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長くもない休み時間、緑間は赤司から頼まれていた来週の土曜日に予定されている練習試合についてのプリントをコピーしに事務室を訪れていた。 「・・・っ!」 一声『危ない!』とでも叫べば良かったと思ったのはぶつかってからで、今となっては後の祭りだ。 「黒子、大丈夫か?」 さすがにびっくりしたのか、未だそのままの状態で固まってしまっている黒子の様子を伺うべく片膝を折って身を屈めた。ついでに周囲に散らばった黒子の教科書やノート、筆記用具を拾い集める。移動教室に向かっている途中だったのあろう。 「おい、黒子!」 いつまでたっても俯いたまま動こうとしない黒子にじれて、薄い肩に手を掛け軽く揺さぶった。 「え・・・あっ」 ようやっと気が付いたのか、びくんと体を震わせた黒子がはっとして顔を上げる。 「み、緑間君・・・?」 ため息を吐きながら緑間は先に立ち上がると黒子に手を差し出し、黒子にも立つよう促した。 「痛むところはないか?」 視線を緑間と合わせずに制服の埃を払っている黒子に集めた教科書等を差し出す。 「声を掛けなかった俺も悪いが、下を向いて歩いていたら危ないのだよ。今回のように誰かにぶつかってしまうだろう」 弱々しく謝罪を述べる黒子に緑間は眉を寄せた。ひょっとして体調が悪いのだろうか。 緑間の言葉を遮るように予鈴が辺りに響き渡った。 「緑間君授業に遅れてしまいます」 緑間の手から教科書類を引ったくるように奪うと、くるりと背を向けて黒子は小走りに去っていった。 「あれではまたやらかしてしまうのだよ」 後でしっかりと注意しておかねば。 放課後、部活動の最中ふとボールを持つ手を休めてから緑間は周囲を見渡した。目当ての人物は周囲の喧噪から一人離れ、壁際で滴る汗を静かに手の甲で拭っていた。 「くろ・・・」 緑間より先に黄瀬が叫び声を上げた。それにはさすがに黒子も気がついたのか、え、と上向くと目に飛び込んできたボールに対してとっさに防御態勢を取った。 「黒子っち!大丈夫!?」 駆け寄る黄瀬の後を追って緑間も黒子の元へと足を向けた。 「大丈夫ですよ。たいしたことありません」 黒子の腕を掴んで必死な顔で騒いでいる黄瀬の背後から緑間は覗き込んだ。 「このくらい放っておいても問題ありません」 治療の必要はないと苦笑する黒子の姿に心底呆れ返りながら、緑間も黄瀬の意見に同調する。 「うわっ!緑間っちいたんスか」 黒子の腕の心配ばかりしていて背後に立っていた緑間の存在に、黄瀬は気付いていなかったらしい。 「あれだけ勢いのあったボールがぶつかったのだから、今はたいしたことがなくてもきちんと対処しておかなければ後で困るのはお前なのだよ」 そう淡々と告げると反論のしようがなくなったのか黒子は口を噤んで俯いてしまった。 「そうっスよ黒子っち!つーか普通に痛そうだし!」 ここで騒いでいてもしょうがない。黄瀬の横から手を伸ばしてだらりと体の脇に下がっている黒子の左腕を握り締める。 「緑間君?」 黒子が驚いて緑間を見上げた。 「黄瀬、黒子の腕を見てくるから周りから聞かれたらそう言っておくのだよ」 痛くないよう加減をしつつ黒子の腕を強く引いて緑間は歩き出した。足をもたつかせつつ、慌てて黒子も歩き出す。 「座っていろ」 部室のドアを開けた。ノックするのをすっかり忘れていたけれど、部員は皆部活動のため体育館にいたので中はもぬけの空だ。しなくても問題ない。 「休み時間の時も思ったが体調がよくないのか?」 「いえ・・・そんな事は・・・」 まじまじと至近距離で黒子の顔色を見下ろす。元から色白だったが今はそれを通り越して青白くなっている。唇も血の気が引き掛けているように見えた。 「そんな顔色でか」 やれやれと肩を竦めながら消毒液とガーゼを出す。後は包帯と湿布と、軟膏も塗っておくか。 