たまには


 

 いつものように緑間の通う秀徳高校と黒子の通う誠凛 高校のちょうど中間地点ら辺にあるマジバで、部活終了 後に緑間は黒子と落ち合っていた。
 当然毎日のように、は無理なので週に数回会えれば上 出来だと互いに納得しあっている。
 公園や図書館、スポーツ用品店、書店等を利用する日 も多々あったけれど、黒子の好物であるマジバのバニラ シェイクと緑間の好物であるお汁粉の両方を同時に満 たすことが可能なマジバが一番多かった。

「どうした?」
「なにがですか?」 

 今日も窓際の席を陣取り二人向かい合ってポテトとア ップルパイを頬張っていた。自分も払うという黒子を制 し、どれも緑間が「らしいことをさせろ」と言いくるめ購入した物だ。
 何か言いたげな黒子を席に残し、カウンターで注文す る緑間はちらりと背後の黒子を見遣った。いつもなら文 庫本を開いているところなのに、頬杖を付いて携帯電話 をいじっているその顔には不機嫌ですと書いてある。
 学校で気に食わないことがあったのだろう。緑間とて そういった日はあるのだから仕方ないとは思うが、恋人 である自分と会っていてもそれは晴れないのかと肩を竦めた。 

「疲れているように見える」
「部活で疲れたんですよ」
「それもあるが、精神的に参っている。そっちの方なの だよ」 

 そう指摘すれば途端にばつの悪そうな表情になった。 

「隠しても無駄なのだよ」 

 なぜ緑間にバレないと思ったのか。ちゃんと見ている 、好意を向けている相手なのだから当然だという主張も 含めて言い切った。 

「火神とまた喧嘩したのか」 

 不機嫌の対象だって大抵当たっている。諦めて好きな だけ自分に愚痴ればいい。それくらい受け止めてやれる 。 

「そんなところです」 

 居心地悪げに体制を立て直し黒子はアップルパイを一 口かじった。噛み砕いてからシェイクを啜る。いつもより味気ない。 

「本当にお前達は喧嘩が絶えないな」
「まったくですね」 

 前の相棒とは滅多になかったと思う。
 しかし緑間は火神と黒子の喧嘩をあまり否定したり諌めよう気にはならなかった。喧嘩だとしても言いたいことを遠慮せずに言い合えるだなんて、なんて素晴らしいのだろう。

 中学時代に黒子と離別し、高校で再会し紆余曲折を経 て恋人同士となった今だからこそそう思える。

 過去の自分達は本心から言い合っていたのだろうか。 否、だったと思う。言い争いはしょっちゅうだったけれ ど毎回周囲に諫められていたし、最後には何を言っても無駄だと諦め、そして黒子は姿を消してしまった。残ったのは空しさと後悔ばかりだ。
 だからこそ、本心から喧嘩しあえる相棒を持てた黒子 の今の姿を喜ばしく思う。自分達では無理だったのだ。
 思う存分やればいい。

 が、それはそれ、これはこれだ。
 今は放課後の逢瀬中なのだからこの場にあまり持ち込 まないで欲しいというのが本音だ。自分との時間を優先してくれまいか。  
 目の前にいる恋人より相棒なのか。
 我ながら女々しいと思いつつも、そう願わずにいられ なかった。 

「一晩経てばいつものように戻るだろう。今日はもう諦 めるのだよ」 

 諦めて自分を見ろ。今はそれが正しい。 

「そうですかね」
「そうなのだよ」 

 緑間の言わんとしていることが通じたのか、黒子は口元を緩めた。 

「そうですね。…君の言う通りだ」 

 食べ終えたアップルパイのケースを丸め、トレーの上 にぽいと投げ出すと黒子はまたシェイクを啜る。
 今度はちゃんと、甘い。
 美味しくなかったものが美味しくなる。緑間は凄い魔 法を使えると関心しながら、バニラの味を堪能する。 

「緑間君、火神君に嫉妬したんですね」 

 途端に噎せる緑間に黒子は思わずふっと笑う。目元を赤くしながらすれた眼鏡を元の位置に戻す姿がいじらしい。 

「悪いか…」 

 あまり見られたくないらしく、ぷいっと顔を背け窓の 方を向いてしまった。窓に映っているのだから意味をな さないのにな、と無くなりかけのフライドポテトを頬張りながら黒子は首を傾げた。 

「悪くないです」 

 そんな緑間の横顔にふと、黒子はあることに気がついた。 

「そういえば僕達、喧嘩したことなかったですね」 

 中学時代を思い起こしてみたけれど、言い争いばかりで喧嘩とはなにか違う気がした。
 したことがない。そう結論に至った。 

「そうかもしれんな」
「ですよね」 

 赤みの引いた緑間が正面に向き直る。手元のお汁粉はいつの間にか空になっていた。

「緑間君」
「なんだ」
「してみませんか?」 

 なにを、だなんてきっと今更だ。 

「喧嘩しましょう、緑間君」 

 素敵ないたずらでも思いついた幼子みたいな顔で黒子は言い切り、それは始まった。 黒子がバニラシェイクを飲み干したその瞬間、始まりを告げる鐘の音がどこがで鳴ったのが聞こえた。

   

 昼食を終えた昼休み、緑間は一人図書室へと足を運んだ。奥のあまり人気のないテーブルを選び腰を落ち着かせると、持参した親書を開いた。挟んでいた栞を外して書籍に目を落とす。
 あと残り半分ほどだ。数日で読み終わるだろう。そう思いページをめくるが内容がいまいち頭に入ってこない。
 ため息を付いて顔を上げた。ぼんやり外を眺めるが新書を持っていない右手がつつ、と制服の胸元を下がりポケットの辺りを探り始める。
 あまり意識しないよう努めているのだが、手は自然と携帯電話を探してしまう。そうして少し膨らんだポケットから引き出してしまった。

