◆4月9日(土)
今日も快晴。やっぱ日頃の(ry
朝食後、バスでレオナルド・ダ・ヴィンチ空港へ。
さらばローマ、さらばイタリア。もう一度来たいけれども外国に行くチャンスがあるならせっかくだから他の国に行くと思う
ので、もう二度と来ることはあるまい。
飛行機の搭乗手続きの際に添乗員さんの分が我々ツアー客と一緒の席で登録されてしまい一人分席がはじかれてしまう。
つーかオイラのなんだけど。無事に乗り込めたからいいけどさあ。
飛行機は北上し、地中海をかすめアルプスを越え、パリへ。
翼よ、あれがパリの灯だ!と言いたいところだが、めっちゃ昼でんがな。
つーわけで本日はパリ観光を敢行。
空港の敷地内の変な形のホテル。
まずは昼飯。
イタリア料理ならパスタにピザ辺りがすぐ思い浮かぶのだけど、フランス料理って、何が有名?
…エスカルゴくらいしか思いつかなんだ。
市内の普通のレストランでお食事。
メインはサーモン。大味。
エスカルゴは出なかったがエクレアが出た。あとフランスパンw
エクレア(に)介入を開始する。
エクレアというと「チョコレート戦争」という児童書を思い出す。
レストランのトイレに何故か「プレデターズ」の立体ポスターが貼ってあった。
食後にルーブル美術館に討ち入り。
ミロのビーナスの尻。
オイラにとってミロのビーナスと言ったら「ざまーミロのビーナス」である。今日は納豆にしようかNATO北大西洋
条約機構。
ガイドさんが元々は手に林檎を持ってたんじゃないかと言ってたが、梨だよね、うげらぼあ!
サモトラケのニケ。首と腕はデビルマンにむしられたんだっけか。
モナリザ。これは流石にガラス張り。防犯という面以前に、こうしておかないと絵が保たないそうで。
すげえ駆け足でルーブル観光終了。
たった2時間ではもったいないなあ。
その後バスの車窓から一通り名所巡り。
ルーブルそばのジャンヌ・ダルク像。「傭兵ピエール」にはパリがほとんど登場しないので聖地巡礼できず残念。
凱旋門とシャンゼリゼ通り。
地獄の凱旋門ってあんまり意味のない技だよね。普通にボディプレスした方が効きそうだけど。
エッフエル塔。
エッフェル・ヒール・キックとかピエールくんとナポレオンくんのエッフェル攻撃とかしか脳裏に浮かばない。
なんかデモをやっていた。
モンパルナス駅そばのホテルにチェックイン。
………ヴェネツィア−フィレンツェ−ローマ−パリと移動するにつれだんだんバスタブが小さくなっているような気がする。
そしてだんだんベッドが高くなっているような気がする。とうとうベッドに座ると足が床に着かなくなったぞ。
夕食はホテルのレストランで。
しかしこのホテル、フロントがあるのが00階でレストランがあるのがその上のA階。更にその上にB階があって………って、
泊まっている7階って本当は何階なんだろうか。
イタリアのメシはメインの肉や魚の皿に付け合わせがほとんどなく、肉だけをもしゃもしゃと食べているとご飯が恋しく
なって仕方なかったものだが、フランスは付け合わせにそれなりの量のイモやらパスタやらが付いていて本当に嬉しい。
メインの肉料理はカレー味だった。何と。
◆4月10日(日)
パリの朝焼け。
本日も快晴。やっぱ日(ry
本日は早朝から出発。朝食を採る時間が非常に短い。
なのにたっぷり料理を取ってきてたっぷり残すおかん。ビュッフェも一週間近くて料理も似たり寄ったりなのに阿呆か。
バスに揺られて高速道路をひた走る。目的地は…モンサンミシェル!
