噛み傷


「いっつ

 口の中にぴりっとした痛みと僅かながらに鉄の味が広がる。舌でそっと探ると下唇の裏側に傷が出来てしまっているのがわかった。

「どうした?」
「いえ、噛んでしまったみたいです」
「大丈夫か?」
「ちょっと切れちゃいましたが、口の中ですしすぐ治ると思いますよ」

 そう答えて食事を再開した。まだサンドイッチが一切れ残っている。多少違和感と痛みがあるがこの程度なら放っておいても問題ないだろう。

 それが昨日の昼食でのこと。


「あっ
「ん?」
「噛んじゃいました」
「なんだよ、昨日も同じことやってなかったかお前」
「ですね」

 口内を舌で探って確認する。やっぱり下唇の内側だ。

「噛んだところも昨日とだいたい一緒ですね」
「なにやってんだよ」

 昨日の噛み傷はもう治りかけているが、ほぼその上からまた新たに傷を付けてしまった。本当になにをやっているのだろう。心持ち昨日よりも痛むような気がして、思わずしかめっ面になる。

「まだ治ってなかったんだろ?」
「はいさすがに」

 これではいくら口内の傷の治りが早いといっても、逆に悪化してしまいそうだ。自宅の薬箱に口内にも塗ることが可能な軟膏でも入っていただろうか。
 熱い料理は当然として、冷たいものも口にするのは避けたほうが無難なようだ。
 今日は部活帰りのマジバのシェイクはお預けだなと思うと非常に残念でならないが仕方がない。

 ため息をついていると、隣で大量の昼食用のパンを胃に納め続けていた火神が手に持っていたパンの残りを口に放ってペットボトルのお茶で胃に流し込み、黒子へと手を伸ばしてきた。

「え
「見せてみろ」
「あ、はい」

 言われるがまま軽く口を開いた。火神は黒子の顎を右手で掴んで固定すると覗き込む。
 見難かったのか、より開けるように顎を下に引いた。

「あー昨日のやつのところだな、こりゃ確かに」
「少し腫れてるぞ。ここ」

 見えないのでわからないが、火神の言う通りふくりと盛り上がっている感じがした。鏡で確認しておいたほうが良いだろうか。
 二度も同じようなところに傷を付けてしまったのだからしょうがない。自業自得だ。

「かはみくん、はらしてくらはい」

 顎を押さえられた状態ではまともに喋ることがままならない。モゴモゴと訴えかける。
 口の中が乾燥してきたし、なにより顎がいい加減疲れてきた。

「これ」
「ちょっ

 火神はかけている右手の親指をずらすとそのまま中に滑らしてきた。何事かと呆気に取られていたが、はっと我に返ると慌てて止めに掛かる。

「なにするいっ!」

 その親指で遠慮なく噛み傷に触れてきた。そっとではなく、ぐりと傷口を抉られるのかと思う程に。

「いてぇか?」
「当り前です!」

 火神の右腕を黒子は両手で掴み掛かる。力では到底敵わないので叩いて抗議するが気にも止めずに親指を動かしてくる。
 いつの間にか先程まで止まっていたはずの血が再び滲み出してきたのか、舌先に鉄の味が伝わってきた。

「血、出てきたな」
「いたひです!」

 それは火神のせいだろう!
 叩くのを止めて火神の手の甲に爪を立てる。
 人を痛めつけて楽しむ嗜好が今まで気付いていなかっただけで、実はあったのだろうか。
 一向に止めそうにもない気配にぎりぎりと立てた爪に力を込める。がり、と皮膚の表面の皮を剥がした感触がした。みみず腫れくらいにはなっているかもしれない。
 もういっそ思い切りこの憎たらしい親指を噛んでやろうかと、口を開いた。
 が次の瞬間待ってましたと言わんばかりに火神が唇を合わせてきた。効果音があったなら、がぶり、にきっと違いない。
 あまりの展開について行けずに硬直していると、ぬるりと火神が舌を差し込んでくる。

「んんっ」

 好き放題に口内を舐め回していた肉厚の舌が傷口にも触れてくる。散々指で弄くっていたというのに今度は労わるように舐め上げてくる

「はっ

 ぴちゃりと音を立てながら黒子を解放すると、濡れた唇をぺろりと一舐め。
 いつの間にか縋るように掴んでいた火神の腕から手を離して乱れた呼気を整えていると、口の端から僅かに垂れていた唾液をぐいと拭われる。

「なんなんですか、もう」
「消毒だよ消毒」

 悪びれもせずニヤニヤしながら言う火神に呆れてしまう。
 なにが消毒だ。治りかけのも含めて傷口を広げるような行為をしてきたのは誰だと思っているのか。

「舐めたほうが早く治るっていうだろ」
「あれだけのことをしておいて、よくそんな台詞が吐けますね」
 
 治まっていたのにまたじくじくと痛み出してきている。
 何様のつもりだろう。

「舐めたほうが治るの早いだなんてただの言い訳なんじゃないですか。火神君、キスしたかっただけでしょう」
「あーそうかもな」
「したいならしたいって言えばいいじゃないですか」
「言えばして良いのか」
「言わなくたっていつも勝手にしてくるじゃないですか」

 まぁなーとのんきに返してくる火神を見れば、中断していた昼食を再開していた。
 パンを掴んでいる手の甲には自分が付けたであろうミミズ腫れがしっかりと出来ていた。わずかに血が滲んでいるようにも見える。
 パンに夢中になっている火神はまだ気付いていない。あとでお返しがてら、消毒液をたっぷり染み込ませた脱脂綿でも押し付けてやろう。さぞかししみるに違いない。
 顔を歪ませる火神の表情を思い描いているうちに少し怒りが収まってきたので、黒子も食事を再開した。
 サンドイッチの欠片が傷口に当たると痛いので、なるべく避けるように注意した。血は止まっているようだ。

「明日もまた舐めてやるよ」
「結構です。また傷義血が開くだけですから」
「遠慮するなって」
「してません」

 パックジュースを飲もうかとストローを口に含むと水口部分が傷を掠めて僅かながらにも痛みが走る。
 またムカムカしてきたので、明日してきたらその肉厚の唇に噛みついてやろう。
 そう誓って少し温くなったジュースを飲み干した。


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