うつむきがち6


「まいったな…」

 あれ以来緑間と黒子は週一回の頻度で会うようになっていた。最初の何回かは黒子の家の側にある街路樹の下で、その後は公園か図書館で時間を合わせている。当初は心配していた黒子の家族も相手が緑間だと判明した今では快く送り出してくれていると本人が話していた。
 毎週届けていたクリアファイルは黒子に会う際に手渡し、ついでに勉強も直接見るようになっているのだがそれが拍車を掛けているらしく、見事緑間は黒子の家族からの信頼を勝ち取っていた。他の誰でもない、自分が、だ。 緑間はそれが誇らしくあり、同時にとてつもない優越感をももたらした。クラスメイトでもバスケ部のメンバーでも、キセキの世代すら成し得なかった事を自分はやっている。
 しかしその一方で新たな悩みが生まれていた。

「まいったのだよ…」

 黒子に触れたいという、漠然とした欲求に駆られるようになってきたのだ。
 図書館で勉強している時や並んで歩く帰り道に自然と黒子に手が伸びている。触れる直前ではっとして手を引っ込めて、また伸びて…を何度も繰り返していた。ゴミが付いていたから等思いつく限りの言い訳を並べてきたがそろそろ限界だろう。黒子の何か言いたげな視線も痛い、けれど触れたい。 そんな内なる葛藤を続けている緑間に、ある時「腫れは引いたけど足首に違和感がある気がする」と黒子が言い放った。病院には結局行かなかったと聞いていたけれど、そんな事ならやはり初めから病院で診察してもらうべきだったろうと呆れる一方、具合を診る、を理由に黒子の肌に直接触れられる機会が与えられたのだと思わず生唾を飲んでしまった。
 思わずニヤケそうになる口元を引き締め「だからお前は駄目なのだよ」と何度言い放ったか分からない台詞を吐きながら、黒子の生白い足首に手を掛ける。骨と皮しかないんじゃないだろうかと錯覚してしまうほどに細く、緑間が力を込めたらぽきりと折れてしまいそうだ。
 ベンチに座らせた黒子の前に膝を付きゆっくりと靴と靴下を下ろした時、いけない事をしている用で沸き上がる背徳心に背筋がぞくぞくした。

「確かに腫れは大分引いてはいるな。痛みは?」
「多少残ってますが、支障はありません」
「そうか…。痛みからくるものかもしれないな。もしくは痛みを庇い無意識に変な歩き方になっているのかもしれない」
「それはあるかもしれませんね」
「俺は所詮素人だし下手な事は言えん。腫れと痛みが引いても違和感があるのなら、やはり専門医に診察してもらうのが賢明なのだよ」
「そうします。すみません、わざわざ」
「いや…元は俺の配慮のなさが原因だ。気にするな」

 湿布とサポーターは欠かさないよう念を押して黒子を自宅まで送っていった。

 

 その夜、ふいに黒子に触れた際の感触を思い出しながら自慰に耽り、欲を吐き出した後で猛烈な罪悪感に襲われた。
 黒子に会わせる顔がない。同性から性的な対象として見られていると知ったら彼はどう思うだろうか。決して気持ちの良いものではない。辛辣な雑言を浴びせられ今の関係を絶たれる可能性もあり得る。
 再び黒子と会えなくなるなんて今の緑間には耐えられそうにもなかった。そんな事態になるのなら隠し通そうと自分に言い聞かせた。
 何故そんな事を思うのかと一頻り悩んだ後それはもう唐突に、黒子に好意を抱いているからだ、と気が付いた。それ故に欲情してしまったのだ。
 父親から借りた医学書を開きながら恋い焦がれる相手に性的な欲を抱くのは何ら不思議ではないし、当然な上年齢的にも盛んな年頃なのだからなんの問題がないと開き直った。

「俺は黒子を好いているのだな…」

 そう呟きながらかさつく己の唇に指を這わせる。
 以前、衝動的に黒子に口付けてしまった時があったけれど、自覚はなくともあの頃すでにそういう目で見ていたのだとしたら自分の行動にも合点がいく。

「そうだったのだな…」

 だが想いを伝えるかどうかは別問題だ。黒子に余計な負担を掛けたくないというのもある。
 この想いは自分の中にしまっておこう。そう誓った。
 
 それ以来、黒子に会う日は出掛ける前に必ず誓いを確認し、気持ちを切り替えてから出発するようにした。
 なのに黒子ときたら…!

