うかどき

 

 

こみ上げてくる咳に口元に手をあてがった。ごほごほと耳障りな音とともに、生暖かい乾いた息が指の隙間から漏れていく。
 唾液を飲み下し喉のいがみを取り払おうとしたけれど、あまり効果がなかったので制服のポケットに忍ばせている飴玉を口に放り込んだ。

「黒子っちどうしたの、風邪っスか」
「いえ…風邪ではないと思うんですが・・・」

 通学路の途中でばったり会った黄瀬と学校に向かっていた。隣を歩く黒子の様子に、心配そうに腰を屈めて顔色を伺ってくる黄瀬に首を振って不定しながら飴玉を転がした。 今朝目が覚めたときから喉の調子が悪かった。痛みはないのだが掠れが酷く、乾燥していたのかと洗顔の際にはいつもより念入りにうがいをし、自宅に常備してあった喉飴もいくつか持ってきた。
 昨夜は入浴時に洗った髪もきちんと乾かした。風邪になるような兆候もなかったと思う。

「これといって原因が思い当たらないんですよ。熱や頭痛もないですし・・・」
「そっスか…。でも体調悪くなってきたら無理しないで保健室に行ったほうが良いスよ」

 なにかあったら遠慮なく呼んでくれと言う黄瀬に、そんなに心配しなくても良いのにと思いつつ苦笑しながら頷き返した。

「どうしようもなくなったらお願いしますね」
「もちろんスよ!あ、でもどうしようもなくなる前に呼んでね」
「わかってますよ」

 そこまで悪化しないだろう。
 朝練も休んだらどうかと言われたけれどこれくらいで休みは取れないし、なによりもバスケをしたかった。喉が乾かないよう水分補給をまめに行いながら部活動に励んだ。
 部活動中も咳は出ていたが、喉の不快さはバスケに夢中になっているうちにすっかり忘れてしまっていた。

「黒子」
「なんでしょうか、緑間君」

 練習後部室で着替えている最中に、背後から不機嫌なのを隠そうともしない声色で緑間が声を掛けてきた。
 ワイシャツのボタンを填めていた手を休めて振り返ると、眉間に皺を寄せ唇を歪ませた緑間が仁王立ちでこちらを見下ろしている。
 気が合わないと日頃から散々言われている身の上だ。今日もまた朝から緑間の機嫌を損ねるような真似をなにかしらしていたのだろう。

「なんだその、またかと言う顔は・・・」
「そんな顔してましたか」
「しているのだよ」

 またか、なんだから仕方ない。無意識に顔にも現れていたらしい。
 気に食わないのなら、いっそ放っておけばいいものをと溜息をついた。

「そうですか。で、なんでしょうか」

 朝から喧嘩は遠慮願いたい。適当に流してさっさと終わらせてしまいたくて、ぶっきらぼうに聞き返した。

「黄瀬がお前の体調があまり芳しくないと騒いでいたのだよ」

 ご親切に黄瀬は宣伝して回ってくれていたようだ。影が薄くて人に発見されにくいから、きっと周囲の人間に気を配ってやってくれとでも言っているのだろう。

「喉がいがいがするだけです」
「本当にそれだけなのか?」
「それだけですよ」

 緑間の背中越しに時計をちらりと見ると朝のホームルームには十分間に合う時間だった。が、黒子としては早めに教室に着いて読みかけの小説を開きたかった。
 背後の時計を気にしてかわざとか、自分とさっぱり目を合わせない黒子に舌打ちしながら緑間はまだテーピングをしていない左手を持ち上げた。
 薄い色素の黒子の前髪を軽く指先で払い、現れた額に静かに手を当てると驚いたのか緑間よりだいぶ小さな体が跳ね上がる。

「な、なんですか」

 目を見開く黒子を無視して掌ごしに体温を測った。

「熱はないな」
「だから喉の調子が悪いだけって言ってるじゃないですか!」

 部室に残っていた他の部員達がなんだなんだとこちらの様子を遠巻きに伺ってくるけれど、大半はいつものがまた始まったのかと呆れながら身支度に戻っていく。

「風邪のひき始めに喉が腫れるタイプもいるのだよ」
「あいにくと僕はそのタイプじゃないですね」

 払われた手の甲をさすりながら緑間は眉間の皺を一層深くした。

「自分のことがわかっていないだけだろう。きちんと体調管理が出来ていないのだよ」

 そこまで言われる筋合いはない。このまま平行線を辿るだけだと判断して黒子はロッカーから鞄を出して扉を乱暴に閉めた。

「もう行きます」
「まて、まだ話は終わっていないのだよ」

 くるりと自分に背を向けて部室を出ていこうとする黒子の肩を緑間はがしっと掴んだ。

「離してください。お説教はいりません」
「お前・・・」 
「なにしてんのー?」

 着替え終えた紫原がスナック菓子片手にのほほんと緑間と黒子の間に入ってくる。空いているもう片方の手で黒子の肩から緑間の手を外し、諫めるようにその手首を痛まない程度に力を込めてぎゅっと握り込んだ。

