平成17年弥彦村議会12月定例会
12月20日(火) 一般質問

●議長(花井温郎さん) それでは、通告順に従って、最初に高倉榮さんの質問を許します。
 1番、高倉榮さん。

●1番(高倉 榮さん) 皆様、おはようございます。
 それでは、一般質問を始めさせていただきたいと思いますが、質問内容が濃厚のため早口で進めさせていただきたいと思います。それでは、よろしくお願いします。
 9月定例会に引き続き、行財政改革の核心「2」として、これからの真のリーダー像とは、これからの真の地方自治体と職員像とは、住民視点の行財政改革のこの3つの観点より一般質問を行う。

 これからの真のリーダー像とは。
 経済が右肩上がりの時代には、前例踏襲あるいは物事の延長線上で改善していくことは決して望ましくはないことではなかった。しかし、社会の仕組みやルールが劇的に変わっていく今日、従来の発想とは全く異なった非連続な新しい価値を生み出す作業が求められていると認識する。右肩上がりのパラダイムの中で、人々は横並びをとうとび異端を排除するような文化を醸成してきた。しかし、それでは現在の閉塞状況を打開するには不可能であり、むしろ、その思考こそ閉塞感の源なのである。新しい価値を生み出すためには、新たなことに取り組むことをとうとぶ雰囲気をつくり出さなければならない。制度を守ることが仕事である従来型の役人には、新しい価値を創造することは難しいのであろうか。日々、非連続の改革ができるということが政治の役割である。最大多数の最大幸福を目指し、トップであるリーダー(以下トップ・リーダーという概念は、時に村長であり、担当課長を指す)が、明確にビジョン(基本理念)を描き、戦略を立て、マネージメントできるシステムが今の行政には必要なのではないか。一般社会の中で矛盾点等を問題提起していく中で、理不尽、不条理なことを変えていくことに自分自身の最大限のエネルギーを使うことがリーダーの資質であると考える。
 今現在、社会を変えるアイデア(改善策)は、既に先達からの多くの人によって語られており、問題はそれをやるかやらないかにある。つまりは、決定を下すという政治の根本的機能を回復させることにかかっていると判断する。リーダーに必要なことは、一般職員をその気、やる気、死ぬ気にさせることであり、そのための徹底した対話が必要であると考える。命令ではない対話による納得の上での業務の進行、そのための対話は無制限である。「リーダーの決意が揺るがない。情熱が本物だ」と一般職員に信頼してもらうことが、改革を進めるリーダーの条件であると考える。人は決して自分一人では何もできない無力な人間であるということを謙虚に受けとめ、いかにビジョンや決意を共有できる人材を自分自身にふやしていくことができるかという点が重要なのである。
 人間は、上から言われた仕事をこなすのと自発的に仕事をするのでは、モチベーションと進行度に相当な違いが生まれる。一般職員に自発性を促し、責任と権限を持たせるという点が、今後の改革の真髄ではないかとも考える。トップが一般職員を信頼・信用する、そして、一般職員からの信用を得ることが重要で、組織はそうした環境の中で、初めて自発的に、かつ機能的、効果的に動いていくものである。現代の救世主とは、トップダウンですべてを成す者を言うのではなく、ましてや、既存のものを壊し、新しいものをつくり上げる人間を指すものでもない。今あるものに可能性を見出し、認識を共有しながら、選択と分権、集中のかじ取りを行っていくものではないか。逆説的に言えば、救世主がやってくれば自分たちは何もしなくても救われる、英雄が一人で暗雲を消し去ってくれるという時代は既に過去のものとなったのである。政策から技術手法に至るまでトップダウンが貫かれていた時代認識は、一般職員の自発性が失われ、いわゆる指示待ち族をつくり上げる硬直化した組織ができ上がっていると認識する。これからの改革を推進する上で最も必要なことは、トップがすべてを決断、実行するのではなく、一般職員(地域住民も含まれるとなおさら可である)対話、時に討議、調整を行い、そこで上がってきたプランをトップが判断しながら改革を進めていくという「ボトムアップ型行政」を展開していくことが最重要であると考える。
