智恵子の生涯

智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。 阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ。・・・・・・・・ほんとうのはなしである。


   あどけない話          高村 光太郎

智恵子は東京に空が無いといふ、
  ほんとの空が見たいといふ。
   私は驚いて空を見る。
     桜若葉の間に在るのは、
       切っても切れない
         むかしなじみのきれいな空だ。
            どんよりけむる地平のぼかしは
              うすもも色の朝のしめりだ。

 智恵子は遠くを見ながら言ふ。
    阿多多羅山の山の上に
       毎日出てゐる青い空が
           智恵子のほんとの空だといふ。
               あどけない空の話である。 


 高村 智恵子 (旧姓:長沼)    

   明治19年(1886年)  福島県安達郡油井村(現安達町)に生まれる。

                    日本女子大学校に進み、油絵に引かれ、洋画家をめざす。

   明治44年 [26歳]   女性の解放を主張する女性だけの雑誌「青鞜」が創刊されその表紙絵を描く。

    同年             新進の作家であった高村光太郎[29歳]と出合う。             愛の詩へ

   大正3年(1914年)   東京駒込のアトリエで光太郎と共同生活を開始。

                    貧しいながらも充実した二人の創作活動が続く。              愛の詩へ            

   大正7年  [33歳]   父今朝吉が没する。智恵子自身も病気がちで、年に3.4ヶ月は郷里で過ごす。

   昭和4年  [44歳]   実家である長沼家が破産。

   昭和6年  [46歳]   精神分裂症の最初の徴候がでる。                        愛の詩へ

   昭和7年  [47歳]   自殺を計るも未遂に終わる。

   昭和8年  [48歳]   光太郎と正式に入籍。

   昭和10年 [50歳]   南品川のゼームス坂病院に入院。                  

                     病室で紙絵を制作

   昭和13年 [53歳]   粟粒性肺結核のため病院にてこの世を去る。                 愛の詩へ



高村 光太郎・智恵子の愛の記録  智恵子抄より

人 に                     年譜へ戻る

いやなんです
あなたのいってしまふのが−

花よりさきに実のなるような
種子よりさきに芽の出るような
夏から春のすぐ来るような
そんな理屈に合わない不自然を
どうかしないでゐて下さい
型のような旦那さまと
まるい字をかくそのあなたと
こう考えてさへなぜか私は泣かれます
小鳥のように臆病で
大風のようにわがままな
あなたがお嫁にゆくなんて

          後略       明治45.7      

縁談の話が持ち上がっていた智恵子に対して贈った詩です。

 

               人 に (ぱーと2)       

遊びじゃない
暇つぶしじゃない
あなたが私に会いに来る
−−画もかかず、本も読まず、仕事もせず−−
そして二日でも、三日でも
笑い、戯れ、飛びはね、また抱き
さんざ時間をちぢめ
数日を一瞬に果す

    中略

愛する心のはちきれた時
あなたは私に会いに来る
すべてを棄て、すべてをのり越え
すべてをふみにじり
また嬉嬉として

大正2.2

世の中は、大正デモクラシーの幕開け、まだまだ男女の自由な恋愛など難しい時代です。

 

 晩 餐                                   年譜へ戻る

暴風(しけ)をくらった土砂ぶりの中を
ぬれ鼠になって
買った米が1升
二十四銭五厘だ
くさやの干ものを五枚
沢庵を一本
生姜の赤漬
玉子は鳥屋(とや)から
海苔は鋼鉄をうちのべたような奴
薩摩あげ
かつおの塩辛
湯をたぎらせて
餓鬼道のように喰らう我等の晩餐

中略

まづしいわれらの晩餐はこれだ

大正3.4

工場の泥を凍らせてはいけない。
智恵子よ、
夕方の台所が如何に淋しかろうとも、
石炭は焚こうね。

    中略

少しばかり正月が淋しかろうとも、
智恵子よ、
石炭は焚こうね。

大正15.2

値ひがたき智恵子                                 年譜へ戻る

智恵子は見えないものを見、
聞こえないものを聞く。

智恵子は行けないところに行き、
出来ないことをする。

智恵子は現身(うつしみ)のわたしを見ず。
わたしのうしろのわたしに焦がれる。

智恵子はくるしみの重さを今はすてて、
限りない荒漠の美意識圏にさまよい出た。

わたしをよぶ声をしきりにきくが、
智恵子はもう人間界の切符を持たない。

 S12.7

 

レモン哀歌                            年譜へ戻る

そんなにもあなたはレモンを待ってゐた
かなしく白いあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
こういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたような深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置こう

S14.2

 

元素智恵子

智恵子はすでに元素にかえった。
わたくしは心霊独存の理を信じない。
智恵子はしかも実在する。
智恵子はわたくしの肉に居る。
智恵子はわたくしに密着し、
わたくしの細胞に燐火を燃やし、
わたくしと戯れ、
わたくしをたたき、
わたくしを老いぼれの餌食にさせない。
精神とは肉体の別の名だ。
わたくしの肉に居る智恵子は、
そのままわたくしの精神の極北。
智恵子はこよなき審判者であり、
うちに智恵子の睡る時わたくしは過ち、
耳に智恵子の声をきく時わたくしはただしい。
智恵子はただ嬉々としてとびはね。
わたくしの全存在をかけめぐる。
元素智恵子は今でもなほ
わたくしの肉に居てわたくしに笑う。

S24.10

 

第2次大戦後、光太郎は猥雑な東京を離れ岩手県の山間に独居する、
智恵子が没してから15年、生涯智恵子を愛しつづけた光太郎の
心が溢れ出した作品です。

年譜へ戻る

トップへ戻る