「南極の赤とんぼ」誕生記  (第1回白鳥省吾賞受賞作品「南極の赤とんぼ」・作者「麦田 穣」むぎたゆずる氏の紹介)


表彰式 平成12年2月27日(日)

 麦田氏(麦田穣・46歳)は言う、

</文明は腫れ物のごとく田園を蝕む/省吾の詩「田園の恐怖」の精神に触れたとき、気象関係の仕事に従事する一人として、私は受賞作品で展開した「極成層圏雲」を詠わなければならないと思った。南極だけに出現するこの雲の異様さを−。>mgita01.jpg (15765 バイト)

 麦田氏は徳島県海部町出身。高校時代から詩を作り始め、卒業後は剣山測候所の観測員などを務めながら詩作に取り組んできた。高松地方気象台高松空港出張所に勤務していた平成7年、直腸ガンと宣告され、手術を受けたところ、医師から「五年間の生存率50%」と告げられ、再発の恐怖と闘いながら創作活動に励んできた。受賞当時は徳島地方気象台予報官を努めて居られた。この春、関西空港地方気象台予報課にご栄転なられた。平成元年第2詩集「新しき地球」にて第二十回東海現代詩人賞受賞、平成7年直腸ガン手術の体験を元にした「龍」で第六回日本海文学大賞(詩部門)受賞、平成9年第3詩集「龍」がH氏賞候補等々活躍しておられる。

<2月27日、私は晴れやかな気持ちで、第一回白鳥省吾授賞者として、省吾の故郷である宮城県築館町の表彰式に出席しました。5年前のこの日と言うと、私は進行性直腸ガンの摘出手術後で、放射線治療を受けており、まだ病床にありました。主治医から手術後5年間の生存率5割であると伝えられていましたが、それでも何とか退院できました。

 退院後はとにかく作品を残そうという思いで一杯でありました。命と刺し違えてもと言う思いで、第3詩集「龍」を出版しました。この詩集はH氏賞のほか4賞の候補詩集となりましたが受賞には至りませんでした。この詩集出版で無理をしたためか、便器を真っ赤に染めるほどの出血があり、死への恐怖が私を襲ってきました。そして再発への、末期がんの痛みへの恐怖−。

 その後の詩はガンのテーマでしか作品が書けなくなっていました。そんな自分に嫌気がさし、詩を書くのを止めようとさえ思いました。しかしこれではいけないと思い、四国八十八箇所の霊場を巡ったり、高野山に登ったりして、生きることの意味、詩を書くことの意味を自問自答する日々でした。そして手術後のケアのない医療現状に頼らず、私しなりに「死や死後のことは考えても分からないことだから、そのことは神仏にゆだね、自分らしく生きてみよう」と言う結論が得られたのでした。

 そのとき、南極越冬隊帰りの同僚から見せてもらった極成層圏雲のビデオの、南極の夕焼け空に現れる茜雲がはっきりと脳裏に浮かんできたのです。この雲の雲粒は南極の零下80度以下でしか発生しない硝酸の結晶であり、光化学反応を起こし、オゾンホールを出現させる役割を担っているのです。丁度その頃に「白鳥省吾賞」の全国公募を「白鳥省吾を研究する会」のホームページで知り、これを詩に書き世に問いかけたいと思ったのです。第一回白鳥省吾賞には、/文明は腫れ物のごとく田園を蝕む/という省吾の詩精神から、まだ誰も書いていない、地球規模での環境問題の作品がふさわしいと思ったのです。その思いが届いたことがうれしい。これからも気象をテーマに自分にしか書けない詩を作っていきたいと思っています。>

 授賞式当日、麦田氏は幾分緊張した中にも優しい眼差しで椅子に腰掛けていた。受賞の挨拶で、突然自身のガンの闘病記と、詩を書く経緯を話し始めたときには、出席者一同驚きと共に胸に熱いものがこみ上げてきた。受賞記念パーテイでのお話によると、当日早速薬師山の白鳥省吾の民謡碑を訪れて、写真を撮ってきたとのことであった。それが徳島新聞に掲載されたものと思われる。「この授賞式がガンとの決別」と話されていたのは、まことに心強い思いがした。特に、当ホームページ゙を徳島新聞にて「パソコン文学館の設立」と題して、紙面を割いていただいたことに、この場を借りて御礼申し上げる次第である。短い逢瀬であったが、氏の悟りの境地は私どもに多大な影響を与えてくれた。これからも「風の日には風に向かいて」という心持ちで頑張っていただきたい。新天地でのご活躍をお祈りいたしております。

 麦田氏はこの後も数々の詩の賞を受賞している旨、連絡がありましたことを書き加えておきます。

 参考・引用資料

 * 写真は当ホームページを紹介して頂いた「徳島新聞」平成12年3月14日夕刊部分。

 *本文は「徳島新聞」、「讀賣新聞」・「北陸中日新聞」・麦田穣氏口述筆記、麦田穣詩集「新しき地球」(1989.8.15・沖積社発行)、「龍」(1996.10.15・土曜美術社出版販売) を元に作成しました。

*文責は「白鳥省吾を研究する会」事務局にあります。


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 麦田氏の詩集を読ませていただいた。面白い・単なる詩集ではない・一編の小説である。川端康成の「掌の小説」を連想させる、奥深いものを感じた。「新しき地球」は氏の若い頃に出版された第2詩集である。「唸る風 頬肉震わせ我も吼える 風の日には風に向かいて」この姿勢はガンと闘う以前からの、気象予報官としてのものであったのを初めて知った。氏は台風の去来する室戸岬にて、「虚空蔵求聞持法」の術を弘法太子・空海から会得したのかも知れない。第3詩集「龍」は麦田氏の気象予報官としての目から見たガンとの闘いの記録でもある。「龍を飼う詩人の肖像」は鈴木漠氏が解説に書いた辞であるが、まことに麦田氏を的確に紹介している。また、麦田氏は気象予報官の立場から、宮沢賢治の「風の又三郎」の詩を賢治が17歳の誕生日に実体験したことを元に書いたと、資料を基に看破した。これは後に、テレビの30分科学番組となり、フジテレビ等で放送されている。

 僕は 今/ささやかな自分の死について考えている/死にむかう一直線の道/癌という告知をうけた この冬/僕の中であれ狂う一匹の龍を

 

 これは詩「龍」の抜粋であるが、麦田氏の詩集から死のにおいがしないのは氏が詩を愛しているからではないか。私どもは久々に本物の詩人に出会えた喜びに浸っている。

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 * 上写真は麦田穣詩集「龍」(1996.10.15・土曜美術社出版販売)

 * 文責は「白鳥省吾を研究する会」事務局にあります。

  * 写真は白鳥省吾賞授賞式時の麦田氏と筆者との記念撮影。

 

 

 

 忌  平成15年6月28日麦田氏は天に召されました。謹んで ご冥福をお祈り致します。


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