「 残 照  (第23回 白鳥省吾賞 最優秀賞受賞者 為平 澪  氏の紹介)


 夕焼け空の下で(白鳥省吾賞誕生秘話)為平 澪(ためひら みお)

白鳥省吾賞を受賞させていただきありがとうございます。受賞詩がどのような経緯で作られたかというお問い合わせがありましたので、当時の事柄や気持ちを回想して書かせていただきます。

私と母は喧嘩をしない日はないというくらいお互いの主張を通すところがあり、歳月が過ぎた今でもそれは変わることはなく、母娘で女同士、何でも言えるという安直さも手伝ってか、物事を拗らせてしまうことが多かったように思います。お互いの良いところよりも悪いところが目につき、母は私を諫めようとし、私は私で従うことを良しとしませんでした。

もともと母は私に対して厳しく、何か大きなことを成し遂げまわりの人々がほめてくれても、母から言われるのは「ほめればお前は有頂天になって成長できない」など、母から認めてもらったことはありませんでした。私はいつまでたっても自立できない情けない娘、でいることが親≠ナあるという彼女の自尊心と立ち位置を守っていたのかもしれません。

 母の身辺に置かれるものが化粧品や洋服から縁遠くなり、何時しかたくさんの使い捨てティッシュや、袋に入れたまま賞味期限切れの佃煮、乾燥しすぎた漬物に変わっていくにつれ、老いは確実に目に見えてやってきたのがわかりました。

 その頃だったでしょうか。私は結婚が決まり、実家にやすやすとは帰って来られない遠方で暮らすことになりました。母に一緒に暮らすことも勧めましたが、母は首を縦に振ることはありませんでした。

実家の縁側から夕陽を眺めていると、母の足が達者な時に田舎のあぜ道を哲学の道≠ニ称して、あたりの風景を見ながら同じ歩幅で歩いていたことを思い出します。二人が気分のいい時、日課として十二年以上もお互いがお互いの手を引いて歩いてきた時間 ── 。

 陽がまだ高い時間に歩き始めたのに、年を追うごとに夕陽が山並に隠れた後にしか家に辿り着けなくなった二人。歩き疲れて薄暗くなった橋の上で、母が私にしんみり言った言葉を思い出します。

 「鹿は死んで皮残す。人は死んで名を遺す。私はお前に残してやれるもんなんか何にもなかったなあ…」

母がなぜ唐突にそんなことを言い出したのかわかりませんでした。私はとっさに、

「お母ちゃんが忘れてしもうても、私がお母ちゃんの事覚えとくから大丈夫や」

と、答えにもならないことを、ひょこんと言ったと思います。母は少し遅れて後ろで泣いていました。母の嗚咽が聞こえて私も前を歩きながら涙がこぼれてきました。お互いが分かり合えた長い一瞬だったように思います。

 母は記憶をたがえて言葉も忘れていくでしょう。だから私が覚えていたいのです。母の存在、母の言葉、母が日々の暮らしの中で泣いてきたことも知っています。それなのに離れれば離れるほど母が良い人になって、傷つけたことばかりが浮かび上がる。いつも大切なことはあとからやってくる。

 山々に陽が隠れてしまったあとになって、太陽の温かさを思い出すように。

 白鳥省吾という詩人の名に恥じないよう、これからも書き続けていけたらと思います。白鳥省吾にまつわる詩集や資料をはじめ、副賞としての栗原市の特産物、ありがたく頂戴し、おいしくいただきました。

 最後に白鳥省吾賞に関わられた皆様、選考委員の方々に厚くお礼を申し上げます。

  

★プロフィール 京都府八幡市在住

★受賞歴 第22回詩と思想新人賞

★著書 2012年 詩集『割れたトマト』土曜美術社出版販売

    2016年 詩集『盲目』土曜美術社出版販売

    2020年 詩集『生きた亡者』モノクローム・プロジェクト

★活動 日本現代詩人会会員 『ファントム』同人

  

  コロナ禍の為表彰はwebと新聞発表となりました。 編集の都合上、すべて横書きにしています


【最優秀賞】 「 残照」 為平 澪

 

西日に焦げて変色した畳の上で

丸く固まって洗濯物をたたんでいる母の、 曲がってしまったままの太い指だけが

小さく浮かんで 脳裏に灯る

 

心配事が詰め込まれていったポケットの中に

鼻紙や錆びた釦や湿ったマッチ箱があって

卵焼きの匂いのするようなエプロンは母の、 どこにしまわれていったのか

 

 ーーー人暮らしをしてみたい。 実家の両親を見送って、嫁いだ先の父母と

 夫を看取った頃には体中を罅だらけにして、

  曲がらない所が曲がり、曲がる所は伸びっ

 ぱなしにになった老女が最後に訴えた願い。

 時刻表の数字も読めない目で

 横断歩道を青の間に渡り通せない足で

 鞄も持てない手で

 母はひとり、どこへ行こうとするのか

 

  (子守唄が聞こえてくるのは、

  (いつも進行方向ではない背後

 

私の手を握って病院を探し回った柔かい手を

振り払って私が母を置いて出ていった

 

振り返れば西の丘陵に大きな夕陽が傾くが

母娘が並んで映るのは光が沈んだ後なのか

 

ライトがポツポツ点る街で私は一人になり、

 灯の冷め切った山の町で母は独り老いていく

 

底冷えするそれぞれの位置で

互いの姿が見えてくるのは

いつも光を失ってからだ、と

おわりとはじまりの境界線が

残照に照らされ、やがて沈んで消えていく

 


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