おくりもの


 放課後の部活動終了後、足早に体育館を後にした緑間はドアをノックする音も荒々しく部室に駆け込んだ。自分のロッカーを勢い良く開け、取り出したタオルで滴る汗を拭い手早くワイシャツに袖を通して制服に着替え始める。

 室内にいた他の部員達はそんな緑間を物珍しげに眺めた。いつも冷静沈着で慌てることもなく粛々淡々としている緑間が、周囲の目も気にせず慌てている様子は滅多に見られない。
 しかしなにかあったのかと声を掛ける部員もまたいなかった。掛けづらい雰囲気を放っているのもあるが、まぁ緑間だし。と片付ける者が殆どだったからだ。
 緑間の後から木村達とのんびり部室に入ってきた高尾はそんな緑間に察するものがあったのか、にやけながら隣の己のロッカーを開けた。

「真ちゃんさぁ、待ち合わせに遅刻しないよう急ぐ気持ちは分かるんだけど、少し落ち着いた方が良いと思うんだよねー」 

 制服のボタンを世話しなく止めている緑間に、はい、とブラシを差し出した。 

「なんだこれは。俺は急いでいるのだよ、邪魔をするな」
「うん、わかってる。でもさぁ、身だしなみは整えてったらどうかなー。御髪が乱れてちゃってるし。かわいこちゃんと会うのにそれは駄目っしょ!」
「・・・・・・かわいこちゃん?」
「そ、かわいこちゃん!」

 眉間に皺を寄せつつ、高尾の手からブラシを受け取り髪を撫でつけた。確かに少しは落ち着くべきかもしれない。髪が乱れているのに全く気が付かなかった。 

「うん。ばっちりじゃね!清感スプレーもあるよ」

 使う?とブラシと同じく差し出されたので、反射的に受け取ってしまい、あまり好きではないのだが、と内心ため息を吐きながらも制服の隙間から吹き掛ける。汗臭いよりはましだろう。
 高尾にスプレーを返し、着替えを再開した。

「そうそう、かわいこちゃんと会うんだからちゃんとしないとな!」
「かわいこちゃんとはなんだ」
「そのまんまじゃんよ」

 隣で鼻歌交じりに着替える高尾を睨み返すが気にする素振りも見せない。

「かわいこちゃんより具体的に名前言った方が良かったのか」
「いや・・・もういい」

 相手にするのも時間の無駄に思えてきたので、荷物を鞄に積めて忘れ物がないのを確認して緑間はロッカーを閉めた。
 壁時計を見ると待ち合わせの時間に丁度間に合うくらいの位置を針が指している。だが油断は禁物、遅刻するわけには行かない。

「俺はもう行く。・・・付いてくるなよ」

 へらへら笑う高尾に念のため釘を指しておくが、如何にもわざとらしく肩を竦めてないないと首を振った。

「行かねーよ。折角のデートを邪魔するような男じゃないから俺」
「俺がいつデートだと言ったのだよ」
「違うの?」
「・・・違わないのだよ」

 言わなくてもお見通しという状況は些か気に食わないが、根ほり葉ほり聞かれるよりはマシだろうか。

「まぁいいのだよ」
「月曜日はいつもの時間で良いっしょ」
「ああ」
「オッケー。んじゃ気ーつけてなー」

 お先に失礼しますと告げて部室を去っていく緑間を見送って高尾も着替え始めた。そんな二人を少し離れた場所から伺っていた宮地が高尾の背後に忍び寄ると、がっと肩に腕を回し人の悪い笑みを浮かべながら顔を覗き込んできた。

「なんだよ緑間のやつデートって。相手誰だよ、知ってんだろ?」

 この学校の生徒か?どんな子?と興味津々な宮地に、さてなんと答えたものかと適当に言葉尻を濁しつつ考え倦ねる。相手が相手なだけにいくら先輩といえども簡単に口を割るわけにはいかない。

「なあおい、聞いてんのか!」
「えっと・・・他の学校の子っすよ」
「中学の同級生とかか?」
「そんなとこですよー」

 ばれない程度に押さえた、これくらいなら大丈夫だと思える範囲で返答したが更に追求してくる宮地に自分がぽろりと漏らすのが先か、緑間本人が思わず言ってしまうのが先か。はたまたデート現場を押さえられるのが先な気もしてくる。

「なにをしている宮地」

 後から戻ってきた大坪が呆れながら宮地に声を掛けたお陰で解放された高尾は正直ホッとした。ぽろりは避けられそうだ。

「大坪聞いてくれよー緑間の奴生意気にこれからデートだってよ、同級生の彼女と!ずるくねぇ!」
「・・・彼女?」
「あの堅物変人緑間がだぜ!どんな子か気になるよなー」