 人間一人では何も変えられないという謙虚な気持ちの中で、トップが下位伝達で改革を行うのではなく、一般職員・地域住民とも知恵を拝借し、衆知を集めて、ともに問題提起をし、皆で改革をなし得るという精神。今こそ「ボトムアップ型行政」を行うことが真のリーダー像と考えるが、今現在の村長の考えをお伺いしたい。

 これからの真の地方自治体と職員像とは。
 社会的・世間的に今現在の時世は、役所がなくなるべき(さきの衆議院選挙結果のとおり。小泉改革筆頭に「公務員削減」という大きな全国的世論の中での圧勝という結果)、職員がいなくなるべきであるかのような声が高まっている中で、実際の役所内での空気は、旧態依然とした組織風土を残しながら自分だけは大丈夫と考えている職員が多数派であり、むしろこのままでよいのかという危機感を持っている少数派の一部の感受性の豊かな職員の方が精神的に追い詰められるという悪循環が全国的に見受けられるのではないか。役所全体として直面する課題に対して、何となく先送りになる。それぞれの職場の政策的課題についても自発的に取り組めないという状態。組織力が低下し、職員力の停滞を招き、本来は役所と職員こそが変革を求められているのに、現実は余りにも困難な課題の前に萎縮し、思考停止状態になっているという事実。自治体職員機構という役所、公務員と呼ばれてきた自治体職員が限りなく一般社会と融合しようとしつつある時代に、今後も更に残るであろう役所と職員像を描き切れない。今後も更に残るという点は、一般社会に溶け込んでも最後まで残るコアのような役所と職員像のことであり、そういう状態になるまでの長い期間残り続けるだろう役所と職員像のことである。この点が極めてはっきりと線引きされなければ、現在の役所や職員がそれなりのモチベーションを持って働けなくなるのは当然のことで、現在の役所の組織力と職員の停滞感はそういう点に原因があるのではないか。これからの自治体再構築における行政組織と職員の将来像をどのように描かなければならないのか。将来的にどのような自治体組織が残り、そこにどのような自治体職員が必要かというイメージを描くことが大切である。さきの「ボトムアップ型行政」の展開を主眼とし、大きく言えば、自治体行政組織再編と職員人事制度の再編であると考える。これまでの組織編成や人事制度は管理運営事項の特権とされ、住民はおろか議会の関与も限定的であったのは事実であろう。
 ここで、これからの真の地方自治体の「かたち」を提起する。
 先手を打つ行政手法。不満が積もりに積もって怒りに変わり、いよいよ爆発したときに初めて気づき、後ろ手に回っている中で、そうした不満の芽を早期に見つけ出して、芽が木になるまでの間に対策を練るという感覚が必要である。また、役所の仕事を見詰め直すとき、重要なものは、仕事の根拠を示すということも重要である。憲法や法律に書いてあることを簡単には変更できないという事実認識の中で、極端ではあるが、憲法・法律の趣旨がこれからの地方自治政治の趣旨に反していれば、自分たちの処理・考えが正しいと発することは不可能ではないと考える。
 政令省令・省庁・県庁よりの通知文等その処理は、これからの地方自治体政治に対して適切か否かの判断も必要である。少なくてもそのまま実施していることは制度的にはそれらの根拠に納得して実施しているということになり、責任転嫁は許されない。これが地方分権制度のさがなのである。新しい地方自治体政治を目指すということは、市町村単位でも意思表示を示すことがこれからの地方自治政治の真髄であると確信する。制度をすべて国に決めてもらい、その範囲内で指示に従い、うまく仕事をすることであれば、上下主従の関係でやらされ感しかもたらさない。そのような中で、全国320万人の地方公務員にやりがいは生まれない。
