雪降ってかたまるのサンプルです
最初の2〜5頁くらいまでです。



 

「ん・・・」

 頬を撫でた冷たい空気に目が覚めた。目ぼけ眼でぱちぱちと数回をしてから目を見開く。まだ室内は真っ暗で、起きるにはだいぶ早い時間のようだ。
 まだまだ寝ていたかったけれど、足下が冷たくて思わず擦り合わせた。頭まですっぽりと羽毛布団を被っていたためか、爪先がはみ出してしまっていて冷えきっている。

「寒い・・・」

 いつもはこんなに寒くないのになんでだろうと、紫原は覚醒しきれていない頭でぼんやり考えた。
 秋田の冬は寒い。
 秋田に来る前に冬場は寒い、覚悟しておけ。東京と同じ感覚でいるな。と散々忠告されていたけれど、実際体感してみなければどの程度のものなのか分かるはずもなかった。 夏が終わって秋になり、辺りの山々が色鮮やかに紅葉を始めた頃にようやっと自覚するようになったのだ。
 冬に入ったなら毎日毎日雪が降り、山盛りに積もるのも当たり前。かまくらも雪だるまも作り放題だ。東京の雪は降ってもすぐに解けて消えてしまうのに、秋田の雪は種類が違うらしく降れば降るだけ積み重なる。
 同じ日本国内でこんなにも気候が違う。今更ながらに随分と遠くに来てしまったのだなと、思い知らされるばかりだ。

「室ちん、寒い・・・」

 人肌恋しくて、隣で寝ているはずの氷室を求めてもぞもぞと布団の中を移動した。

「室ちん、いないの?」

 だがそこに目的の人物はおらず、伸ばした紫原の手は空しくシーツの上を這うだけとなる。
 寒い寒いと訴える紫原を見かねてじゃあ一緒に寝ようかと、ここ最近はずっと隣でくっついて寝ていた。紫原の体格に合わせサイズのベッドとは言え、氷室もバスケ選手としては申し分ない体格なので狭くはなったけれども背に腹はかえられない。
 一つの布団に枕を二つ並べて寝ることに嫌がったり迷惑そうな素振り一つ見せないどころか、むしろ笑顔で自ら勧んで紫原のベッドに入ってくる。そうして紫原が眠りにつくまで飽きもせずに少し長めの髪を梳いていた。
 心地良さにとろとろになって瞼が落ちてくる紫原がその日の最後に目にするのは、やわらかく微笑む氷室の姿だった。
 氷室は毎晩、紫原の目が閉じてしまう直前にいつも何かを囁いていたが、あまりにも小声でその上聴きなれない英語だったため、形の良い唇が動くのを見ても何か言ってるなと思う程度で終わっている。それについてなんと発言しているのか問い掛けた事もない。

「おやすみ、とかかなぁ・・・」

 氷室がなにも言わないので紫原も敢えて聞かなかったし、言いたいことがあれば氷室はちゃんと話してくれるに違いない。

「トイレかなぁ・・・」

 氷室が寝ていた箇所に手を滑らせたが、温もりはもう殆ど残っていない。ベッドから出ていってしまってそれなりの時間が経過しているようだ。

「うー寒いし」

 我慢ならずに探り当てた電気毛布のスイッチをオンにした。一気に最高まで上げてしまう。
 毎日予め布団の中を暖かくするために電源は入れていたけれど、つけっぱなしは良くないと氷室は紫原が寝た後で消してしまっている。
 朝起きてベッドから出るまでずっと付いていても構わないのに。

「暖かー・・・」

 徐々に冷えていた布団が暖まってきた。縮こまっていた体を伸ばして寝やすい体勢を取る。
 今日は朝練もないのだ。ゆっくり寝ていよう。そう決めて掛け布団を頭まで被った。

「敦・・・?」

 音を立てないよう極力静かにドアを開けた。足を室内に滑り込ませ、後ろ手にドアを閉めそっとベッドに近づく。
 頭まで被っている布団の隙間から薄い色素の髪が覗いて見える。大きな体がゆっくりと呼気に合わせて上下していた。ぐっすりと寝ているのだろう。