 大坪に同意を求めるも、その当の本人はきょとんとするばかりだ。

「緑間の交際相手なら・・・」
「え!?大坪知ってんの!」

 これはまずい展開だ。大坪にばらしてやってくれるなと、訴えようとした瞬間。

「誠凛の黒子だろう」

 あっさり言っちゃったし大坪さん。ごめん真ちゃんと、今はこの場にいない緑間に高尾はそっと詫びを入れた。

「・・・・・・黒子?」
「ああ、だよな高尾」
「・・・です・・・」
「黒子、ねぇ・・・」

 隠していても最早意味はないので認めるしかなく、素直に頷いておく。

「まぁ・・・緑間だしな!緑間の相手がつとまるだけですげーわ!」

 なぜか納得したらしい宮地が去っていったので、高尾は大坪に小声で耳打ちした。

「大坪さん、緑間の相手が黒子って知ってたんすか・・・」
「ん?ああ、前に一緒に歩いているのをたまたま見掛けてな。なんつーか雰囲気が友達同士って感じではなくてだな。ああ、もしかしてそうなのかと、な」
「そっすか・・・」
「プライベートに口出しするつもりはない。自由にすれば良いさ」 

 大坪は同性同士で付き合っているのに対して、憎悪感を抱いているわけでも非難するわけでもない様子だった。
 さすが全国クラスのバスケ部の部長につく男は懐の広さが違う。高尾は感心して惚けた顔で大坪を見上げた。

「良かったな真ちゃん・・・」

 

 窓際のいつもの席で読みかけの文庫本をめくっていた黒子はその手を休めて顔を上げた。窓越しに緑間の姿が見えたからだ。
 店のドアを潜り黒子の姿を見つけるとほっとしたのか少しだけ緑間の頬が緩んだ。

「すまない、待ったか」
「大丈夫ですよ」

 約束の時間までまだ十分あるのに急いできたのか肩で息を付いている。座って落ち着くよう勧めると、黒子は本を鞄にしまい代わりに財布を持って立ち上がった。

「飲み物とか買ってきますから緑間君は休んでいて下さい」
「おい」

 慌てて自分の財布を出そうとする緑間をせいし、カウンターでミルクティーとアップルパイを二つずつ注文する。初めに注文したシェイクはもう空だし暖かいものを口にしたかった。
 ちらりと背後を振り返ると、手袋とマフラーを外し隣の空いている椅子に掛けている姿が目に入る。コートを着用していないのは、今日は冬にしては気温が高いからだろう。
 紅茶の入ったカップとアップルパイの乗ったトレーを持ってテーブルに戻ると、それぞれの席の前に並べてから腰を下ろした。

「払うのだよ」
「たまには奢らせてくれても良いと思いませんか」

 放課後や予定の空いた休日に逢瀬を重ねていたけれども、なんでかいつも緑間がお茶代や食事代を払っていた。黒子が自分の分は払うからと言っても聞く耳持たずだ。
 これが彼氏と彼女ならなんら不思議ではないが緑間と黒子は同性同士、どちらも彼氏なのだからそれは当てはまらないと常日頃から黒子は思っている。
 緑間と抱き合った際の役割からきているのかもしれないが、それはそれ、これはこれだと思うのに。

「いや、しかし・・・」 

 食い下がる緑間に黒子はやれやれと肩を竦めたが、ふと思いついてかじっていたアップルパイから口を放し少しだけ身を乗り出す。  

「なんだ?」

 釣られて緑間も黒子に合わせるように身を屈めた。なにを言うつもりなのかと思わず身構える体制となり、声も小さくなる。
 そんな緑間に楽しいいたずらでも思いついた子供のように、にっと口の端を上げた。 

「それ、明日に取っておけば良くないですか」
「明日・・・?」
「明日、です。まさか忘れたなんて言いませんよね」

 明日の日曜日、久々に一緒に出掛ける約束をしていた。別々の高校なのもあってか重なる休日が滅多にないのが現状なので、それ故黒子はとても楽しみにしていた。
 言い出しっぺは緑間の方なのでまさか彼に限って忘れることはない、はずだ。

「忘れるわけがないだろう!」

 いきなり怒鳴る緑間に目を見開く。唾も飛んできそうな位置で周囲に配慮し小声で話していたのはどちら様ですか、と問い掛けたい衝動に駆られたけれど、赤くなった目元を見てそれは止めておいた。