 今こそ地方公務員が誇りを持ち、やりがいのある制度につくり直すことで、日本の国のかたちは大きく変わるという認識。本質的な議論は国が行うという発想を捨てることが、今こそ必要なのではないか。国が能で、地方自治体は国の指示に従って手足を動かすだけであれば、地方の時代は断じて来ない。職員はみずから考え、国に物申す。住民もみずから考え、みずから判断し、行政に物申す。つまりは、地方自治体と住民双方の政治への積極的な参加と意識改革の必要性を強く訴えたい。地方自治体は、従順に国に従うのではなく、より民意にかなう方策をみずから考え、国に提案し、納得させる。これこそが、地方自治体から国を変えるという認識の中でとるべき姿勢であると確信する。例えば、地方自治六法には、職員の採用試験の受験料は手数料として徴収できないが、市川市役所は実費相当額として受験料を徴収したが、総務省・千葉県よりの是正の要求はないという実例。また、役場職員の名刺は個人負担と決められているが、職員全員が地域の営業マンという認識で行政負担をしたが、是正の要求はないという実例。大分県の日田市においては、サテライト建設に関して「サテライト建設は憲法違反」として、住民からではなく、日田市役所が設置許可を出した国土交通省を訴えるという事態も生じている。地方の一行政が憲法さえ間違っていると判断し、問題提起としたことは意味あることである。まずは、これでよいのかという感性とそれを裏づける知識と能力である政策法務感覚を常日ごろから身につけるという努力が大切であると考える。
 三位一体改革は、国のかたちを変える大改革である。これまでのように補助金という制度に基づき、お互いに協調、もたれ合っていれば、地方自治体にイノベーションが起きることはない。予定調和の中でうまくやっていくことばかり考えれば、政策立案や政策の検証は起こりようがない。尊厳のある自己決定・自己責任システムをつくり上げなければ、真の地方分権はいつまでたっても実現はしないのである。国と地方は、今こそ緊張感のあるパートナーシップの関係を結ぶチャンスである。今こそ地方は立ち上がるべきである。これは後戻りのできない、バックギアのない改革という感の中で、まさに地方から国を変えるという認識がこれからの地方自治体には必要不可欠であるという思いだが、今現在の村長の考えをお伺いしたい。
 次に、これからの真の職員像の「かたち」を提起する。
  第1に、役場内の情報の共有化。
 これからの行財政改革のヒントとなる意見が一般職員から表面化しない行政組織は沈滞化するのではないか。職員の意識改革の第一歩として、庁内LANを活用し、役場内の情報の共有化を提起したい。例えば、職員提案専用掲示板。村長を初め職員全員がアクセスでき、自由に意見を書き込めるというシステムである。一昔は情報通と呼ばれる役場内を徘回する古参の係長等が組織のすき間を埋めてきたという時代もあったのかもしれないが、現代の時世は、庁内LANを活用し、職員同士のコミュニティ形成も有効手段と考える。情報とは、共有して初めて理解も深まり、いろいろな解決策やアイデアが出てくるものである。しかし、パソコンではなく真の会話、すなわち対話の重要性も訴えておきたい。お互いの違いを納得し、わかり合うこと。内発的な改革、すなわち職員それぞれが心の底から納得することが重要で、立場や肩書を離れて議論する対話によって新しい発想が生まれる。相手の立場も踏まえ尊重するには、相手の話から聞こうとする姿勢が必要である。対話の浸透と情報の共有こそが、役場内の風通しのよさと組織の活性化につながることと確信するのは言うまでもないことを前提に特筆しておく。
  第2に、事務事業評価の再考。
 事務事業評価等の各種評価システムも、直接の担当者は事業のむだや効率的執行方法を知っているのかもしれないが、組織として、管理職として考えると、政治的判断においても維持した方が望ましいということも場合によりあるが、それでは改革は進まない。評価とは、そのような判断を正していくことが重要で、上記のように情報を共有することにより、当事者間ではない第三者より指摘を受けることにより、評価システムが生きる行財政改革となるのではないか。関係課が行う事業を課内で評価しても意味はない。他の課等より評価を受けるから意味があるのである。
