「お日様の歌」(おひいさんのうた)誕生記  (第4回白鳥省吾賞受賞者「根木 実」氏の紹介)


 

 根木実氏(78歳)は言う「方言は地方文化を伝える、由緒有る、日本の正しい美しい言葉である。だから方言詩に 深い想いがある」と。

 この詩の背景は妻の里に遊びに行った時の風景を、村の生活の様子を描写したものだという。その妻も今はアルツハイマー症に罹って施設を転々としている。・・・妻に捧げたうたである 。

 氏は今から14、5年前還暦を過ぎてから詩を作り始めたという。その詩は全国的な投稿雑誌『抒情文芸』(昭和40年頃は月刊誌、その後廃刊。現在季刊雑誌として復活。川瀬理香子編集、小山内 剛主催、「抒情文芸刊行会」発行。)に発表された。詩と同時に短歌も発表されたという。詩・清水哲男選、短歌・河野裕子選で、 1年前 、抒情文芸最優秀賞短歌賞を受賞した。「この時妻は軽度のアルツハイマー症に罹っていたが、喜んでくれた・・・・・。」

 短歌を書き始めた動機を伺ってみると、「豊橋出張所の折り、時間調整に、たまたま立ち寄った古本屋で短歌の書籍を読んでいたら、そこの店主が短歌を作っていて、興味が有るなら作ってみろと言 われた。店主の話を色々伺って、その時初めて短歌をつくった。」その店主こそ有名な韓国歌人リカ・キヨシ氏であった。」

 詩は方言詩も時々は発表していたが、そのうちに選者の清水哲雄氏が面白がってくれるようになった。氏は「失った日本の心を再認識させてくれた作品だ」と褒めてくれた。「・・・思い起こせば詩を初めて素晴らしいと思ったのは、19歳の時だった。 」

 当時、朝鮮の詩人金素雲の書いた「岩波文庫」『朝鮮民謡集』に載っていた「駅奴児」という詩を読んで「痺れてしまった」。その当時は仕事に追われ、そのままになっていたが還暦を過ぎて、昔の記憶が蘇り、方言詩を書くようになった。初めて作った詩は「林檎」という詩だったが、これが入選した。

 それ以来『抒情文芸』に詩と短歌を発表しつづけていらっしゃるという。

  「正直に申しますと、今回、白鳥省吾賞に応募した事すら忘れていました。アルツハイマー症に罹った妻の看病で、それどころではなかったのです。あるとき妻は高速道路のど真ん中を徘徊していたこともありました。それを引き取りに行って平謝りに謝ってきたこともありました。また、 入所した施設の看護婦さんの言う事を聞かないだけでなく、看護婦さんを引っ掻いたり、噛んだりするため、施設から、他の施設へ出るように言われ、施設を転々としていたからです。

 そんな状態の時、今の施設で白鳥省吾賞の受賞の知らせを受け取りました。妻にその旨を伝えると、・・・もう以前のような反応はありませんでした。妻の若い頃は小町娘と言われるほどの美しい女性でした。それが今は、自分の存在すら分からない、あばれる老人になってしまいました ・・・。

 今回、そんな妻の里の詩を書いて白鳥省吾賞、最優秀賞を頂いた事は、生涯忘れられない重い賞となりました・・・・・。」

 

 * 上写真は白鳥省吾賞表彰式にて受賞の喜びをお話しされている根木実氏肖像。


  根木実氏のプロフィール

 大正13年和歌山市生まれ、昭和19年に詩と出会う。/還暦を過ぎてから、本格的な創作活動に入る。「抒情文芸」32号に詩「林檎」入選。以後公募を除いて「抒情文芸」一筋に文学の道を志す。

 昭和60年初め頃「和歌山県文芸祭」に公募出展した3種類(詩・エッセイ・川柳)の作品が、それぞれの部門で入賞。/平成12年から「和歌山県文芸祭・現代詩部門」審査員を努める。/平成13年 10月短歌部門で「第2回抒情文芸最優秀賞」受賞。/平成15年2月「第4回白鳥省吾賞最優秀賞」受賞。/平成15年3月「産経新聞・プロミスエッセイ」入賞。

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 根木氏が若い頃読んだ詩集の著者、金素雲とは、本名を金ヘ煥という。彼は白鳥省吾の主宰した雑誌『地上楽園』に「朝鮮の農民歌謡」を昭和2年1月号〜4月号まで4回にわたり寄稿している。 『地上楽園』昭和2年1月号の「編輯後記」より紹介する。

<「朝鮮の農民歌謡」を紹介した金ヘ煥氏は釜山附近に生まれたが、現に半年ほど前から東京に来住している人で、非常な意気込みをもって執筆され1ヶ年以上も継続して出したいと言っている、本号のは序論とも言ふべきもので、やゝ主観を混へたことを弁明されていたが、次回からは純正なる報告的態度を取る由である、これ等の民謡を見てもいかに日鮮の感情の相似しているかに驚かるゝ位で、藝術は國境を越へると言っても吾々が泰西の詩をよむよりはよほど感じが近いのである。この興味ある民謡を読まば誰しも藝術からはいってゆく日鮮親愛の念を感ずるであらう。>

 つづいて『地上楽園』昭和2年2月号の「編輯後記」より紹介する。

<新年号は極めて好評であった。殊に金ヘ煥氏の「朝鮮の民謡歌謡」が遇ふ人毎の話題となった。朝鮮から発行されている『眞人』といふ短歌雑誌でも偶然にも新年号が「朝鮮民謡研究号」があって崔南善氏他十名の人が百餘頁に亘って執筆している。然し手前味噌を言ふのではないが、本誌の金氏ほど纏まったものはどれにも見られなかった。向うでも民謡蒐集の機運が動いているらしく總督府なども集めているとのことである。/後略/>

 金ヘ煥(素雲)氏は明治41年(1908)1月5日、釜山の絶影島に生まれている。筆名鉄甚平(てつじんぺい)。昭和2年(1927)19歳のときに省吾の主催する『地上楽園』に「朝鮮の農民歌謡」を連載したのをきっかけに、口伝民謡の採集、紹介に努める。翌、昭和3年、北原白秋を訪ねる。白秋に認められ、朝鮮の民謡、童謡、現代詩、歴史の紹介や韓日辞典の編修を行う。戦後は韓国籍に復して大韓民国銀冠文化勲章受章。

 昭和4年(1929)21歳のときに日本語訳『朝鮮民謡集』(昭和4年7月・泰文館発行)を刊行している。 根木氏が読んだ詩はこの詩集におさめられていた。

 訃報 平成22年11月15日 神戸にて癌療養中に肺炎のため亡くなられました。 享年87歳でした。ご冥福をお祈りいたしております。

参考・引用資料

* 本文は根木実様からの御手紙、第4回「白鳥省吾賞」表彰式の記念パーテイ時の口述筆記を元に作成しました。

* 『地上楽園』白鳥省吾編集(昭和2年1月1日「大地舎」発行)

* 『地上楽園』白鳥省吾編集(昭和2年2月1日「大地舎」発行)

* 『新潮日本人名辞典』(1995年5月30日・新潮社発行)他

* 文責は「白鳥省吾を研究する会」事務局にあります。


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