所要時間4時間半。毎日バスに揺られてきたが、これが最長である。
行程の半分ほどでサービスエリアで休憩。どこのツアーも同じ考えらしく、女子トイレが長蛇の列。
男子トイレはほとんど待たずに入れたが、オイラの後ろにこっちのおばちゃんが平然と並んでた。
ここまでの旅で思ったのだが、午前中に観光地や休憩所で出くわすのは日本人が圧倒的に多い。
というよりも多分欧米の方々はそんなに朝から勤勉に出歩かないからなのだろうと推測。
高速道路沿いには草原が広がり牧場がたくさんあった。
長い旅の末に、おお、お城が見えてきたよ!と思ったらバスが曲がってしまう。
つーわけでモンサンミシェルの手前のレストランで昼食。
メニューにはとうとう日本語表記はおろか日本語で辺りのガイドまで載っている始末。風情がない。
飲み物はこの辺の名産のシードルも捨てがたかったが、地ビールを選んでみる。
………まあ地ビールなんていうけどこんなもんだよね、という味。しばらく放っておいたら瓶の底に何かが沈殿した。
前菜にモンサンミシェル名物のふわふわオムレツが登場。
その昔、満潮と干潮の差が激しく下手を打つと波に飲まれておっ死ぬ難所であったモンサンミシェルに命からがら
たどり着いた巡礼者をもてなそうと少ない食材でプラールおばさんが作ったことから名物料理になったという曰く
付きの逸品。
おお、本当にふわふわで美味しそうじゃあないですか!
わくわくしながら口に運ぶが、
味が………ない!
プレーンにも程があるよプラールおばさん。
レストランの横で山羊が飼われていたが、すげえやる気のない顔だったのでアップでパチリ。
今度こそモンサンミシェルへ。
なんという素敵スポット。
二度と行けないかもしれない海外だから、せっかくだからヴェネツィアだけじゃなくここにも来たい、と思い立って
よかった。
中はゲロ混み。土産物屋が立ち並ぶ入り口を人を掻き分け進む。
今回のガイドさんは初の現地民。ところどころ怪しい日本語だったが概ね理解できた。
どんどん坂道を登って教会の中へ。
下を見ると砂浜を歩いて渡っている観光客が。そこは満潮だと水没する。沈んでしまえ。
塔の先端には大天使ミカエルの像。
ミカエルさん教会を作れと司祭にゴッドフィンガーをかます、の像。
だんだんもやってきたのが残念。
土産物屋に(もちろん模造品の)日本刀と甲冑が売っていたが誰が買うんだ?
本当は城内に1泊したいところだが、叶わず、また4時間半掛けてパリへ。
バカンスシーズンに突入したので混んでいる上に工事をやっていてパリの手前で大渋滞に行き当たる。勘弁してちょ。
イタリアの高速道路でも対向車線が大渋滞しているのを見たが、自分も巻き込まれるとは。
走行中ずっとPSPでニコマスのPVを見ていたのだが、あまりの長丁場にバッテリーが上がってしまう。
んじゃ寝てるしかないか、と思うのだが、添乗員さんが気を利かせて車内にBGMを掛けているのでやかましくて寝れない。
なんでフランスくんだりまで来て「オリーブの首飾り」とか「雨音はショパンの調べ」とか聴かねばならんのか。
予定より30分以上遅れてパリ市内に帰還。
車窓から見えるビルの広告にサイコガン構えたコブラがいたような気がして目を疑ったが、本当にいた。それは
まぎれもなくヤツさ。
なにやら「MANGA PARTY FESTIVAL」というイベントの告知のようだった。
21時ちょい前にホテルに戻ったが、まだほのかに明るい。
それでもエッフェル塔のライトアップが毎時0分から5分まで点滅するというので、ちょっと歩いて見に行く。
おおお、ぺかぺか点滅して思った以上に綺麗。
ホテルに戻って晩飯。遠出だったので帰ってくる時間が読めないということで、部屋で仕出しのおにぎり。
いっそ何も準備してもらわない方が外に食いに行けてよかったのに。まあ日曜ということもあり開いている店が少ないのも事実。