 次に、アウトカム指標の必要性である。例えば、行政懇談会等の成果について、予算額がインプット、100人の聴衆はアウトプット。その100人はどのように考えたか、行動したか、するかという影響度がアウトカム指標である。アウトカム指標を示すことで、インプット・アウトプットの関係と効果の議論が必要で、真の目標指針が見出せる。真の事務事業評価システムとは、事務事業を目的そのものから見直し、その成果を成果指標という概念であらわし明確にすることにより、その数値で事務事業の目標管理・進行管理を行うものと認識する。今現在の事務事業の目的と成果の把握(DO)、環境変化の把握・目的と妥当性の評価(SEE)、改革案作成(PLAN)という3ステップから構成されるのが望ましいと考える。いわゆるPLAN・DO・SEE、「PDS」を理念とする循環が必要であると考える。
  第3に、マトリックス予算編成方法の導入。
 近年役場内は、取り巻く環境もあり、新しい事業をどんどん起こそうというよりも、どの事業をどこまで削るか、削ることができるかという点に精力が注がれる縮小・削減型予算配分方式という感があるのは否めない。これからの予算編成方法を考える上で、各課・各係等を、決して縦割りではない縦と横の線で考えながら予算を編成する方法、包括配分方式、すなわち「マトリックス予算」の導入を提起したい。各課への絶対的責任移譲と公的関与の判断基準に基づく事務事業の見直し、事務的経緯費の総額配分、発生主義会計の導入、予算編成過程の情報公開等も実施し、役場内の情報の共有化、予算編成プロセスはもちろん、住民へも開示されればなおさら可である。予算編成プロセスを、予算重視・計画主義から次年度の予算編成にも影響を与えることにより、各課の緊張感を保つことのできる決算重視・成果主義への変革に移行することを望む。
  第4に、行政組織編成と環境づくり。
 現場にこそ神が宿るという概念の中において、組織内で職員一人一人が十分に能力を発揮できるという環境づくりを提起したい。と同時に、スクラップ能力の必要性も訴える。すなわち、打たれ強い、タフさということである。職員が住民の前に立つという場面の中で、冷静かつ情熱を持って接することができる能力の向上は、住民とのワークショップ、協働での計画づくり、住民間の合意形成作業という共同作業の中でのタフさも指す。「我々は無償であるが、あなたたちは超勤手当をもらってきているのでしょう」という真摯な意見に対して、自己嫌悪に陥らない気概とさまざまな状況化の中、政策とは必ずどこかに既得権益が生まれるもので、スクラップすればだれかのデメリットにもなるという認識の中での交渉に対する打たれ強さである。現場の第一線の先兵職員への最大限のバックアップ体制は不可欠である。困難さに向かっていくだけのモチベーションとバックアップ体制が役場の組織風土には存在しないという旧態依然のかたちであるならば、新しい価値を創造する源はそこからは存在しないのである。
 これからの行政職員の気概とは、前例踏襲ではない新しい価値を創造するパワーこそ必要であり、縦割り行政から総合行政への改革と、予定調和の切り口ではなく非日常の切り口から課題をとらえることが真の改革である。目的を掲げて成果を上げようとする行動目標の必要性と、みずから考え、みずから行動する。つまりは、職員自身の自己変革、啓発は言うまでもない。公務員は、仕事をやっていてもやらなくても同じ等積極的に仕事をやった人のやり損という風潮に、そのように考えてしまう習性をまずは打開し、前向きに仕事に取り組んでいくことが奨励される組織に変革し、結果もさることながらそのプロセスを大切にして、ピンチの後にチャンスもありの精神で、問題が起こったときは危機ではあるが、解決策が見つかればそれはチャンスであり、発生とその解決策は、改革の進行につれて職員一人一人の意識も変わっていくという考え方の中、否定的な意見が多いことに意気消沈するのではなく、役場内全体での改革の余地は残っている、もっとやろう、一緒に直そうという精神と姿勢が改革を良循環させると確信する。