「ふー・・・」

 大きく息を吐いて氷室は自分のベッドに腰を下ろした。
 ロードワークでかいた汗は引きつつあったが、今度は冷えてきてしまっている。枕元に放置してあったタオルで簡単に拭き取ったけれど、いっそシャワーを浴びても良いかもしれない。しかし今それをやっては間違いなく紫原を起こしてしまうだろう。
 まだ朝食時間までだいぶあるし、もう一度寝るかなと氷室は掛け布団を捲り上げた。

「さすがに冷たいな」

 ここのところずっと紫原のベッドで寝ていたためか、皺の殆どないシーツは冷えきっていた。ぶるりと震えた背筋に思わず隣のベッドにお邪魔したくなったけれど、こんなに冷えた体で寄り添ったら確実に紫原を起こしてしまう。自分が我慢すれば良いだけだとベッドに横になる。
 起きたら最初にシャワーを浴びよう。
 枕元に置いている目覚まし時計が起床時間にセットされているのを横目で確認して、氷室は目を閉じた。

「室ちん朝どこ行ってたの?」

 身支度を先に整えた氷室が紫原のネクタイを結んでやっていると、寝ぼけ眼を擦りながら紫原が小首を傾げてきた。
 ベッドから抜け出したときと部屋に戻ってきたときで寝ている紫原の体勢が随分と変わっていたので、もしかしたら部屋を出た後で目を覚まし、氷室が居ないことに気が付いたのではと思っていたがその通りだったようだ。

「ロードワークだよ。そんなに長い距離は走ってないけどね」
「前は夕食食べた後にやってたのに、今度から朝にやるようになったのー?」
「いや・・・色々試してみようかと思ってさ。朝は空気が澄んでて気持ちがいいよ」

 今の時季は特に夜間、雪が降っていることが多くてロードワークが可能な日は限られていた。雪道は滑って危険だからと警告もされていたので、走る場合は雪かきがきちんとされている大通りや学校の敷地内が殆どだ。
 明け方の冷え込みはきついものがあったけれど、とても澄んでいて肺の中から清められていく感覚は嫌いではない。自分の中の歪みや欲望が消されてくような錯覚にも陥るくらいだ。

「寒いじゃん」
「俺は寒いのは嫌いじゃないんだよ。敦も一緒に走ってみるか」

 まぁ断られるだろうと氷室は苦笑した。
 部活動内でのロードワークは文句を言いながらもこなしていたが、時間外で紫原が体を鍛えている光景は一度も目にしたことがない。
 聞けば中学の頃からそうだったと言うので、今から始めるのは覚悟を決めて挑まなければ難しい気がする。
 案の定、紫原はふるふると頭を振って唇をへの字に曲げた。

「いい。寒いの嫌いだし。つーか寒いから一緒に寝てたのに、いなくなったら意味ないじゃん。一緒に寝るかって提案したのも室ちんなのに」

 すっかり機嫌を損ねているようだ。

「ごめんごめん。電気毛布もあるし大丈夫かと思ったんだよ。次からはロードワーク行く前にスイッチ入れてってやるから」

 今朝は寒さに耐えられなくて自分でスイッチを入れたと話していた。なら布団の中が冷えてきてしまう前に先手を打てば良い。

 しかし紫原は納得がいかないのか、いまいち冴えない表情で頷いた。

「うん・・・」
「前もって言っておけば良かったな。次からは気をつけるよ」
「うん・・・」

 むぅ、となっている紫原と連れだって部屋を後にした。学生寮は校舎から徒歩数分圏内にあるが、だからと言ってのんびりしていては遅刻してしまう。

 部屋の鍵を閉めている氷室の後ろ姿を、少し離れた位置からぼんやりと紫原は眺めていた。

「そう言うことじゃないんだけど・・・」

 ぽつり漏れた呟きは、白い息と一緒に宙に消えていった。


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