うつむきがち3


 人の姿が疎らな図書室内の窓際に設置されたテーブル一角を陣取り、緑間はノートと教科書を広げていた。図書室内は冷暖房が完備されているので使用期間中は換気の時以外は締め切っている為、外の喧噪も殆ど聞こえてこず静けさが保たれていた。
 今は九月初旬。
 外に目を向ければ校庭を各々の部で跡を継いだ後輩達が汗まみれで駆け刷り回っている。バスケ部も例外ではない。緑間達三年生は全中を終え引退したばかりで、今は他の三年生同様受験勉強に精を出している真っ最中だ。
 スカウトされているとは言え勉学は別物なので手を抜くような真似はしたくない。
 気を取り直して正面に向き直り、教科書と参考書と授業中に取ったノートを見比べながら、ルーズリーフに書き移していく。要点を纏め色ペンも使用し、見やすく分かりやすいよう心掛ける。字も可能な限り、自分のノートよりも丁寧なるよう心掛けた。
 一日の授業分を纏め終えると全てに目を通し、問題がなければ教科ごとに分けたファイルに閉じていく。ただし国語は最後に一言添えてから。 

 緑間がこの作業を行うようになったのは部活動を完全に引退してからだった。放課後、自由に使える時間が大幅に増えた事により勉強に費やせるようになった。励まない理由はない。
 だが同時に全中が終わるとともに、誰にも何も告げずに姿を消した黒子の存在が気になるようになり始めた。退部届けを出す前に何か一言あっても良かったのではないか。引退まで残すところ僅かだったのにそれすら待てなかったのか。
 いくら考えても納得のいく答えには辿り着かない。黒子本人ではないのだから当然なのかもしれないが。
 黒子には黒子なりの考えがあっての行動なのだから放って置けばいい。だから勉強に集中しろと参考書と向き合うのに、合間に彼の姿がちらついて仕方がなかった。

「いつも俯いていたのだよ」

 部活動でもそれ以外でも青峰や黄瀬を筆頭に六人で行動する機会が多かった。試合だって何度も共にコートに立った。嫌と言うほど共有した時はあったはずなのに、どう足掻いても思い浮かんでくる彼の姿は今にも消えてしまいそうな、俯いてばかりの後ろ姿だけだった。
 試合中に絶妙なタイミングでパスをくれる姿でもなければ、黄瀬にまとわりつかれてうんざりしている顔でも紫原といがみ合っている顔でも悲しそうな表情で青峰を見ている姿でもない。
 俯いている黒子の姿は緑間にとってそんなにも印象深かったのか。

「情けないものだな・・・」

 共有していた時間はなんだったのだ。最早乾いた笑いしかこみ上げてこない。
 こんな自分に何も言わずに消えたくなるのも当然か。
 自嘲気味に口元を歪めながらマナーモードにした携帯電話を操作し、おは朝占いのサイトを表示する。来週のラッキーアイテムは銀の小匙。それを書き移していると、ふっと目の前に陰がかかった。

「熱心だね、真太郎」
「赤司、か」

 顔を上げればそこにはよく見知った顔、冊子を数冊抱えた赤司が緑間を見下ろしていた。

「お前も人のことを言えないだろう」
「僕は本を返却しに来ただけだ」

 そう言って本の背を緑間の方へ向けてきた。確かに貸し出し用のシールが貼られている。

「授業で取ったノートをルーズリーフに纏めているのか。必要ないくらいに綺麗に書き留められていると思うのに物好きだな」
「・・・復習するのには打ってつけなのだよ」
「だったら別のノートでも十分なんじゃないか。一纏めに出来るとは言えルーズリーフではがさばるだろうに」
「・・・・・・」

 何もかも見透かすように赤司は微笑んでいる。分かっていても敢えて緑間の口から言わせたいのだろうが、挑発には乗らずに適当にあしらう。

「俺には俺のやり方がある」
「そうだな真太郎は真太郎だ。好きにすればいい。僕は何も言わないよ」

 赤司はふっと口元に笑みを浮かべると本を持っていない空いた方の手でルーズリーフの端を触れ、とんとんと指先で叩いた。

「ここ、随分スペースが空いてるけれどもったいなくないか? かと言って次の章を書くには中途半端になってしまうな」
「たまたまだ」
「そう?」
「・・・そうだ。言いたいことがあるのなら言えばいいのだよ」
「いや、別に。邪魔したね」