 そもそも、政策を何か目新しい変わった施策と思うことは間違いである。日々の日常の仕事こそ政策であり、政策形成能力とは、日々の日常の仕事を改革する構想力と実行力そのものなのである。そして、成果主義ではなく、努力すれば報われるという実務主義が必要であり、失敗を責め、チャレンジ精神をむしばむ組織をつくるのではなく、各課を超えて刺激し合うことができて、知恵と工夫を引き出される行政組織の編成の環境づくりが、今まさに最重要であると認識する。拡大・成長からの成熟の時代になり、社会の仕組みやルールが劇的に変わる時代の中で、どのように新しい価値を創造していくか。前例踏襲ではなく、自分自身の考え方において新たな分野にチャレンジする職員が今こそ求められていると確信する。
 しかし、前人未踏の分野にみずからチャレンジすれば、大概は成功しても失敗だと批判される。多数の中のごく少数でしかないため。しかし、その失敗が次のステップにつながればよいのである。そのときは、アカンタビリティ、説明結果責任を果たせばよいのである。また、失敗から成功が生まれるという発想が職員には必要で、逆説的に言えば、新価値創造のために失敗も覚悟してやればよいのである。結果、すべてのその全責任はリーダーがとればよいのである。例えば、野球で常勝集団と言われるチームでも、全員がホームランバッターではない。ホームランバッターもいれば、ヒット・バントを量産する選手もいる。行政も、一律皆同等な個である組織集団から多様な個性が集まっている組織集団に変えなければならないのである。それには、組織をフラットにする環境づくりが不可欠であると認識する。職員自身の間から出されたすぐれた数多くの新しい価値観を、職員が自主・自立的に考え行動する良循環を起こさせる環境づくりこそが必要で、前述の「ボトムアップ型行政の展開」の真髄でもあると確信する。
  第5に、エンパワーメントの概念。
 エンパワーメントとは、新しい価値を創造するために組織をフラットにし、個々の職員・各課が内在する能力を最大限に発揮できるようにすることである。すなわち、役場内の分権化、可能な限りの権限移譲化である。管理型から経営型のエンパワーメント重視の発想への転換は、従来の役場風土の解体を意味するのかもしれない。しかし、職員一人一人の自発性をむしばむような組織風土をなくし活性化を図ることと、そこから派生する責任回避のいわゆるたらい回し行政の打破がねらいでもある。分権とは、それぞれに職員一人一人が責任を持って仕事を行うことであり、住民にとっては打てば響くという行政をつくるということでもある。住民からの質問に対して、職員がそれぞれの自分の責任と権限を持って即決する。みずから考え、議論する必要性が生じることから職員の意識改革にもつながる。意識を変えるには、システムから変えていくことが最重要であると認識する。課長(村長)より判断を仰がなければ私(担当課長)では結論を出せませんという縦割り組織の打破により、役場は変わったと今こそ住民に示すときであると確信する。
 最後に、採用・昇給・昇任・異動・考課・給与・退職というサイクルそのものと、正規職員と呼ばれてきた旧態依然のフルタイム職員制度自体の見直し。
 すなわち、限られている財源の中からの評価制度としての職員皆一緒という考えの打破と、決められた財源のパイの中での決して年功序列ではなく、職員の切り捨て・縮小・削減でもなく、真に頑張っている、汗をかいている職員に対する評価そのものの見直し。全体の決められた財源の中からの評価システムの中での新しい給与体系の構築。
 真の行政、そして政治とは、会議室で起きているのではなく、住民との日々の生活する現場の中でこそ発生しているという認識。真の行財政改革とは、定員数等の改革、削減方向だけではなく、職員一人一人の意識や組織の運営方法等の機能改革こそが重要で、これからの職員像に大切なことは、職員個々の気概の持ち方であり、その能力の発揮することのできる場の提供である。職員みずからが気づき、発想し、考え、率先して実行、行動することによって、住民に信頼される行政になることを確信する。立派な政策も、職員の高い意識とすぐれた能力を引き出せる環境があってこそ実現できるのである。職員一人一人が仕事への意欲、情熱を持ち、率先実行・行動の考えのもと行財政改革を職員自身の内からの改革へと発展させることこそ、真の行財政改革へと進むのであると確信する。