ゲゲェーッ!たくあ(ryがおにぎりにくっついてるじゃねえか!そんなもん臭くて食えねえだよ!汚されちゃったよ加持さん…。
漬け物という漬け物が大嫌いなのでオイラ大激怒。特にたく(ryはこうして書くのすら厭うくらいに大大大嫌いなのである。
放射能汚染よりよっぽど深刻だ。
まあこんなこともあろうかと写真下のパンを買っておいたので事なきを得たけれども。
まさかフランスまで来てた(ryに悩まされるとは。
◆4月11日(月)
本日も快晴。やっ(ry
本日は自由行動。
朝食ビュッフェで白米と味噌汁があった。まあ白米は昨日の夜も食べたけど。
結局どこのホテルもメニューはほとんど変わらなかった。
パンが数種類とおかずはスクランブルエッグとカリカリベーコンとウインナーと数種類のハムとチーズ。各種ヨーグルトと
フルーツ、各種ジュースに炭酸入り/なしの水、コーヒーか紅茶。
パンは結構種類が豊富だが、朝から詰め込んでも量が多い昼飯で苦労するだけなので。
自由行動ということだが、行ってないパリ近郊の敢行スポットであるヴェルサイユ宮殿は月曜休みなため特に行くところもなく、
じゃあエッフェル塔や凱旋門をちゃんと観光しようということで、最寄りの地下鉄の駅へ出発。
個人的にはかのZ大戦終結後も多くのZが棲息し残敵掃討に膨大な時間と人的被害を費やしたというカタコンベにぜひ
行きたかったのだが、こちらも月曜定休という間の悪さ。ぐぬぬぬ。
他に行きたい所としては、「王妃の離婚」を読んだばかりだったので学生街カルチェ・ラタンに興味はあったのだが、行った
ところでそんなに観るべき場所もないので残念ながらスルー。
しかしなんでまたユウキ・ジェグナン少尉は自分の小隊にカルチェラタンなんて名前を付けたのかねえ。
まずは地下鉄の駅にてパリ市内の1日乗車券を購入。乗れる範囲で料金が変わる切符で、その辺ちゃんと説明できるのか
いきなり試練だったが、カタコト英語ですんなり購入できた。大きな駅なので駅員も慣れているのだろう。
しかし広い駅なのが災いして目的のホームに着くまで歩く歩く。東京の地下鉄か。
途中動く歩道があったのでのんびり乗せてもらったが、手すりに乗せた手だけが止まっている体より先に進む仕様で、立ち
止まってないで歩け、と言っているようだった。
どこの地下鉄の駅にも「スクリーム4」と「赤ずきん」のポスターが貼ってあった。
無事地下鉄に乗り込んでエッフェル塔の最寄りの駅へ。
てくてく歩いてエッフェル塔へ。
真下からパチリ。言うなればパンチラ写真。
まだ午前中なのに中に入るのにはすでに長蛇の列。せっかく来たのだからと並ぶ。
30分以上並んでチケット売場まで来てみれば、展望台の最上階にはどういうわけか登れない模様。
ここまで来たのに引き返すわけにもいかず歯がみしながら順番を待っていると団体の予約客がどんどん先に行く。
ぐぬぬぬぬ。
こういう時には個人行動でなくツアーはいいよなあ。
それでもやって来ました、二番目に高い第二展望台。
おお、流石に絶景かな。
残念ながら、もやってた。中央の金色のドゥオモはナポレオンが眠るアンヴァリッド。右端の景観を損ねていると評判のビル
は朝方通ってきたモンパルナスタワー。
丘の上にそびえるはサクレ・クール寺院かな?サクレ・クール!と叫ぶと必殺技みたいな感じ。
凱旋門は思ったより小さく、言われないと見落としそう。
パリの街並みはしっかり現代的で、現代と古代が同居していたローマの混沌とした街並みより落ち着く。
とほっこりしていると、日本からまた強い余震があったとメールが届き暗澹とした気持ちになる。
一応エッフェル塔の全景をパチリ。
エッフェル塔の周りで署名を求められる。何の署名かわからんけど。こーゆーのは日本だけでなく世界でもあるのか。つーか
