ヨーロッパの陶磁器物語2
ヨーロッパ名窯の誕生とボーンチャイナの独創
 硬質磁器の誕生の製法は、マイセン創設からわずか10年でウィーンに伝わり、アウガルテンの前身、ウィーンン窯が誕生した。
さらにザクセンとプロシアの7年戦争の混乱で陶工が連れ去ら、創設されたのがKPM(王立ベルリン窯)。
1735年にはイタリアフィレンッエでカルロ・ジノリ侯爵がリチャードジノリを開設。
1756年、フランスに大立セーブル製陶所、1775年にはデンマークにロイヤルコペンハーゲンが誕生するなど、18世紀は各地で磁器窯の開窯ラッシュの様相を呈した。
 こうしたヨーロッパ大陸の劇的な変化に立ち遅れたのがイギリスであった。大陸と海を隔てた地理的条件に加え、カオリン鉱がなかなか発見されなかったこともあり、イギリスの陶工たちは磁土、陶石の不足を補うために、さまざまな工夫を凝らしていました。
 そのひとつが動物の骨灰を原料に混ぜたボーンチヤイナであります。
この技法はすでに18世紀半ばに発明されていましたが、当時の製品は粗悪なもの。これを改良し、品質を高めたのがスポード(1770年創業)だったのです。
ボーンチャイナの製品化でイギリス陶磁史に輝かしい足跡を記したのは、ジョサイア・スポード2世であります。
温かみのある色合い、独特の硬さを持つボーンチャイナは、今ではイギリス製テーブルウエアの代名詞となっています。
「軟質磁器」と呼ばれるが、実際の強度は硬質磁器の約2.5倍といわれています。
一方でウエッジウッドもまた、新しい焼き物を作り出していました。1759年、ウエッジウッド創始者で後に「イギリス陶工の父」と称されるジョサイア・ウエッジウッドが硬質陶器・クリームウエアを発表すると、時の国王ジョージ4世妃シャーリットから「クイーズウエア」と命名することを許されています。1774年にはウエッジウッドの名を不動のものにした新しい石器、ジャスパーウエアが誕生。
ボーンチャイナの研究も進められ、動物の骨を50l以上含むファインボーンチャイナを開発したのです。
スタートこそ遅れをとったものの、18世紀後半から19世紀初頭のイギリスは開窯、合併、吸収が相次ぎ、活況を呈し、18世紀半ばに大英帝国が確立され、産業革命が始まると富裕な市民階級が生まれたため、磁器のような高級食器の需要が高まって、大きな後押しとなりました。
 ヨーロッパ大陸に誕生した磁器窯の多くはマイセンから製法が伝えられ、大室や君主の庇護のもとに設立されています。
そのため、宮廷文化に即した華やかなデザインが求められてることが多く、その点イギリスでは実業化がビジネスとして興した窯が多く、優れた作品に対して大室が御用達などの名誉、お墨付きを与える形で支援し、窯業が発達してきました。
それは、庶民階級が台頭する時代に沿って生みだされた、デザインの幅広さにも窺うことができます。

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