「……。」 

 ぱかりと開き画面を確認するが何も届いてはいない。またため息を吐いて画面を閉じ
た。

 読むことを諦めた親書に栞を挟みテーブルの上に投げ出して、背凭れに寄り掛かる。 

「なーにしてんの真ちゃん」 

 そんな緑間にお構いなしに話し掛けてくる高尾が少々鬱陶しい。 

「なにか用か…」
「なんだと思う?」
「…なんでも構わないからさっさとするのだよ」 

 図書室内ということに配慮してか若干声量は押さえられてはいた。しかし鬱陶しさは変わりなく、うんざりしてくる。
 さっさとしろと促すが、向かいの席に座った高尾はにやにやするばかりだ。 

「なに、真ちゃん。テッちゃんとなんかあったー?」
「……」 

 疑問系だけれど、初めから黒子の名前を出す時点で意味をなしていない気がする。ばればれなのだから諦めろと言わんばかりだ。
 結局言わざるを得ないのか。 

「黒子と喧嘩しているのだよ」
「マジで?なんで喧嘩!?めっずらしー!」 

 まあそうだろう。緑間の傍らで黒子とのあれこれを散々目にしてきたのだから当然の反応だ。
 その上黒子と緑間の関係どころか交際内容までだだ漏れに近い状態だった。赤裸等もいいところだろう。 

「うーんなんだろ、口喧嘩みたいなのはしょっちゅうしてるじゃん。でも真ちゃんのその様子だと、それとは違うんでしょ」
「違うのだよ」
「中学の時もしてたのか?」
「中学、か…」 

 黒子とは気が合わない。それはもう初めから決まっていて、どうしようもない。
 意見の対立など数え切れない程してきた。 

「いや…。言い争いはしょっちゅうしていたのだがな…」
「だよねー。簡単に想像付くわー」 

 手に持っていたプリントをヒラヒラさせながら笑う高尾に肩を竦める。きっと想像通りだろう。 

「で、その度に周りに諫められていた、と」
「そうだ」 

 それは大抵黄瀬の役目だった。青峰は面白半分に煽り、紫原はうるさそうに離れた位置で菓子を頬張り、赤司は傍観しつつも最後には叱責する。毎回そうだった気がする。 

「仲直りはどうしてたの?」
「仲直り…?」 

 仲直り…仲直り…仲直り…。
 単語を繰り返し呟いてみる。
 しかし何度繰り返しても黒子と仲直りしている場面が思い起こせず緑間は黙り込んでしまう。 

「もしかして…ない?」 

 もしかしなくても、ない。
 そうだ、だからこそ緑間は困り果てているのだ。 

「ないのだよ…。自然消滅と言うか、いつまで経っても意見が合わず平行線のままだから周りに止められてその場は終わり、翌日には何事もなかったかのように振る舞ってい
た…。仲直りするなど考えてもいなかった。むしろ考えたことも無かったのだよ」

「すげぇよ真ちゃん…。呆れるを通り越して関心しちゃうぜ」
「まったくだな」 

 黒子は今頃どうしているのだろう。
 もう随分と連絡を取り合っていない。毎日やり取りしていたメールもぱたりと止んでいる。
 黒子も同じように悩んでいるのだろうか。 

「高尾…」
「ん?」
「仲直りとはどうやってするものなのだ?」 

 緑間としては至極まじめに聞いたのだが高尾はぽかんと目を見開いたまま固まってい
る。
 

「そこからなの…?」 

 口元をひくつかせている高尾に無言の肯定で返した。 

  

「なんだお前、こっちのマジバなのか」 

 好物のシェイクを堪能しているとトレーに山のようにバー ガーを積んだ火神がこちらを見下ろしていた。 

「そうですけど、なにか」
「いや、別に…」 

 そう言って火神は黒子の前のテーブルにトレーを置き、向かいの席に座った。拒否する理由もないし、ここはこのマジバでの火神と黒子の指定席のようなものだ。他に移動するのも今更だ。 

「今日は部活早く終わったから、てっきり緑間のとこに行ったのかと思ってた」
「僕だけが早かったら無理じゃないですか」
「それもそうだけどよ」 

 コーラ片手にバーガーの山をどんどん崩していく。いつ、何度見ても胸焼けしてしまいそうな光景だ。もう見ているだけで腹が膨らんでくる気分になる。
 うんざりしながらシェイクを啜っていると、ほれ、とバーガーを一つ黒子の胸元目掛けて投げて寄越した。 

「なんですか。ってか食べ物を投げちゃ駄目でしょう」
「やる。肉食え肉」
「もう…」 

 火神は見た目に反して面倒見が良かった。特に相棒である黒子に関しては日頃から気に掛け、あれこれ世話を焼いている。
 もう幼い子供じゃないのだからそこまでしてくれなくても構わないと言えば、代わりに課題を手伝えと言い返してくるので黙って頷くしかなかった。 
 火神が好むチーズバーガーは確かに美味しい。一つくらいなら帰宅してから食べる夕食にもあまり支障をきたさないだろう。
 ちまちま齧っていると、火神が何か言いたげにちらちらとこちらを見ているのに気が付いたので手を止めて顔を上げる。 

「なんですか?」
「いや…」
「さっさと言った方が身のためですよ」
「なんだそりゃ」 

 遠回しな言い方では伝わらないようだ。 

「月曜日提出の古文の課題頑張って下さいね」
「ぐっ…!」 

 途端に噎せる火神に黒子は苦笑した。この様子だと手伝わせる気満々だったのだろう。 言いたいことはさっさと言ってしまえと促せば、落ち着きを取り戻した火神が正面から見据えてきた。 