「別に。たいしたことじゃないですよ」
「離すのだよ紫原」

 突然の乱入者に険悪だった空気が多少和らいだ。当事者以外の部員がほっとする姿もちらほら見える。

「んー」

 小首をかしげた紫原が早く行けと目配せしているのに気付き、黒子は手早く着替えを済ませると鞄を肩に掛けた。

「では」
「うん。またねー黒ちん」

 律儀にぺこりと頭を下げて部室を出ていく姿を見送って、ドアを立てて閉まった後でようやっと紫原は緑間の手を離した。

「はい、いーよ」

 解放された手首を見遣ればしっかりと跡が残っている。これはしばらく消えないだろう。

「なにをするのだよ、紫原」

 紫原は残り僅かとなっていた菓子を口に突っ込んで、空となった袋を丸めてゴミ箱に投げ入れた。放物線を描いてぶれることなく落ちていく。

「黒ちん困ってたから」

 それだけだよ。
 そう言って去っていく紫原の広い背中を無言で見つめた。
 困っていた。

「困っていたのか・・・?」

 嫌そうな顔は確かにしていたし、緑間の行動に怒鳴り声も上げていた。
 しかし怒っていたではなく困っていた、なのか。
 なんにせよ黒子は先ほどの緑間に対して良くは思っていなかったのだけは確かだろう。

「俺は・・・」

 黒子の体調を心配していたつもりなのだよ、と誰もいなくなった部室で一人呟いた。 跡の残る方とは逆の手を静かに開いた。ミルク味ののど飴が一つころりと転がった。                                        

 

「あ、黒ちんみっけー」
「紫原君・・・」

 移動教室のために廊下を歩いていた黒子の姿を見つけ、紫原が近寄ってきた。
 今度は板チョコを手にしている。毎日毎日どれだけの菓子を学校に持ち込んでいるのかと感心してしまう。
 これだけ菓子を食べているのに昼食もかなりの量を胃に収めている。体が人一倍大きいから必要とするエネルギーも相当いるのだろうが、食べ疲れたりはしないのかと黒子は日頃から思っていた。

「朝はありがとうございました」
「ううん。気にしなくていーよ」

 頭をわしゃわしゃ撫でてくる紫原にひしゃげた声で礼を述べた。まめにうがいをしているけれど、あまり効果はないようだ。
そんな黒子の顔を紫原は腰を屈めて覗き込む。

「喉痛そう・・・声、変」
「痛みはないんですよ」
「あんま無理しない方が良いよ。赤ちんもうるさくなるから」

 確かにそうだ。
 緑間のようにねちねち言ってくるようなことはないが、厳しい叱責が飛んでくるのは安易に想像がつく。
 肩を竦める黒子から手を離し、紫原は菓子を入れていたビニール袋をがさりと漁った。

「これあげるー」
「え・・・」

 ずいと目の前に差し出されたのは、のど飴の袋だった。
 お菓子をこよなく愛する紫原が他人に菓子を分け与えるのは非常に珍しく、黒子は戸惑ってしまう。

「新発売ってなってたから買ったんだけど、よく見たらのど飴だったんだよね。俺のど飴好きじゃないし」

 だから、はい、と黒子に押し付けてくる。

「いいんですか?」
「いいよ、いんないしー」
「じゃあ・・・いただきます」

 両手で受け取った黒子の姿に満足げに口の端を上げた。  

「ありがとうございます。今度なにか代わりにお菓子買ってきますね」

「おっけー」

 始業のチャイムが鳴り出した。授業に遅刻してしまうからと、紫原と別れて急ぎ足で特別教室に向かう。
 腕の中で抱えた飴の袋ががさりと鳴った。のど飴なら授業中舐めていても教師から文句を言われないだろう。切り込みから開けて飴を摘み出し、口に頬張ると薄荷とミルクの味が広がる。
 これなら授業中せき込まなくて済みそうだし、しばらく他の飴を買わなくても大丈夫だ。放課後になったら代わりの菓子を買いに行こう。今の時期なら秋限定の菓子類も多く並んでいるだろうし、ついでにのど飴も追加で購入しようかとつらつら思考を巡らせた。