「腕を見せるのだよ」 言い返せないのか口元をへの字にした黒子が無言で腕を突き出してくるので、痛みを与えないよう注意しながら手首を取った。 「少し我慢するのだよ」 血を拭うとチューブから少量の軟膏を指先に絞り、皮の剥けている箇所に塗り付けた。派手に当たっていたけれども傷口は広くはなかったのは幸いか。 「そこまですることないですよ。絆創膏だけで十分です」 黒子は大げさだと静止するが却下した。 「念には念を、だ。後から困るのはお前自身なのだよ」 口で静止するものの腕を隠したり緑間の手を払うわけでもないので、抵抗しても無駄だと悟ったのか初めから逆らう気もないのかどちらかだろう。 「何日かは痛むだろう。家でも風呂上がりに放置しないで湿布の交換くらいはしておけ」 血の付いたガーゼをゴミ箱に捨てて救急箱も元の位置に戻し、ベンチの黒子を振り返ると包帯の巻かれた腕をじっと見ていた。 「痛むか?」 眠りが浅い。 「来週からIHなのだよ」 話の途中だったが黒子の俯いている横顔を見て思わず口を噤んでしまった。 「なにをしているのだよ!」 爪を立てる左手を凪ぎ払うように握りしめると、掌ごしに僅かに震えが伝わってくる。 「傷が悪化してしまうだろう!」 ついさっき来週にはIHが始まると言ったばかりなのに。 「試合に支障をきたすような真似をするなど・・・。お前らしくもない」 これはもうさっさと帰宅させゆっくり休息を取らせるべきだ。そう判断した緑間は掴んだ手はそのままに立ち上がった。 「・・・・・・・・・かね」 黒子がぼそりと呟いたがあまりにも小声で聞き取れず、緑間は聞き返す。 「僕らしさって、なんですかね・・・」 ゆっくりと黒子が顔を上向かせ、緑間と視線を合わせた。 「く、くろこ・・・?」 緑間は黒子と視線がかち合った瞬間目を見開き、中腰の体制で硬直してしまう。 「なんでもないです」 次に顔を上げた時にはいつもの無表情に戻っていて、今し方のは己の醜態だったと言わんばかりに消え失せてしまっている。 「帰ります」 だから左腕を解放しろと訴えるようにぐいと掴んでいた手を引かれるまで、緑間は固まったままだった。 「あ、ああ・・・」 すっと離せば黒子は自分のロッカーを開けて着替え始める。その後ろ姿を緑間はただただ眺めた。 「赤司君に体調が悪いから早退しますと伝えておいてくれるとありがたいです」 床を見ながら離す黒子は緑間を目を合わせない。 「それじゃ・・・帰ります・・・。さよなら」 消えてしまいそうなさよならに緑間がさよならと返したのは、部室のドアが締まり黒子の姿が室内から消えた後だった。 翌日、黒子は学校を休んだ。風邪を引いたのだと赤司が朝練で話していた。風邪をひいた本人ではなく黄瀬がしょげているのがどうにもうっとおしい。 「黒子っち昨日様子おかしかったっスよね。きっともうその時には体調良くなかったんスよ・・・」 なんで気付かなかったのかと自責の念に駆られている黄瀬を横目で見ながら、緑間は昨日の黒子を思い出していた。 らしくもない。 「僕らしさ・・・か・・・」 黒子から僕らしさとは何かと問われたが緑間はとっさに答えられなかった。 家に帰宅し、課題や予習復習に励んでいる時もどっぷり湯船に浸かり疲れを癒している時にも黒子の”らしさ”について考えを巡らせた。 常に無表情に努め、冷静沈着で人の輪から一歩離れた位置で静かに人間観察と称して冷めた目で眺めている一方で、その胸の内には誰にも勝らぬバスケに対する情熱が満ちている。 「黄瀬・・・」 隣でお見舞いに行こうかな行くならなに持っていこうかなと、一人ごちている黄瀬に視線を向けずテーピングの巻かれた左手を眺める。 「黒子らしさとはなんだと思う?」 んーとこめかみに人差し指を当てて思量にふけっていたが、やっぱこれっしょ!と言わんばかりに満面の笑みを浮かべた。 「バスケ大好きなとこ!っしょ!」 ぎゃーぎゃー喚く黄瀬をその場に置いて緑間は歩き出した。 |