「緑間とうまくいってないのか」
「直球ですね」 

 火神らしく回りくどいことはしない。思うままの発言だ。 

「いや、だってよ…」 

 とは言え、内容が内容だけにはっきり口に出すのには躊躇いが生じるようだ。優しい男だなと黒子は口元を緩めた。
 そんな火神に免じてこちらも折れてやろう。 

「うまくはいってますよ」
「おう」
「ただ、うまく行き過ぎな気がしまして」
「なんだそりゃ。ワガママだな」 

 火神の言うとおり、ただのワガママでしかない。
 過去の自分達を振り返ってみれば、今現在緑間と想いが通じあい交際関係にある状態が摩訶不思議でならない。緑間を想っているのだと気付いたのだって彼らと離れ一人静かに過ごしていた時で、もうその時点で何もかも手遅れでどうしようもないと、日々自嘲していた。
 そうして高校に入学し、再会を果たしても、その想いを告げる気なんて毛頭なくて、ほろ苦い思い出の一部へと昇華する日を気長に待っていた。
 今だって不思議でならない。
 どうして緑間だったのだろう。緑間に好意を寄せたのだろう。きっかけすら思い起こせない。
 緑間に問うた時もあったけれど、似たような答えしか返ってこなかった。似たもの同士だなと笑い合ったものだ。 

「で、ですねこの前会ったときちょうど君と喧嘩した日だったんですよ」
「お、おう」
「色々気に掛けてくれた上、なんと君に嫉妬までしちゃいました」
「……おう」 

 だんだんと小声になっていく火神は食べる速度も伴って遅くなっていく。居たたまれないのか黒子から視線を外し、トレーの上のバーガーを凝視している。
 ちょっと申し訳ないけれど、話すよう促したのは火神なので流すことにした。 

「それで僕と緑間君、まともに喧嘩したことがないなってなりましてですね」
「そうか?俺が初めてお前と緑間が話してるのを見たときも、なんか空気悪かっただろ
が。中学の頃とかしょっちゅうしてそうなイメージあんだけど」

「言い争いは頻繁にしてましたね。平行線を辿るばかりで途中でアホらしくなって、最後にはそれもなくなっちゃいましたけど」 

 本当はアホらしいから止めたのではなく、言う事自体諦めただけだった。どうせ分かりあえないのなら言うだけ無駄だし、体力精神共に消耗するだけでしかない。なんて不毛で馬鹿馬鹿しい。
 そうして互いに意見し合うのを終わりにした。終わりにしなかったら別の道が開けていたのかもしれないけれど、当時の自分達ではそれは無理だった。
 

「なので喧嘩しましょうって、緑間君に言ったんです」
「はぁ?」
「緑間君喧嘩したそうだったんですよ」
「いやいやいや…何言ってんだお前。つか喧嘩したそうってなんだよ。したくねーだろ喧嘩なんて」
「まぁ普通はそうなんでしょうけど、なんか緑間君喧嘩相手の君が羨ましそうだったの
で、じゃあ自ら体験してみてはどうかと思いましてね」
 

 そして今に至る、と。 

「言い争いと喧嘩ってなんか違うじゃないですか」
「そうかぁどっちも大して変わんねーよ」
「それはきっと僕と火神君だからです。緑間君は違うんですよ。遠慮なく言い合えてどつき合えてる君が羨ましくて仕方がないんです。過去の僕達からしてみれば想像を絶していますね」 

 そこまで話を聞いた火神は、ああ、と納得したのか頷いて返した。 

「ムカついても殴るとかしなさそうだもんな、昔のお前ら」
「火神君は殴ってたんですか…」
「ん?ああ、口で言うより殴った方が早いしな。タツヤも遠慮なくぶん殴ってきたぞ」「殴りあいの喧嘩とか、信じられませんが火神君らしいです」 

 確かにすっきりはしそうだが痛いのはごめん被る。避けれるだけ避けたい。 

「殴り合うっつっても一発だけだぞ」
「そうなんですか」
「互いに一発ずつだな。何回もはねーわ。ああそういや日本に戻ってからまともに殴ったのお前だけだ」
「先に手を出したの僕ですけどね…。火神君ちゃんと手加減してたでしょう。あの状況で手加減できるって凄いです」
「無意識だよ。全力で殴ったらお前死ぬだろうーが」 

 すみません、僕全力でしたと心の内で謝罪しておいた。火神に全力で殴られたら首があらぬ方向へ曲がってしまいそのまま戻ってこなさそうだ。
 手加減してくれた火神に感謝する。 

「黄瀬や緑間はともかく、青峰と紫原は手ぇ出すの早そうだけど違うのか?紫原のやつ捻りつぶすって言ってただろ」
「あれは周りに対する警告と牽制ですよ。本当に捻り潰したことなんてないですよ、紫原君。物に当たっても人には当たりません。青峰君は…開花してから手を出すようになったと思います。確かに気が短くて少々暴力的な面もありますが、誰これ構わず手を出したりしないですよ」
「紫原は背が高過ぎて大抵のヤツは顔に手が届かねーだろ」 

 さっきから火神は顔を殴ることしか話してない。この様子からして火神が誰かを殴る場合、狙う場所は顔面と決まっているらしい。顔面を一発殴ってKOするのが火神流なの
か。そう言えば自分にちょっかいを出してくる際に触れてくるのも大抵頭部な気がする。位置的にも丁度いいのだろう。
 

「…で、だいぶ脱線しましたが緑間君とお試しの喧嘩をしている真っ最中なんです」
「お試しって具体的にどんなことやってんだ…?」 

 喧嘩なんてものは何かしら理由があって起こるものだ。やろうとしてやるものでも、出来るものでもない。
 なので緑間と黒子の今の状態は火神にはさっぱり理解出来なかった。 

「オーソドックスに連絡を絶ってみました。あとは緑間君が立ち寄りそうな場所には近寄らないようにしています。そんなところですね」
「どのくらい連絡してねーんだ?」
「そろそろ二週間です」
「二週間もかよ!」 