「ですよね」

 元の体制に戻り脇にどけたカップを両手で包んだ。店内は暖房が利いていて暖かかったけれども、ミルクティーはちょっと冷めてきていてカップも熱くはなかった。

「楽しみです」
「・・・俺も、なのだよ」

 照れ隠しなのか、顔を窓の方に背けたまだ赤い緑間がぽつりと漏らした。

「晴れると良いな」
「はい」

 

 朝自室のカーテンを開け放ち緑間はにんまりと笑みを浮かべた。願いが叶ったのかはたまた日頃の行いの成果か、見事な快晴だ。
 気分良く着替えを済ませると洗面所で入念に顔を洗い、茶の間に移動して朝食を取った。
 部屋に戻って出掛ける支度をしていると、机の上に置いてある携帯電話がメールの着信を知らせるためにちかちかと光っていた。慌てて確認すると黒子からのもので、『今日はよろしくお願いします』とだけ書いてある短いものだったが、しっかり返信してからラッキーアイテムのキノコのぬいぐるみと共にバッグに突っ込んだ。
 忘れ物がないことを確認して家を後にする。
 待ち合わせ場所に向かう道すがら、緑間の脳内には来週訪れる黒子の誕生日についてと今日のことで埋め尽くされていた。
 本来なら誕生日当日にプレゼントを渡したかったのだが、未だそれが決まらずにいる。しかし思いがけず誕生日前の日曜日に黒子と予定が合い、一緒に出掛けられることとなったのだ。これを利用しない手がない。
 さりげなく黒子の欲しがっている物を聞き出し、誕生日当日になんとか時間を作り渡すのもよし。今日、それが合ったのならその場で購入して渡すのもよし、だ。多少早くても遅かったり忘れて渡し忘れるよりずっと良いに違いない。
 黒子はどうだか知らないが、緑間は日頃から記念日を重要視している。これが数年の片思いを得て出来た、うまれて人生初の恋人なら尚更の事大事にしたい。
 だがクリスマスは生憎とウィンターカップの真っ最中で、前倒してささやかながらも黒子とケーキを食べて二人きりの時間を過ごした。初詣も二人で参拝したのに帰りに甘味物処に寄ろうかと話している最中に高尾達と出会してしまい、それは叶わなかった。
 そんなこんなしている間に黒子の誕生日が迫ってきていた。他のどの記念日よりも大切にしたいと緑間は随分前からプレゼントをどうするか悩んでいたのだ。
 思い悩んだ末、本人に聞くのが一番手っとり早く確実だと言う事実に行き着いた。
 よし!と気合いを入れ直して緑間は顔を上げた。

「おはようございます、緑間君」
「ああ、おはよう」

 互いに待ち合わせ時間の五分前に待ち合わせ場所に到着したようだ。待たせ過ぎず待ち過ぎず、丁度良い。
 ちょっとしたところにも日頃から人事を尽くしている成果が現れているのだろうと、緑間は誇らしく胸を張った。

「今日はどうしますか?いつもと同じコースになりますが・・・」
「お前はどこか行きたい店でもないのか?」

 書店とスポーツ用品店に寄り、食事は気軽に入れるファミレスかマジバ、小腹が空いたり甘い物が恋しくなったら甘味処に立ち寄る。これが定番となっていた。
 しかしこれでは目的を達成するにはほど遠い気がする。今日は黒子優先で決めて行こうと心していた。

「そう・・・ですね」

 問われて黒子は小首を傾げた。
 悩んでいる黒子を前に、メールか電話で事前に聞いておけば良かったと内心舌打ちした。急に言われるより前持って考えていた方が黒子も困らなかっただろう。

「天気も良い。多少遠出しても構わないぞ」

 おまけに時間もあるのだ。

「あ、なら!」

 なにか思いついたのか、ぱっと黒子が顔を上げた。

「緑間の行きつけの眼鏡屋に行ってみたいです」
「・・・は?」
「しょっちゅう行ってる眼鏡屋があるって言ってましたよね。そこが良いです」

 確かにメンテナンスも兼ねて行きつけになっている眼鏡屋はあるのだが、行ってみたい場所がそこなのかと緑間は面食らってしまう。

「駄目ですか?」
「い、いや構わないが・・・。しかしお前は視力は悪くないだろう。眼鏡屋に行ってもつまらなくないのか」

 黒子には縁遠い場所ではないだろうか。下手したら行った事すらないのでは。
 そんな緑間に向かって黒子は緩く首を左右に振った。

「緑間君の行きつけの店って興味があります。そういうの僕知らないですし・・・」 

 遠回しに自分の事をもっと知りたいと言われているようにも聞こえて、緑間は歓喜に内震えくらりと目眩に襲われたかのような感覚に陥る。
 黒子は深く考えて発言した訳ではないのかもしれない。ただ思いついただけの可能性も十分にあり得る。
 だがそれでも緑間を喜ばせるには十分だった。顔に出ないよう緩みそうになる口元を引き締める。