 

 相変わらず喉はいがむけれど、体調に変化がなかったのでそのまま部活動に参加した。さすがに動いている最中は飴は飴は舐められないので、こまめに水分を補給している。
 その都度黄瀬が大丈夫かと声を掛けてきたが心配ないとだけ言っておいた。
 そんなに柔ではないと思っているけれども、周りからすれば小柄で体力に恵まれていない自分は貧弱にうつってしまうのかもしれない。
 体育館の片隅で壁際に座り込んで休息を取っていると、ふと視線を感じて顔を上げた。緑間が手を休めてこちらをじっと見ている。
 しかし黒子と目が合った瞬間、ぱっと目を反らし何事もなかったかのように練習に戻っていった。

「なんですかね・・・」

 さぼっているとでも思ったのか。
 それならば生真面目な緑間にはさぞかし不愉快であろう。
 大きく息を吐いて黒子は練習を再会するべく立ち上がった。
 その後も緑間は決して黒子には近付いては来ず、ちらちらと離れた位置から様子を伺っていた。
 最初は敢えて気にしないよう努めていたけれども、視線が合うたび反らされるのを何度も繰り返すうちに黒子は苛立ってきてしまう。

「めんどくさいです」

 我慢の限界を超えてしまい、部活終了後に自主練習を行っていた緑間の元に足を向けた。
 一人もくもくとゴールに向かってボールを放り続ける後ろ姿を暫く眺めていたが、カゴが空になったのを見計らい声を掛ける。

「どうぞ、緑間君」

 タオルとスポーツドリンクの入ったボトルを差し出した。

 練習に集中していたからか、無言で近付いてきていた黒子に全く気が付いていなかったようでびくりと緑間の肩が跳ねる。

「・・・っ!黒子、か」
「はい」

 頬の汗を手で拭う緑間にタオルを勧めると、遠慮がちに受け取り顔にあてがったので少し待ってからボトルを渡した。
 よく冷えている。今さっき冷蔵庫から出してきたばかりのものだろう。
 一気に煽り一息付いてから改めて緑間は黒子を見下ろした。

「それで、なにか用か」

 そうでもなければ、わざわざこうやって待っていたりはしないだろう。タオルとスポーツドリンクの差し入れは、話し掛けるきっかけを作るためか。

「用があるのは君じゃないんですか?」
「なんだと」
「練習中、ちらちら僕のこと見てたじゃないですか。なにか言いたいことでもあるのかと思いましたが」

 違いますか、と小首を傾げながら黒子に問われると緑間はぐぅと喉を詰まらせた。拍子にスポーツドリンクが気管に入ってしまったらしくむせだす。
 人間観察が趣味の一つだと公言しているし緑間だって知っているだろうに、バレないと思っていたのかと黒子は肩を竦めてみせる。

「いや、あれは・・・」

 じっと見てくる黒子になんと答えようかと視線を泳がせながら、緑間は口元の水滴をタオルに吸わせた。

「はい」
「その・・・」

 いつもの緑間なら相手の心情などお構いなしに発言しているというのに、しどろもどろとボトルの蓋を開け閉めしている姿に黒子は呆れてくる。

「だから・・・だな」
「……わかりました」
「・・・は?」

 待つだけ無駄な気がしてきて黒子は一端追求するのを諦めた。

「なにか言いたいことがあるのは理解しました。が、纏まらないようなので今日はもういいです」

 ハーフパンツのポケットに常備していた飴を取り出し、空いている緑間の右手を掴むと掌に乗せる。

「紫原君に貰ったのど飴です。ミルク味で美味しいですよ。それでも舐めて考え纏めてください」
「あ、ああ・・・」
「あと汗もちゃんと拭いてくださいね。日中は残暑が厳しいけど夜はもうすっかり秋です。僕に云々言う前に君が体を冷やして風邪をひいてしまいますよ」

 それじゃと言い残し黒子は体育館を後にした。扉をくぐる際に吐いた咳が静かな夜の体育館に響き渡る。
 一人残された緑間は掌の飴を見下ろした。

「ミルク味・・・」

 体育館の片付けを終えると部室に足早に戻った。緑間が最後のようで、室内は蛻の空だ。
 自分のロッカーを開けてタオルを取り出したけれど、汗を拭き取る作業がどうにも今日は面倒に思えてしかたない。
 ついさっき黒子から言われたばかりだというのに。