 数通程度とはいえ毎日メールを交わしている姿を間近で目にしてきたのもあってか、二週間と数字に火神はただただ呆れるばかりだ。 
 力無く項垂れ最後のバーガーをコーラで胃に流し込む。好物が美味しく感じられないのは目の前の黒子のせいに違いない。 

「緑間からもなんもこねーのか」
「きませんね」
「で、お前からもやってねーと」
「やってないです」 

 盛大にため息をついた火神は残っていたコーラを飲み干した。底に溜まった氷がからからと音を立てるのを聞きながらトレーに戻した。 

「んで、いつまでやる予定なんだ」
「決まってないです。決まってないから今どうしようかなーって悩んでいるところです」「あっそ…」 

 緑間の相棒である高尾が頭を抱えている姿が容易に想像出来てしまう。もう同情しか沸いてこない。
 胃に穴が空いてるんじゃなだろうか。 

「いつ止めたらいいと思いますか?」
「知るかよ!!ああもう、とことん緑間の気が済むまで付きやってやれば?」 

 緑間が音を上げるのが先か、それとも言い出しっぺの黒子が折れるのが先か、その両方か。
 もしくは、 

「俺らが疲れ果てて手と口を出すのが先か…だよな」 

 それが一番な気がする。 

「頼むから俺らをあんまり巻き込まないでくれ…」
「善処します」 

 ちらりと黒子の顔を伺った火神はテーブルに突っ伏した。そんな気は微塵も感じられなかったからだ。
 黒子と別れて一人自宅へ向かう火神の足取りがいつもより重い。
 帰って夕食を済ませたら、熱いシャワーを浴びてすっきりしたい。それからきっと同じように悩んでいるに違いない、緑間の相棒高尾に連絡してみよう。向こうの様子が知りたいのもあるし、らしくなく愚痴りたい気分だった。 

「さっさと終わってくれ…」 

 そう願うほかなかった。   

 

 今日で緑間と連絡を取り合うのを止めて三週間になる。正直こんなに長くなるとは予想外だった。
 緑間用に設定してある携帯電話の着信音は鳴らないままだ。休み時間の度に鞄から取り出し画面を眺めては、ため息をつくのが日課になりつつある。
 言い出しっぺは自分自身だと言うのに、どう収拾付けたらいいのか妙案が思い付かな
い。

 火神経由で緑間の近況は耳に入ってくる。高尾と火神であれこれやり取りしているらしく、「どうしたらいいのか分からないのだよ!って毎日言ってる上に機嫌も頗る悪い。なんとかして!って高尾がメールで泣きついてきた」と、その画面を至近距離で押し付けてきた日もあった。

 火神以上に高尾がもろに影響を受けているのは安易に想像がつくので、少々申し訳な
い。
 

「そろそろ諦めてやれよ。高尾が可哀想だろが」 

 顔を上げると課題のプリントを手にした火神がげんなりしながら黒子を見下ろしてきていた。 

「緑間君じゃなくて高尾君が可哀想なんですか」
「緑間はどうでもいい。高尾に心底同情するね。だからほら」 

 何がほら、なのかと思えばどうやら記入済みであろう黒子のプリントを出すよう催促しているようだった。椅子ごと黒子の方に向き直り、プリントを机に置いてシャープペンを持ち、空いた片手を差し出して早く見せろと 促している。 

「だからってなんですか」
「これで手を打ってやるよ。早く見せろって」
「何をどう手を打つつもりなんですか、君…。むしろこっちが本命でしょう」 

 プリントは今日の放課後が提出期限だ。しかし火神のプリントは殆どが空欄だった。自力で解いた箇所があるだけ以前よりましなのかもしれない。 

「うっせ!間に合わなくなるだろうーが。そしたらお前が困んだろ」 

 人のせいにするなと内心突っ込みつつも、結局黒子はプリントを出してしまった。確かに火神の言う通り最も困るのは黒子だ。つけも何かしら回ってくるに違いない。そしてそれ以上に黒子は相棒に弱い。
 それを理解した上で最大限利用しようと画策してくるのだから質が悪いったらありゃしない。しかも天然なので、何を言っても無駄な気がして結局黒子は折れてしまう。 

「で、見返りはなんなんでしょうか?」
「んー?」 

 さっきの言いようだと何か策があるのだろうが、せっせと空欄を埋め始めた火神は空返事を返すばかりだ。
 やれやれと肩を竦めて窓の外に目を遣る。黒子の心中とは真逆の秋空が広がっていた。そう言えば母親が布団を干すと朝話していた。ふかふかの布団は転がりがいがありそう
だ。
 

「まぁ…なんだ」
「…?」 

 火神は黒子をそっちのけで課題をこなすことに躍起になっているのだとばかり思っていたので、意表を突かれてしまった。
 正面を向くと火神は相変わらず黒子のプリントを書き移していたが、話は聞いていたらしい。 

「あれだな、金曜日は着替えを余計に持ってきておけよ。下着の他に普通に着るヤツも
だ。あっても困らないしな。居残り練習もなしだ」

「はあ…」
「あとはそうだな。親に土日は友達んちに泊まるって言っておけよ」
「……」 

 口を噤んで返事をしなくなった黒子を訝しんだ火神は一端手を休めて顔を上げたが、白けきった蒼い目が冷たくこちらを見ていた。 

「な、なんだよ」
「僕はですね、打開策が聞けるのかと期待したわけです。それがなんですか、金曜日は部活をさっさと切り上げて、そのまま君の家に泊まり込み山のような課題の手伝いをしろ
と」