「緑間君?」
「あ、ああ・・・。いや、なんでもない。ここからそう遠くもないのだよ」
「じゃあ決まりですね。行きましょう」

 店は秀徳高校からも近く、学校帰りにもよく寄っていた。
 巷に溢れるチェーン店ではなく、個人の運営する店だったが品揃えが豊富で店内の雰囲気も落ち着いていて緑間には居心地の良い空間だった。
 初めて眼鏡を作ったのもその店で、以来ずっと世話になっている。
 そんな話をつらつらしながら店に向かった。


「ここですか?」
「そうだ」

 窓の大きな店内には陽光が差し込み明るく、並べられているショーケースとテーブルに見本の眼鏡フレームやサングラスが所狭しと陳列されている。
 休日なのもあってか家族連れや夫婦で訪れている客が多く、それぞれが自由に見て回っていた。
 入店した緑間の姿を目にした店員が、「いつもどうも」と声を掛けてきた。それを黒子は傍らで見ていたけれど、やり取りからして緑間はすっかり馴染みの客の一人となっているのが安易に伺えた。
 店員は黒子の存在に気付いていない様子で緑間と親しげに会話を交わしていたので、黒子は邪魔をしないようにと少し離れた位置で店内をぐるっと見渡した後、物珍しげにあちこち見て回った。
 それほど広くはないからはぐれはしないし緑間ならすぐに見つけられるだろう。

「結構高いものなんですね・・・」

 ケースに並べられている物はどれも値段が高い。ブランド品なのだろうか。
 逆にテーブルに陳列されている物はケース内の物と比べて格段に安く、手が出しやすい雰囲気だ。
 目に付いた物を一つ手に取り、試しに掛けてみた。

「わかりませんね・・・」

 側に置いてある鏡を覗き込んで見たものの、そこに写った見慣れない己の顔にどうにもしっくりせず肩を竦めた。
 黄瀬ならば安易に着こなしてしまうだろうにと苦笑する。

「なにをしているのだよ」 

 そろそろ外すかとフレームに手を掛けたところで話を終えた緑間が側に寄ってきた。黒子がそのままの体制で振り向くと、一瞬ぎょっとして目を見開くのがレンズ越しでも判明した。 

「試しに掛けてみました」 

 反応からして似合っていないのだろう。傷を付けないようにそっと眼鏡を外し、元の位置に戻した。 

「そ、そうか」
「緑間君が掛けているのはスポーツ用か何かですか?」
「これは普段使い用だな。バスケをする時は専用のタイプを掛けているのだよ」
「へぇ・・・」 

 言われてまじまじと緑間の顔を見上げたけれども、ぱっと見では違いが分からないのでデザインは一緒か似たタイプの物を愛用しているのだろう。 

「バスケ用のは激しく動いてもずれにくく、レンズとフレームも頑丈になっているのだよ。ここには試合の前後にメンテをしてもらいに通っている」
「なるほど・・・」 

 肝心の時に役に立たなくては意味がないし、当然か。おそらく几帳面な緑間の性格からして、普段使い用のも同じく日頃から大事に磨いているに違いない。 

「お前は眼鏡は持っていなかったな」
「ないですよ。黄瀬君辺りならサングラスも色々持ってそうですけど僕には似合わないですね」 

 そう言うと緑間は今さっき黒子が掛けていた眼鏡をしげしげと見下ろした。 

「これではお前の顔に対してフレームが大き過ぎるのだよ」
「はぁ」
「もっとすっきりしているタイプが良いのではないか」
 

 緑間がフレームをあれこれ手に取ってはアドバイスをするのだが、黒子は小首を傾げるばかりだ。
 衣類等と違い普段から身に付けるものではなく、馴染みがない。
 黒子は隣に立つ緑間を見上げた。黙々とフレームを選んでいる横顔は真剣そのものだ。
 似合う物が合っても購入するわけではないので、少々申し訳なくなってきた。