「黒子、か・・・」

 言いたいことがあるのなら言えばいい。黒子は凛と視線を逸らすことなく正面から緑間を見据えてきた。
 言いたいこと。

「体調は大丈夫なのか・・・。喉はまだ痛むのか、無理をせず部活も早めに切り上げるのだよ」

 それだけだった。
 壁際で人知れずに休みを取っていた黒子の体調が心配で、時たま手を止めて離れた位置から眺めていた。
 黒子には案の定気付かれていたけれど、それを何事かと追求されるとは思ってもいなかった。  
 しかしいざとなると、恥ずかしさとどうしようもないプライドが壁となり伝えることは叶わない。

「心底呆れていたな、あの顔では」

 荷物を持ち照明を落として鍵を閉めると事務室に立ち寄り学校を後にした。
 夜道をてくてくと一人歩きながら、時たま流れる秋風に揺られる。
 火照っていた体には心地よかったけれどもそれも最初のうちだけで、乾いていない汗が冷えてどんどん体温を奪っていくのに緑間は背筋を震わせた。
 思わずポケットに突っ込んだ指先に硬い物が触れ、なにを入れていたかと探り出せばそれは黒子に渡しそびれた飴玉だった。

「紫原に同じ飴を貰っていたと言っていたな・・・」

 ほんの偶然だったのだ。紫原が同じ飴を所持していたのは。

「もう必要ないのだよ」

 自傷気味に一人笑って包みを開けて中身を口に放り込んだ。

 

 

「真太郎、風邪かい?」
「ああ…」

 休み時間中、緑間は部長を務めている赤司に呼び出され階段下の人通りの少ないスペースで次の練習試合について軽い打ち合わせをしていた。
 用紙を片手にやり取りしていたが、むずむずと鼻の奥からこみ上げてくるものに耐えきれず、顔を背けて口元を押さえた。
 ずずっと鼻を啜りながらポケットティッシュをあてがう。赤くなった鼻の下がひりひりと痛む。

「慢心は禁物だよ。声も掠れているね、喉も腫れてるんじゃないのか」
「少しな・・・」
「珍しいな、真太郎が風邪だなんて。体調管理には人一倍気を使っているのに」

 まさか練習後、きちんと汗を拭かずに夜風に当たって体が冷えてしまったから、とは言えずに言葉尻を濁した。
 情けない。完全に自分の失態だ。

「すまないな」
「いや、今は季節の変わり目だしね。体調を崩すものも少なくはないさ」

 苦笑する赤司になにも言えず緑間は肩を落とす。

「黒子もあまり調子がよくないようだな」
「テツヤが?」

 ああ、と頷き返すと赤司は驚いたような面持ちでだいぶ上にある緑間の顔を見返した。
 予想外の赤司の反応に緑間も意表をつかれてしまう。当然赤司は気付いているものだとばかり思っていた。

「何日か前から、ずいぶん咳きが出ていただろう。本人は喉の調子が悪いだけだと言っていたが・・・」

 今日の朝練でも人の群から外れた端の方で身を屈めて喉元を押さえる黒子を目撃していた。
 あまりにも続くのならさっさと病院へ行って医者に診て貰えばいいものを。
 その光景を思い出して苦々しげに眉をしかめる緑間に、困ったなと赤司は首を捻る。