「ば…!ちげぇよ!」
「どこか違うんですか。一人では手に負えないほど課題が出ていたとは流石に知りませんでしたよ」
「だからちげーつってんだろが!」 

 ダンッと火神は拳を机に叩きつけた。シャープペンを持ったままだったのでぽきりと芯が折れ、黒子の頬に当たる。 

「っつ!」 

 ちくっとした痛みを頬に感じて黒子は反射的に目を瞑った。 

「あ、わりい!」 

 芯の当たった箇所を指先で擦る。芯はもうどこかへ飛んでいってしまい見当たらない。 

「いい度胸してますね火神君。課題は手伝ってあげませんから思う存分頭を悩ませて下さい。余計な荷物は重くなるだけなので、予備の衣類は持ってきませんから」
「そうじゃねよ!」 

 火神の叫びと被るように予鈴が鳴った。まだ写し途中だったけれど容赦なくプリントを回収する。
 引き留めようとした火神の手が空しく宙をさまよう。 

「先生が来ちゃいますよ。前を向いたらどうですか」 

 机の中から日本史の教科書とノートを出しながら促すと、しぶしぶ火神は正面に向き直った。 

 しかし火神はなぜ突拍子もなく予備の衣類を持ってこいと言い出したのだろう。金曜日は午後から雨が降る予報でも出ていたのか。それとも着替えが必要になる授業や、部活で何かやる予定があるのか。そんな話は今現在耳にしていない。 

「そもそもどうしてそんな話しになったんですかね」 

 高尾が可哀想だからいい加減やめてやれ、課題のプリントを写させろ、それで手を打ってやる。金曜日は居残り練習しないでさっさと帰れ、着替えは多めに持ってこい。火神はそう話していた。
 打開策を期待してたのに、とがっかりしたけれど、ひょっとして火神は妙案を黒子に出すのではなく自ら動いてどうにかしようとしていたのだろうか。その上で着替えを持ってこいと、そう言いたいのか。 

「秀徳に殴り込みにでも行くつもりなんですかね…」 

 秀徳と言うか緑間か。
 実力行使もいいところだ。しかも緑間の顔面に拳が入る直前に高尾が割って入り、緑間の代わりに殴られ吹っ飛んでいく様があいらりと脳裏に浮かんでくる。
 火神の言う通り、まさに高尾が可哀想でならない。彼もただ巻き込まれただけで何の罪もないのだ。
 火神は手を出してこない相手を殴るような真似はしないだろうが、怒鳴り込みに秀徳へ行くくらいはするかもしれない。念には念を、あとで火神に釘を指しておこうか。そう思い、教科書の戦国武将に視線を落とした。 

「…!」 

 ちょうどその時鞄の中の携帯電話が震えた。メールか電話が来たのだ。周囲に気付かれないよう腕を伸ばして静かに取り出し、教科書を盾にして画面を開く。
 相手は緑間ではなく目の前に座る火神だった。背後から伺うと、黒子と同じように教科書を立ててその影で携帯電話をいじっているのが確認出来た。
 もしかして、と期待したのに火神からとは…と肩を落としながら本文に目を通すと、さっきのやり取りについてだった。 

『あれはな、最初に言い出したの俺じゃなくて高尾だぞ!黒子にいちよう言っとけって
さ。なんでだとか知らねーけどどうせ緑間絡みだろ。高尾のためを思うなら持ってきてやれよ』
 

 自分に直接言えば早いのにと思ったけれど、火神と高尾が会話する中で出てきた話なら火神経由にもなるだろう。 

『そう言うことなら持ってきます。わざわざどうも』 

 あの高尾のことだ。何か理由や策があって火神にそう伝えたのだと思う。 

『そう言うことなら持ってきます。わざわざどうも。それとは別に、高尾君からの伝言を餌に課題を見せろっていうのはどうかと思います。今週中は手伝わないので頑張って下さい』 

 送信ボタンを押すと火神の手元にあった携帯電話が震え、即座に内容を確認しているのが僅かに伺えた。
 暫くカチカチと操作していたけれど突然ぴたりと止まり、眉間に青筋を立て口元をひくつかせつつ背後の黒子を振り返ってきたけれど見ない振りを貫いた。  

 高尾には帰宅してからわざわざすまないとメールを送ったのだが、 

 『真ちゃんツンデレだしどうやって仲直りしたら良いのかさっぱり分からないってもんもんしてるよ。本とか読んで研究してるみたいなんだけどさー。あ、今度の土日部活ないんでしょ。うちもバレー部が練習試合するから体育館使えなくてないんだよな。良い機会だからダメ彼氏にお説教してやって!』 

 と絵文字満載な返信が届いた。
 とすると予備の衣類は緑間の家に泊まるための物なのか。金曜日の夕方から日曜日に帰るまで緑間とずっと一緒にいられる機会なんて滅多にない。
 名目上の喧嘩であって、実際は緑間と喧嘩なんてしていないのだ。
 ちょっと前まで底の方に沈んでいた気分が一気に上昇する。
 課題はそれまでに全て終わらせておこう。どんな服を持っていこうか。数日間緑間家に宿泊するのなら菓子折りを持参するべきか。食事はどうしよう。
 あれこれ考えるのかとてつもなく楽しい。お預け状態から解放された二号はいつもこんな気分を味わっているのだろうか。 
 英語のプリントを終わらせて、古文の課題にも取り掛かってしまおう。明日には終わるはずだ。週末が楽しみで仕方がない。 

「お風呂早めに入っちゃいましょう」 

 いつもなら疲労困憊で引きずるように浴室へ向かうのに、今日は跳ねて行けそうな足取りだ。
 早く金曜日にならないか、そればかり考えながら鼻歌交じりに湯船に浸かった。   

「真ちゃん今日どうすんのー?」
「なにがだ」
「なにがって帰りさー…」 

 黙々と仏頂面で学食を口に運んでいる緑間の向かいで高尾は同じメニューを食べていた。本日は人気の鯖味噌定食なのだが口に黙々と運ぶ緑間の顔を眺めているとちっとも美味しそうに見えない上、自分のも味気なく思えてくる。鯖味噌が可哀想だ。 

