#9 「ヒートウェイヴ '01/03/15/ Live at 仙台」

、、、大丈夫やん。
ヒートウェイヴ、ツアー”機巧襲撃”の仙台ライヴを観ながら思ったこと。
良くも悪くもまだまだ発展中のバンドだった。決して行き止まりではなかった。
コラム「ヒートウェイヴとの出会い」を読み返すと内容が少々悲観的だが 今はもう、なに心配してんの?、と数日前の自分を笑い飛ばしてやりたい気分だ。
彼らの活動停止に対し本当に何の心配も無いし、悲しいとも惜しいとも思わない。
それは実際にライヴを目で全身で感じて、必ずまた3人でラケンロールを響かせる日が 来ることを確信したから。

ライヴ中MCはほぼ皆無。むろん活動停止については一言も無かった。
初めて行ったので普段MCはどうなのかはわからないが、
「活動停止を悲観するんじゃなくて、3人の産みだす音楽を聴いてその先を見てくれ」とVo.山口洋に言われている気が俺はした。

ライヴの内容について。良かった。身体がそう言っている。
音楽は、それも特に彼らのは、理屈で判断するもんじゃない。
悪いが俺は理屈で音楽を聴くような奴とは、心からは友達になれない。

ライヴで産み出された音楽でも特にラストに産まれた「満月の夕」が言葉で言い表せない程よかった。ライヴ後は本当に言葉を失ってしまった。この気持ちを下手な言葉では表現できなかったからだ。
そしてまた、つま先から頭のつむじ、、、いや天辺まで、全身の隅からすみまで満たされていた。

俺を今まで支えてきてくれた全ての人、特に両親や祖父母、俺が子どもの頃から好きな女性(いまだに。そして永遠に。)に、聴かせたいと思った、本当に。
この場に(遠くは)天国からでも連れて来て一緒にこの時・空間を過ごしたい。本気でそう想った。
天国にいる彼に聴かせられないことが悔しくて、その夜は少し涙ぐんでしまった。そして、これを書いている今も。

ヒートウェイヴ、彼らにサヨナラを言う必要はない。またすぐ戻ってくるのだから。
彼らを想い出として語る必要も無い。今も常に転がり続けているのだから。

バラバラになった花瓶は決してもう元には戻らないが、彼らはパズルのピースだ。
今は少しの間、ひとつの絵を形成せず、ピースとしての美しさを(また、醜さも)強く輝かせるための時期だ。
そして今度、彼らがひとつの絵を形成させる時には、今とは全く違った輝きを放つことだろう。
その絵はあまりにも醜く、そしてあまりにも美しい、世界中のどんな絵よりも素晴らしい絵に違いない。

ポーグマホーン!(英意=Kiss your ass.)


2001.3.25 Toyo/Iemasa Noda@管理人