日々のぼやき2004

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2004/10/10
鉄道の日直前ということで今年は9日に万葉線電車まつり、10日に金沢駅祭りの予定だった。が、低床車「アイトラム」の相次ぐ脱線のあおりで万葉線は中止。ひとまず北陸道を小杉で降り、万葉線周辺をざっと見てから金沢駅西のビジネスに投宿。
翌10日は北陸GMのファイナルを実施したものの参加は元主催者の一人だけ。過去のゆかりの地である香林坊やMRO、ジャンボボールを回って思い出話をして終了。基本的には皆さん他の声優やら作品への「宗旨変え」だったりこっち系の趣味「廃業」による「社会復帰」だったりなのであり、別に予想は出来てたのでどうってこたぁない。けじめはつけたのであるから、あとは自分の趣味としてのんびりやっていくだけである。
駅祭りはなぜかマグロ解体がなかった。ここで叩いたから止めたなんてことはまさかあるまい。チャンカレ本店でミニLカツカレー食って帰宅。

2004/09/19
JR西日本金沢支社糸魚川地域鉄道部の大糸線国鉄色キハ52と金沢総合車両所持ちの国鉄色キハ58・28併結イベントに参加。今回は糸魚川-南小谷まで運転ということで未乗区間消化の意味でもちょうどいい。10月のトップ写真に使ったとおり車内の栓抜きを使ってみようと瓶サイダーと烏龍茶を持参したが58の方はアコモデーション改造時に外されていた。そこで52で撮ったのがあの画像。列車の糸魚川到着後は煉瓦造りの検修庫をバックに撮影をした後は例によってヒスイ王国館会議室で昼食。今回は事前に鱒寿司が出ると聞いていたので鉄道なら富山駅弁である源さんかな、と思ったがなぜか笹義製。まあ、美味かったのでOK。

2004/09/05
関越道飛ばしてラジオライフの前橋ぺディションに参加。会場入りする前に折角群馬まで来たからたかべんのとりめしでも食おうと事前にたかべんの前橋店を地図検索しておいた。が、行ってみてビックリ、ほか弁業態だった。辛うじてだるま弁当はメニューにあったが今日食いたかったのはとりめしなのでパス。だからってとり丼みたいな近いメニューでごまかすのもポリシーに反するのでのり弁買って辞す。
ぺディションでは115系の廃車部品である車掌スイッチを入手。

2004/08/22
かつての松任工場、今は金沢総合車両所松任本所の一般公開があるのでMirage氏と向かう。公開は毎年この時期だから学生時代はこっちに帰省していて見ることが出来なかったイベント。駐車場がないとの広報だったので金沢駅駐車場に車を置いて583の先頭部が残る419系で松任へ。北口から向かうと列車来場者向けに記念品を配布していた。金沢総合車両所の名入れボールペン。中は、というとリバイバル急行能登路運転用に国鉄色に戻されたキハ58・28、城端・氷見線用のハットリくんをあしらったキハ40等々。六日町の踏切事故で深手を負ったはくたか用スノーラビット681もここにて修理中。アンケートに答えて記念品を貰う。また名入れボールペン(^^;北口の窓口で乗車券を求め北陸線で金沢、百番街で土産を求めて県庁前のカレーのチャンピオンでカツカレー食って帰宅。

2004/08/13-15
夏コミ上京。
今回はサークル参加ゆえ編集長、みっみー両氏と向かう。意外と混むのな、最終1本前のときって。
車販が聚楽だったのでサンドイッチを求めてみたら、7月に西部785氏から教えられた通り自社品でなくボンオーハシ製になっていた・・・。東京駅から山手線で有楽町、有楽町線で(東京メトロ初乗り)千代田区内に投宿。