 緑間に背を向けカウンターに向かう赤司は去り際に、

「お前は優しいな、真太郎」

 そう囁いて去っていった。
 再び一人になった緑間は先程赤司が指した箇所に目を遣った。下の四分の一ほどの行が空いているのは意図的にこうしたからだ。
 ほんの少しずつ積めて書いて、わざと余白を作った。

「俺は優しくなどないのだよ、赤司」

 マナーモードにした携帯電話を開き、インターネットに接続するとお気に入り画面からおは朝占いの公式サイトを選んだ。見慣れた画面から来週一週間の占い結果が掲載されているページを開いて水瓶座の項目を表示する。

「優しかったのなら・・・」

 ルーズリーフの空白部分に日付を最初に書いてその後に順にラッキーアイテムを記入していく。日曜日まで書いて、それでも余っていたスペースにペン先を当てた。少しだけ動かし、でもそこから書けずに消しゴムで白い状態に戻す。
 かすを払い専用のファイルに閉じた。

「優しかったのなら・・・こんなことをする必要にはならなかったのだよ」

 

 荷物を纏めて図書室を後にした。
 黒子の自宅に寄るために早めの帰路につく。当初は休日に渡しに行っていたけれど、折角の休みの日に自分の時間を潰してまで通わせてしまっていると、黒子の家族の目には映ってしまったようで返って気を遣わせてしまった。なので学校帰りに立ち寄る事にしている。

 最初にドアの前に立つ緑間の姿を目にした時、黒子の母親は驚愕し呆然としていた。それもいい意味では決してない方でだ。
 ぱっと見ただけで緑間がバスケ部員だとわかったのだろう。黒子が出場していた試合に観戦に訪れているという話を黒子本人から聞いていたし、そのコートには高確率で緑間も共に立っていたはずだ。知っていてもなんら不思議ではない。
 黒子が登校拒否をする原因に関わっている緑間を好意的に迎える訳がないと、頭では分かっていても困惑しているその顔に胸の奥がちくりと痛んだ。
 典型的な挨拶を述べて鞄からファイルを出し「今週のノートを纏めた物です。良かったら」と手渡し、足早に去った。
 長居など出来ない。黒子の様子を気遣うような台詞も吐けやしない。自分にはその資格はないのだから。

 今日で四回目となる。慣れてきたのか今では黒子の母親は驚愕も困惑もしなくなってきていた。ちょっとだけ切なげな表情で緑間を出迎えてファイルを受け取ってくれる。
 玄関の前に立つと一度深呼吸をし気持ちを落ち着かせた。それから呼び鈴を鳴らす。

「はーい。あら、緑間君」
「こんにちは。これを渡しに来ました」

 そう言っていつもと同じようにファイルを差し出した。黒子の母親に拒否されずに受け取って貰えるだけでもありがたかった。

「・・・毎週、ありがとう」
「いえ、お気になさらずに。それでは失礼します」

 一礼してからきびすを返した。少し歩いて背後でドアが閉まるのを耳にしてから一度足を止め、二階の窓を見上げる。道路に面した青いカーテンが半分だけ閉められている部屋が黒子の自室だと聞かされた。
 影の一部でも空の色した髪の一房でも構わないから一目見れないかと目を凝らしたけれど、いずれも叶うことはなく緑間は小さく息を吐き、そこを後にする。

「俺の顔など見たくもないに決まっているのだよ」

 それで良い。黒子の負担をこれ以上増やしてどうするのだ。
 それでもこうして一週間分のノートを纏めた物を毎週届けるのは黒子の姿を一瞬でも目にし、生きてそこにいる事を確かめたいが為の足掻きだ。
 全中を初めとし今まで黒子を幾度となく酷く傷つけてしまっていたと言う自覚もあった。それの罪滅ぼしも兼ねている。
 許されるとも許して欲しいとも思わない。自分のしてきた事は決して間違ってはいない。
 だからと言ってそれを理由に誰かを、黒子を傷つけて良いなんてある訳がないのだ。
 ぎりっと握る左手の指にテーピングがめり込んだ。テープの切れ端が少し剥がれていた。


