「 葉桜の頃」 (第22回 白鳥省吾賞 最優秀賞受賞者 井上 尚美氏の紹介)
井上 尚美( いのうえなおみ)氏は第22回白鳥省吾賞最優秀賞「葉桜の頃」誕生秘話を以下のように寄せられた。
「第22回白鳥省吾賞」受賞のお知らせを戴いてから間もなく2ヶ月。賞状(賞金)と
副賞が届いてから2週間を迎えようとしています。受賞の喜びがじわじわと私を包み込んでおります。
新型コロナの影響で表彰式は中止になり、直接お祝いを受けることは出来ませんでしたが送られてきた
「受賞作品集」や「副賞」の数々に栗原市の方々や、この賞に携わった全ての方たちの温かさをかみしめております。
数年前から、現代詩の総合雑誌で「白鳥省吾賞」の応募要項を目にし、詩人「白鳥省吾」の名前に込められた清廉な
精神や生き方を想像し、写真に依る端正な顔立ちからもその思いは強くなっていきました。テーマが「自然」「人間愛」
と言うのも人間が生きていく上で最も大切なもの。それが大きな魅力でした。
長いこと書くことに関わってきましたが、まず「心在りき」の精神で書いてきました。
作品の中に書き手の心が見えなくてはいけない、かと言って心を強く読者に押しつけてしまってはいけない、そのような葛藤を繰り返しながら書き続けてきたように思います。
応募作品には「人間愛」を選びました。人間愛の最小単位の家族愛と命を見つめたものです。
私は21歳で母を胃がんで亡くしました。現在ではきっと助かる命だったと思うのですが、母の時は「癌イコール死」と言われた時代で、なんの手立ても見つけられず、死に向かっていく
母を見つめるだけの虚しさは、その後の私の人生に強く影響を与えました。そうした中で死にゆく人に精いっぱい寄り添うことの尊さを学びました。
寄り添いの精神は生活の中で役立つことが多く、作品を書く上でもそれは影響しました。戴いたご本『白鳥省吾の詩とその生涯』のまえがき冒頭で「その生活の行進曲として
自分自身の詩を持つべきである」と書かれています。暮らしと共に、人間と共にある詩でなければ、人の心を打たないのではないかという思いを強くしています。詩は人生の
応援歌だとも思っています。
この度の作品「葉桜の頃」は家族たちから私への寄り添いと応援がテーマになっていります。
栄えある「白鳥省吾賞」に選んでくださった審査の先生お三方の選評が大きな励ましになっております。心から感謝いたします。
そしてこの賞のためにご尽力くださった全ての方々にあつく御礼申し上げます。
★ プロフィール
静岡県島田市在住
★ 受賞歴
静岡県芸術祭(詩)芸術祭賞受賞
平成万葉・千人一首「奈良県」(詩)最優秀グランプリ受賞
★ 著書
1996年 詩集『深海魚』私家版/1993年 詩集『傾く』詩学社/2000年 詩集『骨干し』書肆青樹社
2013年 詩集『あひるの消えた道』土曜美術出版販売/2015年 詩集『深海魚』復刻版 樹海社
★ 活動
日本現代詩人会会員、静岡県詩人会会員、静岡県文学連盟所属
同人誌『穂』代表
以下に最優秀賞受賞作「 葉桜の頃」を紹介 します。編集の都合上、すべて横書きにしています
コロナ禍の為表彰式が中止となりました
全身を桜色に染めて数多の人を憩わせた桜花
今は花の時を終えてジョギングや散策する人
を葉桜の下に楽しませている
真みどりの風と生まれたての光が
私のところまでとどく
朝一番の手術に備えて私は今癌病棟にいる
手際よく準備を進めている看護師
その傍らで家族がそれぞれの面持ちでいる
手術着に着替えた私のパジャマを娘が丁寧に
畳んでいる
やがて麻酔薬が注入される点滴の滴るさまを
静かに見つめている夫と息子
無言の励ましを私は全身にあびている
今は 静寂な佇まいの体の一部分でしかない
今日喪失する乳房
心も体も充分に準備はできているよ
その時突如 緑の風が吹いて
震えるような至福の一瞬を蘇らせる
初めての授乳のとき
今の今まで私の身の内に聞いていた鼓動を
私の胸の上で聞く不思議な感動と戦き
誰に教えを乞うたわけでもないのに
小さな蕾のような唇がせりあがってきて
(其の可愛さとは裏腹に)
必死に乳房に食らいつく動物的な逞しさ
飲み干して眠りに入るときの花びらから漏れ
るいのちの香しさ その命
どんなに強い風雨からも守ってみせるよ
あの日
私は花をすでに脱ぎ捨てていたのだろう
いのちを繋ぐために花を葉に変えることは
とても神秘的で美しい約束ごとなのだ
午前八時半 さあ参りましょうか
ハイキングに誘うような看護師の明るい声
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