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いつもと変わらぬ朝を今日もむかえた。寒さに耐えつつベッドからなんとか抜け出し洗面所で顔を洗っていると、リビングの方から香ばしく焼けたパンと卵とウィンナーとコーヒーの匂いが漂ってきてすっかり空になっている胃袋が早く中におさめたいとばかりに音を立てる。 今週の朝食は緑間が担当しているが、今朝は洋食のようだ。昨日は飲み会の翌朝だったのもあってかさっぱりとした朝粥だった。 「おはようございます、緑間君」 緑間は目玉焼きの乗った皿をテーブルに並べていたが黒子に気付いて顔を上げた。 「ああ、おはよう。もう少しで起こしにいくところだったのだよ」 黒子は所定の位置に腰を下ろし、しげしげとテーブルを眺めた。自分の前に置かれている皿には見事に半熟になっている目玉焼きが乗っているが、向かいの緑間の皿には黄身がはみ出ていて全体的にぐっちゃりとしているなんとも不格好な目玉焼きが乗っている。 「どうした、食わんのか」 ご飯のときは醤油をかけるけれどパンのときは塩胡椒にしている。手を合わせ、いただきますと言ってから容器を手に取りぱっぱと振りかけた。 「今週末、いつものスーパーで特売があるのだが塩胡椒も安くなっていたのだよ。買っておくべきだろう」 ああ緑間も同じことを考えていたのだなと少し嬉しくなるのと同時に、スーパーの特売がなんて似合わない男だろうとおかしくもなる。ここで吹き出したら機嫌が悪くなるのは間違いないから、耐えるようにトーストをかじった。 「そうですね。他にも買っておいて方が良い物があるかもしれませんし、後で確認しておきましょう」 学生の二人暮らし。生活に余裕はない。切り詰められる部分はとことん切り詰めたい中で、行きつけのスーパーの特売日は欠かせない恒例行事となっている。 「黒子」 釣られた黒子も箸を動かす手を止める。 「胡椒の容器なのだがやはり徳用にするべきではないのか」 第一容器は何度も使い回して中身だけ購入しているのだ。その中身だって安売りで買っているのだから、お徳用サイズのが安上がりなんてことはないと思う。 「いや、だが・・・」 まだ何か言いたげにしていたけれども、黒子に断言されると黙ってカフェオレを啜りだした。 『ふ・・・まだまだですね緑間君。僕の勝ちです』 おは朝占いがTV画面から流れる頃には朝食も食べ終え、二人分の食器を黒子は洗い上げるといったん自室に戻り出掛ける支度に取りかかった。 「あったあった」 靴下は一番下になっていた。が、 「片っぽだけなんですけど・・・」 昨日は脱衣所で脱いでそのまま洗濯機に突っ込んだのだから、間違いなく両足分洗われているはずなのにいくら漁っても片方しかない。もしや緑間の衣類に混じっているかもしれないと、隣のかごもひっくり返してみたが、ない。 「なにをやっているのだよ・・・」 さて困ったなと膝を抱えていると、背後から呆れたような声が降ってきた。 「靴下が片方しかないんです。昨日畳んだときありませんでしたか?」 その場に座り込んだままの体勢で後ろの緑間を降り仰ぎながら、相方のいない靴下を摘んで揺らして見せた。 「畳んだときは揃いであったと思ったが・・・他の衣類に紛れていないのか?」 ほらと黒子が指さした先では緑間と黒子の衣服が混ざり合い山盛りになっしまっている。わざわざ分けて畳んだというのに、すっかり台無しになっている光景を目のあたりにした緑間は呆れて盛大にため息を吐いた。 「それでは皺になるだろう・・・」 やれやれと肩を竦めながら山積みの前に膝をつくと、緑間はバサバサと一枚一枚衣類を振って中に靴下が入っていないか確認し始める。確認し終えたものは黒子のと緑間のとで分けて傍らに重ねていく。 「ないのだよ」 絶対です!と言い切る黒子を横目で伺いながら緑間は淡々と衣類を片付けると、黒子のものは彼の目の前に押しやり自分の服だけを抱えて立ち上がった。 「靴下なら予備にいくつもあるだろう。