「いや、テツヤのあれは・・・」
「なんだ?」

 年頃の青少年がひしめく中に身を置いているのだし日常的に目にしているはず。自分自身で経験もしているのに他人だと案外わからないものなのか。 

「赤司?」
「あ、ああ。テツヤのあれは別に風邪ではないと思うよ」
「そうか?」

 もしかしなくても黒子自身もあれがなんなのか理解していなくて、喉が痛いだけと思い込んでいるのか。そう思うと赤司はおかしくなってくる。

「テツヤは一人っ子だったな」
「なんだ突然。黒子には兄弟も姉妹もいないのだよ」
「そうだな・・・」

 声を上げて笑うのも黒子に失礼かと、赤司は腹に力を込めて耐え凌いだ。

「まぁ、テツヤは放っておいても大丈夫だよ。その内落ち着いてくるさ」
「お前がそういうのなら、そうなのだろうな」

 本人と家族が気付くまでそっとしておくのも道理だろう。わざわざこちらから指摘するのは余計なお世話だ。一生に一度の楽しみを奪ってしまう。

「テツヤよりお前だろう。」
「う・・・」
「まだ初期段階だろうけど、しっかり休養を取るんだ」

 悪化したら大人しく学校を休むよう口頭で注意して、赤司は緑間と別れた。
 教室に入るところで赤司の姿を見た紫原がにこにこしながら近付いてきた。

「どこ行ってたのー?」
「真太郎と打ち合わせしてたんだよ」

 頭部に頬をすり寄せてくる紫原の髪を撫でてやると気持ちよさそうに目を細める。

「みどちん風邪引いてるから、移っちゃうよ」
「大丈夫さ。僕は今のところ健康体だからね」

 免疫力がしっかりしていればそうは移らないだろう。

「そっかぁ。移るんなら黒ちんだよね」

 ちっこいしーと言う敦に、おや、となる。

「テツヤが風邪じゃないの敦は知ってたのか」
「うん。黒ちんのあれさー・・・」

 紫原ですらわかるのに、困ったものだと赤司はため息をついた。

「敦、本人に言うんじゃないぞ」
「なんで?」
「自分で気付くのが良いんだよ」

 それにそっちの方が面白いしねと、付け足せば赤司にはどこまでも素直で従順な紫原が首を上下に振るのに満足げ口元を歪めた。

 

 

「テツヤ、とうとうマスクをつけるようになったのか」
「ああ、赤司君・・・」

 黒子の顔の半分がマスクで覆われてしまっている。もともと小顔だからこうなるのはいたしかたないにしても、他にサイズはなかったのかと赤司は突っ込みたくなる。

「エチケットですよ」
「まったく真太郎といいテツヤといい練習試合の前に困ったものだな」
「緑間君ですか?」

 今日は朝練がなかったから緑間が学校を休んでいるのを黒子は知らなかったようだ。緑間はあれだけの身長があるのだし、そこらを歩くだけでも即発見出来そうなものだけれどクラスも違うし知らないのも当然か。

「風邪で休みだそうだ。数日前から風邪気味だったしね、悪化したんだろう」
「珍しいですね」

 体調管理には万全を期している緑間が風邪をひくなんて、滅多にない。槍でも降ってきそうだ。

「ほんとうにね。あ、良かったら放課後僕の代わりに真太郎のところに使いを頼まれてくれないか?」
「僕がですか」

 緑間の家には数える程度だが青峰や黄瀬たちと訪れたことが何度かあったので、迷いはしないだろう。
 急遽予定が空いた放課後は家にこもって読書の時間に割り当てるつもりでいたが、譲れない用事でもなんでもないし赤司の使いに走っても困りはしない。

「他に頼むとどうにも危ういしね。ファイルとDVDを届けるだけなんだけど・・・」

 赤司が誰を思い浮かべているのか安易に想像がついて黒子は苦笑した。

「良いですよ。行ってきます」
「悪いね。風邪を移されないようあまり長居はするなよ」

 後でファイル等は渡すからという赤に頷く。
 別れたあと自分の教室に戻りながら黒子は先ほどの赤司の言葉を思い起こしていた。

「風邪を移されないように、ですか・・・」

 こんなにでかでかといかにも風邪ですとマスクをしている相手に不思議なことを言う。
 しかしあの捕らえどころのない赤司だ。摩訶不思議なことを突然話し出しても、日常の一部だと受け止めてしまえば良いかと一人ごちた。

 

 

 その日の放課後、黒子は約束通り赤司からDVDとファイルを手渡され、緑間によろしくと言付かり学校を後にした。
 緑間の自宅まではここから電車で数駅離れた場所にある。順調に路線が運行されていればそれほど時間は掛からない。
 電車に揺られながら黒子は先日紫原に貰った飴玉を口の中で転がしていた。以前はのど飴と言えば薄荷やカリンを使用したタイプが主流だったのに、今では果物や蜂蜜味のもある。
 気軽に口にしやすくなったなと思いつつ、緑間の状態を思いやった。

「昨日は・・・どうでしたっけ」

 普段から気が合わないと緑間本人からも言われていたし、自覚もあったので喧嘩や言い争いに発展しないよう接触を避ける傾向にあった。
 昨日は挨拶は交わしたけれど、それ以外に会話をした記憶がない。
 ポジションも被らないので部活動での練習は大抵別々だ。

「・・・・・・」

 そういえば居残り練習をしていた緑間と話して以降、まともに会話をしていない気がする。
 あの日から緑間は黒子の様子を伺うような仕草もほとんどなくなったし、むしろ避けるように行動していた。