「緑間君ここなんですけど…」

 机に向かい合って座るより隣同士の方が勉強を教えやすいのでは、という黒子からの提案で並んで座っている。確かにいちいちノートや教科書をひっくり返して見せるよりは楽だ。ノートの書き込みにも指摘しやすい。
 今まではただそれだけだったのだ。

「あの、緑間君?」

 身長差の為もあってか黒子は常に緑間を見上げ、緑間は黒子を見下ろす体制となる。そうすると白い項や首筋などが自然と視界に入ってきた。
 意識すまいとすればするほど目がいってしまうのは何故なんだろうか。 そしてなによりもこれだ。上目遣いに自分を見上げてくるこの体制、これがこんなにも心の臓にくるものだとは思わなかった。
 恋の欲目とでも言うのか。少し小首を傾げながらこちらを見上げる黒子がひどく可愛らしい。小さく開いた口の隙間から覗く赤い舌が…。

「緑間君聞いてますか? …緑間君!」

 腕を強く引かれ、それでわれにかえった我に帰った。はっとして顔を上げれば眉間に皺を寄せた黒子と目が合う。

「どうしたんですか? 体調が芳しくないのでしたら早めに切り上げましょ
う」

「い、いや。体調は悪くないのだよ」
「本当ですか? さっきから上の空でしたよ」
「少々考えごとをしてただけだ。すまないな」

 お前のことを考えていた、などとても言えないので何でもない風を装いペンを持ち直す。どこまでやっていただろうかとノートに視線を戻すがこちらをじっと見ている黒子の目がきになった。

「どうした?」
「悩み事でもありますか? 僕では力になれないと思いますが、愚痴くらいならいくらでも聞きますよ。…話す相手もいませんし口もかたいですから」

 自嘲気味に薄く笑う黒子に緑間は慌てた。

「悩みはあるにはあるが、話せる内容ではないだけなのだよ! 自分でどうにかするしかないのも分かっている。だからお前が気にする必要はない。すまなかったな」
「愚痴すらも?」
「そうだ」

 バレてはいけない。それに繋がるやもしれない事柄は可能な限り避けるべきだ。例え黒子からの善意だったとしても、だ。
 目の前の黒子はいつも通り表情一つ変えなかったけれど、瞳だけは寂しげに揺らぐのが見て取れた。
 そんな顔をしないで欲しい。

「く…」

 お前のせいではない気にしないでくれ、とは繋げられなかった。

 黒子が何かに気付いたらしく、さっと顔色を変えたからだ。

「どうした?」

「…クラスメイトが来ました」

 その言葉通り、そっと背後を伺えば緑間のクラスメイトも含めて数人が連れ立って歩いてくるのが見えた。
 緑間は舌打ちした。今日と明日は教職員の研修会の為完全休校となっていて、明日土曜日は部活動もなくそのまま日曜日となる。ようは三連休だ。その空いた時間を有効活用すべく、受験生らしく友人達と図書館で勉強会をする。至極あり得る話だ。
 だが普段は同級生と図書館で遭遇するとこがまずなかったので緑間は油断してしまっていた。
 黒子だけなら見つかりはしないだろうが緑間はそうはいかない。
 どうする?と黒子を伺えば既に勉強道具の片付けを始めていたのでならば自分も、とそれに従う。 

「僕だけでも別に…」
「いや俺も行くのだよ」

 彼らに発見されれば黒子のことをまず間違いなく問われるだろう。気まずくなるのは避けられないし、その問いになんと答えるべきか…馬鹿正直に部活動で色々あったと言うのも戸惑う。
 避けられるのならば極力避けるべきだ。
 まずは彼らに発見される前に場所を変えよう。席から静かに離れ同級生達を避けるように反対方向へと向かった。

