国境の町の話
いつか国と国の境界が目に見える形で存在することを実感してみたいと思っていた・・・。 その計画を思いついたのは、すでに次の旅行先に決まっていたマレーシアの北西端のリゾートアイランド、ランカウイ島を地図上に見つけたときだった。そこは、本で知ったある小さな町とアンダマン海を挟んで目と鼻の先だったのだ。 そのときから、国境を越えるということこそが今度の旅の本当の目的であるかのように思い込んでしまった。 その町の名前はパダンブサール。マレー半島の中程、タイとマレーシアの国境にある町。 一般的にマレーシアからタイに入国する場合、空路・E&Oエキスプレスに代表されるマレー鉄道・マレー半島の東海岸か西海岸を北上する陸路そして海路のいずれかのルートを選択することになる。ランカウイ島からの場合、対岸のアロースターから鉄道を利用するか、同じく対岸のクアラプルリスから国道を北上するか、フェリーで直接タイの港町サトゥンに渡るかの3つの道がある。私は行きのルートとして第3の道を、帰路には第2のルートを選んだ。いずれもパダンブサールの町は残念ながら通らないが、時間を惜しむ旅にあってはやむを得ないながらも最良の選択だったと思う。 |
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早朝、もやのかかったランカウイ島の道路をコアの港までバンに揺られながら、無人島で全裸で泳いだことと、ホテルの隣のバーでのんだくれたこと以外、何も楽しいことを見つけられずにすごした健康的なこの島の風景をぼんやりと見ていた。 あたりはまだ薄暗く、ライトを点けなければ走れない。昼間はいたるところで見かける人間や水牛にもほとんど会わない。30分ほどして周囲が明るくなる頃コアの町を通り過ぎた。昨夜この町のレストランで財布を落としたことを思い出し苦笑してしまった。店を出て2〜3時間経過してから無くなっていることに気づき、慌てて戻 |
![]() 無人島に裸族現る!! |
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ったら、人気のない店だったことが幸いしてか、座っていたテーブルの下に落ちていた。10年来使い続けている旅の友は無事手元に戻ってきたが、同行した友人たちには嘲笑された。私のような間抜けな日本人にはお似合いの島だったのかもしれない。 コアの港に着くとサトゥン行きのフェリーの出発まではまだ2時間ほどあった。乗船券だけでも買っておこうと思ったが、遊園地の入口のような券売所にはまだ係がいない。やはりアジア式ということか。 20分ほどして発券が始まった。パスポートをチェックされ、住所氏名などを安っぽいノートに記入し、1500円ほどの料金を支払うと乗船券を渡してくれた。早朝の港には朝食を摂る場所もなく、空腹のままターミナルの中へ入っていった。 建物の半分は工事中で、東南アジアの多くの工事現場がそうであるように、ここも作っているのか壊しているのかわからない。勝手な意見だがあまり近代的にはしてほしくない。現場を囲むベニヤ板の前にジュースの自動販売機がある。自動販売機は東南アジアでは珍しい。比較的まともそうなやつを飲んでみたがまずかった。 |
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![]() コアの港 まだまだ元気 |
小さな建物なのに出国手続きをどこでするのかわからず、奥へ進んでいくとすぐに桟橋に出てしまった。空港以外に島の玄関口はここしかないので、さまざまなフェリーが港に入ってくる。屋根のついた桟橋が1本しかなく、英語の看板はあるが国際線と国内線の区別のようなものは特にない。 近くにいた人にイミグレーションオフィスの場所を尋ねると、今来た方向を指差した。マレーシアはタイに比べると英語を話す人が圧倒的に多く、発音もわかりやすい。洋の東西を問わず植民地支配に関しては嫌悪感しかないが、後世に間抜けな日本人を助けることになるとは大英帝国も思いもしなかっただろう。 |