寝る前にアナログ衛星・MX以外の地上波が映るテレビをぼけーっと見てたらNHK総合でいきなり警備員姿の宝田明氏が踊りだした。「謎のホームページ サラリーマンNEO」なるコント番組で、生瀬勝久氏やら六角精児氏やらマギー氏(司郎・審司師弟とは無関係)やら温水洋一氏やら舞台に強いそうそうたる面々(と、いうかテレ朝の「相棒」で脇役やってる人たちの多いことったら)が会社をテーマにコントを繰り広げる。3月の改編期に放送した第1回の好評を受けての第2弾。レギュラー化は無理だろうけど年1とか改変期ごととか、定期的に続きそう。お盆のNHK深夜帯、今までもBSドラマの新宿鮫や海猿やってたりあなどれないのよな。その後はそのまま「火消し屋小町」の今週見損ねた月曜日分をみて就寝。
14日は早起きし、有楽町線で新木場へ。乗り換えたりんかい線は妙に空いていたがともあれビッグサイトへ。
サークル設営をして朝食を仕入れにケータリングコーナーへ。見たようなお茶缶があったので良く見るとJR東海傍系会社であるトーインの静岡茶だった。今年初めまでJR東海が直接販売者になっていた商品である他にもトーインのミネラルウォーター、レモンウォーターが置かれていた。おにぎりを手にとると「ジェイアール東海デリシャスフーズ」製造。恐らくはJR東海パッセンジャーズ(JRCP)の系列会社。江東区内に工場があるので近所であるビッグサイトのケータリングにも参入した、というところか。何にしても意外なところで出合った鉄系の食品。鉄道系サークルとしては最適な朝飯であろう。
本は安いもの中心に売れた(どこぞに転載されそうだから詳細は書かない)。飲料系サイトでお世話になっているつばめ92号さんたちや、いつもの飛月さんともお会いできた。
15時過ぎ、いつものように鉄道島としての結束を高めるあれ(わからない方はどこかの鉄系同人サイトに多分出てるかと)もやらずに撤収。実に一匹狼なサークルだな、ここ。
帰路はゆりかもめにしてみる。かなり失敗。ただでさえ多いコミケ帰り客に加えお台場等で遊んだ一般人(悪いことにフジテレビジョン本社では「お台場冒険王」なる休刊中の秋田書店の漫画誌「冒険王」とのタイアップイベント・・・・じゃなくてフジのアニメ関連のイベントまで開催)今晩は台場で花火大会があるということで早めに会場入りする人々、ただでさえ狭い車内が大混雑。
乗ってしまった者の言う事ではないが、コミケ帰りの客は現状であればゆりかもめ使用は控え、直通である水上バス・都バスや停車駅も少なく輸送力が大きいりんかい線を利用するべきだ。台場や船の科学館からの一般客が乗れないのはやはりまずい。
例えばコミケ客だけ運ぶ有明-新橋ノンストップ便や台場-有明間を回送にすることで一般客のみを運ぶ運用設定ができれば別だけど。
ともあれ新橋から秋葉原へ。遅めの昼飯を例によって万世で・・・と思ったらリニューアルでパーコー麺を出すラーメン部門が1階の居酒屋スペースに移動していた。夕方以降は食いにくくなるな・・・・。味の素スタジアムでアルビ戦を観戦するみっみー氏と別れ、しばしぶらつく。先回来た昨年末からの変化。
・ヤマギワソフト火災、そして復旧
・アソビットシティ閉店、周辺に分散。跡にはドン・キホーテ
・警視庁万世橋分庁舎解体
特に3番目。元々万世橋署の庁舎だったのが新築移転で空きになり、上記名称で存在していたもの。
いつもレンタカーのサニー(よく暴力犯捜査系の部署がレンタカー使うらしい)が止まっていたがどんな部署が入っていたのかは結局不明(噴火で避難生活が続く三宅島民の相談に当たる三宅島署の連絡所は入っていたようだけど)。最近アフタヌーンで隔月連載の「アキバ署!」に出て来る「警視庁外神田警察署」の外観モデルはこの建物だった。その移転したアソビットやらゲーマーズ本店、石丸ソフト3を回って御茶ノ水から丸の内線に。今宵の泊まりは東横インの後楽園文京区役所前。翌日知り合いサークルで売り子する編集長の都合を考えると理想は品川駅高輪口なのだけど流石はビッグサイト最寄東横、取れなかったのです。昨年暮れのようなキャッシュバックも無かったけど6980円ならまあまあ。巨人戦観戦客をかすめて水道橋駅前の神戸らんぷ亭で牛丼を食って帰室、ざっと買った本を見ながら就寝。