「考えが纏まるまで待つ、じゃなくて無理して言わなくて構わない、の方が良かったですかね」

 まさか緑間の風邪は知恵熱からきたものだとは言わないだろうけれど、ちょっと申し訳なくなってきた。

「お使いがてらのお見舞いとはいえ、手ぶらも失礼でしょうか・・・」

 ただ赤司からの依頼をこなすだけ、としか考えていなかった。が、緑間の見舞いも兼ねているのだなと今更思い至る。

「お汁粉よりゼリーなんかのが食べやすいですかね」

 道すがら、コンビニにでも立ち寄ってなにか購入していくか。
 緑間の自宅の最寄り駅の改札口を抜けた黒子は、途中見つけたコンビニで少し迷ってアイスを手に取った。
 熱のある体にはひんやりとしたアイスの方が合いそうだし、甘党の緑間に好まれる気がした。
 せっかくなので自分の分のアイスも選び他になにかないかと商品棚を眺めると、溶ける心配がないためかチョコレート菓子がずいぶん増えてきた。
 その並びで飴の袋が下げられている一角があり、黒子は足を止めた。

「のど飴も良いですね」

 紫原に貰った商品も並んでいる。少し迷って蜂蜜味のを選んだ。
 会計を済ませると寄り道せずに緑間家に足を運ぶ。夕暮れ時だったけれど人通りはまばらで辺りは静かだった。
 表札をしっかり確認してからマスクを外し、ドアの脇に備え付けられているチャイムを押すとややあってドアが開き中から緑間の母親が顔を覗かせた。

「あら、黒子君・・・だったわよね」

 何度か顔を合わせているので覚えていたようだ。

「こんばんは、緑間君に渡したいものがあって来ました」
「わざわざありがとう。真太郎なら部屋にいるから、あがってちょうだい」

 黒子としては玄関先で用事を済ませ渡すものを渡して帰ろうかと思っていたので躊躇したものの、笑顔で上がるようすすめる緑間の母親を断れなくなる。

「すみません、お邪魔します」

 緑間の部屋は二階ある。階段を上る黒子にお茶を部屋に持っていくからと言うので、それは丁重にお断りした。

「緑間君こんばんは」

 緑間の自室のドアをノックする。

「く、黒子!?」

 突然の来訪者に慌てふためく緑間の声がドアの向こう側から聞こえてきた。ばさばさとした音の後で、目の前のドアが勢いよく開かれる。

「こんばんは」
「な、なにしに来たのだよ!」
「なにって・・・赤司君のお使いですよ。ついでにお見舞いです」

 これだけ騒ぐ元気があるのなら風邪の症状は酷くないのだろう。

「そう、か。・・・とりあえず入るのだよ」
「失礼します」

 部屋の真ん中に布団が敷いてある。掛け布団が明後日の方向を向いているのは直前まで横になっていたためか。
 赤くも青くもない緑間の顔色に安堵するのと同時に、急いで掛けたのかちょっと斜めになっている眼鏡におかしくなる。

「すみません、寝ていても構いませんよ」
「もう熱は下がっている。大丈夫だのだよ」
「そうですか・・・。なら良いですけど」

 布団の脇に設置してある木製のテーブルの側に座布団を敷くと、緑間は座るよう黒子を促した。
 大人しく座った黒子を見てから緑間も布団に腰を下ろす。

「これ、赤司君から預かってきました」
「先日話していた資料か・・・」

 DVDとファイルを緑間に手渡すと、黒子はコンビニの袋を引き寄せた。

「それとこれ、お見舞いです」
「む・・・」
「アイスとスポーツドリンクと、あとのど飴ですね」

 テーブルの上に一つ一つ並べていく。

「アイスは今食べちゃいますか?スプーンも付けてくれましたし」

 たまに忘れられてしまうが今回はきちんと二つ入れてくれた。アイスはちょっと溶けて食べるにはちょうど良い頃合いだ。
 蓋をとって緑間にスプーンと一緒に渡すと黒子も自分用のを開けた。どれにしようか迷ったけれど一番無難なバニラアイスを選んだ。
 ろくな会話もせずに、もくもくとアイスを口に運んでいると緑間が手を休めてテーブルに目を遣った。一通り見回してから改めて黒子に向き直る。

「わざわざすまないな」
「いえ。簡単なお使いがてらですよ」

 気にするなと首を振った黒子の声を耳にした緑間がまた手を止めた。

「黒子・・・まだ喉が痛むのか?」
「大丈夫です。まだちょっと咳が出るのでマスクはしてますが・・・どうかしましたか?」「い、いや・・・。声が、だな・・・」
「はあ・・・」

 喉の痛みはなくなったが未だ声は掠れ気味だった。変に聞こえてしまっているのだろう。

「まぁその内戻るんじゃないですか」

 危惧するような案件ではないだろうと黒子は残りのバニラを平らげて、空になった容器を片付け始めた。

「そうではなくて・・・。家族からなにか言われなかったのか」
「別にないですね。風邪なら早めに対策するよう言われた程度です」

 季節の変わり目は体がついて行かず体調を崩しやすい。それこそ緑間のようにだ。
 いつもなら夜遅くまで起きて本を読んでいることが多かったけれども、ここ最近は入浴後さっさとベッドに入っていた。
 薬をあれこれ飲むよりしっかり睡眠をとって体を休めるのが一番効果的だろう。