「・・・なら緑間君が選んで下さい」
「は?」
「僕じゃわからないんで、君が選んでくれませんか」 

 長年眼鏡を使用してきた緑間なら的確に選んでくれるのではないか。そう思い、黒子は進言した。 

「緑間君にお任せします」 

 目を細めて穏やかに笑みを浮かべる黒子に思わず緑間は手を止めた。
 これは自分を頼ってくれていると受け止めても構わないのだろうか。中学時代を含めても、試合中はともかくプライベートでは数える程度しかない気がした。
 黒子は元々他人を頼ることを好まずなんでも自分で解決しようとして、それで煮詰まってしまう機会もしばしばあった。最も緑間自身も黒子の事をいえた義理ではないのだが。 
「緑間君?」
「あ。い、いやなんでもないのだよ」 

 すっかり固まって眼鏡とは関係のないことばかりに思考を巡らせていたが、黒子の不思議そうな声にはっとなる。
 帰宅したらじっくり考えるとして、今はやるべき事をやろうと、テーブルを改めて見下ろした。

 

 店内を黒子を連れ回してこれはどうかと思った物を片っ端から掛けさせた。ブランド物の並ぶシューケースの前では値段を一瞥しながら黒子が口を尖らせていたが、実際に購入するのではないのだからいちいち気にするなと言いくるめ、新たに選んだフレームを黒子に手渡した。
 なぜならその頃には黒子に似合う物が合ったのならば、値段にケチを付けず買ってやろうと緑間は心に決めていたからだった。
 黒子に頼られている、甘えてもらえている。それが緑間には大きかった。 

「これが良いのだよ」 

 散々悩んだ末、最初の方に選んだフレームに決めた。緑間が以前使用していたハーフリムタイプでプラスチック製の物だ。色も深緑と控え目のフレームを選んだ。 

「これですか」 

 渡したフレームを掛けて鏡を覗き込む黒子の横顔を眺めた緑間は、改めてこれが黒子に似合っていると確信して満足気に頷いた。 

「あの・・・自分では似合うかどうかいまいち分からないんですが、君がこれが良いと言うのならきっと合っているんだと思います」 

 黒子の好みなど一度も聞かずに自分の意見だけで決めてしまっていたのを今更思い出した。が、

「来るのだよ」
「え、ちょ、ちょっとこれ外しますから・・・」
「そのままで構わん」 

 有無を言わさず黒子の細腕を掴み、カウンターの前まで引きずっていった。椅子を引きそこに座らせると馴染みの店員を呼ぶ。 

「このフレームで彼用に合った物をお願いしたいのですが」 

 黒子がぽかんとしている間に店員は緑間の要望通りに手早く作業を進めていった。 
「あの、緑間君」
「それを寄越すのだよ」
「あ、はい」 

 それがなんなのか、言わなくてもわかったようで黒子はフレームを外すと差し出した緑間の掌にそっと乗せた。伊達眼鏡で構わないと告げて店員にフレームを渡す。
 店員とレンズはどうするかなど話していると、いつの間にか椅子から黒子が居なくなっていた。
 辺りを見渡し黒子の姿を探すと、窓辺に設けられた休憩用の椅子に腰を下ろしているのが見えた。疲れさせてしまっただろうか。 

「ではそれでお願いします」 

 店員に会釈して黒子の側に寄ると気が付いて顔を上げたが、やはり少し疲労の色が浮かんでいる。
 腕時計を確認するとそろそろ昼食を取っても良い時間帯となっていた。 

「疲れたか?」
「ちょっとだけですよ」
「そうか・・・」
「緑間君、あの眼鏡・・・」
「用は済んだ。行くのだよ」 

 黒子の話を遮り立つよう促し、店内を後にする。慌てて黒子も後ろをついてきた。

「腹が減ったろう。そのせいもあるのだよ」
「そうかもしれませんね」
「なにが良い?」 

 昨日黒子に言われた台詞を緑間はしっかりと脳裏に刻んでいたので、昼食もその後の三時の間食も自分が奢ろうと決めていた。
 せっかくなのだから、黒子の望むようにしてやりたかった。

「僕が決めて良いんですか」
「ああ」 

 ややあって、なら、と視線を合わせてきた。 

「蕎麦が食べたいです」 

 ここから10分程歩いた場所に緑間が気に入っている蕎麦屋がある。そこにしよう。

「わかったのだよ」 

 頷き返すと黒子を伴って歩き始めた。ちらりと隣を見遣り、速度を落とすと黒子がそれに気付いたのか申し訳なさそうに肩を竦めるので、 

「まだ早い時間帯だ。店も混んでいないだろう。・・・ゆっくり行けば良い」 

 気にするな。そう言いたかったのだが伝わっただろうか。
 いや、そこまで言えば良かっただけか。失敗したなと息を吐いたが、僅かに触れ合った腕から力が抜けていく気配が感じられた。 