「帰り?」
「待ち合わせとかしてないんだろ。連絡もしてないしどうすんのかなーって」 

 高尾と火神が間に入って愚痴も兼ねた状況確認や伝達を行っていたけれど、黒子に伝えた事と言えば『着替えを多めに持ってこい』くらいだった。具体的な内容は何一つない。
 こんな状態で大丈夫なのかと心配になってきてしまう。 

「そう…だったな」
「あ、そう…」 

 ぴたりと箸を止めた。高尾に指摘されてようやっと気が付いたようだ。 

「まだ時間あるし今のうちにメールでもしておいたら?」
「そうなのだが…」
「もうさぁ無理に文章考えるより事務的に何時にどこに集合、何々持ってこい。でいんじゃね? どうしようって悩んでる内に放課後になっちゃうよ。真ちゃんが無理なら俺が黒子にそれメールするから、さっさと決めなよ」 

 それ以前にどうやって仲直りするのか考えついたのかすら不明だ。散々悩んでいたけれど、解決策は見つかったのだろうか。
 そんな状態で大丈夫なのか。 

「……」
「聞いてる?」
「高尾」
「ん?」
「結局解決策は見つからなかったのだよ」
「うん」
「だがな…」 
  

「黒子聞いてんのかー?」
「うるさいです」
「聞こえてんだったら返事しろよ!」
「…うるさいです」 

 順調に課題をこなし、荷物も早々に準備して週末が訪れるのを黒子は心待ちにしていた。
 が、途中で何も具体的な事柄を決めていないのに気が付いた。緑間からの連絡はなく、高尾もあれからメールを送ってこない。かといってこちらから催促するのもなんだか気が引けてしまう。
 そうしてはっきりとした予定が決まらぬままいつの間にか金曜日になっていた。
 家族には伝えてあるし、了承も貰っているので問題ない。荷物もしっかり持参してき
た。

 そもそも高尾が持ってこいと言ったのであって、緑間ではないのだ。当の本人の意見は何一つ入ってこない。黒子としては泊まる気満々なのだが緑間はどうなのだ。
 これは非常にまずい状況なのではないかと今更黒子は内心青くなっている。 

「おい黒子!!」 

 ぐいっと肩を捕まれ半ば強制的に火神の方を向かされる。 

「痛いです火神君」 

 むっとして抗議するが一向に離してくれない。これでは跡が付いてしまいそうだ。 

「…もう。ちゃんと泊まる準備はしてきましたし家族にも伝えてありますよ。ご心配な
く」

「いや、でもなぁ」
「火神君、黒子君手が止まってるわよ!」 

 部活終了後、一年生が分担して片付けとモップ掛け行い二年生は簡単なミーティングをしていた。
 火神と一緒に用具を倉庫にしまっていたのだが、中断していたのが相田の目に止まり怒号が飛んでくる。
 片付けながらでも喋れると火神を促しボールカゴを押していく。 

「心配には及びませんよ」
「でもよ…」
「と言うか、あれこれ考えて悩む必要なんてなかったんです。だって…」 

 隣の火神を降り仰いだときだった。
 突然体育館の扉が大きな音と共に開け放たれた。乱雑な扱いをされた思い金属性の扉は両端にぶつかり鈍い音を体育館内に反響し、鼓膜を震わせる。まだまだ新しい部類に属してもよさそうな扉に傷が出来ていそうだ。
 中に居合わせたバスケ部員達は唖然としながらも一斉にそちらに目を遣った。 

「って、緑間…?」 

 制服姿の緑間が扉を両腕で開けた状態でそこに立っていた。走ってきたのか額から汗が幾筋も流れている。
 静まり返った体育館内には緑間の荒い息遣いがやけに大きく聞こた。体育館内に残っていたバスケ部員達は互いに目配せし、誰か声掛けてやれよ、何て言ったら良いのかと囁き合う。
 そして誰しもが目的は黒子だろうという同意見に行き着き、どこにいると周囲を見回し始めた。 

「えーと、ちょっと待ってろな。今呼んでくるから」
「おい一年、黒子どこにいるんだよ」
「さっきボールカゴ押して体育館倉庫に入って行きましたよ…て火神!」
「おう」 

 黒子と一緒にいたはずの火神がいつの間にか戻ってきていた。ならば隣に黒子がいるはずと目を向けるが生憎その姿は見当たらない。 

「おい火神、黒子は!?」
「まだ倉庫にいる。ったく、おい緑間!」 

 扉の所に立つ長身の男の姿を見るや否や、やれやれと肩を竦める。察するものがあったのか躊躇を一切せず、未だ呼気を整えている緑間に向けて声を張り上げた。 

「そんな大声でなくとも聞こえるのだよ…」
「黒子呼んでくるからちょっと待ってろ。表に水道あんだろ。顔洗って水でも飲んでろ」「…余計なお世話だ」 

 汗だくでぜえぜえ息を吐く男が言っても強がっているようにしか見えないのにと、火神は呆れながら黒子を呼びに戻った。  

「黒子迎えがきてんぞ。さっさと帰れ」
「迎えですか?ってなんですか」 

 体育館倉庫内で用具を整理していた黒子の二の腕を掴むと、喚く黒子を無視してそのまま有無を言わせず部室まで引きずっていった。 

「ほれ着替えろ」 

 ロッカーを勝手に開けると中から制服を取って戸惑う黒子に押し付ける。ついで鞄やらなにやらも引きずり出してベンチに置いた。 

「もう…。迎えって誰ですか」
「んなの決まってんだろ。緑間だよ」 

 片付けが終わっていないと着替えに躊躇していた黒子はその返答に顔をばっと上げた。 

「緑間君ですか!?」
「そうだよ。片付けは俺らでやっからさっさと行ってやれ」 

 途端に大急ぎで帰り支度を始めた黒子の姿に火神は苦笑しながらも手を貸し、脱ぎ捨てた衣類を黒子の鞄に押し込むと開けっ放しのロッカーも閉めたやった。 

「今頃表の水道で顔洗ってんじゃね。汗まみれだったしリアカーじゃなくて自分で走ってきたんだろうな」
「水道のところですね」 

 いそいそと制服の上着のチャックを上げて火神から手渡された鞄を肩に掛け、部室を後にしようとしたところではたと思い出し、再び鞄を開けて中からクリアファイルを取り出す。 