「緑間君この前の件といい、言いたいことがあるなら言ってくれませんか」

 あれから数日経過している。そろそろ考えも纏まってきているはずだと思うし、いい加減聞かせてもらいたい。
 黒子の視線から逃れるように緑間はぐりぐりとスプーンでアイスをかき混ぜている。マジバのバニラシェイクも容器の中ではきっとこうなっているに違いない。

「真太郎、晩ご飯どうする?」

 と、突然部屋のドアが開け放たれ緑間の母親の明るい声が室内に響き渡った。

「あらやだ、ノックするの忘れてた」

 失敗失敗ところころ笑う姿に黒子は苦笑した。お陰で気まずくなりつつあった空気も和らいだ。
 ちらりと壁時計を見上げると、針はどこの家庭でも夕食の準備に取りかかっていそうな時間を指していた。

「まだお粥が良い?それとも普通に食べる?」
「お粥で構わないのだよ」

 熱は下がったがまだまだ全快とはほど遠い。さっぱりしたメニューが緑間には恋しかった。

「わかったわ。あ、黒子君の分も用意するから食べていってね」

 そろそろ帰宅するかと膝を立てた黒子は予想外の発言に呆気にとられた。慌てて制止するもどこ吹く風で黒子は諦めるしかなく、それを傍らで見ていた緑間もやれやれと肩を竦めている。

「じゃ、じゃあご一緒させていただきます・・・」

 腰を浮かせた体制で黒子は頭を下げた。自宅にも一報入れなければならない。

「遠慮しないでね。あ、そう言えば黒子君、さっきは気付かなかったけど声変わりしたのねー」
「え・・・」

 呆気を通り越して愕然となり中腰のまま固まってしまう。

「真太郎もだけど、一気に大人の男になった感じになるのよねー。小学生の頃はつるっつるの足だったけどだんだんとすね毛も生えてくるようになるだろうし・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・」

 準備するから待っていてね、と去っていく後ろ姿を二人は見送った。
 固まったままの黒子になんと声を掛けようか緑間は困り果ててしまう。

「黒子、いつまでそうしているのだよ」

 ひとまず座らせるかと黒子の薄い肩に手を置くとびくりと体が跳ねる。ゆっくりと緑間の顔を見返してきた黒子の表情はぽかんとしていた。

「声変わりですか・・・」

 ぽつりと呟いて元の位置に戻ったが、俯いて己の膝に視線を落とし暫くその単語を脳内で反復させた。

「黒子・・・」

 気遣うような緑間の声にはっとして顔を上げた。

「緑間君、君気付いてたでしょう」

 いつからですかと詰め寄れて緑間は背筋を冷や汗が流れるのを感じた。

「はじめは風邪だと思っていたのだよ!」
「本当ですか!?」

「本当なのだよ!だから、体調が芳しくないのなら休めばいいものをと思っていた矢先に気付いて・・・」

 言ってしまってから緑間ははっとして口を噤んだ。見る見るうちに顔が赤くなっていく。
 余計なことまで思わず口走ってしまった。なんとか誤魔化そうと慌てふためく緑間を黒子は遮った。

「僕に言いたかったことって、もしかしなくても今のですか・・・」

 核心を突かれた緑間はぐぅと唸るしかなかった。

「そのくらい、そのまま言ってくれれば良かったのに・・・」

 体を離した黒子は未だ赤い顔をしている緑間にすっかり毒気をぬかれてしまい、それ以上の追求を断念した。

「悪かったな・・・」

 緑間らしいと言えばそれまでだけど、今回のようにいらぬ誤解を招く羽目になり、その結果困るのも本人だと緑間自身もわかっているだろうに。

「口で言えないなら紙に書くとかメールで送るとかすれば良いと思いますよ」

 君の今後のためにもと付け足して黒子はテーブルに置きっぱなしになっている、のど飴の袋に手を伸ばした。

「改善の努力はするのだよ・・・」
「そうしてください。はい、どうぞ」

 のど飴を一つ緑間に押しつけ、黒子も口に頬張る。

「今から夕食だぞ」
「飴の一つなんて問題ないですよ」

 それもそうかと飴を舐める緑間を眺めながら、なんともなしに喉をさする。前はなだらかだった中央にぽっこり盛り上がった部分があるが、これが喉仏か。

「なんか恥ずかしいというかこそばゆいですね」

 授業で習っていても思春期だの二次成長期だの実際経験すると、どうにも居たたまれなくなってくる。
 いつもは人事のように変わっていく同年代の仲間たちを遠巻きに眺めていたのに。