15日。雨。
Mirage氏は知り合いの売り子と言うことで東横名物の朝食サービスをさっさとかっこみ出発。
私は、と言うと別に雨の中一般入場列に並ぶことも無いのでのんびりと「かいけつゾロリ」なぞ視聴。そのまま東京ドームシティのデカレンジャーショーCM(新潟では東京ドームホテルのCMに差し替えられてしまう。別に新潟の新幹線沿線在住なら午後のショーを見ての日帰りは可能なのだが確かに予算的にきついから子供が見て「今日連れてってー」などとごねるといけないからか?)でも見ようかとデカレンジャーを見ていたがふとテレビ東京が見れることを思い出し最近人気があるコバルト文庫原作の「マリア様が見てる〜春〜」を視聴。うん。途中から1話見ただけじゃ解らん。プリキュアは終戦記念日と言うことでほのかの祖母が語る終戦後の焼け跡エピソード。既に主要視聴者層である幼児の祖父母は戦後生まれ世代。もはやこの世代に戦争を語り継ぐのはこういう番組の力も借りなければ不可能なのよね。
結局サービス朝食は食えずにチェックアウト。後楽園駅から東京駅へ。余分な荷物をコインロッカーに預けて、電子マネー対応Suicaを購入、一旦品川駅へ。スタジオPALMさんの本でここの常盤軒駅そばにある「お好みそば」を絶賛してたので寄ってみる。が、このメニュー東海道線ホームの店舗にしかないのに京浜東北線ホームの店舗に入ってしまって・・・。結局あじ天そばで朝飯。これはこれで美味かった。大崎に出てりんかい線乗り換えでビッグサイト入り。
終了後はいつもの有楽町線コース。
東ホールの出口から北駐車場経由で国展駅へ向かう途中のゆりかもめ下で緑のトヨタガイアの助手席からいきなりマグネットの赤色回転灯が屋根に載せられ、サイレンを鳴らしてマイクで赤信号通過と道を空けることを広報しつつ走り去った。ガイアという車種、男性3、4名乗車で地元足立ナンバー、マニアが「TA擬装型」と呼ぶテレビのダイバシティアンテナに見せかけた無線アンテナらしきものも付いていたからまず本物の捜査車両だろうけど大勢のオタクが集うコミケ閉会後の有明と言う場所が場所なだけにマニアのモドキがパフォーマンスしてたという可能性も捨てきれず・・・・・。うーむ。その後国展駅ロータリーに停まってた「多摩88」の31型セドを見つけたがこれはどう見てもモドキだったようだけど。
有楽町では一旦お堀端に出て、完成直前のニッポン放送本社ビルを見る。山手線に乗り換え、神田へ。目的はいつもの小諸そば。ところが神田駅周辺を小一時間うろついたが軒並み休み。そうだよね、オフィス街だもんね・・・・。駅前のパチンコ屋が新台入れ替えらしく店舗前にチンドン屋。メインの楽器がサクソフォンで、演奏する曲がどこかおしゃれ。チンドン屋も時代に合わせて変わって行くなあ、と思いつつよーく曲を反芻してみたら、「マツケンサンバ2」だった。おそるべしサクソフォンのおしゃれイメージ。結局いつもの秋葉原店まで行って二枚盛りをいただく。東京駅でMirage氏と合流。冷水機まで残っている原色200系臨時「とき」の方向固定3人掛け座席で離京。

2004/07/17-24
水害について。
発端は1週間前の10日に遡る。
その日は鉄道友の会の支部総会と懇親会で新潟市内で夕方から飲んでいた。
雨との予報に反し快晴だったので傘も持たず来ていたがそのうちに「信越線に不通区間」との情報が。
外を見ると開始前とは打って変わっての雨。会は一次会のみで早々にお開き、コンビニで傘を買い、急ぎ新潟駅へ。