「そうですね。ゆっくり行きましょうか」 

 目を細めた黒子に、ああ今日はさぞや充実した一日が過ごせるに違いないと緑間は確信した。

 

 昼休み、食後の茶を啜り一息付いていたところに高尾がにこにこしながら近付いてきた。あまり良い気のしない笑顔に思わず眉間に皺が寄る。

「あ、真ちゃんさっき木村先輩から連絡来てさぁ。体育館のポンコツ空調整備するから今日はロードワークと基礎トレだけになったって。ラッキーっちゃラッキーだよねー」
「・・・それのどこがラッキーなのだよ」 

 先週辺りから体育館の空調が調子がどうにも芳しくないのは知っていた。何分古い設備だ。あちらこちらと修理しているのを高校生活を送る中でしょっちゅう目にしていた。帝光中学とはえらい違いだと呆れて、そして諦める他ない。
 その影響が部活動にまで及ぶとは。苦虫を噛み潰したように口元を歪める緑間に対し、高尾は嬉しくてしかたがないと言った笑みを浮かべている。癪に触って仕方がない。 

「ラッキーじゃん!だって今日テッちゃんの誕生日だぜ。まーさか真ちゃんに限ってなにも用意してないとか言わないよなぁ〜」
「用意しているに決まっているだろう」
「だよねー!」 

 昨日、眼鏡屋に寄り頼んでいた品を受け取ってきたばかりだ。贈呈用にラッピングもして貰った。放課後黒子と落ち合う約束も取り付けてあり、鞄の中に大事に締まっている。 高尾に何故お前は黒子の誕生日を知っているのだと聞く気も失せた。連絡先の交換を黒子と何故か火神ともしているのでどちらからか聞き出したのだろう。 

「だからさぁ、余裕持って会えるじゃん。つーか迎えに行っちゃえば!」 

 高尾を追い払おうとした手がぴたりと止まる。 

「迎えに?」
「そう!待ち合わせも良いけどさ、お迎えもポイント高いぜ!時間あるんだし誠凛まで行っちゃえば!」 

 そう言えば黒子とは約束していた合流地点で落ち合うばかりで、どちらかの自宅や学校まで赴いた事がなかった。
 しかもわかりやすいからとマジバやストバスコート側の公園のベンチばかりだ。
 高尾に進言されてと言うのはいまいち気に食わないが、黒子の通う誠凛高校まで迎えに行くのは確かに悪くはない。
 ふむ、と口元に手を当てて考え込む緑間のだだっ広い背中を遠慮なしに叩いて、 
「決まりだな!」 

 と高尾は親指を立てた。

 

 高尾に言われたからではないとぶつぶつ呟きながらも結局、緑間は放課後誠凛高校へと向かっていた。誠凛高校には電車を利用しても30分程度で到着する。
 腕時計を見下ろすとだいぶ余裕を持って到着出来そうだった。
 最寄り駅で降りて帰路に着く誠凛高校の制服に身を包んだ学生達を横目に通学路を歩く。すれ違い様にぎょっとした顔で何度も振り向かれたが最早慣れっこだ。
 校門前で緑間は足を止めた。ここで待つか、それとも部活動を行っているだろう体育館まで行くかそこまでは考えていなかったのだ。 

「迎えに・・・どこまで行けば良いのだ」 

 暫く校門に寄り掛かり頭を悩ませていたが、丁度そこを家の用事で先に帰る途中の木吉に発見され、外じゃ目立つし寒いだろうと体育館まで連行されてしまった。
 用があるとすれば相手は黒子しかしないだろうと言い切られるが、その通りだし他校の先輩という立場にも配慮して逆らわずに大人しく付いて行く。
 誠凛高校に入るのは初めてだったがさすが新設校、どこもかしこもまだまだ真新しく、汚れや痛みもないに等しい。比べる対象が自分の通う秀徳高校なのも手伝っているのだろう。
 木吉は親切にどこからかスリッパまで持ってきてくれて、それに履き換えれば体育館の入り口まで案内してくれた。 

