ライブで演奏してるものもあったが、ボク自身すっかり忘れていたものもあれば、まだ未完成の新曲も。しかもレコーディングはゴールデンウィークに彼が所属する会社のスタジオで。う〜ん、時間ないのう。。。
まず、忘れてた曲が入ったテープを探したり、歌詞を見直したり。


4月10日(月)

そのディレクターとミーティング。広尾へ。
レコーディングメンバーのことやらいろいろ話す。
家へ帰ってまた早速曲や歌詞をにらんだり眺めたり、シャーペン握ったり。


4月11日(火)

そうゆう日々。歌詞も大部直す。結局、どれだけ自分自身を掘り下げて作品を自分が納得するものにしてゆくか。ある意味、勝負。
以前はキャンバスに絵の具をぶちまけて偶然性のアートってか、即興なカンジのものだったのが、彫刻や油絵みたいに何度も挑みつつ、一つの歌をよりパワフルにしてゆく。 ここからまた、寝不足の日々に突入。


4月11日(火)その二

この間のライブ以来、時々メール交換をしていたサイコーのキーボーディスト富樫春生氏とのやりとりの中で、今度レコーディングするので上がりを聴いてほしい〜いつか一緒にやってみたい〜というようなことを送ったら返事が。なんと「日程さえあえば、お手つだいしますよ。」って。とってもありがたいが、ギャラが払えない。
あのbom'bocoや近藤等則IMA「そして僕は途方に暮れる」とかホテイとかやってるっていう、ただ有名とか売れっことかだけじゃあなくホントステキなプレイをする富樫さん。
とっても、嬉しいのだが、今回のレコーディングは予算がない中を、好意でデイレクターが組んでくれたってとこがある。そして僕は途方に暮れそう。
富樫さん、、やりたいなあ。でも、なあ、、。 それにしても、なんとステキな、、。 ボクは、事情説明とありがたいけどほんとにギャラがないので、、ってゆうメールを送った。


4月12日(水)

信じがたいが、なんとも美しい返事が富樫春生氏より届く。


4月21日(金)

レコーディングのメンバーなんとか決定。いつもの明雄(弟)は調度その期間は実家へ帰っててNG。
で、最近WoodBassで一緒に活動しているマキタコウキさんがエレキベース参加してくれることに。この人は元々様々な歌手のバックを務めてた。
ギターは玉川裕高くん、SAXは旧橋壮、ペットはシンベ、ドラムはマカナエ。PERはカヤに交渉中。カヤはもうちょっと腕を上げてから録音に参加したいらしい。なんでも過去の録音を聴くと自分で反省することしきりなのだという。 ライブならいくらでもOKっていう。 それと、キーボードは、あの富樫春生さん。ギャラの心配なんかいらないって言ってくれている。なんとありがたいことか。 あとは、メンバーの録音の日程を決定しなければ。 歌詞を直してると、知らない間に朝になっているって日々。


4月23日(日)

ひっそりと誕生日を迎えた。日曜の公園で久し振りにのんびり。歌の詰めでボクはここんとこそればっかしの状態だった。やけに景色がまぶしい。こうゆうすべてが奇跡的で美しいのだなあとしみじみ。


4月27日(木)

ライブ用のリハ。カヤ、ウッドベースのマキタさん、ホーン。ライブの次の日からレコーディングなのだが、メンバーとの都合でライブのアレンジ・小節数などがレコーディングするときのそれと違うという、わけわからん状態。
が、それがボクをまたハイにする。


4月29日(土)

梅ヶ丘RINKY DINK STUDIO、レコーディング用のリハ。
初めて顔を会わすドラム・マカナエとベース・マキタさん。
ホーンのふたりは、どっちとも演ってる。ちなみにマカナエはしゃにむにってバンドやってる、まあ簡単に言ったらいけないけどオルタネィティブなドラマー。マキタさんは、P・マッカートニーとSoul/Funk系が好きな、ベース。
こんなに違うふたりでも、名字を漢字にするとマカナエは蒔苗。マキタさんは蒔田。 似てるでしょ。


4月30日(日)

下北沢LOFTにてライブ。この日はライターの鳥井賀句さんの主催する夜。主催者自らのバンドと、関西出身るう、んでボクラ。この日はナラがアコギに歌、カヤがジャンベ、マキタさんがWOODBASS、旧橋くんがSAX/Fl、シンベくんがトランペット。
リハんとき、賀句さんやはりスゲースピードでしゃべる。この人たしかもう50だと思うけど、70になってもこうなのかも。それはそれでいいだろう。そうゆうじいさん見たことないし。
なんだか鮎川さん(シナロケ)の娘さんと友部さんとこの子どもさんが一緒にバンドやってるとか、スーパー売れっ子女性シンガー某とこれまた某ロックギタリストの息子が付き合ってて結婚したら面白いとかって喋ってる。ほほー。

ところでライブは、いいかんじで出来た。最初にるうさんが歌い、で、ボクラ。るうさんよかった。バンド編成ははじめて聴いたが面白かった。

さて、僕らは「僕らの日々」、新しい歌詞の「君の声がききたい」、やはり新しくした「僕らのしるし(hey hey hey)」 「砂漠の中のくじら」「虫のうた」「真っ赤なゼリー」、ここまでホーンとやって、ラストはボクとカヤとウッドベース・マキタさんとで「東京ラブソング」。弓を使うウッドがいい。 拍手もいいかんじだった。

そんで最後は鳥井賀句&The BLACK LISTがパンキーなロックンロール(女性コーラス&saxつき) で盛り上げた。
ラストの「グローリア」でRED WARRIORSのダイヤモンド・ユカイとシャケが飛び入り。ダイヤモンド〜はなんか、口に含んだDRINKをブワーって撒き散らしている。はなれててよかった。ギターのひといいな。

終わったかと思いきや、そのダイヤモンド・ユカイに紹介されてボクの隣りにいた女性が立ち上がる。 カルメン・マキだった。まったく知らんかった。カルメン・マキ&OZのライブカセットは中学んときに従兄弟からもらって聴いた。よかったのを覚えている、 キーが低く歌いずらそうだったが、さすがに貫禄の歌唱で「HONKY TONK WOMAN」。客席得したって顔でほころんでいる。

さあ、明日からレコーディング。この日の出演者に声をかけて挨拶して家路。