信越線は不通ということで高速バスなどへ列が出来ていたが帰宅に利用する越後線は問題なかったので一安心・・・と思いきや車両運用の関係で乗るはずの列車が運休に。途方にくれていると信越線不通の代行輸送として新幹線の燕三条と長岡へは特急券無しで利用できるとの放送。ちょうど経由地に関係ない「えちごワンデーパス」を利用していたので即「とき」に乗り込む。燕三条へはMirage氏に自家用車で迎えに出てもらって自宅へ。浸水はあったが通行に支障は無いので帰路を急いでいると携帯が鳴った。消防団の部長からで、地元集落に被害はないが分団の管内で道路浸水があり出動がかかったとのこと。急ぎ部長の運転するポンプ積載車で現場へ。幸いに汲み出し作業はほぼ終了しており、撤収を手伝って帰宅。
それから3日後の13日。
目覚めるとすごい雨。先日の現場も気になったがこの雨だと見附の職場も心配なので急ぎ出勤。
すると職場前の道路が浸水・・・・・。ひとまず通常業務は続けたが念のため点けていたテレビから伝えられる状況が次第に大事に。
昼過ぎに近くを流れる刈谷田川の対岸堤防が決壊し、落雷等で停電が起きて機械が停止。ついには職場一帯にも避難指示。社長命令により数名を残して帰宅ということになり、私も家へ(この日残った従業員を含めて「早退」扱いになり給与計算の出勤日数がマイナスに。ちなみに実質的に職場を仕切る部長は全員の帰宅を指示したのだが社長は数名残れと指示が出てこのように。会社ってそんなもんですよね)。途中の道路が冠水していたり普段渡る刈谷田川に架かる橋の桁すれすれまできている水(普段は橋の20メートルくらい下に中規模の流れがある程度)に驚きつつ家へ。ネットとテレビ・ラジオ(ラヂオは〜とはこの時から災害情報・安否情報を伝える特別体制となった)で情報収集しつつ分団長に連絡を取ると刈谷田川と信濃川の合流点で水が溢れかけて動員がかかったとのことなので「もう作業は終わってるようだけど・・・」と言われつつも現場へ。案の定撤収がかかっていた。結局何もしなかったが体制は整えておくことにした。
そして14日。
途中の農道が冠水し通行不能で遠回りを強いられる。昨日早々に帰宅した同僚宅が浸水したと知る。絶句。午後から取り急ぎ向かうがまだ水が引かず何もせず引き返す。この近所には行きつけの理髪店もあり、心配。現場では陸自や県警、県防災の各ヘリが活動中。さいたま市消防局や山形県などの広域消防援助隊が続々と到着、活動を続けていた。
15日。
被災社員宅支援には浸水が無かったが周囲が冠水し操業できない三条の工場スタッフを当てるので無事な者は通常操業を再開せよとの指示でいつもどおり働く。
三条の被害の無い地域まで近づいてみる。通常営業をしているパチンコ店やコンビニには普段よりはずっと少ないが客の姿。普段通りに戻れるところは普段通りに戻ることも大事なことなのかもしれない。
17日は河川の確認等に終始。
明けて18日。
社長の提案もあってボランティアに参加する予定だったので早めに就寝していたら電話に起こされた。消防団の専任班長(部長の下)からで、信濃川中流が警戒水位に達したので全町の消防団員に出場がかかったので機材庫集合の指示だった。堤防の低い3箇所に分散配置され、午前1時に土嚢積みが始まった。午前3時まで現場待機、それ以降は5時まで機材庫にて待機し解散。1時間半ほど仮眠を取り、三条へ。まさか徹夜で水防活動して疲れたからボランティア休みますなんて理由が通る訳がない。現地には何日もろくに睡眠・休憩を取ってない人々が大勢いるのだから。ボランティアセンターから割振られた活動は床上浸水したお宅の泥上げ。単純に床下の泥を掬って土嚢袋で外へ搬出というだけだがそれでも家1軒分となると相当な重労働で夕方までかかる。被災宅の方からは「お陰で助かりました」とは言われたが1日だけやった私らとは違い、この方々にはそんな重労働がまだ当分続くのだと思うとやりきれない。
