PROFILE

 

Profile:ラナテカ <ナラカズヲ/中安てつろう>

2002年9月正式結成。それぞれの活動をしてきた奈良和雄(ナラカズヲ)と中安てつろうのふたりによるバンド。恵比寿MILKでの”風の人”クルー(JPCband、smorgas、WISE、ラナテカ、エツナブ、DJ DENNO、kenta、Adam、hrkht、etc.)でのイベントkooniやピースイベントやその他で盛り上がっている。

奈良は歌・ギター・ループ・六味線ハナロー・作詞曲。80年代後半から当時今のようにいなかった路上ライブを渋谷で数年続け、CDリリース後FM横浜などのカレッジチャートへ7位チャートイン、ビクターのオムニバスへ参加後、バンド天然ビートで活動、99年にはソロアルバム『東京ラブソング』コロムビア/HEATWAVEよりリリース、『真っ赤なゼリー』がインターFMの番組でベスト7入り。
地元青森でFM番組のDJも経験する。
日本に来ている難民を支援するref-netのメンバーで、日本においての難民への待遇・意識がよりよくなることを願い、難民のことをも歌いイベントにも出ている。


01年古くから知る中安となりゆきで下北沢のフリーマーケットで初めていっしょに(当時はサックス&フルトの旧橋壮とのトリオ)演奏したところ盛り上がってそれから今にいたるが、02年サックスが抜け9月法政大学ROCKS→OFFのイベントで初めてラナテカを名乗る。

一方、中安哲朗は初期グレートリッチーズのメンバーで名盤の誉れ高い『都に雨が降るがごとし』にも参加、のちに青ジャージ、トモフスキー、Picoダンス、800ランプのドラマーを経てラナテカへ。ラナテカではスネアとフロアタムのみで多彩なリズムを繰り出す。

このふたりで様々な音楽性をひとつの個性で響かせるラナテカはすべてのライブで宇宙と交信している。

03夏、風の人九州ツアーにも参加。ストリートファッションブランドのセンブランスと”風の人”のコラボで作られたTシャツ+コンピCDにも『新世界(Funky天王寺)』で参加した。

04春にもまた風の人のコンピアルバムに参加予定。
風の人のVJ三島ミキヒサとのLIVEコラボもしている。風の人の仲間によるラナテカ・リミックスを作る可能性もある。

 

Profile:ナラカズヲ/奈良 和雄 <1965/04/23 青森県青森市出身 O型>

1985年夏
北海道 旭川・札幌の路上で初めて路上ライブを行なう。
'88
EP「路上でパーティー/奈良和雄&THE HOT BRAVO」を自主制作する(ゲンコツ・レコード・カンパニー)
'88〜'92

渋谷PARCO part2の前で 毎週土曜の夜9時〜11時、路上ライブを続ける。路上ライブの際に署名していった千数百人もの人へ歌入りテープを郵送、その中にはフランスのバンドのレ・ネグレス・ベルトの故エルノも含まれていた。 '90年4月に路上ライブの模様を収録したソロCD「奈良和雄路上ライブ」(自主制作/REVOLUTION)を発売。このアルバムは話題を呼び、音楽誌及びTV、FMなどで取り上げられる。

同年12月にはCD収録曲「砂漠の中のくじら」がFM横浜やJFN系FM局の「カレッジ・チャート・イン・ジャパン」で6位にチャートイン。DOLL誌では同CD収録曲「キスしたい」がベストソング3にセレクトされる(選者・行川氏)。(ちなみにこの時他に選ばれているのはニューエストモデル、テーゼ) '91年には「東京ストリート・ゲリラ ’91」(オムニバスCD&VIDEO/ビクター)に参加。
NHKのドキュメンタリー番組で紹介されたのもこの頃である。
同年10月には2nd CD「うたがすき」(DO!レコードより)を発売。
来日中のオーシャン・カラー・シーンのVoのサイモンと路上セッションという楽しきハプニングも。

92年夏
奈良和雄&天然ビート結成。メンバーはVo.奈良和雄、Bass.奈良明雄、Dr.バグース木村 の3人。この頃(初期)は激しいサウンドが中心だったが、様々な国のリズム・ビートも感じれる曲も増えていった。
93年
メンバーチェンジを重ね、ドラムレスで、アフリカンパーカッション(ジンベ/KAYA)とBass、EG(ナカタ)、それに奈良のVoとアコギや三味線風の楽器などで彩られた音へと変化していく。The天然ビートに改名。
94年
クラブチッタ川崎でシリーズライブに参加。
94〜95年にかけて 多くのベテランミュージシャンとの共演、出会いにより、エネルギーを蓄え、さらにバンドサウンドを確立してゆく。
97年
Drumsにマカナエ(シャニムニ)加入、ロック色強まる。 天然ビート 活動休止。以後、ナラカズヲ solo活動へ。自宅で幾つものオリジナル曲を録音・整理まとめ始める。
98年5月
アルバム制作の話が持ち上がる。ディスカッションと選曲とに明け暮れ、まず60曲、20曲としぼってゆく。
98年8月
C2HRレーベル/HEATWAVE/日本コロムビアよりアルバムリリースが決定。その準備、アレンジ、メンバー選びなどに明け暮れる。
98年秋
リハーサル。そしてレコーディング。
Eg/玉川裕高(コモンビル、Ex.ヒップゲロウ)、Key、アコーディオン/斉藤哲也(福間未紗、たま、のサポートなど)、Bass/奈良明雄(Ex.天然ビート、ナラの弟)、Djembe/高橋荷野(さんからごんじゃ、クーニードフェスティバル)、Drums/バグース木村、山際秀人(トライシクル)、Piano/笹山てるお(Ex.WEED、Ex.絶対零度)、コーラス/井垣宏章&石塚明彦(Ex.太陽の塔)、藤原豆子、サントワーマミー、 市川史門(さんからごんじゃ)、という そうそうたるメンバーでレコーディングが開始される。
99年1月
発売前にも拘わらず、アルバム収録曲「真っ赤なゼリー」がインターFMの人気番組「チャンネルG」のカッコイイ曲チャートで初登場7位
99年3月
アルバム「東京ラブソング/ナラカズヲ」 (cocp‐50039/HEATWAVE/COLUMBIA)発売。
これはEPから数えて4枚目、CDからだと3枚目、スタジオ録音からだと2枚目、メジャーレコード会社からってことになると1枚目という作品。
99年春
発売記念ライブツアー開始。各地で盛況。オフィシャルサイト 開設。
CD各誌で好評、15誌で紹介される。 FM青森の番組でDJ初体験、以後 たびたび同局でDJをつとめる。
オフィシャルサイトの他にファンサイト(現オフィシャルサイト)も登場。ネット上でもナラカズヲの名前、音楽が広まり始める。
99年7月
ナラカズヲ、路上ライブ再開(吉祥寺・新宿・渋谷など)。たくさんの出会いを生む。
99年8月
FM青森公開生放送でライブ生中継。
2000年夏
ナラカズヲ名義では初のライブCD(自主制作)「ライブな日々」発売。
青森県・青龍寺にて行われたライブイベント「あおもりフォーク村夏祭り」に出演。青森のバンド「サスカッチ」と共に、他の出演者とは一味違う、激しくも暖かいライブを繰り広げた。
共演者は、豊田勇造、友部正人、ブレッド&バターなどのベテラン揃い。新たな交流も生まれた。