調べていくうちにうみうしにはたくさんの種類があることがわかりました。
家にある図鑑、図書館、などで名前を調べましたが結局、最後まで名前は
わかりません でした。
秋になって本屋さんで 「海中記」 小林安雅 著を見つけました。
ものすごく綺麗なうみうしの写真がいっぱいついていました。
男鹿半島にも、こんなうみうしがいるのかなあと思いました。
3年生になって、うみうしを採集しているうち、ますます名前のわからないうみうしが
増えてしまいました。
水族館、水産振興センター、博物館、図書館、などで聞いたり、本を調べたりしました。
また放送局のビデオコーナーに、水槽の中のうみうしを撮影したビデオテープを送って、
うみうしに詳しい人がいないか、呼びかけてもらったり、ラジオの電話相談室に
聞いたりしましたが、結局うみうしに詳しい人はいませんでした。
観察、飼育日記をつけ始める。 (1997、8、18)
2月、シロウミウシが食べるカイメンを見つけました。大発見(金魚のように長いふん)
水族館にカイメンを持って聞きに行きましたが、名前はわかりませんでした。
でも、水族館の館長さんから、天皇陛下が有名な本を出版している話を聞く事が
出来ました。
市立図書館に探しに行きましたが、本はありませんでした。
県立図書館で、著者も本の名前もわからないので探してもらいました。
本は書庫の中にありました。ものすごいほんです。50年も前の、うみうしだけの
本でした。
「相模湾産後鰓類図譜」、昭和天皇はものすごい人だと思いました。
でも持ち出し禁止。 ガ〜ン
お父さんが秋田に行く時に、ついていって何回もこの本を見にいきました。
※ 1997年頃、うみうしは貝類図鑑に数十種くらい、
ダイビングの人たちの本にチョット載っているくらいでした。
夏の水槽の海水温は35度ぐらいまで上がるので、お父さんが
古い小さな冷蔵庫をもらってきて海水を冷やすため、冷蔵庫の中に梅酒のビンを
いれて、水槽用のクーラーを作ってくれました。
最高のお父さんと言いたい所ですが、10種くらいいた水槽のうみうしがほとんど
一日で死んでしまい、夜の8時ごろ海に海水を採取しに行き、交換しましたが、
全滅してしまいました。
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(パイプに使った接着剤のせい?)
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最低、涙の物語です。
4年生の秋、水産振興センターで
「秋田にはたぶん研究者はいないのでここに聞いてみたら」
と言われて機関紙(うみうし通信)を見せてもらいました。
さっそく東京の(財団法人)水産無脊椎動物研究所に手紙を出しました。
ぼくも、うみうしくらぶの会員 (うみうしだけでなく、無脊椎動物を研究している会)
にしてもらいました。
次の年の2月、うみうし通信から「君の今まで採集したうみうしを紹介しませんか、
会員の中で名前を教えてくれる先生がいるかもしれません」とお手紙をもらいました。
今まで採集したうみうしのテープを、デジタルビデオプリンターで写して、
説明文をつけて送りました。
5年生の4月ぼくの事が載っている(うみうし通信)が届きました。
ものすごくうれしい!!
ぼくの記事を見て、鹿児島大学の先生や、鹿児島水族館の方から
お手紙をいただきました。
ぼくのうみうし研究に協力してくれると言うお手紙でした。
ウミウシガイドブック、ウミウシガイドブック2は、出版社、著者の方から
送られてきました。
9月、水産無脊椎動物研究所で男鹿半島のうみうしをホームページに載せるため、
男鹿まで来てくれたのですが、台風のため海には行けず水槽のうみうしを
撮影しました。
でもうみうしのいろんな話をたくさん聞く事が出来ました。
次の週、鹿児島大学の先生がぼくに会いにきてくれました。
いっしょにうみうし採集までできて、最高の一日、最高の9月でした。!!
会員になって、いつもうみうしの名前を教えてもらっている、富山県の高岡生物研究会
(50年間もうみうしを研究している)で出版したCD、「日本海のウミウシ」に画像が
採用されました。
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