22日、ボランティア参加2回目。
午前中に伺ったお宅は古くからの街中にある築70年という家で、初老の男性が一人というので畳の撤去の手伝い。細かい事情はお聞きしていないが現在は別のところに居住されているとのことで部屋のカレンダーなどから30年近く空家状態と推察。床上浸水をしており、状況も状況なので解体撤去を視野に入れており、そのため畳のみを撤去したいとのことだった。畳自体が古くなっていた為に単純に持ち上げることが出来ず、かつ黴が発生。少しずつ藁をばらしてごみ袋に詰めていくしかない。とにかく水を吸った藁が悪臭を発してそれがきつい。作業終了しての男性の姿が何処か寂しげ。思い出の詰まった家なのだろう、このような形で撤去せざるを得ないのだから心中察するに余りある。この日はそれなりに暑かったのだが不思議と家の中は悪臭がきついとは申せ涼しかった。昔の日本家屋の長所なのだろうなあ。
午後は18日の現場から程近い新興住宅地のお宅で、築15年ほどの家ながらお婆ちゃんお一人住まいのお宅。畳の下の板を剥がして床下の泥を回収。先に4人グループ(JAえちご上越から来た男性1名と県外からの女性2名、県内の高校生女子1名)が作業着手していたが手が足りないと言うので我々男手4名の増員となった。これがまた意外と床はがしに往生。住人曰く「主人(賞状額などを見る限り10年位前に他界)が大工さんを選んで建ててもらった」とのことでそのしっかりした作りには感心するしかなかった。
24日、ボランティア3回目。
午前中はセンターから程近いお宅の床下泥回収。午前の高校生女子グループ4名とこちら5名とのチームに。徒歩でたどり着くと家の前では子供さんたちがビニールプールで水遊び中。ひがみとかでなく素直に涼しそうで、よかったねと言いたくなる。魚沼のそれ程ではないもののある程度高床になっているお宅だったがそれでも床上浸水だったとのこと。これまでのお宅とは違いベタコン(この場合床下全体がコンクリートで覆われている状態)なので泥水を掻き出す形に。またフローリングの関係で床はがしも十分に出来ず、結局潜り込んで掻き出す形に。小柄な女性グループが居てくれて助かった。
午後は三条駅に程近い地区での泥除去。自営のお宅の泥出しはほぼ終わっていたが裏の貸駐車場と隣接する貸家がまだとのことで作業。駐車場は当然消雪パイプが設置されていたがポンプが水をかぶって故障、ホースで散水して削り取るしかない。並行して貸家の泥出し。貸家とはいえ入居者が無かったのは作業のし易さでは不幸中の幸いだろう。休憩時間中に伺った話ではご主人は地域の自治会長。当日は避難に関する連絡を受ける間もなく浸水したそうだ。町内で老人の死者が出たが当然そちらへ知らせるどころの話ではなかった。後日マスコミがやってきたが取材される内容は当日の避難の連絡やら、結局は「人災としての犯人探し」をしているとしか思えない行動にかなり憤慨されていたご様子。続いて貸家の正面に有る店舗跡を利用した趣味の陶芸工房の泥出し。コンクリート引きだったので水で流せばいいのだが陶芸用の土も混じって大変でした。

2004/05/09
連休北陸シリーズ2004。
5月1日に北陸道疾走。初めて富山西インターで降りる。特に近くに用事があるでなし、ただ利用してみたかっただけ。地鉄の市内線を見て高岡へ。いつもの宿でも・・・と思ったら主だったビジネス全部断られる。仕方なく二度と行かないであろうネットカフェに入会、ネットしつつ読みそびれたコミックをめくりつつ夜明かし。車中泊と比べれば悪くはないんだけどね。ラジオ聴けないのが辛い。