 今日は何月何日だろうか。カレンダーで確認すらしていないので曖昧にしかわからない。
 椅子に深く腰掛けて机につっぷすと先程まで読んでいた文庫本が指先に当たった。大好きな作家の本なのに一向に頭に入ってこなくて、なんだか申し訳なくて読むのを止めてしまった。
 こうして自室に籠もり自宅から一歩も出なくなって随分経つ気がする。中学三年、受験が控えているこの時期に絶賛不登校中で引き籠もり中だったが、家族はそれ攻めずに、疲れたのなら休めばいい高校なんてなんとでもなると受け入れてくれた。
 申し訳ない、幾度も思った。しかしそれ以上に疲弊していて一向に回復する兆しは見えてこない。
 退部届けを提出した日、自室のベッドに倒れ込んだ瞬間溜まっていた膨大な疲労が関を切ったかのように溢れ出し、酷い熱となり黒子の肉体を襲った。数日間寝込みやっと回復していたのだが、その頃には足がとてつもなく重く感じられるようになっていた。何十キロもある重りを常に引きずっているかの如く、まともに歩くことすらままならない。
 今は大分軽くなり階段の上り下りに多少苦労する程度だ。これなら学校に通えると、そう思ったのに校舎に近づくに連れてどんどん重くなっていき、仕舞には微動にしなくなった。無理無理自宅近くの公園まで戻り、ベンチに座って一日過ごした。
 それを繰り返し、学校に行きたくないのだとやっと気付き家族に正直にそれを話した結果拒否されずに不登校となった今に至る。 

 自分はなにをやっているのだろう。虚しい、悔しい、申し訳ない、苛つく、家族に甘えてばかりではいけない。なのにどうして良いのか解決策は見つかりそうにもなかった。
 せめて勉強だけはやれるだけやろうと教科書とノートを開くも自分で進めるには限界があり、途方に暮れていた矢先、緑間から授業の内容を纏めたファイルが届けられた。
 あの緑間が? 誰かから言われてやったのか? 何かよからぬ内容でも記載されているのでは?
 迷いに迷って開いて見れば、なんともない授業内容を纏めただけのもので逆に拍子抜けしてしまったくらいだ。
 一枚一枚めくるたび、こみ上げてくるもので視界が歪んでいき最後の一枚を目にした瞬間耐えきれず溢れさせてしまった。

「こ、こんな、の、用意出来ませんよ・・・」

 なにをやっているのだあの男は。どこまでおは朝信者なのだ。いちいち書いてどうするのだ。用意しろと言うのか。

「もう・・・ラッキーアイテムなんて、い、いらなっ」

 アホだ・・・彼は、緑間はアホなんだからきっとしょうがないんだ。一週間分のおは朝占いの結果とラッキーアイテムを書いて自分にどうしろと。

「これっじゃ・・・これ、ふっ、返せないじゃない、です、かっ・・・」

 嗚咽を漏らしながら濡れてたゆんだ紙面を指先でただただ撫でた。

 

 あれからと言うもの緑間は毎週このファイルと届ける為に家を訪れている。玄関先で対応に当たる家族と数言交わし、帰っていく。黒子が対応したことは一度もなく、家族から手渡されるのを静かに受け取っている。
 本当は自分で緑間の前まで赴き、礼を述べそして受け取るべきなのだろう。しかしまだそんな気にはならなかった。
 どんな顔をすればいいのか? きっといつもみたいに無表情を貫けば問題ない。でも緑間はどうだろう、何か言ってくるのだろうか。

 ――怖い。顔を合わせる勇気が出ない。まだ駄目なのだ。

 だから間接的に受け取り、誰もいない自室で一人、ありがとう、すみませんとだけ呟く。
 来客を知らせるベルが鳴り、母親が出たようだ。微かに相手の声が耳に入る。

「今週も来たんですね・・・」

 ドアが閉まる音がした後、ややあって一階から上がってきた母親からファイルを手渡された。 
 しかと胸に抱いて窓辺に近づき外を見下ろし、慌てて死角になる位置に身を隠す。緑間がこちらをじっと見上げてたのだ。目はあっていない、きっと大丈夫だと言い聞かせる。
 暫くして立ち去るのを確認してから窓越しに緑間の後ろ姿を見送った。

「緑間君・・・君はなんで・・・」

 なんでこんな事をするのかと緑間に問う勇気はまだ湧いてこない。
 ぺらりと最後のページを開き、今週もおは朝占いの結果が書かれているのをしかと目に留める。
 無言の優しさが、今は胸に痛かった。

 

「真太郎、これ先生から預かってきたんだけど・・・」
「あ、ああ。赤司か。わざわざすまないな」
「どういたしまして」

 日課となっているノートの纏め作業は大抵放課後に行っていた。しかし今日は別の用件が入っていてそちらを優先させる必要があるので、早めに帰宅しなければならず、代わりに昼食後の図書室に籠もっていた。
 赤司からプリントの束を受け取り内容を確認していると、頭上から小さな笑い声が降ってきて何事かと顔を上げると去ったとばかり思ってた赤司が口元を押さえて肩を震わせてふるわせていた。