「悪くない声なのだよ」
「そうでしょうか・・・なんか変な感じですし、自分ではよくわかりません。僕緑間君が声変わりしたのいつ頃だったかも覚えてないです」

「そんなものだ。いちいち誓言するようなことでもないしな」

 思い起こせば黄瀬たちも、声変わりした!などと周囲に言って回るような真似はしていなかった。

「そのうち慣れてくるのだよ」

 自然の摂理の一つに過ぎない。いずれやがて訪れるもの。
 飴玉が溶けて口腔に蜂蜜の味が広がった。喉を通って胃の中に落ちていった。 

 

 

「はい黒子ちんこれあげるー」

 部活動の休憩中、背後からお菓子をぼりぼりかじる音とともに現れた紫原がぽんと無造作に黒子の手の中に菓子の袋を一つ投げ落とした。

「また珍妙な味のお菓子見つけてきたんですか」

 紫原はたまにこうやって一風変わった味の菓子を発見するたび、おっそわけだと少量を分けて寄こすとこがあった。
 飲んでいたスポーツドリンク入りのボトルを床に置いて、袋を手に取った。馴染みのあるまいう棒だ。

「うん、新作だって。イケるよー」
「はぁ…」

 今度はなんの味かと目を走らせる。

「…赤飯味ですか」

 赤飯。
 毎度ながらまいう棒の開発者の味覚は世間一般から少々ずれていると思う。
 売れると踏んで発売しているのだろうけれども。

「なんだそれは」

 ボトルを手にした緑間が汗をタオルで拭きながら黒子の隣に座り込む。

「紫原君から貰いました。まいう棒の新作で赤飯味だそうです」

 ぴっと袋の先端から切ってまいう棒を出した。確かにうっすらと赤みがかっている。 先端にかじり付いて咀嚼してみるとまごうことなく赤飯の味だった。しかもご丁寧に黒ゴマゴマ入りだ。

「緑間君も味見しますか?」

 興味深そうに手元を見つめているのでどうぞと緑間の眼前に差し向けた。和菓子好きなのだからこのまいう棒も好みの味かもしれない。

「ふむ」 

 黒子の手から受け取って口に運ぶ緑間を見て今更ながら食べ掛けだったのを思い出す。折ってからにすれば良かったなと止めに入ったときにはすでに時遅し、緑間は黒子がかじっていた個所を口に含み歯を立ててしまった。

「なかなかだな…。どうかしたか?」

 気まずそうに口元を凝視している黒子に緑間は手を止めた。

「あ、いえ…」
「なんだ、人にははっきり言えという癖に」

 眉を寄せる緑間に、それもそうかと黒子は溜息をついて床に視線を落とす。

「間接キスになってしまいましたね」
「ぶっ…!」

 黒子はげほげほと派手に咳き込む緑間に脇にあったボトルを渡した。
 ひったくるようにそれを奪い一気に煽った緑間は荒くなった呼気を落ち着かせながら涙目で黒子を睨みつける。

「なにを言い出すかと思えば…!」
「ご要望にお応えしただけですよ」

 しれっと言い返して黒子も乾いてしまった口を潤そうとスポーツドリンクに口をつけた。が、さっきと味が違う。

「すみませんこのボトル緑間君のでした。僕が飲んでたのそっちです。またやっちゃいましたね」
「お前わざとだろう!!」
「そんなわけないじゃないですか」

 今日もまた始まったのかと他のバスケ部員たちが顔を見合わせている。
 ちょっと離れた位置でまいう棒を食べていた紫原は、傍らで練習試合のメンバーを思案している赤司の二の腕を突いた。

「赤ちん止めなくていいのー?」

 言い争う二人を指差す紫原にああ、と緑間と黒子に目を遣り微笑んだ。

「なんとかは犬も食わないっていうし好きにやらせておけばいいさ」
「そっかー」

 赤司が言うことは間違いない。一人納得した紫原は別のスナック菓子に手をつけた。

「紫原っち絶対意味わかってないでしょ…」

 二人の様子を伺いに近付いてきていた黄瀬はがっくりと肩を落とした。

「いいんだよ、これで」
「そっスかねー…」
「ほっとけばー」

 休憩時間の終わりを告げるホイッスルが鳴ればきっと元通り。
 いたずらっぽく笑う赤司にまぁそうかと黄瀬も笑い返した。

 

                                         終 




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