2日。早朝の富山湾沿岸を駅に寄りつつ北上。和倉温泉駅キヨスクで朝刊を求めて穴水へ。イベントFM訪問以来だから8年ぶりくらい。当時訪問後に遅い昼食をとったホーム上の駅弁・そば店が無くなっていた。急行も輪島方面も廃止され、単なる途中駅になってしまった事で役目を終えたのだろう。待合室の売店は健在でここで弁当販売は継続されてたのが救い。ちらし寿司を求めて、乗らない分せめて収入に、と窓口でフレッシュカードを買う。使いきれるのはいつのことやら。そうこうしてたら珠洲方面から列車が到着。団体さんが降りてきた。近ツーの「クラブツーリズム」だった。駅前に待っていた貸切バスに乗り込み次へ向かった。こういった人たちも大事なお客なのよな。駅前は七尾線移管まで初代「のと穴水駅」だったログハウス風の建物にあった土産物店が自衛隊の募集連絡事務所になっていた。隣のアパートの一階店舗部も100円ショップに。不況の波は容赦なく襲う。
東進して各駅に出来るだけ寄りつつ進む。駅前の酒屋なんかも覗きつつ。「出来るだけ」というのは必ずしも道路がきちんと並行してるとは限らないからで、その道路も集落を突っ切る擦れ違いも困難な生活道路しか無かったりでお世辞にもいい道とはいえない。如何に新潟が無駄にいい道か解ります。
途中の漁村でアンテナが気になったので確認。DDIポケット風のアンテナだったが機器類が大きい。隅っこに「J-PHONE」の文字。つまりボーダの小エリア用の基地局なのですね。旧Jフォン北陸時代にこういうものを積極的に建てたから人口カバー率はかなりのものだったわけだ。石川はJフォン北陸の本社所在県。新潟はJフォン東北の辺境だったからねえ・・・・。力の入り方も違うか。
今回のメイン目的地、甲駅に到着。
こちらは8年程前に列車から見ただけの国鉄郵便車オユ10見物。
整備の日でもなく公開日でもなかったのでホームから見るしかなかったがそれでも遠方からのファンがちらほら。駅自体は無人化されていたもののフレッシュカード対応の食券発売機風券売機はある。恋路駅入場券発売中のポスターになぜか往年のアニメキャラであるセーラーマーキュリーがあしらってあったり事務室内にあったオユ10への案内ポスターもなぜか「カードキャプターさくら」だったり、昔から鉄はアニメ好きである・・・・。
さらに海沿いを鵜川まで進み、今度は山間を通る国道を引き返す。穴水の海沿いにある駐車スペースでさっきのチラシを頂く。農道橋「ツインブリッジのと」から能登島上陸。海沿いに3/4周して能登島大橋から戻る。のとじま水族館と大橋を結ぶ道路が大渋滞で出るのに難渋。ついでにCQ出してみるが空振り。昨日から高岡にいた関東の局と富山市内で、穴水では七尾の局と交信できたがそれ以外は何故か県内吉川町からのCQが聞こえるだけ。まあラジオも新潟の局が余裕で入りますから。その局とは夕方の氷見で交信成立。帰宅、と思って途中の入善PAで仮眠とってたら夜が明けて憲法記念日の3日。またこのパターンか。しょうがないので柏崎でEF5861とEF641001牽引旧客の信越線100周年列車撮って帰宅。

2004/03/28
ガタケット。
今回は会場の都合で産業振興センターでなく朱鷺メッセ。県央高速交通のスペースが取れたのでサークル入場。しかも今回は両隣が交通系、片方は保存会・友の会仲間のサークル「Digital E127」。万代島までは交通不便。そこをかつて貨物線が通っていた。そこら辺の批判もしつつの鉄本とPORTの最近をぼやく放送本。昼名物の「ゴッドシグマ」が初めて朱鷺メッセに鳴り響く。うーん、この良い意味でのお馬鹿っぷりがガタケの醍醐味。

2004/03/06
2月26日夜。
帰宅ついでに寄り道をして要件済ませた私の携帯に届いた昼間送信のメール(仕事中は電源を切っているため晩にまとめて届く)。一旦車を止めて開き、そのまま絶句。
知人リスナーの突然の訃報。
工事にもかかわったとある局の番組には必ずメッセージを送り、イベントには顔を出して局を応援、番組コーナーによってはスポンサーにまでなっていた方。
