大正十五年七月一日発行・『地上楽園』七月号・第一巻、第二号 目次が表紙に印刷されている。
創刊号の51頁に「詩壇雑記」がある。この中に『地上楽園』の誌名をつけた経緯が記されている。「地上楽園の方針」より紹介する。
「地上楽園」とは人も知るごとくウイリヤム・モリスの伝説叙事詩集の名であって、私がホイットマン、カアペンタアに引き続いて芸術的社会主義者のモリスの思想と芸術に傾倒していることは久しいもので、その熱愛は今日と雖も変わらない、モリスに対する長論文を「早稲田文學」に発表したのは、大正十年で、モリスはその当時は今のやうに普及していなかったのである。私が「地上楽園」の名を地下のモリスから無断借用するのは甚だ済まなくも思ふが、極東の一青年の紀年でもあると思って恕してもらひたい。
さてこの詩誌『地上楽園』の編輯方針は何者にも束縛されずに私の絶対自由にやって行きたい。有力な新進詩人に同人になってもらっているが、世の同人雑誌と異なって、経済上の負担も大部分は私が負ふ、発行部数も雑誌協会にはいって販路を広くしたい。世の同人雑誌の永続しないのは永久的に毎月同人費を出さねばならぬ点にあると思ふ。私はこの雑誌をあまり同人に負担をかけずに続けていくためには、可なり煩瑣な舎友制度をも設けた。そして少なくも三ヶ月後ぐらいには雑誌としては全く経済的に独立したいものである。凡てを私自身がやればこれほど確かなことはない。 『地上楽園』は今日流行の片々たる原稿を羅列して賑やかにすることを絶対に避ける。同人の顔触れすら毎月揃へはしない、順繰りに書いてゆく程度に各詩人の作品が多いことを希望する、一人の詩人のために全紙面の大部分を割くことも試みたい、また私の個人雑誌の如く私の作品で多くの頁を埋めることがあるかも知れない。頁数も五十六頁の想定だが、多少の増減は時によってあるだらう。ともかく頁数は増すともあまり減らさない積もりでいる。同人のうちでも今月は國井淳一、泉浩郎、坂中正夫の諸君の原稿は間に合わなかったが来月は書くであらう。
今月は他の雑誌などにくらべると「農村号」といふやうな感じのものであるが、本誌は今後もそうして特質をつづけるだらう。犬田卯、松村又一の諸君の寄稿を感謝する。
表紙繪は信州北佐久出身の画家神津港人氏に御願した、同氏は嘗て滞欧数年、モリスの親友のバーン・ジョーンズの画風を愛される最も堅実な画風の人であって「地上楽園」の表紙繪にはまことにその人を得たと喜んでいる。「地上楽園」の字は私の見本のつもりで漫然と書いたものを、神津氏が正直に模してくれたものである。
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最終更新日: 2001/03/03