「月曜日ちゃんと持ってきて下さいね。忘れたら承知しませんよ。それじゃ失礼します」「…?あ、ああ。転ぶなよ」 

 走り去る黒子を手を挙げて見送った後でクリアファイルの中を確認した火神は思わず笑ってしまった。中には国語と古文の課題用のプリントが入っていたからだ。 

「ったく」 

 大事に自分のロッカーにしまうと片付けを終えるべく体育館に歩き出した。  

「緑間君!」 

 蛇口から流れる冷水で汗を流していると近づいてくる足音に気付いた。ここを利用する生徒かと思ったが、自分の名を呼ぶその声に一瞬手が止まる。
 冷水を浴びたことでだいぶ熱は収まってきたけれど、久しぶりに聞いた黒子の声にどきりと心音が脈打つ。
 形振り構わず黒子を抱きしめたい衝動に駆られるも、なんとか自我を保ち平静を装ってタオルで顔を拭いた。緊張で微かに震える手元に舌打ちながら眼鏡を掛け直し、側に歩み寄ってきた黒子をなんでもない風に見下ろす。 

「は、早かったのだな」
「火神君が僕のぶんの片付けをやってくれると言うので、ご厚意に甘えてさせてもらいました」
「そうか…」
「はい」
「……」
「………」 

 そこで会話が途切れてしまう。視線の先の黒子も少し気まずそうだ。
 なにか言いたげにもじもじしている姿にたまらなくなり、タオルを乱雑に鞄にしまうと黒子の手を取った。 

「え、あ、あの…」 

 そのまま半ば引っ張るようにして歩き出すと、黒子も慌てて足を動かしついてくる。 

「あの緑間君…」
「黙るのだよ」
「でも…」
「用事があるなら明日以降に全て回せ。どこにも寄らないのだよ」
「いえ、そうじゃなくて…」
「あとにしろ」 

 有無を言わせずぐいぐい手を引く。久々に触れた黒子の手の感触に泣きたくなってき
て、緑間は極力そちらから目を反らした。

 こんなにも細く小さかっただろうか。ずっと掴んでいる為か、熱が籠もりしっとりとしてくる。もしかしたら黒子は不快に感じるかもしれないが、生憎今は離す気にはなれなかった。 

「あっ!」
「!!」 

 が、早く帰宅することばかりに躍起になり、黒子が段差に蹴躓くまで周りがあまりも見えていなかったのに気付かされた。
 黒子と自分とではかなりの身長差があり、当然歩幅もだいぶ違う。なのにそれに配慮することなく己の歩調で進み、それに黒子は小走りに近い状態で必死に着いて来ていた。これで転ぶなと言う方が無理がある。 

 余裕がなさ過ぎて情けない。 

「すまない、大丈夫か?」
「なんとか…。ただちょっとだけ待って下さい」 

 派手に転倒するところまではいかなかったけれど、黒子は両膝を地面に着いてしまっていた。息も上がっている。 

「怪我はないか。痛むのなら…」
「はっ…。ちょっと痛いですけど…怪我はしてないと思います」 

 呼吸を整えると黒子は立ち上がり制服に付いた埃を払い落とす。 

「ふう」
「すまん」 

 がっくりとうなだれる緑間の姿に黒子は笑みをこぼし、大丈夫だからと長い腕をぽんぽんと撫でた。 

「もういいですから。ただ少しだけ速度を落としてくれると助かります」
「わかったのだよ」 

 緑間が頷くのを確認した黒子はさっきまで一方的に掴まれていた右手にそっと己の手を添える。
 びくっと跳ねるのに構わず指を絡ませしっかりと手を握った。 

「く、黒子!?」
「こっちのがいいです。駄目ですか?」
「駄目なわけ、ないのだよ」 

 やっと合った目元は照れて紅くなっているのに黒子は口元を緩ませる。絡ませた手を揺すって歩こうと促せば、そっと握り返されたのでしっかり握れと言わんばかりにぎゅっと力を込めた。途端に強く指を絡めてくる温かく大きな手が愛おしい。    

「ところで緑間君、確認なのですが君の家に向かってるんですよね?」
「そうだが言ってなかったか」
「言ってないです」 

 火神と高尾から教えられてはいたけれど、本人からは直接言われていなかったので念のための確認だった。 

「な…なにか予定が入っているのか?」
「入っていますが」 

 ぴたりと緑間の足が止まった。
 この世の終わりでも知ったかのような青い顔で見下ろしてくるものだから、思わず黒子は吹き出してしまった。 

「おい!」
「すみません」
「それで予定とは…」
「緑間君の家に泊まりに行く予定です。ちなみに今日から日曜までの二泊三日なんですけど、間違っていませんか?」
「間違っていないのだよ!!」
「ならよかったです」 