なにもこれに拘らずに他のを履けばいいだけだ」 未だ座り込んでいる黒子が少しむっとしながら顔を上げた。 「今日はこれが履きたい気分だったんです」 どうやら黒子の頑固モードのスイッチが入ってしまったようだ。 こうなるとこちらが折れるかなんらかの妥協案を提案するまでこのままだ。たまに突然切れる時もあるけれど、ごくたまにだった。 「しかしないものはないのだから今回は諦めるのだよ。そろそろ家を出ないと間に合わなくなるぞ」 黒子はこの靴下が履きたいのだと主張したがそれは思わず、勢いのままに言ってしまっただけで頑固モードに入る前まではきっと微塵も思っていなかっただろう。 「ほら、これを履くと良い」 つい、と腰を屈めて黒子の目の前に差し出す。相変わらずの表情だったが大人しく受け取って、その場で足を通し始めた姿に少しほっとしながら窓の鍵が閉まっているのを確かめた。 「黒子、俺は今日は夕方まで講義が入っているのだよ。少し帰りが遅くなるかもしれない」 いつもなら「遅くなっても構わない、待ってますから」と言うところなのにそれがない。これは相当臍を曲げてしまっているようだ。 「何時頃になるのか分かったらメールを送るのだよ」 こくりと頷いて自室に向かう黒子の姿が完全に見えなくなってから、緑間はがっくりと肩を落とした。 「真ちゃんどうしたのー?」 言われてみればそんな気もした。なにかしら思量に耽っている時、緑間は無意識にペンをいじる癖があった。 「今からお昼だし、食べながら話そうよ。どうせテッちゃんの事でしょ」 その通りなのでなにも言い返せず無言でノートを閉じた。 大学内の食堂に入ると日替わりランチを注文してはじっこの席を陣取った。今日は酢豚定食だ。 「で?」 酢豚をつつきつつ高尾が話を促してくる。面白半分だがちゃんと最後まで聞いてくれるしアドバイスもしてくれるので、なんだかんだ言いつつ毎回高尾には相談と言うより愚痴をこぼすのに近い感覚で話をしていた。 「たいしたことではないのだよ」 それじゃわかんねーよと言うので今朝の出来事を洗いざらい話した。 「緑間君が洗濯物を干すときにどっかにやったんじゃないですか?」 と自分は絶対洗濯機に入れたのにないのはおかしいと言う主張を一向に曲げない黒子から言われたその言葉にかちんときて、 「きちんと揃いで干したのだよ!お前が寝ぼけてどこかに置いてきたのではないか!?」 と反射的に言い返し、剣呑な雰囲気で別れたことまで話してしまった。 「うん・・・くっだらないね」 改めて経緯を話すといかに下らなさ過ぎて笑えてしまう。向かいに座る高尾も笑うしかないといった表情を浮かべている。 「すっげぇくだらない痴話喧嘩だけどさ、結局その靴下は出てこなかったわけね」 酢豚に入っているパインを高尾の方へ押しやって、隣の鶉の卵をつつく。高尾もはいはいと緑間の皿からパインだけを取って口に運んだ。 「干したときはあったのね」 昨日の朝、出かける前に干していったのは自分だ。間違えようがない。 「畳んだのも真ちゃんね」 パインを残して食事をたいらげると箸を置いて茶を啜った。少し温くなってきている。 残りのパインを口にしながら聞いてくる高尾に一言告げて茶を組んできた。熱いお茶にほっと息をつくも高尾の口調に眉を寄せる。 「組で纏めて置いたのだよ。ないのがおかしい」 高尾はもごもごさせながら明後日の方向を向いて考えている様子だった。 「お前はどうだと言うのだよ」 靴下を片方どこかへやったのは黒子ではなく緑間だと言いたげな高尾の顔にげんなりして、茶を飲み干すと先に席を立った。 「テッちゃんが寝ぼけてどっかにやったのも一理あるけどさぁ・・・」 ぴたりと足を止めてしげしげと高尾を見下ろした。 「ちょっと電話がなったから畳むの中断して他の部屋行ったとかさぁ、まだ靴下汚れてたからもう一回洗濯しようとしたとかさぁ」 案外あるかもよー?とこちらを見上げてくる高尾の顔をじっと見下ろした後で、昨日の記憶を辿ってみた。 「ほらほら、なんか思い出さない?真ちゃんちょっとおっちょこちょいなとこあるじゃん」 『じっくり思い出してみたら?