 公務員が多過ぎる、給料が高過ぎる、退職金も含めて働きが悪いと役所、職員がいなくなるべきであるかのような声が高まる中、逆説的にそう言われない内からの改革を実行し、決して切り捨て、縮小、削減ではない行財政改革を推し進め、前述の第1から第5に示したように、役場の聖域にメスを入れるという覚悟を持って、住民から「役場は変わった」と言われるようなこれからの真の職員像の真髄を望むが、今現在の村長のお考えをお伺いしたい。

 住民視点の行財政改革。
 いまだに長引く不況、バブル経済崩壊以降等のまくら言葉は無意味である。国を初めとする政策転換の失敗であることは、明らかに紛れもない事実であるということを認識することが大事である。今日ほど国と地方を結びつけてきたシステムや自治体自身の姿勢が問われている時代はない。行政を取り巻く環境は大きく変化しており、従来のような一時しのぎの政策、方策で対応すれば済むという時代でもない。集権完治から分権自治へ、供給者側の論理に立った行政から個々の住民の論理に立った行政への改革。つまりは、住民と行政の自主性、主体性を尊重し、役割分担しながら対等な協力関係(パートナーシップ)を築いていく住民視点の行政に転換させることが真剣に求められているのではないか。主権在民の世の中で、住民が主体であるのは当然であるという概念のもと、住民を満足させる行政ではない。なぜならば、「住民を」の主語は「行政」である。言いかえれば、行政が住民を満足させるということになる。それはまさに行政主導となる発想である。主役である住民が満足いただけるサービスをどう提供するかが行政の役割であり、行政が主役では決してないという認識。
 住民視点とは、換言すれば行政と住民の協働(コラボレーション)である。住民には、2つの意味がある。1つ目は、客体として負担を強いている訳であり、行政側から受益を受ける存在である。行政は、負担に対して最大限の効果、受益を住民に提供しなければならない。2つ目は、積極的な意味としての主体である。住民こそが地域における主役であり、自分たちが参加してつくり上げていく。すなわち統治客体ではなく統治主体である。自分たちの町は自分たちでつくっていくという姿勢と行動が広がらなければ、衆愚政治、おまかせ民主主義、観客型民主政治となる。そのような政治から、真の意味での住民が主人公である民主主義社会を構築しなければならない。住民視点は、従来の「行政が」「職員が」という発想から、「住民が」と180度変えていく。つまりは、住民視点は、従来とは全く発想の異なる非連続なものである。
 地域の真の資源とは人である。住民視点の行財政改革の真の姿とは、これからの行政の真の姿でもあると認識する。逆説的に言えば、住民自体の意識改革も必要である。自分たちの地域のことは自分たちで決める、自分たちでできることは自分たちで実行するという精神が一流のまちづくりの絶対根底であることも認識はしておきたい。納税者である住民は、行政サービスを受ける権利があり、受け手の側に立って行政サービスを行うのは当然という考え方と同時に、住民は統治主体であるという発想こそが協働(コラボレーション)につながる。ここで協働の意義というものが発生する。
 住民視点の行財政改革は、説明、説得よりも、住民自身の納得の存在と考える。それは、住民への情報提供であり、住民との対話であることは間違いのない認識でもある。住民視点の行財政改革は、行政からのトップダウンでは主体性という絶対不可欠なものが抜けているため、改革は不可能であるという謙虚な気持ちの認識も持っておきたい。また、基本的な考え方に、行政とは現在の民主主義の政治、行政システムそのものは住民のアウトソーシングであるという前提の中で、お金のある人もそうでない人も税金という会費を出し合い、行政サービスを社会的に確保、提供し、住民はそのシステムを利用している。役所が何をするのではなく住民にこそ決定権があるという前提と、官と民の補完性の原理の中で、行政の執行権と決定権は住民にこそ帰依されるべきであると考える。そして、行政運営から経営へ移行し、その重要なポイントは時代認識と掲げ、旧態依然のシステムを廃止するともに、民の活力の積極導入、徹底した情報提供、公開を改革の旗印にすることが重要であると考える。