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来た道を戻ると、通り過ぎたときには暗かった5〜6坪くらいのガラス張りのオフィスの前にたくさんの人が雑然と並んでいた。欧米人のバックパッカーもちらほら見受けられる。最後尾に並ぼうと逆方向から歩いてきた私達に制服の係官が気づき、横手のドアから手招きして締め切られたオフィスの中に入れてくれた。外で待たされている人々はどう思っただろう。外にも中にも椅子など一つも無いのだ。 係官は外の人々をまるで無視するかのように、手荷物検査の台の上に座れという。おまけに矢継早にあれこれと聞いてくる。どこから来たのか、どこへ行くのか、島の印象etc.… ハジャイまで行くというと、ニヤっと笑って遊びに行くんだなという。赤面しながら聞いていたが、交通手段・金額から女遊びのことまで期せずして貴重な現地の情報が手に入った。 手荷物検査の後、一番に出国審査を終え桟橋へいくとサトゥン行きのフェリーが待っていた。思ったよりは立派な船で、横に4〜5人がけの椅子が十数列並んでいる。座り心地は悪くない。隣の席は親子連れ。母親は顔以外の頭部から首にかけてムスリム特有のヴェールで覆っている。1時間程度の航海だが早起きしたので、席に着くとすぐに寝入ってしまった。もちろん何のサービスもある訳が無いので安心して寝られる。 |
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サトゥンは港というよりは船着き場に近い。ちっぽけなイミグレーションオフィスは4坪くらいの建物で、通路を挟んで左右にひとつづつ並んでいる。あまりにも緊張感がない。入国カードの滞在先の欄には「××の歩き方」の中で一番覚えやすかった「キングホテル」の名前を書き入れた。船での国境越えも初めての経験だったので、それなりの感動はあったがあまりにもあっけなく貧乏くさい越境だった。 乗合タクシーに金額を尋ねると、ひとりB20だった。とりあえず冷房も無いバンで町まで向かった。20分ほどで町に着いたが、ツーリストみたいなところで降ろされた。同乗していた人達は、 |
![]() バイクタクシー |
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迷う風でもなくツアーデスクの方へ入っていく。外で待っているハジャイ行きバスのチケットを買う為らしい。ひとりB400。タイの貨幣を持たない私達には乗ることができない。 バスをあきらめて、外に出た。銀行へ行く為にタクシーを拾おうと歩き出すと、バイクに乗った人がどこへ行くのかと声をかけてきた。どう見てもタイ人ではない。胡散臭いと思っていたら、バイクタクシーの人だった。変なところへ連れて行かれたりはしないまでも、うっかり乗ってボられたら大変だと思い慎重に交渉した。大体タイで流暢に英語を話す人間はまず疑った方がいい。自慢じゃないが、その手の輩にバンコクでだまされた経験があるから。間抜けな日本人にも学習機能はついている。 …いい人たちだった。銀行に行った後、ハジャイ行きの車の交渉までしてくれ、自分たちにはB20でいいと言った。もちろんそのドライバー氏から、マージンをもらっていたけれど・・・。 ハジャイまでは約120Km。バイクの人たちに払ったマージンの分が上乗せされていたとしても、1台B500は4人で割るとさっき乗り損ねたバスよりずいぶんと安かった。お手軽旅行も落とし穴ばかりじゃないような気がした。 | ||
![]() これもベンツ |
三角窓・ベンチシート・コラムシフト・縦に動くスピードメーター装備のその車がベンツだとは言われるまで気がつかなかった。ドライバー氏はタイ語しか話さない。スピードは出るし冷房が無くても三角窓はとてもグレートで、シートベルトが無い不安感と風を切る音の大きさを除けばこの古いドイツ車は快適だった。朝から自動販売機のジュースを飲んだだけだったので何か食べ物を買おうと思ってたが、車はあっという間に町を通りぬけ、あたりに何も無い幅の広い道路をものすごいスピードで走っていた。 2時間弱でハジャイに着いた。「Hotel?」寡黙なドライバー氏が突然口を開いた。気ままなお |
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気楽国境越えにホテルなど決まっているはずもなく、Station!