リスナーオフにも必ず顔を出し最近の状況を嘆いていた方。
無線家でもあり、アンテナ工事する時は声かけてくれ、余り物も譲るし。と私にも言ってくださっていた方。
正直リスナー仲間の気安さと氏の人の良さからかなり失礼な言動もしてしまったがそれにきっちりした謝罪もできなかった。
お通夜も告別式も顔を出せず(ショックと立場的に顔を出すまでの関係なのか?という自問自答の末)その翌日に香典を持って初めてお邪魔したお宅の玄関先焼香所に飾られたご遺影、10年位前のものというその笑顔をもう見ることが出来ない。
ただただ、合掌。

2004/01/04
今年初の乗り鉄はいつものメンバー総勢8人での青春18きっぷ利用「きらきらうえつ」。
新潟駅に三々五々集合し、私は万代口のNRE駅弁売店で朝飯として新潟三新軒の万代押寿しを購入、ついでに隣のNEWDAYSミニで三新軒(新津)の明太子細巻ミニパックを購入。後述するNREの工場が無い所為か、この商品をはじめ新潟のNEWDAYSミニでは三新軒のおにぎりや弁当が置かれている。駅弁屋さんのコンビニ弁当ということで意外とお勧め。
定刻に発車したうえつ車内でこれをつまみに日本酒を飲む。昼っから列車で飲む。いやー最高。これで冬の日本海の荒波が車窓に広がっていれば冬の鉄旅としては言う事無いんだけどいかんせん暖冬。外には冬の穏やか〜な日本海が。「うえつ」の売りであり、かつ現在新潟発着の列車では唯一の供食設備であるミニビュフェ「茶屋」でカプチーノコーヒーを楽しむ。茶屋に隣接したラウンジの居心地が意外にいい。こっちをコンパートメント的に指定席にしてもいいんじゃないの?
乗車券は青春18で、「うえつ」は快速ゆえ特別料金は指定席券(区間に関係なく510円)のみ。つまり酒田まで行ってもいいがどこで降りたっていいわけ。と、いうわけで協議の結果余目で下車、陸羽西線で新庄へ。
陸西は10年ぶり。車両はキハ110系に替わってワンマン運転。交換可能だった駅が2番線撤去になっていたり、10年の歳月をひしひしと感じる。何より雪がここでもほとんど積もっていない。深刻なり暖冬。
新庄も山形新幹線延伸で変わった。駅撮りして駅前の「急行食堂」でラーメンの昼食。その後サンクスに寄ってから引き返し。と、その前にNEWDAYSに寄ろう。元々キヨスクのコンビニ業態「miniコンビ」だった新潟のNEWDAYSミニと違い、東北のNEWDAYSは関東と同じく元JCの純然たるコンビニ。おかげで東北ではキヨスクは吸収されること無く同じ駅に同居しているがちと肩身が狭い。ともあれNRE仙台調製のサンドイッチを見付けて山形新聞と共に購入。関東でもNRE戸田の弁当やサンドイッチ置いてるのに何故か新潟ではNREの陰が薄い。昔は新潟駅で日本食堂新潟調製のJダイナーロゴ入りサンドイッチが買えたんだけど・・・。
ガラガラの列車で余目に引き返し、うえつの復路乗車。今度はさらにじっくりと茶屋を楽しむ。沿線地酒のショット売りがあるので酒田の初孫をいただく。1000円で地酒3種のセットがあり、みっみーさんはじめ何人かはこれを選んだのだが私はそこまでは飲めないので単品選択。酒の後は食かな?とも思ったがさっきラーメン食ったし駅弁は値段と量の兼ね合い(この時点の胃袋には重い)で不適。ミニサンドイッチがあったがさっき買ったばかりのはまだ開けたくないし何よりNRE新潟の定番、末広製菓調製なので却下(まずいと言う意味ではなく日常的にどこでも買える商品であるので旅でわざわざ買うべきものではない、という意味)。村上茶と菓子のセットにする。急須、竹筒型湯飲み、村上の菓子(この時は寒天を使ったもの)が付いてきてお湯のお代わり自由。これは茶屋のメニューでは最高の物だと思う。新潟駅到着して解散。なんか食ってばっかり。明日から仕事だ・・・。