外国人の署名でもいいんか。
うかつに署名して傭兵としてエリア88に送られたんではたまったものではないので当然無視。
ところが何人もいやがるのも万国共通。終いには「ぶっ殺すぞ」と日本語で威嚇して追い払った。
そういえば、出発前に上野公園の麓で北朝鮮の拉致被害者救助の署名活動を行っていたが、地震だ放射能だで大変な時期
にまでやらなくてもいいのにと思ったことをパリの空の下で思い出す。
てくてく歩いてナポレオンの霊廟のあるアンヴァリッドへ。
勘違いしてずっとアンヴァールだと思ってたのだが、それだと「ゼーガペイン」の雑魚敵ですがな。
途中道路の向こう側に郵便局があり、おかんが切手をまだ買ってないと騒ぎ出す。
なら道路を渡って郵便局で買えばいいものを、何故か目の前にあったタバ(雑貨屋)へ。
案の定、そんな面倒くさいことは向かいの郵便局で聞け、と追い出される。ですよねー。
おとなしく道路を渡って郵便局に入ってみれば、係員がチャッチャと対応してくれた。ですよねー。
しかしヴァチカンにもエッフェル塔の下にも郵便局があって、特別なスタンプを押してくれたというのに、何故にこんな何の
変哲もない郵便局から出すんだろうか。
この女、何か考えてるようで何も考えていないな、流石我が母親。
気を取り直してアンヴァリッドへ到着。
元は傷病兵の収容施設として作られ、今は軍事博物館として運用。死後、セントヘレナ島から遺骨を引き取ってきたので
ナポレオンの霊廟もあるよ。金色の悪趣味なドゥオモが目印。
せっかくだから軍事博物館に入ろうとしたが、クレジットカードしか使えない入場券の自販機の使い方がわからず涙を飲んで
諦める。ぐぬぬぬぬ。こういう時には個人行動でなくツアーはいいよなあ。
仕方がないので無料で入れたナポレオンの霊廟に参拝。
古くから軍事関係の施設だっただけあって外装も凝っている。窓が鎧騎士。
戦車が回廊にあった。
堀沿いの大砲。この内の一門は幕末に馬関戦争で長州藩をケチョンケチョンにやっつけた時に戦利品として持ち帰った
ものだそうで。長州から徴収。
すぐ近くの駅から地下鉄に乗り次の目的地へ。
さっき高い所から見たら意外と小さかった凱旋門。当然のことながら間近で見るとデカい。
上まで登れるのだが、いい加減高い所に登るのには飽きたのでパス。
凱旋門の彫刻。カッケー。
ここまで来たのだから凱旋門前から始まるシャンゼリゼ通りでブランド品なんかをショッピング、というのがセオリーなのだろうが、
そんなものには全く興味がないのでとっとと地下鉄で次の目的地へ。
つーわけでやって来ましたモンマルトルの丘。サクレ・クール寺院の最寄りの駅の一つ前の駅で降りてぐるりと散策。
駅前にはムーラン・ルージュが。
本当ならここでディナーを採ってシャンペングラス片手にフレンチカンカン観賞といきたいところだが、そんなことをすると2万円
ほど掛かるのでやってられっか。
道路向かいには別のキャバレーがデカデカと。有名焼肉店の近くには必ずといっていいほど無名の別な焼肉屋があるのと一緒
だな。
その前を通り過ぎる観光列車。列車じゃないけど。時間に余裕がないので乗れずに無念。
昼飯時なので駅前で店を物色するが、怪しげな中華料理の量り売りの店ばかりでイマイチ食指が伸びず。
怪しげなSUSHI屋もあった。
もっとよく探せばいいのにおかんが猪突するのでやむなくついていく。
ゴッホが住んでいた家があるとガイドブックにあるので探すが、見つからず。
極貧だったんだから、そんな家を見てもなあ。
日本に帰ってから調べたらアパートの入り口にプレートが一つ飾ってあるだけだった模様。
フランス語もわからんもん、そりゃあ見つからんわ。
気を取り直してサクレ・クール寺院に向かいつつレストランを探す。