テッちゃんばっかり悪い感じになってるけどさ。テッちゃんはテッちゃんで今頃色々考えてるんじゃねーの』 そう言って昼休みも終わりに差し掛かろうとしていた時間に別れた。 洗濯機はいつも前日の夜に回してしまっている。朝、当番となった方が干すことになっていた。 そう、確かに洗濯物を畳んでいた。畳んでいたが・・・。 「靴下・・・靴下か・・・」 畳んでそのまま黒子の衣類と一緒に置いた・・・はず。本人にもそう言い切った。 「置いたのか・・・?」 どうにもその辺の記憶が曖昧だ。いくら思い出そうとしてもその周辺の記憶が出てこない。作業を終えた後、黒子に夕食の準備が出来たからと呼ばれて一緒に食事をした覚えはある。 「・・・・・・黒子の靴下はどうしたのだ」 ぼそりと呟き頭を抱えた。 靴下の行方を思い出したのは、本日最後の講義を受けている真っ最中だった。 「くっ・・・」 うっすら滲む汗を拭いながら緑間は額に手を当てたまま深い溜息を吐いた。 『今さぁ、ここの洋菓子店で季節限定のケーキ売ってるんだけどそれ今日までなんだよねー。真ちゃんが帰る頃は空いてると思うよ』 どうも見覚えのある店名だと思ったら、この前黒子と高尾と三人で食事をしていた時に話題に上がった洋菓子店だった。 黒子に帰宅予定の時間を伝えた後例の洋菓子店に立ち寄った。人も疎らでじっくりとケースの中を吟味することが出来た。 「帰ったのだよ・・・」 ドアを鍵で開けようとして、閉錠されていない事に気が付いたけれど不用心だと注意するのは止めておいた。 「緑間君・・・」 振り返るとリビングのソファーに膝を抱えて座っている黒子がじっとりとこちらを見ている。まったく気配に気が付かなかった。 「く、黒子いたのか」 ないのだよ、と続けようとしたがテーブルの上に無造作に放ってある靴下を視界の端に捉えて緑間はぎくりと体を強ばらせる。対で置かれていたのだ。 「・・・・・・・・・」 やっぱり思った通りだったのだ。苦虫でも噛んだかのような面もちで緑間は黒子の座るソファーの前に正座をすると、深々と頭を下げて謝罪した。 「す・・・すまなかったのだよ」 短時間でなんでまた靴下の存在を忘れてしまったのか、自分でも不思議なくらいだ。 「本当にすまなかった・・・。家事は暫くお前が担当している分もやる。入浴も黒子が先にして構わない。それから・・・」 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。反射的に顔を上げると拗ねた顔の黒子とばっちり目が合う。 「良いじゃないですか。それくらい」 黒子とベッドを共にするのは週に一回か二回程度で普段は各の部屋で就寝していた。恋人関係にはあるが互いにが淡泊な部類に入るようで、がっついて体を求めるようなことは殆どなく、ただくっついて寝たい。そんな気分になったときに寄り添い眠りについている。 「わかったのだよ。お前がそれで良いなら良い」 そう言うと表情を和らげた黒子が、 「約束ですよ」 と念を押して抱えていた両足を下ろし、延びをしながら立ち上がった。 「晩ご飯にしましょうか」 ふるふると首を振り靴下片手に微笑みながらキッチンへと消えていった細身の後ろ姿を見送りながら、緑間は一人、叶わんなと呟いた。 「今夜はなんだ?」 まだ冷蔵庫に収めていなかったケーキの箱を持ってキッチンに向かうと、いそいそと皿を並べている黒子に声を掛けた。 「火神君が酢豚をおっそわけしてくれたんです」 言えない。昼も酢豚だったなんてとても言えない。例えその酢豚が火神が作ったものだとしてもだ。 「君の大好きなパインも沢山入れてくれましたよ!」 絶対わざとだ。鍋の中身をほらと見せてくる黒子の顔を見ただけでわかる。 「温めたらすぐに食べられますからね。余ったら明日の朝ご飯のおかずにもしちゃいましょう。大丈夫、ちゃんとパインは朝の分も残しておきますから!」 ああもう本当に叶わないなと、力なく緑間は頷き返した。
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