「今日はお開きにしましょう」
「少々不本意だが仕方あるまい。見計らって外へ出よう」

 この図書館は出入り口が一つしかない。彼らが足を運びそうもない場所で暫くやり過ごして外へ出よう。黒子だけ先に行かせるのもありだ。

「緑間君こっちです」

 上着の裾を引かれ、黒子が促すままに後を付いていく。

「君には狭いかもしれませんがここなら見つからないです」

 連れてこられたのは奥にある倉庫などが並ぶ一角だった。案内された部屋には企画準備室と札が下がっていて鍵は掛かっていないらしく簡単にドアが開いた。

「勝手に入っていいのか?」
「大丈夫です。ここ、全く使われてなくて人も来ませんから」

 顔見知りの職員からこっそり使用して良いとの許可が下りているそうだ。

「と言っても一人で静かに読み耽りたい時くらいですけどね」
「そうか…」

 黒子の言う通り企画準備室とは名ばかりで道具類は殆ど置かれておらず、長机とパイプ椅子の他に色褪せたソファーがあった。似たタイプが受け付け近くに配置されていたので、これは破損したか古くなったかでお役ごめんになったのをここに運び入れたのだろう。他にはカーテン付きの窓が一つあるだけだ。

「鍵も念のため掛けておきましょうか。きっと誰も不審に思いませんよ」「確かにな…」
「窓を少し開けましょう」

 内鍵を掛けると鞄を長机に乗せ、ソファーにどかりと腰を下ろした。少々埃臭いがただ座る分には問題はないようだ。
 窓に向かう黒子を無意識の内に目で追っていた。多少動揺した様子だったが顔色は悪くない。安全な場所に避難したことで落ち着いてきたのだろう
か。

 誰も来ないのなら安心して休める。飲み物でもあれば更に良いがあいにく持ち合わせていなかった。

「誰もこない…?」
「どうしました?」
「い、いや。なんでもない、ただの独り言なのだよ」

 なぜそこに気が付いてしまったのかと緑間は自身を呪った。
 手を伸ばせば簡単に触れられるような狭い密室で黒子と二人きりなど、同級生と遭遇する以上に避けるべき道だったろうに。
 意識するな、と心の中で念仏が如く唱えていると頭上から小さな悲鳴が聞こえてきて慌てて顔を上げた。

「どうした!?」

 眉間に皺を寄せる黒子の側へ駆け寄ると、

「窓の桟のささくれでやってしまったみたいです」

 と左手を抱えていた。

「見せてみろ」

 左手を慎重に引き上げ様子を伺うと、小指の下部か切れて血が滲んでい
る。

「棘が刺さらなかったのは幸いです。血もすぐに止まりますよ」

 盛り上がった血がつつ、と白い薄皮の上に垂れていくのを目にした瞬間、考えるよりも先に体が反応していた。

「ちょっ…!」

 黒子が慌てて腕を引くががっちり掴むと傷口に薄く開いた唇を押し当て
た。舌を這わせると口腔に鉄の味が広がる。

 美味いものではない。
 しかしそれが黒子の体内から排出されていると思えば、身の内から湧いてくるのは憎悪ではなく歓喜だった。
 ゆっくり舌を動かし存分に味わってから飲み干す。
 黒子の体液を胃に収めたことに満足し、緑間は唇を放した。
 血は微かに滲む程度になっていた。乾いたら絆創膏を貼れば大丈夫だろ
う。

「血は止まったようだな」

 顔を上げた緑間の目に飛び込んできたのは顔を真っ赤に染めて小刻みに震える黒子の姿だった。
 やってしまった!!
 黒子とは正反対に緑間は見る間に青ざめていく。

「すまない! 思わずとっさにだな…!」
「い、いえ…。元はと言えば注意しなかった僕が悪いんですし…。あの…一応、ありがとう、ございます。気持ち悪かったでしょう」
「そんなわけがないだろう! むしろっ…!」
「むしろ?」
「なんでもないのだよ…」

 危うく口走ってしまうところだった。
 黒子から目を反らして掴んだままの腕を解放し僅かに距離を取った。このまま側にいては危険だ。何をしでかすかわからない。

「お前こそ嫌だったろう。ここを出たら洗面所に行ってしっかり洗い直すのだよ。絆創膏なら持っているから…」
「緑間君」

 今度は逆に解放した腕でだらりと下がった両腕を握られた。

「嫌じゃないです…」
「――黒子?」

 俯いていて表情は見えなかったけれども耳まで赤くなっている。まるで怯える小動物のようだ。
 可愛い。無理矢理顎に手を掛け上向かせてどんな顔をしているのか己の目で確かめたい。
 さっき黒子は嫌じゃないと呟いた。嫌、ではないのなら、なんなのか。振るえているのは憎悪や怒りではなく羞恥心のせいだろうか。

