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#8 「ヒートウェイヴとの出会い」 ヒートウェイヴ(以下HWと略す)の存在を知ったのは1993年、BOOMも参加していた喜納昌吉&チャンプルーズのアルバム「RAINBOW MOVEMENT」の参加ミュージシャンのクレジットでだった。そのときは、そういうバンドがいるんだ、としか思わなかった。 94年、BOOMのファンクラブに入り、会報などからBOOMと交流のあるバンドだと知った。「銀の花」という名曲があることも。 その後、数ヶ月ほど放置されていた「NO
FEAR」ある夜ちょっとした気まぐれから聴いてみた。すると、今までなんで聴かなかったんだ、と自問自答するほど唄が心に響いてきた。 しかしこのよく中学生に発病者の多い(?)、ロックっていいなあ症候群はその後96,97年とイエローモンキーへと急速に症状を現し始めていた。もちろんHWを忘れたわけではない。近辺のCD屋にHWのCDがなかったためだ。とはいえ、注文してまで買う気もなかったのだが、、、。 98年、偶然HWのオフィシャルサイトを見つける。その際に98年作「月に吠える」の発売も知ったはずだ。が、CDを買っていないのは、、、なんでだろう。おそらく次作制作中の情報を見てそれを待ってたのかもしれない。 そして超名盤「日々なる直感」これは本当に何度も何度も繰り返し聴いた。起きている時はもちろん、眠るときも睡眠学習のようにかけたままだった。99年に購入した全てのアルバム(BOOM、aiko、ナラ、ソウルフラワーもろもろ)のなかで一番聴いたのがこのアルバムだった。 話しは飛ぶが、自分には生きている間にどうしてもLIVEを観ておきたいミュージシャンというのがあって、2000年にそのリストにあった清志郎や友部正人は観てしまい、残りはHWとソウルフラワーの2組になっている。 ヒートウェイヴがこのど(暴言含むため中略)な時代にあったことを決して忘れないし、死んでも忘れたくはない。もちろん自分ひとりが忘れても、彼らのうたは多くの人の胸で生き続けていくことだけは間違いない。
とにかく今はヒートウェイヴのラストツアー ”機巧襲撃”でヒートウェイヴの唄を姿を精神をこの眼にココロに焼き付けてこようと思う。 |
2001.3.10 Toyo/Iemasa Noda@管理人