唐代(618〜907年)に「茶経」という茶の集大成本を著し、「茶聖」と呼ばれた陸羽は、茶の起源を神農という人物に求めている。紀元前3000年前後のことで、各種の植物を試食しているうち茶の効用を発見したとか、飲みがけの湯に茶葉が舞い落ちてきて茶になったとも言うが、いずれにしろ、これは伝説上の話です。 茶が日常の飲料として飲まれるようになったのはいつか。これにも諸説があるが、紀元前59年に著された「僮約(どうやく)」という書物にある茶に関する記述を、最も早く、もっとも信頼できるものと見る人が多い。実際には、書物に現れるずっと前から、少しづつ人々の生活に根づいていたであろうことは想像できます。中国史の奥深さを考えると、先の伝説もあながち頭から否定することはできないでしょう。 さて紀元前後には記録があるとってもいわば貴重品だったお茶が、南北朝(420〜589年)のころにはしだいに需要が増え、飲まれる地域も広がり、一般化してくる。唐代には中国各地に茶店が開かれて茶は全国民の主要な消費品となり、生産地も今日とほぼ同様の顔ぶれになった。この時代には、前述の「茶経」をはじめ、茶に関する研究書や詩歌が続々出ている。茶の専売制度の基礎が築かれたのもこのころであり、茶は単なる嗜好品ではなく社会的な存在に変わっていった。明代(1368〜1644年)に、皇帝令により団茶(固めた茶)の製造が禁じられ現代風の散茶が奨励されたことも、その変化の現れといえる。また、清代(1644〜1912年)にはボストン茶会事件やアヘン戦争の引き金となり、中国のみならず世界的な規模で社会に影響をもたらすようになったのです。 |