栄西が中国から持ち帰った茶の種子を植えたという佐賀県東脊振村。
栄西から茶の種子を贈られた明恵上人(栂尾山高山寺石水院)

日本茶が飲まれるようになったのは平安時代
 日本でお茶が飲まれるようになったのは平安時代といわれています。 この頃、宮中に茶園がありましたが大変な貴重品で、もっぱら薬として貴族や僧侶が使っていました。
お茶が飲みものとして普及したのは鎌倉時代。栄西という僧侶が「喫茶養生記」という本を書いて宣伝し、しかも将軍源実朝の二日酔いを抹茶で治したという話がブームの火付け役になりました。

 臨採宗を広めるために奔走する栄西の足元にはいつも茶があったという。その栄西が二日酔いに悩む将軍 源 実朝(みなもとの さねとも)に対して、一杯のお茶とともに「茶の徳を誉める所の書」をさし出した。これこそ我が国最初の茶専門書「喫茶養生記」です。

室町時代には茶会が
 室町時代になると茶会が催されるようになり、織田信長や豊臣秀吉が千利休の手点で豪華な茶会を行ったのは、皆さんご存知ですね。やがて大名たちの日常生活に茶の湯は、なくてはならないものになりました。
茶のない生活は非常識なこと、無軌道なこととされ、無茶、無茶苦茶、日常茶飯事という言葉が生まれたのです。

秋に花をつけます

八十八夜とは
 さてその日本茶の製造ですが、立春から数えて八十八日め、いわゆる八十八夜に積んだお茶が一番いいとされまた唄にも歌われています。
葉を摘み取ってから少し寝かせ、それから蒸しに入り茶葉を揉んで火にかけられ、ある程度の香気をつけ仕上げられます。

お茶はもともと中国生まれ
 茶の木の原産は中国南部またはインドのアッサム地方といわれています。「お茶を飲むこと」の起源が中国であることは間違いありませんが、いつであるかは明らかにされてはいません。古くから中国には毒を消すために茶を用いたという伝説がありますが、近世になるまでの長い間、茶が高貴な薬物とされていたのは中国のみならず世界の各地でも同様であったようです。例えばあるイギリス人の1660年9月28日の日記には「今日はじめて茶を喫す、妻は風および下痢の良薬と聞きたる茶なる飲料を煎出せり」と書かれています。

お茶はもともと上流階級の社交の道具

 わが国では仏教の伝来とともに中国から茶の栽培と製造法や喫茶法が伝わりましたが、茶は禅僧が眠気を除くため、また上流貴族社会の社交の道具として用いられただけで、一般大衆の物とはならないまま随分長い期間を経て、北条・足利時代に漸く「茶の湯」となって発達し、豊臣時代に有名な千利休らによって「茶の湯」の形式が完成されるにしたがって武士から一般庶民の間に次第に茶は行き渡りました。このように茶は千年以上もの長い間にわたって日本人の生活・文化に大きな影響を与えましたが、茶が産業として発展するようになったのは、安政6年(1859年)に横浜が開港されて、その年に180トンが輸出されたことに始まるといってよいでしょう。そして、明治時代には茶が生糸とともにわが国貿易品の花形であり、茶が日本の全輸出額の20%〜30%を占めた時代がありました。

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