「ああ、丁度ミーティングが終わったところだな」
「なにやってんだお前、家の用事で帰ったんじゃなかったのか」
「そうなんだが校門の所で客を発見してな」 

 止める間もなく木吉は声を張り上げた。 

「あ、いた。おーい黒子、客が来てるぞ!」 

 黒子にだけ自分が来ていることを伝えてもらえれば良かったと言うのに、これでは校門の前で待つより目立ってしまう。なんてありがた迷惑な男だ。
 案の定、相田の中心に集まっていたバスケ部員達は一斉にこちらに顔を向け注目の的となってしまった。そこには当然黒子の姿もあったがぽかんと緑間を見ている。
 それはそうか。待ち合わせはしていたが、ここまで来るとは一言も伝えていなかったのだ。
 焦る緑間と黒子を交互に見遣った相田が何かに感づいたのか、にこにこしながらミーティングの終了を告げた。 

「あ、黒子君はせっかく緑間君が来てくれてるんだし片付けしなくていいからさっさと帰んなさい」
「でも・・・」
「代わりに火神君がやってくれるって!」
「え!?んなこと言ってねぇ、です。・・・あ、いや、やります」 

 なんか文句あるのかと相田に一括された火神がしぶしぶと外の一年生達と作業を始め、黒子は相田に追っ立てられるように校舎側の入り口へと足を向けた。体育館を出る際に、一瞬こちらを振り返った黒子と目が合い、緑間は思わずどきりとした。いつも通りの無表情だったが、口元がなにか言いたげに微かに動いているのが遠目に見えたからだ。 

「緑間、昇降口あっちだからな」 

 木吉に肩をぽんと叩かれ昇降口のある方角を指さされる。 

「はじめからそちらで良かったのでは・・・」
「そうか?まぁ片付け火神に押しつけられて、少し早く帰れるようになったし良いんじゃないか」
「はぁ・・・」 

 気にするなよ!と背中をバシバシ叩かれ痛みに顔をしかめたが、おかましなしだ。 

「俺帰るわ。黒子によろしくなー」 

 早足で去っていく木吉の後ろ姿に、用事があると話していたのを思い出す。人の話を聞かないお人好しのようだ。
 緑間は靴に履き変え木吉に教えてもらった
昇降口へと向かった。校門まで戻ろうかとも考えたが、今更な気がしたからだ。 

「緑間君!」 

 昇降口脇の壁に寄り掛かっていると、程なくして黒子がやってきた。慌てて帰り支度を整えたのだろう、息が上がっているしいつも身に付けているマフラーもまだ手に持ったままだ。 

「すまない。急かしたな」
「い、いえ」 

 急ぐ必要はないので黒子が落ち着くのを待ってから、取り敢えず学校から出ようとなった。
 どこへ向かうとも話さぬままに連れ立って暫く歩いた。黒子を待っている時にも散々考えていたのだが結局妙案は浮かばず、それどころか誕生日プレゼントにと用意した眼鏡をどこで渡すかすら決めていなかった。
 一般的にはどういった流れで渡すものなのだろう。縁のない世界で、いっそ高尾にでも聞いてみれば良かっただろうか。 

「あの、緑間君」
「な、なんだ!」 

 制服の端をつんつん引っ張られて、はっとする。 

「取り敢えず、座りませんか」 

 黒子の視線の先にはストバスコートに隣接している公園があった。歩き続けるよりは座ってどうするかを話した方が疲れないので、頷いた。

 

「ありがとうございます」 

 先にベンチに座っているよう黒子を促し、緑間は自販機からココアとお汁粉を購入してココアを黒子に手渡した。
 黒子が口を付けるのを見てから緑間もプルトップに手を掛けた。 

「急に来てしまってすまなかったな」
「そんなことなですよ。びっくりしましたが、ちょっと嬉しかったです。・・・その、迎えにきてくれたのかなって」
「そ、そうか」
「はい」
 

 ココアをちびちび啜っている黒子の口元が緩んで見えるのはココアが熱いからという訳だけではないし、頬と鼻先が赤いのは寒いからだけではない。勘違いでも構わないので今はそう思い込みたい。
 

「高尾君からメールで今日は部活が早く終わるとは聞いていたんです。待たせてしまうことになるかなとも思ったんですが、でもまさか学校まで来てくれるとは思ってもみなかったので・・・」 

 だから嬉しかった。
 はにかみながら告げられて、緑間は火が吹き出るのではと錯覚するほどに顔が熱くなるのを寒空の下で感じた。耳で熱い。
 誤魔化すように、ぎくしゃくと脇に置いた鞄を手繰り寄せラッピングが崩れないようにと上から袋を被せていた小袋を取り出す。
 もうこの流れで渡してしまえ。後から改めて、は無理難題だ。
 無言でずいっと黒子に突きつけると、緑間と小袋を交互に見遣っていたが意図を察したのか両手で包むようにそっと受け取ってくれた。 

