「澄んだ瞳」誕生記  (第15回 白鳥省吾賞 受賞者 草野 理恵子氏の紹介)


 草野 理恵子(本名)氏は第15回白鳥省吾賞最優秀賞「 澄んだ瞳」誕生秘話を以下のように話された。

  この度はこのような素晴らしい賞をいたただき本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。それと共にこの賞をいただいたのは、私というよりも、詩の中で書かせていただいた私のかつての教え子たちがいただいた賞だと思っております。

 作品に書きましたように、私は千葉県の養護学校に勤務し、筋ジストロフィー症の生徒たちを教えていました。医学は今、日進月歩で進んでおりますので、現在、筋ジストロフィー症と闘っている方たちの生活は30年も前とは違っているかもしれませんが、その頃のことを少し話させていただこうと思います。

 筋ジストロフィー症というのはご存知の方も多いと思いますが、筋肉が徐々に衰えていく病気です。脚力・腕力は言うまでもなく心肺機能など内蔵の筋肉も低下し若くして死を迎えるという治療法の確立していない難病です。

 その中でも指先の機能が最後まで保たれるということで、一緒に美術の時間に貼り絵・モザイク・水彩・油絵などを制作しました。

 知的に遅れのない子も多いので、自分の病気というものを子どもたちは理解しておりました。彼らは大学なんてもちろん高等部だって無事に卒業できるかどうかわからない。友達の具合が悪くなり個室に移り、そのまま会えなくなる。友達の死に直面することも数多くあります。彼らは、今勉強しても将来何の役にも立たないかもしれない。少なくとも、将来のために、学ぶのではないのです。ただ知りたい。ただ学びたいのです。彼らは毎日の授業を受け、病室に戻りちゃんと宿題をし、そしてまた車いすで学校にたどり着く。毎日毎日『今できることを精一杯する』のです。

 心に残る子の話しをさせてください。直接の担任ではありませんでしたが、大学進学希望のT君がいました。病院の生活はとても厳しく、訓練で明け暮れる日々でした。そして畳の6人部屋で、知的に遅れのある子と一緒の部屋で過ごしていました。消灯の9時まではひらがなを教えたりしてみんなの面倒を見てあげていました。消灯後に暗いスタンドで勉強する姿をよく見かけました。普通なら塾にでも通い一分一秒でも惜しんで受験勉強をしたいところでしょう。でもT君は残された体力や時間を人のために使い、決して怒らずいつも穏やかでした。心静かな穏やかな子たちが多かった記憶があります。きっと荒れたり苦しみぬいたりと、ものすごい葛藤があって長い年月をかけて辿り着いたのかもしれません。

 そして1年の浪人生活を経て千葉大学の数学科に入学しました。並々ならぬ努力の賜だったと思います。そして卒業の年、まだ肌寒い頃T君を見舞いました。随分衰弱し機械の管が体中についていました。そんな中でも彼は卒論を書いていました。彼は死ぬまでの時間を十分わかっていました。その後、卒業証書を手にして彼は亡くなりました。

 その時その時を生き抜いて連続した一生になっていると、決して将来のために今を生きているのではないと、彼は教えてくれました。人は生まれて死ぬ・・・誰でもがただそれだけの存在ですが、それを知り、知った上で、なおどのように生きてゆくかはひとりひとりに委ねられていると感じました。彼らに会えた事、彼らのひとことひとことを心に刻み生き続けていきたいと思っております。

 最後になりますが、昨年は重度の知的障害の我が子の言葉を書きまして優秀賞をいただきました。重ね重ね感謝申し上げます。子どもたちが私に向かって放った言葉で詩を綴った次第です。いつしかしっかりとした自分の言葉を見つけ出したいと思っております。


 プロフィール

・草野理恵子(くさのりえこ)神奈川県横浜市在住 主婦

  受賞暦

・第8回さいたま文芸家協会賞 さいたま市長賞(2009年)

・第9回さいたま文芸家協会賞 さいたま市教育長賞(2010年)

・第46回詩人会議新人賞 詩部門 佳作(2011年)

・第47回岐阜市文藝祭 現代詩部門 佳作(2011年)

・阪神淡路大震災17回竹下景子詩の朗読と音楽の夕べ シスメックス賞(2012年)

・第7回文芸思潮 現代詩賞 優秀賞(2012年)

・第17回愛の手紙コンクール 準優勝(2012年)

・「詩と詩想」1・2月号読者投稿作品最優秀賞(2013年)

・第8回文芸思潮 現代詩賞 奨励賞(2013年)

・第14回「白鳥省吾賞」優秀賞(2013年)

・第43回神奈川新聞文芸コンクール現代詩部門最優秀賞(2013年)

・第1回かなざわ現代詩コンクール 最優秀賞(2013)

・第15回「白鳥省吾賞」最優秀賞(2014年)

等々

 * 写真は表彰式の様子 

以下に最優秀賞受賞作「澄んだ瞳」を紹介する


 澄んだ瞳       

 

 はるか以前の事だ

 まだ私は若かったし何も知らなかった

 新任の教師として赴任した先は

 病院を併設した養護学校だった

 君のクラスの子だよと病院に通された

 奥まったベッドの部屋には

 体を動かすことのできない

 3人の高校生が居た

 枝のように細く小さな手足と

 ぎこちなく動く口と黒い大きな瞳があった

 

 筋ジストロフィー症の君たちと

 美術の授業をした

 ひとつの作品にほぼ1年をかけた

   筆を持たせてください・・・この色をつけてく

   ださい・・・ここを消してください・・・ありがと

   うございます・・・ せんせい せんせい

 この世はなんて不条理かと知った

 そしてしばらくして私の生徒はすべて死んだ

 

   いいんだ・・・  と言っていた

   明日死ぬとしても

   僕はこの宿題をしてから死ぬ と・・・

 どんなに多くの苦しみや憎しみ嫉妬の果てに

 たどり着いた珠翠の言葉だろう

 彼らの瞳は澄みきっていた

 

 人間の価値を考えさせられた

 もし功績やお金を稼ぐことだったとしたら

 彼らは何も残していない

 こうやって一瞬一瞬を生き抜くことだろうか

 たがそれも違うかも知れない

   価値なんて 人間が人間に

   下せるものではないよ 先生・・・ と

 黒い瞳の君がかつてつぶやいていた

 はるか以前放たれた言葉を見つめながら

 私は 今も 生きている

 

 表彰式の様子はここをクリックしてください。


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