「嫌じゃ、ないんです」
「黒子…」

 脳味噌の片隅で駄目だやめろと叫ぶ自分がいる。なのに実際の自分はどんどん吐き出す吐息が熱くなっていき、掴まれたままの腕は汗ばんでいく。

「緑間君…」

 つつ、と黒子の手が下がっていく。布越しではなく直接肌に触れられた瞬間、びくりと緑間の身体が跳ねた。

 黒子が緑間の手を握ったままゆっくりと顔を上げた。

「ーーっ!!」

 薄い唇が音もなく緑間の名を象るのと同時に、なけなしの理性が崩れ落ちた。 

 

「はっ…」

 いつの間にかカーテンは閉められていた。黒子が閉めたのか自分で無意識のうちに閉めたのかすら定かではない。
 荒い息づかいがやけに響いている。
 向かい合ってソファーに座り、適当に着衣を乱す。上半身はシャツのボタンをいくつか外した程度、下半身はベルトを外しジーパンと下着を膝上辺りまで擦り下げた下腹部だけを露出させた状態だった。

「ぁ、う…」

 時折、胸元から黒子のか細い声が聞こえてくる。顔をあまり見られたくないのか緑間の胸元に額を押しつけていた。時折肩が小刻みに震えるが、緑間の性器に添えた手の動きを止めることはない。
 右手で黒子の腰を支え、左手で黒子の性器を柔く掴みゆるゆると動かす。体格差もあってか片手で包むには程良い大きさだった。
 そのまま口に出したら機嫌を損ねそうだ。

「黒子…」

 呼んでみるが返事はない。代わりに性器を握る手に若干力が込められた。

「おいっ」

 痛みはないが下腹部に走る快感が強くなる。それならばと黒子に与える刺激も強めた。

「うあっ」

 負けず嫌いにも程がある。
 先走りで濡れた感触と音を耳にしながらそんなことを考える自分が笑えてくる。
 限界が近いのか震える間隔が短くなってきた。
 出すなら出せばいいと黒子の性器の先を親指でぐりぐりと押さえる。

「いっ…!」

 瞬間、二の腕に鋭い痛みが走った。一瞬瞑った瞳を開ければ黒子が鼻息荒く二の腕にかじりつく姿が目に入り、手を濡らす生温かい液体と鼻をつく独自の匂いで互いに放ったのがわかった。

「はっ、はぁ…は…」

 腕から口を放した黒子がこてりと肩口に寄り掛かってくる。汚れていない右手で落ち着かせるように背中を撫でてやった。
 こんな風に慰めるよう黒子に触れるのもこれが初めてだなと、静かに手を動かしながら思量にふける。
 傷心状態の黒子に声を掛けてやった記憶もない。行動に移していたら今とは違った状況になっていただろか。
 何もかも遅すぎた。
 なのに何をやっているのだろうか、自分は。 

 手持ちのタオルで汚れた軽く身体を拭くと換気の為に窓を少し開けた。ひんやりとした秋風が火照った身体には心地が良い。
 黒子を一人残しトイレでタオルと手の汚れを洗い流した後、蛇口の向きを変えお湯を出しタオルを温めた。再び部屋に戻ると黒子の身体を清めてから着衣を戻してやった。

「匂い…残りますかね」
「すぐに換気をした。染み着くような物もあまりないから大丈夫だろう」「だといいですね…」
「気になるなら次回来るとき消臭剤でも持ってこればいいのだよ」

 汗もすっかり引いたし黒子ももう落ち着いただろう。

「そろそろ帰るか」
「はい…」

 荷物を持って部屋を出た。クラスメイト達に会わないよう別の出口から外に出る。
 気まずい空気のまま、なにを話したらいいのかと散々迷っているうちに分かれ道に差し掛かった。
 家まで送って行こうかと思ったが「そこまで柔じゃない」と断られてしまった。
 帰宅するとどっと疲れが襲ってくる。自室の長座布団に突っ伏し大きく息を吐いた。
 携帯電話にメールが入ったのに気付き鞄を手繰り寄せた。

『服、汚れてませんか? ちゃんと洗濯してくださいね』

「それはお前もだろう…」

 今日は早く寝てしまおう。
 いつもより早めに入浴し、入念に風呂場で体を擦った。
 右腕にうっすら残る歯形に気付くと瞬く間に昼間の情景が生々しく蘇ってくる。冷水で茹で上がった顔を何度も洗ったけれど、結局寝るまでそのままだった


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