「ありがとう・・・ございます」
「い、いや。別に、たいした物ではないのだよ」 

 意図もなにも今日は黒子の誕生日で、いかにもにラッピングされたそれは誕生日プレゼント以外の何者でもないのは明白だ。 

「あけても良いですか?」
「構わないのだよ」 

 丁重にシールを剥がし中に手を差し込んで出した物を見て黒子は目を見開いた。 

「え、これ・・・」
「ケースだけではないぞ。ちゃんと中に入っている」

 真新しいケースをぱかりと開けると見覚えのある眼鏡が一つ納められていた。 

「これ、この前の眼鏡ですよね。こんな高い物を良いんですか」 

 困惑混じりの黒子に緑間は慌てた。 

「伊達眼鏡だからそんなに高くはないのだよ。あ、だからと言って安物と言うわけではない。レ、レンズは紫外線対策を施してある物だから外で本を読むときも・・・」

 耳まで赤い顔でわたわたしている緑間に苦笑しながら黒子は眼鏡に手を伸ばした。 

「かけてみても良いですか?」
「あ、ああ、もちろんなのだよ」 

 緑間が見守る中、黒子は慣れない手つきで装着してしばしばと瞬いたあと、きょろきょと周囲を見渡した。 

「確かに伊達眼鏡ですね。かけていない時と変わらないです」
「違和感はないか」
「大丈夫ですよ」 

 ふと動きを止めて振り向いた黒子とかっちり目が合う。 

「どうですか?」
「似合っているのだよ」 

 なにがおかしいのか黒子はクスクス笑う。本心から似合っていると思ったから正直に答えたというのに。 

「緑間君が選んだ眼鏡ですもんね。好みは個々あるでしょうけど、似合ってなかったら君のセンスがいまいちってことになりますね」 

 モデルをやっている黄瀬とは違い、センスが問われれば良いと答えられる自信は生憎持ち合わせていない。
 ぐうと唸ると黒子はますます笑うばかりだが、暫くすると気が済んだのかぴたりと止んだ。 

「ありがとうございます。大切にしますから」 

 目を細めて告げる黒子に嬉しさのあまり天を仰ぎたくなる。衝動のままに薄い肩を引き寄せ、顔を傾けると察した黒子が上向いて目を閉じたので唇を寄せようとした。
 が、 

「む・・・」 

 あと少しといった所でかちりという金属音と共に障害物に阻まれてしまう。なにごとかと目を開けば緑間の眼前に黒子の眼鏡が映る。互いの眼鏡がかち合う音だったようだ。 
「これは気が付きませんでした」 

 お互いに掛けていると邪魔になってしまうらしい。
 タイミングを失いあからさまにがっくりと肩を落とした緑間に、黒子はしょうがない人だ、と眼鏡を外した。今度はさっきとは逆に
黒子が緑間の腕に手をかけて、腰を浮かせる。座ったままだ僅かに届かないからだ。
 少しだけ尖らせている緑間の上唇にわざと音を立ててキスをする。 

「・・・っ!」 
「今度から気を付けましょう」 

 いたずらでも思いついたような顔をしながら離れる黒子に、またもや緑間は真っ赤になる。 

「お、お前な・・・」
「ふふ。これ、毎日じゃなくて汚れたら磨けば良いんですよね」 

 なに食わぬ顔で眼鏡を戻す黒子に叶わないなと、緑間は呆れて首を振った。  
「ああ。袋の中にクリーナーや眼鏡立ても入っているのだよ」
「わかりました。説明書読んでおきます。わからなくなったら聞きますので」
「そうしてくれ」 

 そろそろ缶の中身も冷えてきたし暖かい所へと移動するかと一気に飲み干した。黒子がケースや袋を鞄にしまっている間に空になった缶を黒子から受け取りゴミ箱に捨てる。 

「小腹が減ったろう。なにか食べたいものはあるのか」
「そうですね。じゃあ、パンケーキが食べたいです」
「少し行った場所に評判の店があるのだよ」
「よく知ってましたね」
「・・・美味いから今度黒子を連れてってやれと黄瀬からメールがきたのだよ」 

 

 僕にも教えてくれれば良いのにとぶつぶつ言う黒子のちょっとだけ上がりきっていない制服のファスナーを上げて、鞄と一緒に持っていたマフラーもかけてやった。かけてからマフラーが冷えているのに気が付いて、どうせなら自分が身に付けていた暖かくなっているマフラーと交換するんだったと少し後悔した。



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