 経済が縮小し続ける中で、企業を含めた税収入は落ち込むのが当然で、本当に必要な行政サービス、行政の役割を見直し、行政だけではなく、住民・企業・団体も含めたオール参加型で行政を経営していくというスタンスが大切であり、すなわち、行政がしてあげる、住民がしてもらうという関係から、役場は、住民・企業・団体をつなぎ、それぞれの力を生かしていくコーディネート型行政に転換させ、主役は住民・企業・団体、行政はコーディネーター役という住み分けを決め、新たな行政のあるべき姿を示すことこそ住民視点の改革であると確信する。企業が顧客満足度を追求するように、行政はサービスの受け手である住民の満足度を追求することを意味する。つまりは、住民の満足度が向上して職員の満足度も向上するというサイクルを期待したい。これからの日本社会での最も重要な課題の一つとして、人口減少・高齢化がある。こうした中でのこれからの行政の最大の目標は、その・この地域でいつまでも住民が暮らし続けること、暮らしていけることである。つまりは、その地域に暮らす住民が、今後も希望する地域で豊かに暮らし続けることができるというその1点こそが、これからの行政としての役割、目標であると強く信じる。
 リンカーン元大統領の有名な言葉である「of the people by the people for the people」の中で、日本が最もおくれていたのはby the people(人民による政治)だと確信する。つまりは、住民視点の行財政改革により、行政と住民がパートナーシップとコラボレーションの連帯を築き、住民視点の行財政改革で新たな価値を創造することがこれからの行政には必要不可欠と考えるが、今現在の村長のお考えをお伺いしたい。

●議長(花井温郎さん) 高倉議員、これからはもう少しゆっくり質問趣旨を説明できるようにしてください。理論構成等整理して質問していただければ、聞く方も理解しやすいばかりでなくて、あなた自身も再質問あるいは再々質問する時間がとれるようになると思うので、それでは次からそういうようなことで。
 村長。

●村長(大谷良孝さん) 高倉議員のご質問にお答えを申し上げます。
 ご質問の行財政改革の核心「2」についてで、まず1点目のこれからの真のリーダー像とはについてでございますが、三位一体改革、市町村合併の進展など、地方分権が実行の段階を迎える中で、厳しい財政状況、地域経済の状況等を背景に、地方公共団体においては着実なる行財政改革が求められるとともに、基礎的自治体として住民の負担と選択に基づき、それぞれの地域にふさわしい公共サービスを提供することが求められておりますことから、地方公共団体の首長は、首長として的確な現状把握と危機意識、強い改革意欲を持つことが必要であり、更に職員と危機意識、改革意欲を共有することが重要であると考えております。
 行政運営を行う上で、当然ながら首長には強いリーダーシップが求められますが、首長の理念、考え方、構想といったものを組織全体に浸透させることが必要であり、そのためには職員との間に信頼関係を構築することが不可欠であります。首長からのトップダウンの指揮命令だけでは、よりよい行政運営を行うことは困難であり、職員からの建設的な意見を反映させながら、職員とともに目的に向け取り組んでまいりますことが大切であると考えております。首長は、明確な目標を持ち、職員に基本的・全体的な方針を示し、職員の知識、経験を十分活用した上で、具体的な実施方針を策定することで、職員に改革意識と自発性が生まれるものと認識しております。高倉議員の申される「ボトムアップ型行政」は、職員との信頼関係の構築、意識の高揚を図るためにも、行政運営に取り入れていかなければならないことだと認識しております。
 次のご質問であるこれからの真の地方自治体と職員像とはについてでございますが、平成12年4月に施行されました地方分権一括法の施行により、上下、主従の関係と言われておりました国と地方は、それぞれの権限と責任を明確にして協力し合う関係となり、その後も地方公共団体の自発性を尊重した構造改革特別区域法の制定など国は地方の自主性を重んじた政策を進めております。また、昨年3月に国が示した地方公共団体における行政改革の新たな指針の中で、これからの地方公共団体のあり方として、地域のさまざまな力である住民団体・NPO・企業団体等を集結して、新しい公共空間を形成するための戦略本部となり、行政みずから担う役割を重点化する政策を進めていくことを求めております。三位一体改革による4兆円規模の国庫補助負担金の削減、3兆円規模の税源移譲も平成18年度から実施される見込みであり、地方公共団体にはますます自主性が求められることとなります。