いや、いっぱいあるんだが、フランス語メニューでは何を食わされるのかわからんよって。
イタリア語はまさにローマ字読みで何となく意味がわかったのだが、フランス語は本当にちんぷんかんぷんチクリン漢文。
ようやくオイラたちがわかるくらい簡単な英語メニューがある店を発見。値段も手頃なのでそこをチョイス。
中ではピアノマンが演奏をしていてなかなかいいムード。当然後からチップをもらいに来た。
ランチメニューにスパゲティナポリタンがあったんだが、どゆこと?あれって日本製のメニューだよな。
頼んだのはチキンだけど。ご飯がないので添え物の山盛りポテトが嬉しい。
おかんはラビオリ。
満腹満足してサクレ・クール寺院へ。
そういや、QMAで写真付きで並び替えの問題が出たなあ。
屋根の天使像はモンサンミシェルと同じ大天使ミカエル。ドラゴンを踏みつけてるのも一緒。
またしても最寄りの駅ではなく寺院の横の階段を降りて隣の駅へ。
そうすると乗り継ぎがなく楽なので。
ところがこの通りが黒人だらけで非常にいかがわしい感じ。
乗った地下鉄の車両も、番線が新しいモンパルナスや花形のシャンゼリゼを通る路線と比べて明らかにオンボロ。
観光客に見せる華やかな表面じゃない所を見てしまった感じ。
次なる目的地、ノートルダム寺院へ。シテ駅を出てちょっと進むと長蛇の列が。
ここでのタイムロスはちょっち痛いが、せっかく来たんだから並ぶしかない。
しかし外人は並ぶのが下手だな。コミケット準備会スタッフが見たら血管切れるぞ。
待つこと30分以上。厳重な荷物チェックを経てようやく入場。前の外人さんが十徳ナイフを所持していてセンサーに
引っかかって大騒ぎしていた。
入場はしたものの、目指すバラ窓が何故か見つからない。入場無料のはずがおかしい、とやむなく入場料が掛かる
塔の中へ。
おおおおお、こいつはすげえ。圧巻すぎる。
感動して建物から出た後、おかんが言う。「ここ、ノートルダムじゃないんじゃない?」
確かに、ステンドグラスの修復工事について解説してある立て看板には、サント・シャペルの文字が。
………そういや、シテ島にはもう一つ観光名所の教会があったような。
そりゃあ建物の外見が違うしガイドブックに載ってた内部のマップも違うわけだわ!
いやしかしでもだって、あんな長蛇の列ができてたら世界遺産だと思っちゃうじゃないのよ。
こういう時には個人行動でなくツアーはいいよなあ。
お互い振り上げた拳の落としどころがなく、とりあえず駅の反対方向の本当のノートルダム寺院へ。
時間がギリギリなので外観だけ見る。おかんだけ5分で中を見てきた。
さっきのステンドグラスの方が綺麗じゃね?
18時半、無事ホテルまで帰り着き、空港へ出発。
またしても席順がバラバラになるトラブルが発生。くじ引きでペア席を選ぶことに。下手すると中央の景色も見えない
上に両隣が見知らぬ人でトイレに行くのにも苦労する最低な席になりかねなかったが、見事、強運で窓際を引き
当てる。
全日程快晴だったし、この旅が終わったらオイラ死ぬのかなぁ。
しかも席が最後尾で脇にちょっとスペースがあり荷物を置けた。かえすがえすもラッキー。
◆4月12日(火)
つーわけで帰りの飛行機。
行きと違って朝鮮半島に寄るということもなく、一安心。
日付が変わる頃に機内食。
ご飯・味噌汁・生姜焼きという和食スペシャルと洋食の二択。
どうせ日本に帰れば和食ばっかなんだから、ここは今後そうそう食えない洋食を頼むべきだと思うのだが、ボンクラ
どもはそうは思わないらしく、最後尾の席には自動的に洋食が回ってきた。まあ計画通りだけど。
つーか、ローマで日本食頼んだ人間が威張ることじゃないけどね。
ちなみに味噌汁は余ってた。
次の機内食は日本に着く1時間半前くらいとのこと。って、10時間近く後じゃん!腹減るっつーの!
