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#3 「やはりいつになってもいい音楽は尽きない」 この頃のハマリはミニマル・プリミティブ・スペーシー・トライブだ。 モンゴルの口琴ヘルホールはテクノは昔からあったと教えてくれるし、バリのガムランの一種でジェゴックという音楽も、
タンザニアの親指ピアノのフクゥエ・ザゥオーセのサイコーの音楽も今のトランスもんよりもトランシーだ。 最近の新型と呼ばれてるような音響系・テクノ・トランス・アンビエントなんかは結局、 音楽のプリミティブな形へと向かってるような気がするし、またボク自身もまたそうだし面白い。 あと、SEでも流しているノンサッチレーベルからの\1200シリーズのフィールドレコーディング(現地録音)CD、トリニダードのスティールドラムや『オセアニア南大西洋の音楽』、『ショナ族のムビラ3』も美しい。 それと説明しづらい音楽をやる大阪のバンド、ボアダムスとサイコババもステキだ。 ちょっと前に、ブラジルの天才”Mr.BOSSA”ジョアン・ジルベルトの最初のアルバム3枚をまとめたアルバムがフランスからリリースされて、前回書き損ねてたけどコレサイコー。限定リリースでもう廃盤。 ダン・ヒックス和みの古きよきスイング・ミュージック『Beatin'
The Heat』もイキであったし、ブラジルのポップメイカーのジョルジ・ベンのベスト『プーロ・スインギ』もいい曲集、すばらしい。 3年ぐらい前のトータスの『TNT』は懐かしさと新しさの両方のなんとも言えない心地はとってもよかった。 これら現代的な音楽も世界中のあらゆる場所に太古より存在するプリミティブな音楽と基本的にひとつの宇宙を共有している。 様々なカタチを内包する宇宙はそれら総てをも飲み込むひとつの宇宙であり総ては永遠がカタチをとったひとつなんだろう。 ついノッて長い文になってしまった。ここまで読んでくれてサンキュー。 |
2001.7.9/Kazuo Nara