『地上楽園』 一周年記念六月号 第二巻第六号十四・十五頁より
「白鳥省吾論」 室生犀星
<昔、白鳥省吾の故郷は伊達政宗の領地であった。自分は伊達政宗といふ人物の文献に接したのは、纔かに幸田露伴の史実の文章だけである。伊達政宗も一通りの野性の輩ではなく、徳川をして窺に杞憂を懐かしむるものを有っていた。併し乍ら我が白鳥省吾は伊達政宗の後裔でもなければ系統を引いている訳ではない。−昔を今に還して見たならば白鳥省吾も伊達の一家臣、千石ぐらいの家禄を領している頑固一徹の武士であったらう。今で云えば彼に取って朝飯前ぐらいにしか思われない早稲田大学の教授の程度であらう、彼が官途に近い縁を求めずして一市井の詩人として暮していることを思えば、何人も彼の性根が野にある人で、窺かに覇気を抱いていることに心づくであらう。覇気といふものは石炭箱を叩くことではない、彼のごとく心からそれを抱くものにのみ鑒として光を放っているものである。
白鳥省吾は人気や流行を知らない、穏健ではあるが意地張りである、謙遜ではあるが卑屈な男ではない、−彼が大島か何かを着て悠然と座っているところは、大家の外のものではない、年来日夏耿之介との応酬には彼は彼らしい物静かな警部のやうな物言ひを続けているのに、日夏耿之介は文藝講座の中にまで白鳥に当たっているのは、心ある者として顰蹙せしめたことは実際である。自分は野の人、白鳥省吾のためには何時でも筆硯を以て彼とともに行を同じうするものである。これは藝術上のことよりも寧ろ彼と趣味其他の何者も一致しないに拘らぬ友誼に外ならぬ。純真の人間に心を合すことは年来の自分の希望でもあった。又、自分はあらゆる友誼のために戦ふことを辞さない、友誼に殉ずることを以て名誉とするものは、時代遅れの僕一人ぐらいであらう。
白鳥省吾は野暮で、くそ真面目である。彼の如くくそ真面目な人間は少ない、しかも其の真面目は又何人をも持合さないところの真摯である。彼が農民文學のやうな提唱を敢て辞さない所以は、福士幸次郎の地方主義の主張と同様に又認めねばならぬ。彼がいゝ加減な人物ならば疾くに今の時代に合ふやうな芭蕉論でも書いていたらう、しかし我が白鳥省吾はそんな薄情者ではない、十年一日のごとくくそ真面目白鳥省吾である。
自分は民衆派といふものに不尠軽蔑の念を感じている、併し白鳥とそれは関係のないことである。もう一度云へば彼の詩は自分の好みの外のものである。彼と人生を談じるとき自から民衆派にも苔が生えたと思ふ事さへある、さういふ意味で民衆派と彼とを引き離すことができないかも知れない。彼の毒舌を聴聞するとき自分は白鳥省吾を愛するが恰も福士幸次郎を尊敬すると同様の愛情である。今の詩壇で大家の風格をもっているものを数へるなれば士々齋々であるが、我が白鳥省吾のごとき己にも他人へも清節を持っているものは極めて稀である。>
* 資料提供「白鳥省吾記念館」
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最終更新日: 2001/03/03