 これからの地方公共団体は、まず、少子・高齢化、男女共同参画社会の形成等により多様化する住民のニーズに柔軟に対応できる自立した地方自治体でなければなりません。議員の言われる地方から国を変えるというお考えは大変大事でございますが、住民が安心して生活できると信頼される地方自治体となることが大切であると考えます。厳しい財政状況や人員削減にも対応できる行政体制の整備、行政ニーズに対応した柔軟かつ機動的な組織編成、職員の能力を最大限に引き出し得る人事管理が行える体制を整え、住民に開かれた行政運営を行うことが地方自治体の姿であると認識しております。
 次に、職員像についてでございますが、議員のご質問の中でさまざまなご提言をいただいておりますが、行政評価システムなど既に導入しているものもございますが、職員の意識改革につながるご提言は、今後の人事管理に取り入れていきたいと考えております。私が、職員に常に求めるものは、厳しい財政状況の中で単独での行政運営を行っていく訳でございますから、危機意識と改革意識を持ち、行財政改革における人員削減にも対応できるよう常に自己の資質の向上を図っていただきたいということであります。人事院勧告により、平成18年度から給与構造の改革も実施され、年功序列型の給与体系が見直されることから、一層の切磋琢磨を期待するものであります。
 3つ目のご質問である住民視点の行財政改革についてでございますが、議員ご質問のこれからの真の地方自治体とはということで、先ほどもお答えを申し上げましたが、これからの地方公共団体には、地域のさまざまな力である住民団体・NPO・企業団体等を集結して、新しい公共空間を形成するための戦略本部となり、行政みずから担う役割を重点化する政策を進めていくことが求められております。これは、議員がご提言されている住民と行政の自主性・主体性を尊重し、役割分担しながら対等な協力を築いていく住民視点の行政のことであり、行政は、住民・企業・団体をつなぎ、それぞれの力を生かしていくといういわゆるコーディネーター役ということでございます。
 さきにも申し上げましたが、これからの地方自治体は、住民の負担と選択に基づき、地域にふさわしい公共サービスを提供していくことが大切であり、これを実践していくためにも計画的な行財政改革を推し進めなければなりません。今後とも村民の福祉向上につながるための改革が実現できますよう職員一丸となって取り組んでまいりたいと思っておりますことから、議員初め議会の皆様方の更なるご理解を賜りますことをお願いを申し上げまして、ご答弁とさせていただきます。

●議長(花井温郎さん) 高倉議員。

●1番(高倉 榮さん) お時間も少ないので、最後に1点だけお話しさせていただきたいと思いますが、私はこの弥彦村を全国区にしていきたいと。もちろん村長、今議会の冒頭にもおっしゃられました。40万人、菊まつりに来た。すばらしい観光地であるということも、当然のことながら行政も、住民も、観光も、農業も、すべてにおいて私はこの弥彦村を全国区にしていかなければならないのではないか。合併しない弥彦村は全国区になっていくべきであると確信しております。そのためには、やはり行政も住民も意識を改革した中で、一致団結した中での弥彦村運営から経営という認識の中で頑張っていくことが最重要であると認識しておりますので、村長を筆頭に行政職員が一丸となり、そして住民も一丸となり、更なる弥彦村の発展を希望して、私の一般質問を終わりにしたいと思います。
 以上でございます。

●議長(花井温郎さん) 以上で高倉榮さんの質問を終わります。

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