「セルジャント・ナムーラ」誕生記  (第11回 白鳥省吾賞 受賞者「川野 圭子」さんの紹介)


  平成22年2月21日(日)

川野圭子さん( 67歳・呉市)は「第11回 白鳥省吾賞 表彰式」にて以下のように話された。

 <私は広島県呉市に住んでいますが、 月1回1週間の予定で山口県周防大島へ通い、舅が残した柑橘類を無農薬栽培しております。 1月は収穫、2月は販売と出荷で、今は忙しいさなかです。本日は中休みの休暇をいただいたようなもので、南から北へと風景の変化を楽しみながら、ゆっくりと骨休めの旅をさせていただきました。

 私の両親はこの島の出身で、叔父や叔母が今でも健在です。セルジャント・ナムーラ (軍曹奈村)は父の弟で、90歳で健在です。

 ここ数年来、NHKで「兵士達の証言」「核実験の記録」といった番組が放映されています。 私はそういった戦争の記録を殆ど見逃さないようにしているのですが、その中にシベリヤ抑留の悲惨な話もありました。

 3年くらい前のことでした。シベリア抑留とは聞いていたけれど、復員後戦争のことは何一つ話さなかった叔父に、「叔父さん、よう生きて帰れたね」と話かけたところ、戦後60年以上も経ってやっと話せるようになったのでしょうか、

「わしはカザフスタンに5年おったんよ。ロシア語がちっと出来たけえ、連絡係というか、取り纏めというか、セルジャント・ナムーラ 軍曹奈村と呼ばれとったんよ。一日にウラン鉱 試掘の縦穴三本掘るのがノルマじゃった。軍の機密じゃけえあんまり言うてはいけんのじゃが」と言って、窓の外を窺がい、声を潜めたのです。その時は叔父の様子と言葉の意味がよく判りませんでした。

 後に聞くところによると、シベリヤ抑留から帰った人は、日本の公安警察に監視され、ソ連の監視員に見張られ、それはそれは大変だったのだと。叔父は私の父にさえ、カザフスタンにいたことは言いませんでした。「弟はなんにも言わんけえ、どこにいたんやら、何をしよったんやら何もわからん」とこぼしていたほどです。子供を持てなかったのも、今思えば、ウラン鉱の試掘をしていたせい かもしれません。

 ある日のエコツアー番組で、カザフスタンの原野に咲き乱れるチュウリップや、あやめの原種を保護している様子を、日本の女性レポーターが伝えているのを見ました。画面いっぱいに真っ赤なチューリップ・グレイギーが咲いているのを見ていたとき、「叔父さんはあの花を5回も見たんだ。どんな気持ちで見たんだろう。どんなにか日本へ帰りたかっただろうなあ」と思っ た時、叔父の話しが現実となって実感できたのでした。

 戦後生まれが多くなった今、戦争の本当の恐ろしさを伝えたくてこの詩を書きました。戦争の悲劇は一個人の一過性のものではありません。90歳の叔父は、戦争の縛りに未だにおびえています。そのおびえは、ますます強くなっているのではないかとさえ思えます。人の一生を支配し、縛り、不幸にする戦争。それは、その人の回りの家族、一族、次の世代にまで及びます。何の良いこともない戦争を決して起こしてはならない。それを強く訴えます。>

* 写真は白鳥省吾賞表彰式にて。


 以下に最優秀賞作品を紹介する。

 

     セルジャント・ナムーラ

   カザフスタンにはチューリップの原種グレイ

   ギーが自生し雪山の裾野に春を告げている。

   満州からの復員列車が突然逆送し 叔父は

   この地に抑留された。この鮮やかな花を目に

   五たびも春を数えたのだ。

   

   叔父は報国教育の教壇から出征したのだった。

   戦争のことは話さない。カザフスタン抑留とは   

   復員後六十年近く身内も知らなかった。

   わしはセルジャント・ナムーラと呼ばれとっ

   たんよ。一日にウラン鉱の試掘三本がノルマ

   じゃった。軍の機密じゃけえあんまり言うては

   いけんのじゃが とだけ言い外を窺った。

   (当時ソ連は米国に遅れまいと原爆開発に躍起

   だった。その地セミパラチンスクで核実験が

   始まり被爆した住民の反対運動で中止される

   一九九一年まで四五十回も繰り返された)

    復員後の結婚は戦死した兄の妻と重縁。家

    のため教員復帰も諦め妻は原因不明の死産

    流産を繰り返し遂に子はない。家業を閉じ

    た店に俳句や水彩画を飾って教室のようだ。

 

   縛られ引き裂かれ翻弄され

   沈められた魂は安らがない

   痛む記憶と脚を小刻みに擦り歩きの

   終わらない戦争を歩き続ける脚

   自分のために歩けなかった脚

   教壇に立ちたかった脚

 

    日本はカザフスタンとウラン採掘条約を結

    んだとは昨今のニュース。六十年前抑留兵が

    建てた公会堂の前は祝賀気分だった。

 

   襤褸のような影がみえる

   息子や父叔父たちの足音が聞こえる。

   カザフスタンを風が渡り チューリップ・グ

   レイギーが置き忘れられたように咲いている。

   若い日本のレポート嬢は明るく振り向いた。

 

* 詩はホームページの都合上縦書きのものを横書きにしております。


川野圭子プロフィール

「黄薔薇」「ラ・メール」「AUBE」「イリプス」「きょうは詩人」を経て「Griffon」「孔雀船」同人。

「日本現代詩人会」「日本詩人クラブ」「中四国詩人会」「シャレイユ」「日本文藝家協会」 各会員

受賞歴

2000年 (平成12年)第3回「太田玉茗賞受賞」「森甲羅坂」(詩集「かいつぶりの家」収録)

2004年 (平成16年)第34回「新日本文学賞」佳作受賞 「語学教室」(詩集「かいつぶりの家」収録)

2006年 (平成18年)第6回「中四国詩人賞受賞」 第4詩集「かいつぶりの家」

2007年 (平成19年)第18回「日本海文学大賞」詩部門佳作受賞 「顔替え屋」(Griffon19号掲載)

2010年 (平成22年)第11回 「白鳥省吾賞」 最優秀賞受賞 「セルジャント・ナムーラ」 

 詩集 『青いカヌー』     『こっそりサンバ』        『テストの時間』     『かいつぶりの家』

 等々幅広く活躍されている。

 


* 写真は審査委員の今入惇氏と談笑する川野圭子さん

* 本文は川野圭子さんからのEメール「第11回白鳥省吾賞表彰式」時の挨拶文を元に作成しました。

* 本人の申し出により、本文中の敬称は省略してあります。

* 文責は「白鳥省吾を研究する会」事務局にあります。

* 表彰式の様子はここをクリックしてください。 

 

 


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