と思ったら、道中ほとんど寝てしまったのであっという間だった。
行きはあんなに長かったのに。
佐渡島の上を通り、日本を横断して成田到着。
着地が下手くそでかなり衝撃があったが、なんとか無事日本に帰還した。
が、余震が相次いでいて日本の方が無事でない様子。
京成スカイライナーも地震で運行を見合わせており、ローカル線で都内まで戻る。
日本に着いたら晴れていた。やっ(ry
今日はプロ野球開幕。もっと早く着いたら浜スタに駆けつけたんだが。
山手線の車内TVのニュースで、「楽天開幕戦勝利。9回内藤が涙のサヨナラヒット」と速報されていたが、サヨナラ
ヒットを打った内藤は我らがベイの選手だよ!
まあ我らがベイが8年ぶりの開幕戦勝利なんて予期せぬ出来事が起きたんで新聞社も動揺したのだろう。
東北新幹線もこの日東北までやっと開通したようだったが、出発前は復旧の目処が立ってなかったので明日の高速バス
で帰る。
品川に出てこっちに住んでいる妹夫婦と合流して晩飯。つーか何故か飲みになった。
そんなにオイラの体調を入院前に戻したいのか。
都内は節電でどこもかしこも薄暗かったが、品川駅は特に暗かった。
ほどほどに日本の味を味わい、おかんと妹夫婦と別れて一人新橋へ。
カプセルホテル「安心お宿」にチェックイン。ネットカフェが併設と聞いて。
…あくまでネットカフェで、マンガ喫茶ではないのね。PCのブースと自販機があるだけで味気なし。
カプセルは広くて快適だった。
◆4月13日(水)
9時起床。
本日も晴れ。天下御免の雨男なのに11日間も晴れなんて不気味すぎる。
朝飯を食うところを探して駅前を彷徨うもいい店が見つからなかったので秋葉原へ移動。
駅構内のフードコートでタンドールガルと銀座梅林のコラボのカツカレーを食す。朝っぱらから。
…美味くもなし不味くもなし。
ブッコフ、とらのあなを冷やかして時間潰し。これ以上余計な荷物を増やしたくないので何も買わず。
ソフマップでVHSをPCに取り込むツールとAVセレクターを購入していると時間がなくなってきて慌てて駅に戻る。
集合時間まで残りわずかになったので昼飯とする。
辺りを見渡すと…秋葉原デパートに新しく入った東京カレー名店会が。
期間限定のミックスフライカレーを食す。
…気のせいか朝飯もカレーだったような。…気のせいか2時間くらい前に食べたばかりのような。
カレールーはあんまり好みの味ではなかったが、フライはサックリしてなかなか美味しかった。
13時、有楽町駅でおかんと合流。高速バス乗り場へ。
東北道が復旧したこともあり車内はガラガラ。それ以前に、好きこのんで原発のある県に行く人は少ないわな。
車内ではほとんど寝て終わる。
途中休憩に寄った佐野SAでくまさんのカステラなるかわいらしい食べ物が売っていた。
いや、かわいいけど、頭からガブリと喰うんだよな。ミスドのCMじゃないけど。
17時半、帰宅。11日ぶりの我が家。別に落ち着かないけど。
つーか、7日の震度5の余震で部屋の本棚とCD棚が再び倒壊していてガッカリ。PCは無事だったからよかったが。
なお、11日間の旅で5kg太りました。ですよねー。
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