「なんなのだよ」

 笑いを堪えている様子の赤司に少しむっとしながらペンを置いた。

「いや、ちょっとね」

 訝しむ緑間を無視して赤司は右手を持ち上げた。

「いつも見上げてばかりだったのに、ここ最近は逆に真太郎を見下ろしてばかりだなって思っただけだよ」

 面白そうに旋毛の辺りを指先でつついてくる赤司に、そうか?と応える。

「滅多に見られやしないしね。真太郎は見放題だっただろうけれど」

 赤司は気に入った玩具を手に入れた子供みたいに髪をいじっている。確かに赤司の言う通り、自分以外の誰かが髪に触れてくる機会は滅多にない。

「バスケ以外で誰かを見下ろすのも案外悪くないかもね。お前達にはちょっと分からないかもしれないけど」
「そう、か・・・?」
「たまには見下ろされてみたら?」

 暫くして赤司は去って行った。
 先程まで触れられていた箇所に手を伸ばし、乱れた髪を整える。
 見下ろされてみたら。赤司はそう言った。
 見下ろされるシチュエーション、可能なのは緑間より背の高い紫原くらいしか思いつかない。いつも誰かを、話す時すら見下ろしている。目を合わせたり相手に会わせて腰を屈めたりしていた。
 黒子だって例に漏れていない。
 遙か下から臆することなくこちらを見上げてくるあの青みがかった瞳が緑間は嫌いではなかった。
 どんな時でも緑間の目を真っ直ぐに見て話そうとするその姿勢は好ましかったのだ。
「最後にちゃんと話したのは一体いつだろうな・・・」

 思い出せない。
 だって彼はずっと俯いてばかりだったのだから。俯いてばかりの黒子を見下ろしてばかりだった。
 旋毛を見るのはもう飽きたと冗談の一つでも言ってやれば良かったのか。

「今はもう、見上げてばかりになったのだよ」

 そう、今はただ、黒子がいるであろう部屋を無言で見上げるばかりだ。

 

 教科書とノートを閉じて棚に戻すと、手元には緑間が定期的に寄越すルーズリーフとクリアファイルだけが残った。
 緑間は一番最初だけ分厚いバインダーに閉じた物を渡してきた。それ以降はクリアファイルに入れてある状態で持ってくる。
 最初に親から渡された時、何事かと思ってしまった。何が入っているのか知らされていなかったので、開くのに躊躇し数日間放っておいて、それから恐る恐るバインダーに手を掛けたのだ。
 一枚目に『今は使用していないバインダーだから返す必要はない。お前の好きにしろ』と書かれていて、二枚目からは各教科ごとに授業内容を纏めた物を挟んでいた。最後のページには来週のおは朝占いの結果をわざわざ書き込んでいる周到ぶりだ。
 好きにしろと言われても・・・と困惑しどう扱うか迷っている間に一週間経っていた。緑間は再びクリアファイルを持って自宅を訪れ、渡すだけ渡して帰っていった。
 今なら一番最初に何故やたら大きいバインダーを寄越したのかが分かる。毎週持ってくるからこれを挟めという意味合いだったのだろう。おは朝占いの結果も欠かさず記入されている。

「僕にどうしろっていうんですかね」

 苦笑しながらそのページを開いてみた。ラッキーアイテムまできっちり書いてある。「君はほんとに・・・」

 ふと、その下の空欄に何かを消した跡があるのに気付いた。目を凝らすが元が薄いのか、文字は判別出来ない。
 緑間は・・・何を書くつもりだったのだろう。
 棚からバインダーを取ってそれぞれの教科ごとに挟んでいく。クリアファイルはバインダーの隣に並べているのだが、少し溜まってきていた。
 彼は返す必要はないと言ったけれど、クリアファイルも含まれるのだろうか。無限に有る訳がない。毎週これを繰り返していたらとんでもない量になる。

「これだけでも・・・返さないと・・・」

 でもどうやって? 郵送? 人伝? 家族に頼む? それとも・・・。

「直接返さないと、きっと駄目・・・ですよね・・・」

 だって緑間は自宅を、黒子の元を、自分の足で歩いて訪ねてくるのだから。一向に顔を出そうとしない自分に何も言わずに、だ。言いたいことだってあるに違いないのに、追求しようともぜずに。
 ああ、やっぱり君は優しい人だ。本質はきっと変わっていないのだ。そう思いたい。

 外に誰の姿も見当たらないのを窓から少し離れた位置で確認し、それから静かに窓を開ける。
 残暑が残るものの季節は秋へと変わっていた。
 バインダーを胸に抱き、そこにはいない人の名をかさついた唇で音もなく象った。

  


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