と答えた。 ハジャイはタイ南部最大の町。国境に近いこともあり、マレーシア人もたくさんやって来るし、ペナン行きの乗合自動車を扱う旅行社も山ほどある。とりあえず駅前から続く繁華街でバーミーナムを食べた。 食後はホテル探し。出てすぐのところになんと「キングホテル」を発見した。部屋代はB350だという。部屋を見せてもらったが、エアコン・お湯のシャワー・テレビまでついていた。文句なく合格、即決。 部屋で煙草を吸っていたらメイド風のおねえさんがきて、友達を紹介するという。断って町に出た。歩いているといろんな人が声をかけてくる。飲み屋やホテルのメイドだけじゃなくトゥクトゥクの運転手、マッサージ屋のドアマン、ビルの入口に座っている男。ここはポン引きの多い町らしい。床屋に行った友人は、そこでも誘われたそうだ。日本で言うソープランドもたくさんある。まさに男性天国! 恐るべしハジャイ!! 町並みは人口14〜15万人の都市だけあって、大きなホテルやデパート、スーパーマーケットま |
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である。繁華街も賑やかで、品物の種類や量も豊富にある。アメ横のような通りもあった。一年ぶりにタイの国産メンソール煙草「フォーリングレイン」を買った。懐かしい味だ。 翌朝10:00にチェックアウトし、昨日の食堂で肉のせご飯と甘いコーヒーの朝食後、駅前のスーパーマーケットでナンプラーや香辛料などを土産として買った。国境を越える乗合自動車を探し料金を聞くと、ランカウイ島対岸のクアラプルリスの港までひとりB500だという。ペナンと同じ料金だ。クアラプルリスはペナンよりだいぶ近い。昨日のベンツのことを考えると高いような気がして、値引き交渉したが決まっている金額な |
![]() バーミーナム!! |
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のでだめだと言われた。一度そこを出て数件回ったがどこも同じだった。結局最初のところへ戻り金を支払うと、出国カードを作ってくれた。 今日の車はエアコン付きの古い日本車。日産車なのにハンドルにはHONDAのロゴマーク。学習機能付きの間抜けな日本人は今日はホットドックと水を買い込んでいたので、車内で昼食をとった。 「ここは昔タイ側の国境だったんだ」とドライバー氏が教えてくれた場所からしばらく行ったところに、突然西部劇に出てくるような小さな町が現れた。まさに国境の町サダオ。マレーシア国境のすぐ手前。真正面の出入国事務所を神社仏閣に例えると、まるで参道のように町並みがある。小さいながらも、屋台、食堂、各種商店、ホテルまであった。少し前まで、このサダオの町はタイ側国境とマレーシア国境の間に存在していたのだ。 イミグレーションの遮断機の前で車を降ろされ、出国審査と手荷物検査と入国審査が行われた。ドライバー氏は大きめの透明なケースに入った紙にスタンプを押してもらっただけで、私達とは別に車でマレーシア側へ進んでいる。すでに入国している車まで歩く通路は国境の上だ。自分の足で国境を越えたことに結構感動した。 再び車に戻ってしばらく走っていると、前方に突然軍服の人が出てきた。止められる前にドライバー氏はマレーシアドルを自分に少し渡せと言う。訳が分からなかったが言う通りにした。左側に寄せて停車すると、道路の脇に軍のジープが停まっていた。銃を持ったマレーシア軍の兵士が5〜6人こちらを見ている。お気軽国境越えで一番緊張した場面だ。サングラスをかけた2人の兵士が近づいてきて、後部座席のドアを開けパスポートの提示を求めた。後部座席の友人は英語を話せない。「どこに行くのか」と聞いてきた。私が振り返って「ランカウイ島だ」と答えると、「いいところだ」と笑った。外に出てもう一人の兵士に金を渡したドライバー氏が戻ってくると、さっきの兵士が「マレーシアへようこそ」と言ってドアを閉めた。これもアジア式なのだろうか。 |
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![]() ランカウイ島の夕陽 |
クアラプルリスの港は大きかった。ランカウイ行きのフェリーも数社が乗りいれており、発券所には係の女性がいた。それほど腹は減っていなかったが、またしても出港までに時間があったため何か食べようと思って、ターミナル前のこぎれいな屋台に行ったら営業していない。理由を尋ねるとラマダンだった。マレーシアを旅しているのにこの月がラマダンだったことを私は知らなかった。 敬虔なイスラム教徒の彼らは1日に5回メッカの方角を向いてアラーの神に祈りを捧げ、豚肉は食さず酒も飲まず、年に一度1ヶ月もの間日の出から日の入りまではいかなる飲食物も口 | |
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