 今度は紅くなった顔に黒子は満面の笑みを浮かべた。  

 道中あまり会話することなく緑間の自宅に到着した。
 予め母親が暖めるだけの状態にしてくれていた夕食を食べ、緑間が食器を洗っている間に黒子はお茶を煎れてリビングで待っていた。
 緑間が隣に腰を下ろすのを見計らい、TVを消すと、目の前にどうぞとお茶を注いだ湯呑みを置く。
 向かいではなくちゃんと触れ合える距離で隣に座ってくれる緑間に黒子は目を細めた。 

「で、喧嘩してみてどうでしたか?」 

 一息着いたところで面白かったかとからかい混じりに問いかけた。 

「面白くなどあるものか。もうしたくないのだよ」
「したくなくてもしちゃうんですよ、喧嘩。この先君と僕で数え切れない程するかもしれません」
「そうならないよう、善処する」 

 そりゃあそれが一番だ。一番だけれど避けては通れない道でもある。
 そもそも今までなぜ喧嘩をしなかったのかが言い出しっぺの身としても不思議でならなかった。 

「僕火神君とはしょっちゅう喧嘩してるんです」
「前にも聞いたのだよ」
「なにかしら譲れないものがあって、言い争ったり喋らなくなったり小突き合ったりとか…もう頻繁にしてるんですよ。でもそれって互いを認め合ってるからこそだと思うんで
す」

「ああ…」
「で、僕と緑間君はどうなのかなって会わない間ずっと考えてました」 

 普段あまり喋らないのもあってか喉の乾きが早かった。半分程度まで減ったところで急須から注ぎ足し、口に含んだ。 

「火神君と君は逆のタイプじゃないですか。とは言っても思ったことは正直に言ってしまう面は似てますけどね」
「嬉しくないのだよ」 

 火神と黒子の間には相棒としての信頼関係が成り立っていて、幾度となく見せつけられている。無論そこには恋愛感情など微塵もないのだが、緑間は目にする度胸が締め付けられどうしようもない衝動に駆られる。
 なぜそこに立っているのは自分ではないのだろうか。自分では駄目だったのか、何が足りないのか。
 今の自分には高尾という相棒がいる。高尾に不満はない。口には出さないけれど感謝しているし、負けないくらいの信頼関係を築いていきたいとも思っている。
 それでも、分かっていてもどうしても考えてしまうのだ。ただの醜い嫉妬だ。 

「だからきっと違う形をしているんだなって。違う形で、でもちゃんと君のことを認めてるから喧嘩らしい喧嘩にならないんだろうって思ってます」
「なんだそれは」
「どうしてそんな言動や行動を取るのか、理解しているからです。ちゃんとそこには緑間君にとって正当な理由がある。キツいことを言ったとしても本音では優しくて、でも恥ずかしがりやさんだからその本音の部分を正直に言えず、周囲には冷たい人間だと写ってしまう時だって少なくない。本当はとても優しく気配りが出来る人なのにいつも損してばかりです」 

 いったんそこで切って残りの茶を一気に飲み干した。ことりと静かに湯呑みをテーブルに置き、緑間の膝の上にある大きな手に黒子は手を重ねた。

「ちゃんと僕は知ってますから。何て辛辣なことを言うんだって周りの人が言っても、本当は何を伝えたいのか僕はそれを知っていて、全部は無理かもしれないけれど受け止めたいと思ってるんです。だから喧嘩に発展しないんじゃないですかね」

 強ばっている緑間の手を撫でているとそこから外され、代わりに肩を抱かれ胸元に引き寄せられた。力いっぱい抱き締められ少々息苦しいけれど緑間の好きにさせる。
 黒子は少しだけ身じろぎをして緑間の背中に腕を回した。

「黒子…」
「はい」
「喧嘩してみたそうだったからやってみようろ言ったが、俺はお前と仲違いなどしたくないのだよ。もうあの頃だけで十分だ」
「はい」
「お前と会わない間、なぜこんなことをしているのか、どうしたら解決出来るのかそればかり考えていた」
「はい」 

 覆い被さっている緑間の背を撫でていると微かに力が抜けてきた。耳に当たる髪がくすぐったい。 

「だが結局答えは見つからなくて、だけれども会いたくて触れたくて仕方がない。気が付いた時にはお前の元へと走っていた。実際お前の顔を見たらあれこれ考えていたのが全部吹き飛んでしまったのだよ。ああ、考えるだけ無駄だったのだなと、初めからこうすれば良かったのだとその時やっと分かった」
「はい…」
「すまなかった…」

 小刻みに震えている緑間の声色は今にも泣き出しそうで、黒子は今更ながらに酷く後悔した。
 緑間の台詞は全部自分が言うべき言葉に違いのだ。 

「僕こそ…軽率に喧嘩しましょうだなんて言って、すみませんでした」
「違う!俺が…!」
「いいえ、言い出したのは僕です。そもそも僕達はあの時はそんな状況ではなかったし、試しだとしてもやってはいけないことでした。…君を沢山傷つけてしまった」
「黒子…」
「ごめんなさい、緑間君」 

 ――ごめんなさい。

 か細くなる声が情けなくて、黒子は泣きたくなってくる。
 本当はちゃんと顔を見て言いたいのにそれも叶わない。せめてもと、回した腕に力を込めた。

「もう、いいのだよ」
「緑間君」

  やっと解放され、頬に添えられた手に上向かされてやっと緑間と目を合わせることが出来た。
 途端に緑間が好きだと言う気持ちが溢れてきて、また泣きそうになってしまう。胸が痛い。好きで好きでどうしようもないと、また自覚する羽目になった。 

「喧嘩などしていなかった。そうだろう?」
「…っ、はいっ…!」
「俺も色々勉強になった。悪いことばかりではなかったのだよ」
「僕もです…!」 

「だからこれでおあいこにするのだよ」

 涙がこぼれないよう堪えるのに必死だったのに、目元に落とされた温かな唇の感触にあっさり白旗を上げてしまった。

 数週間ぶりに交わすキスはほんのりしょっぱかった。


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